罪と罰 - みる会図書館


検索対象: 謎解き『罪と罰』
282件見つかりました。

1. 謎解き『罪と罰』

ニヒリスト 薄い「否定主義者」そのもののようにも見える。しかし、—章の冒頭で「ナスーシチヌイ」 ( 日 用の ) という言葉について考察したように、彼もまた幼児期の「信仰、の母斑を免れてはいなか った。ましてや小説の書きだしから、早くもそのような仕掛を主人公のうちにひそめないではい られなかったドストエフスキー自身には、そのあたりへの強い関心があったことが予想される。 「神と不信の問題、は、自身告白しているように、彼を生涯悩ませつづけた問題であった。とす れば、この『罪と罰』でのラスコーリニコフの描き方にも、作者のそのような問題意識は、当然 反映しているはずである。 おそらく小林秀雄が、「罪と罰」という表題そのものに、「すべて信仰によらぬことは罪なり」 4 。、 というロマ書 1 2 のノウロの一一一一口葉との共鳴を聞きとったのも、そのような予感にうながされて のことだったのだろう。もっとも、ここに出てくる「信仰」という言葉は、ロマ書の文脈では、 また、ここの「罪ーという言葉、ギリシ 「確信」と解するほうがよいように思えないでもない ャ語の「アマルティア」は、ロシア語訳、教会スラヴ語訳聖書では「グレーフ」 (—章で述べた 「神のおきてにそむく行為」という意味のほかに、日常語では「あやまち、の意味がある ) と訳されていて、 プレストウブレーニエ 少くとも『罪と罰』の表題になっている「踏み踰えの罪」、ギリシャ語の「パラバシス、ではな とすれば、このロマ書引用は、い くぶん見当はずれということにもなりかねない。 それはともかく、ラスコーリニコフはたんに母斑としての信仰の記憶を無意識にもちつづけたり こよ、ラスコーリニコフが自分から神に祈りを捧げる場面も、また、自と だけではなかった。小説。。 分のことを神に祈ってほしいと、他の作中人物に頼みこむ場面も描かれている。これらの場面は、と ドストエフスキー一流の驚くべき周到さをもって描かれており、ラスコーリニコフの「人間解人 明のための鍵をなす個所だと思われる。

2. 謎解き『罪と罰』

謎とき『罪と罰』

3. 謎解き『罪と罰』

謎とき『罪と罰』◇目次

4. 謎解き『罪と罰』

プレストウブレ ニエ・イ・ナカザーニエ ドストエフスキー FIpeCTY11JleHHe H HaKa3aHne プレストウブレ ニヤ・イ・ナカザーニヤ flpeCTY11JIeHHfl 一一 HaKa3aHHfl 見るとおり、二つの題名はあまりに酷似している。相違はといえば、二つの名詞の語尾が、片 イエ や「」であるのに対して、もう一方は、「」が裏返ったロシア語特有の文字「月」になって いるところだけである。解説すると、「エ」語尾は単数形、「ヤ」語尾は複数形ということだ。な るほど、いろいろな犯罪にいろいろな刑罰が対応することか、と理解できるだろうが、厳密に言 うと、すこしちがう。ロシア語では、抽象名詞の複数形は具体性をもった事象を指し、単数形は 語義を抽象化させる傾きがあるからである。そこで、複数形が「犯罪と刑罰」と訳され、単数形 が「罪と罰」になるわけだ。内村剛介氏のように、本来が「踏み踰えること」である「プレスト ウブレーニエ」の原義にこだわって、小説の題名を「犯と罰」と訳すべきだという見解もあるが ( 『人類の知的遺産・ドストエフスキー』 ) 、抽象的な対語としては、「罪と罰」もなかなかに捨てがたい。 題名がいくら酷似していても、ドストエフスキーがべッカリーアを知らなかったのでは、「も じり」も何も成り立たないが、その点についてはすでに調べがついている。ドストエフスキー自 身が編集していた雑誌『ヴレーミャ』 ( 時代 ) の一八六三年三月、四月号に、表題名もずばり「犯 ー、べッカリーア以来の刑法思 罪と刑罰」 ( 複数形 ) という論文が載っているのだ。モンテスキュ 想の変遷を論じたもので、その掲載時期が小説の執筆にかかるわずか二年前のことだとすれば、 校正まで自分でやっていたドストエフスキーがそのことを忘れるはずがない。 では、何が「もじり」なのか。どうやらドストエフスキーは、べッカリーアにならって、この 小説でも、それなりの「罪刑法定主義」を貫徹させようとしたらしい節が見えるのである。むろ ん、この「罪刑法定主義」は、多分に文学的なものかもしれない。しかし、少くともドストエフ 141 「罰」とは何か

