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検索対象: 謎解き『罪と罰』
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1. 謎解き『罪と罰』

う見ても不自然である。この不自然さをドストエフスキーが意識しなかったはずはない。だとす ると、地下室人を「無名」にしたのは、やはり作者の意図的な作為だったことになる。 では、彼を「無名、にしたのは、「特性のない存在、としての彼の自意識を尊重し、「仮面 , な どとは縁のない近代人の「素顔」を、思いきりあからさまにしようがためだったのだろうか。多 年、この作品はそのような読み方がされてきた。つまり、主人公の「私。を作者と同一視する読 み方である。しかし、ドストエフスキーはそれほど単純ではない。自身のアリバイづくりのつも りか、作者は地下室人に独特の「仮面」論まで展開させている。娼婦リーザを相手に長広舌をふ るった翌日、もし本気でリーザが訪ねてきたらどうしようと焦りながら、地下室人は次のように 独語する。 : 〉つまり、またし 「ここにはもっと肝心な、もっといやらしい、あさましいことがある。〈 : ても、またしても、あの不誠実な嘘の仮面をかぶらなきゃならないことだ」 づら 「嘘の仮面。というのが、前夜のリーザに対するお説教面を指すことは言うまでもない。長広舌 の最中にさえ、「演技が、演技がばくを夢中にさせた」と自認していたくらいだから、この「仮 面」意識はほんものだったのだろう。ところが驚いたことに、 こう独語した直後、地下室人は思 わず顔を赤らめる。 「何が不誠実な仮面だ ? きのうおれは誠実にしゃべっていたじゃないか。覚えているが、おれ の感情もほんものだったぞ」 これは地下室人の気まぐれというより、むしろその本質なのだろう。他者を意識するとき、彼 にはもはや自分の素顔と仮面の見分けがっかない。たとえ「地下室」 ( より正確に訳すと「床下」 ) に もぐりこんでも、いっこうに事態は変らない。 ここに地下室人の悲劇があり、ドストエフスキー

2. 謎解き『罪と罰』

ら・くなんだ、ゴキ 「これもわたしには快楽なんですよ ! 苦しみじゃなくて、か・い・ ここの「ゴキデン . は、ロシア語ではもっと長く引きのばして、「ミ・ロ・スチー・ヴィ・ ゴ・ス・ダーリ」と発音される。語感として、「東西、東西 !. といった触口上をさえ思わせる ところである。 しかし、この道化はただの道化ではない。彼の目がすでに異様である。「そのまなざしは何や ら有頂天めいた輝きをさえ帯び、おそらく、思慮も分別もあるのだろうが、それでいて同時に、 何か狂気じみたものがちらっく」と書かれている。おそらく、この種の目がいちばん似つかわし ュロージヴィ ゝの亠よ、・田・、ゝゝ ネカカりの狂信者「瘋癲行者」だろう。そして事実、酔ったマルメラードフの長広舌に は、「瘋癲行者」に特有の語彙や言いまわしがあまりにも頻出する。 Ⅱ ) 娘がはじめて黄色い鑑札を持って出かけましたときには、私もやは 「私の独生の ( ヨハネ 1 ・ り出かけましたよ : カウンターの向うで二人のボーイがぶっと吹き出し、亭主もにやりとし かまやしません ! あんなやつばらの頭ふり たのを見ると、彼は平然と言い添える。「なに、 ( 詩篇・ ) などにうろたえるものですか。どうせもう何もかも知れわたっておるのだし、隠れ 7 ) ですからな。軽蔑どころか、私はヘりくだり ( 箴言芻 て顕われざるものなし ( ルカ 8 ・ 1 しいんです ! 『見よ、この人なり ! 』 ( ヨハネ もってこれに対しておるんですよ。ゝゝ 5 ) ですわ , ( 傍点引用者 ) わざわざ耳なれぬ訳語を選んだが、注記したように、傍点部はすべて聖書の引用である。それ もロシア語訳聖書より古い教会スラヴ語訳聖書での引用である。この両者は、日本でのロ語訳聖 書と文語訳聖書の文体の差異にほば比べられるだろう。そこで、「独り子のーとか「一粒種の」

