思っ - みる会図書館


検索対象: 週刊文春 2017年7月13日号
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1. 週刊文春 2017年7月13日号

も、いやいや、これ土井そう。だから外国の人は寿司を答えられないわけでしよ。 ーブオイルを垂らすのもいい。洋風ス ープのような味噌汁もあって、トマト , ′は素材がいいからで理解しにくいんです。お刺身を作った阿川お父様の料理教室のころには、 すって ( 笑 ) 。人間って、これは料理じゃないだろうつ一般女性が良妻賢母になるため新しい を入れたら、その青臭みがしゃれたおに が偉いんじゃなく自て。なのでマグロの刺身にクミンを散料理を覚えていくことに喜びを見出し料理になるから、洋風の献立には合 然が偉い。だからそこに、日本人のもらしてマリアージュがいいなとか、そたはずが、だんだんそうしないといけ う。それと味噌汁を作る以外でも、塩 - ・のに対する見方、自然との接し方があういう何か人間が工夫したものがない ないと思い込むようになっちゃった ? や醤油で味付けるところを味噌で味付 たる。世界と比べても、自然観がそもそと、よう褒めんのです。一方で、たと土井そのとおりなんです。も 0 と自けるといいですね。味噌は万能ですか ら。 も一 , つ。 えばお寿司ならば、調理人の仕事はも由でいい。いま、一汁一菜でよいとい ちろんのこと、河岸の人、海で魚を取うことを言ったら、あ、これでいいん 、 ) 阿川それがや 0 ばり食べ物にも = ・ 土井和食で、お料理の中に人間がい る人が関わってこそできる。それが見だと思って、逆に、よけいにお料理を 一筆御礼 一の るのって邪魔じゃないですか。飾りとえてしまうのが和食なんですよ。 したくなったっていう人が多い。昔、 かソースとか、なんでこんなことする阿川切って味噌汁に浸けただけの菜うちのお祖父ちゃんはご飯に牛乳かけ お会いして以来、なるべく毎朝、お ねんって思うし。 っ葉でも、どういうふうに育てたものて食べてました ( 笑 ) 。自由。これがい味噌汁をつくるよう心がけております。 阿川昔、海外で寿司は料理なのかとを選んで買ってきて、きれし ~ 、こ洗っつのころからか家で許されなくなり、朝食は。ハンのことが多いですが、バン いう議論が起きましたよね。切って酢て、水にしばらく浸けてアクを取って同時に料理を作る人が責任を持たされでも味噌汁。バンが硬かったら、味噌 : というプロセスが見える。 飯にのつけるだけだろう、みたいな。 ているようになってしまった。そこ汁に浮かべて。私のように冷蔵庫に理 も、すごいプレッシャーなんですよ。蔵物が多い人間としては、少し古くな 阿川面白 5 い。最後にちょっとお聞った材料も、味噌汁に入れると思えば 家の中の自由が、許されなくなってしまった。 きしたかったのは、『一汁一菜でよい気が楽になり、たとえば年代物の・ヘー 土井まさに和食はそういう考え方。ぬめり、栄養分が抜けてしまって、美という提案』にはレシピが載ってない コンのかたまりや、萎れかけた菜っ葉 だから世界中の料理の下拵えを和食の味しくなくなるんです。じゃあどうしですよね。基本的に何でもいいとおつや、しなびた椎茸、ニンジンなども、 職人がやったら、世界中の料理がグッて皮をむくかというと、いつものお芋しゃいますが、これからお味噌汁を作煮干しで取った出汁と味噌のスープに と美味しくなりますよ ( 笑 ) 。 でお客さんたちを喜ばせるために体裁りたいという読者に向けて、何かポイ放り込めば、あっという間に生き返り 阿川仕上げは任せてもいいと ( 笑 ) 。を整えようと。 ントとすることってありますか ? まます。最近、気に入っているのは玉ね 土井はい。そして家庭料理が面白く阿川あ、面取りはよそいきかあ : ・ ず冷蔵庫を開けまして : ・ ぎとトマト。味がまろやかになってパ なってくると、 いったいいっから家庭土井そうです。本来なら全部食べた土井やつばり油かたんばく質のものン食にもよく合います。チーズを入れ 料理は手間をどれだけかけるかが大事ほうが美味し い。いろんな考え方が常が入ったほうがいいですね。油揚、 たらお餅みたいにトロンとなって美味 という考え方になったのか不思議に思 にあるんですけども、それはその時々ム、ソーセージ、べーコン。あと、煮しかったです。今までお味噌汁の具と えてきたんですね。昔からサトイモので決めていけばよいのであって、どち干しもいいですよね。それに季節の野言えば豆腐、大根、ワカメ、アサリと 面取りといったら、料理の先生は、煮らか一方が正解じゃない。でも、料理菜を入れていただいたら、美味しいお固定観念にとらわれておりましたが、 「なんでも、 崩れないようにするため、と言います人が料理を教えるようになると、みん味噌汁ができますよ。 しい ! 」と教えていただい けど、しなくても煮崩れないやろと私なプロが教えたほうが正しいと思う。阿川じゃ、あとはもう卵を入れようた途端、なんと味噌汁ワールドの広が は思っているわけですよ。そもそもサ大根なら無条件で皮をむきだすわけでが : ったことか。料理をする楽しみが増え トイモなんて皮をむいてしまったら、すね。なんでむくのって聞いても誰も土井何入れようがいいんです。オ リました ! ってほどしてないですけど。 : 週刊文春 - , ⅳ月日号 2 ーー