5. 謎解き『罪と罰』

I S B N 4 ー 1 0 ー 6 0 0 5 0 5 -1 C 0 5 9 8 \ 8 8 0 E ロシア文学では江川卓がよく出来る。 その評判はまへまへから耳にしてゐたけれど、疑 り深いわたしは、ロシア語が出来るだけだらうと高 をくくってゐた。 しかし、岩波新書の『ドストエフスキー』とこの 『謎とき「罪と罰」』を読んで、予想がまったくはづ れてゐたことがわかった。江川さんはどうやら、語 学の才と文学の感覚の双方を身に備へた、つまりし つかりと読んで深く考へることのできる、理想的な 外国文学研究者らしい。 江川さんは紋切り型のドストエフスキーの肖像を 焼き捨てて、彼の本当の姿をニ十世紀の後半に生か す。深刻に硬直した『罪と罰』は現代人のための古 典として相貌を改め、われわれが今ここで読むに価 するものとなる。 大事なこと、清新な説がいつばい詰まってゐるお もしろい本が、こんなにやさしく、わかりやすく書 いてあるのは、不思議な話だ 丸谷才ー 謎とき『罪と罰』 と リ卓 き と 一三卩、冫 えがわたく 江川卓 1927 年、東京生まれ。 1944 年、第 一高等学校在学中より独学でロシ ア語を始める。東京大学法学部政 治学科卒業後の 1953 年頃から現代 ソビエト文学の研究を開始する。 日本広研、ラヂオプレス通信社を経 て、 1968 年以来東京工業大学に勤 める。現在同大学工学部教授。 著書に『現代ソビエト文学の世界』 ( 晶文社 ) 、『ドストエフスキー』 ( 岩 波新書 ) 。訳書に『罪と罰』を筆頭に 『貧しき人々』『分身』『地下室の手 記』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』 など多数。 現住所・東京都杉並区宮前 1 ー 1 ー 9 新潮選書 選書 定価 880 円 精巧なからくり装置にもたとえられるこの小説 のく謎とき〉に打ちこめた三年間は、たいへん愉し い時間だった。何やらキーワードめいたものにぶ つかって、その周辺を探りだすと、ドストエフス キーのテキストそのものが、私の予感を裏づける ような資料を次から次へと提供してくれるのだ 敬愛するこの偉大な作家と、想像力のいくぶんか でも共有できたかのように思えた瞬間 それは 私にとってかけがえのない感動だった。 著者