3. 謎解き『罪と罰』

からくりを仕掛けるもう一人の作者。そのどちらが真の作者であるかは明らかにされない。そし て、分身関係にあるらしいこの二人の作者を見定めようとするうちに、さらに一人、その背後に いるらしいものが幻視されてくる。よくはわからないが、おそらくこれは作者を超える存在なの だろう。その超越的な存在こそが、青年に敷居をまたがせ、「ペレストウピーチ . という言葉を 語り手にささやいたのではないだろうか。 神秘めいた話になったが、どうも私には、このような構造がドストエフスキーの創作には最初 から固有であったように思えてならない。そのことを考えるために、ここで彼の処女作『貧しき 人びと』に立戻ってみたい。「処女作には作家のすべてがある」という一一一一口葉が、ドストエフスキ ーについても妥当するのではないかということである。 ふつうこの小説は、貧しい初老の官吏ジェーヴシキンと「薄倖の少女」ワルワーラの、美しく も悲しい恋物語と考えられている。「写実主義的なヒューマニズム小説の傑作」というべリンス キー以来の評価もほば定着しており、いずれにしても後期の大作と比べてはかなり軽く見られて きた作品である。ところが数年前に読み返してみて、私は思いもかけない発見に思わずぎくりと よっこ。 作品の冒頭に置かれた、四月八日付のジェーヴシキンの手紙が、この発見のきっかけになった。 置 「きのう私は幸福でした、ただもう幸福でした : : : 」と有頂天そのものの口調ではじまるこの手装 紙は、すぐっづけて、この「幸福 . の理由を説明していた。彼がほのめかしたとおり、ワルワー ラが、中庭ごしの二人だけの秘密のあいさつのしるしに、カーテンの端を折りまげておいてくれ 巧 たのだ。感動したジェーヴシキンは甘い言葉をつらね、次のように書く。 「そして私の胸には、ちょうどあなたにキスをしたあのときのような気持がこみあげてきたので

4. 謎解き『罪と罰』

ウロード = 一口。ネカかりの狂信者、いわゆ 独白に「片輪」という言葉があるのも注目される。このロシア語よ、申ゞ る「瘋癲行者」や「聖痴愚」 holy fool を意味する「ユロード」、「ユロージヴィ」という一一 = ロ葉と同 語源の関係に立っている。ドストエフスキ 1 はしばしばこの二語をダブル・イメージで使ってお ウロード り、現にこの『罪と罰』でも、おみつ婆さんの妹、白痴女のリザヴェータが、「片輪、であると ュロージヴァャ 同時に、神がかり的な「聖痴愚」だとされている。ロシアにはまた、弊衣をまとって奇矯のふる まいに及び、人を笑わせる破戒僧、瘋癲行者が、一種の予言者として、古くから民衆の尊敬と人 気を集めてきた歴史がある。その一部はなかば職業化して、広場の大道芸人のはしりになったと も言われる。ドストエフスキーはどうやら「片輪ーという一一一一口葉に、ここでもそれだけの連想をひ そめ、主人公の道化性、と同時にある種の神秘めいた狂信性を暗示しようとしたらしい こういう目で見ていくと、主人公の帽子の細密描写も、俄然、異なった意味合いを帯びて見え てくる。実際問題として、あれほどのひしやげ帽子は、ふつうの人間の頭にはめったに見出せま 。それを身近に見かけるのは、日本でもロシアでも、田園風景の中でだろう。日本でなら、歌 ゴロホヴォイ・シュート の文句で「山田の中の一本足のかかし , というところを、ロシアでは「豌豆畑の道化。という。 ばろ服にひしやげ帽子のおどけた案山子を豌豆畑に立てて、鳥を追わせるわけだ。ドストエフス、一 キーがこの慣用表現に愛着を持っていたことは、次作『白痴』の冒頭の章で、道化役を地で行く レベジェフに対して、ロゴージンが「豌豆畑のかかし野郎」の悪罵を浴びせることからも知られ ゴロホワャ る。そう言えば、『狂人日記』の一節で見たように、ペテルプルグにも「豌豆通り」というのが あった。ドストエフスキーは、この地名からも「道化」を連想したらしく、処女作『貧しき人び と』では、牛田さんのところへお嫁に行くと決った「薄倖の、ワルワーラの嫁入仕度のために、 哀れな早乙女幸作氏を「豌豆通り」の洋品店めぐりに駆けずりまわらせている。これは、道化と ウロード

5. 謎解き『罪と罰』

ないがしろにする挙動に出ていたら、小説はまったく異なった展開を見せていただろうに : しかし、ニコライ聖者よりもさらに大きな仕掛は、もう一章遡ったところに、ひそめるどころ か、だれの目にもっくように、 ことさらアフォリズムめいた粧いまでこらして、公然とさらされ ていた。ラスコーリニコフの警察署出頭の場面である。やっとのことで書類のサインをすませ、 家路につこうとしたラスコーリニコフの耳に、例の老婆殺しについての取沙汰が聞えてくる。ニ コジム署長の説明に、石上雷太副署長が食いさがっている。 「それにしても、犯人を見かけた者はだれもおらんかったのですか ? 自席にいた書記のザメートフ、目付護夫君がすかさず口を入れる。 「見かけるも何もないですよ。アパートはノアの方舟だもの」 ( 傍点引用者 ) ひとっ断わっておくと、これまでの邦訳では、私自身の訳も含めて、ここは「あの家はノアの ド 1 ム 方舟だから」と、「あの」を補って訳すのが通例になっていた ( 「家」を「アパート」と訳し変え 。ー一。たのは、そのほうが実態に近い と考えたまでである ) 。もとも とロシア語には定冠詞も不定冠 詞もないので、「あの」を補っ方 ゞゝこり一との て訳すことをいち力し。 = = はいえない。現にマガーシャク舟 堵の英訳も《 the house 》と定冠詞 一をつけて訳している。しかし、 ( ニもしザメートフが老婆のアパ 。 .3 、ラ今 ドーム

6. 謎解き『罪と罰』

ジャートニコフが訪ねてくる。ラスコーリニコフを見て、なんともしどろもどろな弁解を始める。 「あなたもきっと見えてるだろうと思ってましたよ。いや、べつだんその : : : そんなことを考え : きっとそうだと思ってました : : : 」 たんじゃないんですが : これならば、解説ぬきで、「そんなこと」が何か、だれにも理解できるだろう。それが常識、 ということでもある。 それにしても、よくもまあつまらぬ詮索に血道をあげられるものだ、ラスコーリニコフとソー ニヤの間に肉体関係があろうがなかろうが、そんなことはこの小説の本質の理解にはほとんど影 響しないではないか、という声があるかもしれない。しかし、やはりそれはおかしい。ドストエ フスキーは、『悪霊』のスタヴローギンとリーザの一夜を不毛に終らせたように、その気になれ ば、ラスコーリニコフをインポテンツに仕立てることだってできたはずなのである。しかし彼は その道を選ばなかった。二人の間に正常な性の関係が結ばれたことは、ラスコーリニコフにとっ ては、生の実感を回復するよすがであっただろうし、ソーニヤにとっては、卑しめられ、そこに 忍従しようとしていた自分を、ふたたび人間として取り戻すための手だてとなるものであった。 ラスコーリニコフはこの行為によって、ソーニヤを自身と対等の人間として扱ったのである。 もっとも、この「対等、ということについては、すこし異なった角度からの考察が必要になる。 体 肉 「地から湧いたような男」から、「おまえが人殺しだ」と名指された直後、ラスコーリニコフは長 愛 の い瞑想に陥る。かってあれほどに愛した母や妹が、いまは憎悪の対象に変っている。 ャ : さっき、おれは近寄って、母さんに接吻した、おれは憶ニ 「そうだ、おれは二人を憎んでいる : えている : : : でも、抱擁しながら、もしこのひとに知られたらなんて考えるのは : そ言ってしまおうか ? これはおれしだいということか : : : ふむ ! そのひとは、おれと同じよ

7. 謎解き『罪と罰』

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8. 謎解き『罪と罰』

去」になろうとしていた、ということだろう。 ラスコーリニコフの「治癒ーに大きな役割を果しているらしく見えるのは、ソーニヤである。 夢のエピソードの直前に、ソーニヤが囚人たちから慕われ、中には「彼女に病気を治してもらい に行くものまであった」という話が置かれているのは偶然ではない。見知らぬ囚人をさえ治して やるソーニヤが、どうして愛するラスコーリニコフを治してやらぬはずがあるだろう。 復活祭の週が終って、すでに次週に入ったあるタ暮れ、「もうほとんど全快した」ラスコーリ ニコフは、ふと病院の窓ごしにソーニヤの姿を見かける。その瞬間、「何かが彼の心を刺しつら ぬいたように思えた」とテキストにはある。明らかにここは、身体的には「もうほとんど全央」 していたラスコーリニコフを、ソーニヤが、おそらくは何かのテレバシー作用で、精神的にも 「快癒」させた場面、と読むべきところだろう。もうひとつ、ラスコーリニコフの「病気」と 「快癒」の日どりが、暦の上で、ことさらキリストの「復活ーの日の前後に重ねられていること もあるが、そのことはすこし後で考察したい。 いずれにせよ、こう見てくると、「高熱にうなされ」ていた間に見たラスコーリニコフの夢は、 エピローグそのもののコンテキストでも、すでに「過去ーとして対象化されていることになる。 もともとエピローグというものは、小説の本文を総括する機能を担うはずのものだろう。つまり、 エピローグの最後に置かれたラスコーリニコフの夢は、この小説の第一編から第六編までに描か れたラスコーリニコフの言動、彼をそのように動かした環境と時代状況を、対象化して総括した ものだったのである。別の言葉で言えば、作者ドストエフスキーは、エピローグで未来の「終 末」を予言したのではなく、この小説に描いた同時代のロシアに、ラスコーリニコフの夢さなが らの色濃い「終末」の影を見てとっていたということになる。 234