6. 謎解き『罪と罰』

ストエフスキー自身になり変るしか手がないとさえ思われる。 この本での私の『罪と罰』謎ときの試みは、天才ドストエフスキーが仕掛けた「謎 . のごく一 部分にしか及んでいないだろう。見当はずれもだいぶあるにちがいない。故人ドストエフスキー は、アレクサンドル ・ネフスキー寺院の墓所の奥深くで、百二十年もかかってせいぜいその程 度かいと、ペろり赤い舌を出しているかもしれない。あるいは、ここで私が発見したと信じた 「謎ーの多くは、ドストエフスキーの意識的な創作行為ではなく、なかば無意識の創造的直観、 さらにはたんなる偶然でしかなくて、「謎とき . などとはおこがましい、おれにはもともとそん なつもりはなかったよと、不機嫌な渋面をつくられるかもしれない。しかし、いずれにせよ、こ の古今の名作の「謎ーに挑もうとした私の気持が真摯そのものであったこと、そしてこの「謎と きーがこのうえもなく愉しい作業であったことは確言できる。 あまり大きなことを言えた義理ではないが、もしこの『罪と罰』が近代小説のひとつの極限を きわめた傑作であるとするなら、私の「謎とき」の試みは、小説とは何か、それが現代において 果しうる機能は何か、そもそも小説の運命は ? といった問題を考えるうえにも、なんらかの手 がかりを提供できるはずである。それがただの高望みに終っていないことを期待したい。 この , 小 まえがきめいた文章の最後に、『罪と罰』の翻訳の問題について一言ふれておきたい。 説の第一編 ( 巻之こが、内田不知庵 ( 魯庵 ) によって、英語からの重訳ではじめて日本語に移 されたのは、明治二十五年 ( 一八九一 I) のことであった。発表と同時に驚くほど大きな反響を呼 め んだことは、翌年刊行された巻之二の巻末に、訳者自身が前巻についての批評を網羅的に収録しは ているので、容易に知ることができる ( 『内田魯庵全集』貶巻、ゆまに書房、一九八四年 ) 。坪内逍遙、

7. 謎解き『罪と罰』

の根本主題を三位一体的に、というより三題噺的に手ぎわよくまとめたうえで、あとは自首のフ イナーレまでを一気に突走るつもりであったらしい。カトコフへの手紙がそのことを裏書きして 「尊敬する貴兄の雑誌『ロシア報知』に、私の中編を載せていただけないでしようか。これは、 当地ヴィスパーデンで、もう二カ月来執筆してきたもので、そろそろ終ろうとしているところで す。分量は五台から六台 ( 約三百枚 ) になると思います。仕事にはあと二週間、ひょっとすると それ以上かかるかもしれません」 ( 傍点引用者 ) このときの構想では、『罪と罰』 これはけっして「前借り , のためのしらじらしい嘘ではない。 はまぎれもなく「約三百枚の中編」であった。そしてこのような「中編」のジャンルでは、「理 ラーズム 智堂」君と話ができなくなる、神によって「理性」君を奪われることが「罰」だというオトシ話 的なトリックも、当然許されるはずだったのである。ドストエフスキーとしては、陰鬱な主題を、 せめてもこういう洒落た笑いで救いたかったのだろう。これなら、手紙に暗示されたように、 『踏み越え損の持出し勘定』の題名も、実にびったりではないか。 しかし、事は志に反した。『罪と罰』は実に千六百枚もの大長編にふくれあがった。こうなる ポ 1 ヴェスチ と、「中編」としては手頃だったトリックも、「大長編」ではいかにも安手に見えてくる。ドス トエフスキーは、命名のときからあたためていたトリックを断念しなければならなくなった。そ れに代えて作者は、「人類との断絶」を地で行く、ほとんど儀式的な行為をラスコーリニコフに何 演じさせることになる。 罰 例のネヴァ河の「パノラマ」の場面の直前、箱馬車の馭者に「当り屋、とまちがえられて、ラ スコーリニコフはしたたか背中を鞭でなぐられる。そのままニコライ橋のたもとにたたずんでい