9. 謎解き『罪と罰』

これはもうヒューマニズムだのセンチメ 最後の手紙を一心不乱に書きつづけなければならない。 ンタリズムだのいう段ではなく、グロテスク・リアリズムとでも呼ぶしかないものだろう。 「踰える日またぐ」ならまだしも、この日付のからくりを見破ることは至難のわざである。ロシ ア人をも含めて、ふつうの読者にはまず不可能事と考えてさしつかえない。だとすると、ここで ふたたび、なぜドストエフスキーは、読み解かれるはずのないこんな仕掛を必要としたのかとい う疑問がわく。つまり、「四月八日ー九月三十日 , という日付の枠は、作者が設定したもののよ うに見えながら、実は作者を超えるだれかから与えられたものではなかったのかという疑問であ る。作者は、創作という神秘ないとなみに向うにあたって、いわば黙示されたこの日付を、自分 自身に課された枠として受け容れる。その枠の中で作者は全力を尽すが、その枠を課した存在を 認識することはできない。それは、黙示録の作者ヨハネにかずかずの幻を見させた神に似た存在、 あえて言えば、九月三十日の翌日が十月一日であるように暦を設計した、人知にはとらえられぬ 存在なのである。 ドストエフスキーの小説理解が、ほばこのあたりをさまよっていたらしいことは、彼自身の一言 葉によっても裏づけられる。一八六一年、『罪と罰』の執筆にかかる四年前の小文『詩と散文で つづるべテルプルグの夢』に、次のような一節がある。 置 「 : : : あたりを注意して見まわすと、ふいに何やら奇妙な人たちが見えてきた。どれもこれも奇装 妙で不可思議な人物たち、あくまでも散文的な人物たちで、けっしてドン・カルロスやポーザ ( シラーの『ドン・カルロス』の登場人物 ) などではなく、完璧な九等官たちなのだが、それでいなが ら何やらファンタスチックな九等官たちである。ふと見ると、だれやら、このファンタスチック精 な群像のかげに隠れて、しかめ面をして見せるものがあり、彼が糸だかゼンマイだかを引っぱる

10. 謎解き『罪と罰』

識不明の状態に陥っていた主人公が、朝の十時、ふと正気に返ると、部屋にはナスターシャのほ かに、見知らぬ伝書人ふうの男がいる。ラスコーリニコフがいぶかしむと、そこへラズミーヒン が入ってきて、開口一番、「まるでこりや海の船室だな。おでこをぶつけどおしだぜ」 ( 傍点引用 者 ) とやるわけだ。 大男のラズミーヒンであるだけに、これは部屋の狭苦しさ、天井の低さをずばり表現した、実 感そのものの比喩のように見える。しかし、ちょっと考えてみると、奇妙なことに気づかされる。 ラズミーヒンには、それまで海外渡航の経験はなかった。その彼が、どうしてこんな比喩をいか にも実感的にロにできるのか、という疑問である。ドストエフスキーが作中人物の性格づけに周 到そのものであったことはよく知られている。だとすると、これはドストエフスキーにはあるま じきケアレス・ミスなのだろうか。 疑問はもうひとつある。「船室」という言葉は、ふつうは「船室」というオランダ語起源の一 語で表わされる。それが当時の慣用でもあった。ところがここでは、わざわざそれに「モルスカ モルスカーヤ・カュ 1 タ ーヤ、 ( 海の ) という余分な形容詞をつけて、「海の船室」などという耳慣れぬ表現が使われて いる。つまり、ドストエフスキーはあえてここで二重の「不自然さ、を犯しているのである。と なれば、何かこれには裏があるのではないか、と勘ぐりたくなるのも人情だろう。少々の「不自方 行 の 然さ」には目をつぶっても、ラスコーリニコフの「小部屋、をなんとしても「海洋船」のイメー 舟 ジと結びつけたいという特別の事情が、作者の側にあったのではないだろうか。 方 の ア ドストエフスキー個人に即して考えると、その動機はいちおうの推定が可能である。創作ノー トを見ると、ラズミーヒンの発言の最初の草稿、つまり、一八六五年秋、まだドイツのヴィスパ モルスカ 1 ャ ーデン滞在中に書かれたと推定される小説の「第一稿」には、もともと「海の、という形容詞 カュ 1 タ