8. 謎解き『罪と罰』

『万年寝とられ亭主』、『悪鬼軍団』、『黒塗屋兄弟』・ まあ、表の題名は想像におまかせしよう。全集から『罪と罰』が脱けてしまっては、という心 配もあるだろうが、その点も懸念には及ばない。ちょっとひねれば、この題名も、『踏み越え損 の持出し勘定』などと、裏の世界でも立派に通用するようなものに訳しかえが可能だからである。 ナカザーニエ 「罰、のもとになった動詞「ナカザーチ」には、「思わぬ出費をさせる」という俗語的な意味が ある。そのうえ、この裏題名がたんなる思いっきの冗談ではない傍証まで揃っている。一八六五 年九月、ドストエフスキーが三百ループリの前借り目当てに、初めてこの小説をカトコフに売り こんだときの手紙は、次のように書き出されていた。 オトチョ 「これは、ひとつの犯罪の心理的な収支決算書です」 この「オトチョートは、たんに「報告書」と訳しても、誤りとは言えない。しかし、この手 紙を仔細に検討すると、ほかにも二つ、「ヒューマンな負債」、「犯罪は帳消し」などと、明らか に簿記用語的な言葉が見出され、しかもその部分が、なぜか引用符で括られていることが発見さ れる。このコンテキストでは、「オトチョートはどうしても「収支決算書ーとならざるをえな いだろう。つまりドストエフスキーは、まだ題名も確定していなかったであろうこの段階で、貧 しい大学生の大冒険が、結局は「踏み越え損の持出し勘定」に終るだろうことを、すでに予感し ていたのである。 さて、そうと決れば、この『罪と罰』を茶番劇的な発想からとらえ直すことにも、なんの遠慮地 もいらない道理になる。テキストの検証も、けっこう気楽に進められることになるだろう。 罰 そこで、まず引っかかるのが、ラスコーリニコフの犯罪心理論である。犯罪者というものは、 ラスス 1 ドク 犯行の瞬間、きまって「意志」と「分別」の喪失状態に陥る、これは一種の「病気」のような巧

9. 謎解き『罪と罰』

ものではないか、現実の都市ペテルプルグの最底辺ではないか、と錯覚させられるほどの迫力を もつ。 「主よ、あなたが私を創られたのは、この世に短い生を与え、長の年月を地獄で苦しめるためだ ったのですか ? いまあなたの愛する者たち、私の子孫らは、暗黒の中に座し、地獄の底でうめ き悲しみ、おのれの目と瞳を涙で洗っております。ほんの束の間、あなたの太陽を目にすること ができただけで、あれからもう何年もの間、私たちは明るい太陽を仰ぐこともなく、風の騒ぐ音 を聞くこともなしに過してきました。私は他のだれよりも大きな罪を犯したのだから、この報い ま悪魔にあざけられ、 は当然かもしれません。けれどあなたの像に似せて創られたこの私が、い 責めさいなまれているのが口惜しいのです : : : 主よ、早く私たちのもとへ来られて、地獄を救い 悪魔を縛りあげ、きびしい姿を拝させてください : 小説のライトモチーフの一つである「太陽」が、ここにも現われてくることが注目される。さ らに「風」は、古代の四大元素の一つとして、言うまでもなく、「空気」に通じる。「地獄」もま た「空気」のない場所なのだ。『罪と罰』の最終稿からは削られたが、ドストエフスキーは創作 市 ノートに、マルメラードフのキリストへの訴えの言葉として、次のように記していた。 ペクロ 都 の 「わたくしども神の子孫らが、地獄に暮しておりまする」 意識したかどうかはともかく、これが偽経のアダムの言葉「いまあなたの愛する者たち、私の 子孫らは : : : 」のパラフレーズそのものであることは明らかだろう。『罪と罰』の創作時、ドス以 トエフスキーの念頭にこの「偽経、があったかもしれぬ疑いはいっそう深まる。だとするとラスレ コーリニコフは、復活すべき「ラザロ」にだけでなく、「大きな罪を犯したアダム」にもなぞらペ えられているのかもしれない。そのアダムラスコーリニコフが、地獄の底で、マルメラードフ

10. 謎解き『罪と罰』

意志」で克服することをめざした。『罪と罰』における「終末」論は、そのような位相に置かれ ている。それがたんなる終末論に終らず、復活論にいかに結びつくか。それがこの「謎とき」の 次の課題になるだろう。 246