2. 週刊文春 2017年7月13日号

。お味噌汁にチーズ入れイコール割烹料理と思ってますもんね。土井日本人って日常自分たちが食べ 、阿川アハハ の作てもいい 0 てありましたけど、これも土井でもお母さんたちにそう伝えるているものなんてたいしたもんじな ちょっとやってみたいな。 いという意識があるんです。その慎ま と「京都の和食の偉い先生が頑張った 土井美味しいです。味噌汁は何でもからじゃないんですか」と返ってくしさは良いところでもあるんですけど。 へ取り入れられるものにな 0 ています。る。自分たちと関わりがあると思 0 て阿川土井さんはいまでこそ家庭料理 ないんです。地方のお宅にうかがっての素晴らしさを広めてらっしゃいます : 土台がしつかりしていますから。 た阿川基本はやはり、味噌が大事だ 0 縁側でお菓子を食べさせてもら 0 てけど、土井勝さんのご次男で、元々は てい , っことになりますか。 も、おばあちゃんは缶コーヒーを出しスイスとフランスでフランス料理を本ていました。いま思えば間違いもはな 、 ) 土井そうですね。一つは、お味噌 0 てくれるんですね。どうしてお茶を出格的に勉強して、厨房にも入 0 て、シはだしいんですけど。そしたらバブル て大豆と米の麹から作り、塩を合わせしてくれへんのやって思うんですよエフをやってらっしやったんですよね。の頃、父の料理学校が調子が悪くなっ 一の 料理長とかレストラン経て、それで私に帰ってきなさいと。 たものでしよう。まさに稲作の文化に ( 笑 ) 。そしたら僕とおない年くらいの土井はい。 つきものの食品なんです。それがご飯息子さんが「うちのおばあは自分で作営をやりたいと思っていたんです。ポ阿川料理教室の先生として戻られ ール・ポキューズのお店で仕事させてた。 とセットになって、我々の食の一番基ったものより買ってきたもののほうが しいと思ってる」と言うんですね。 もらったり、帰国後は「味吉兆」で仕土井そうです。だけどもいままでプ 本になっているのはすごいことだなと 阿川そっちのほうが高級品だという事させてもらったり、「日本一の料理人口の世界にいましたので、鯛とかヒラ 思います。 メとかハモとか、上等な白身魚しか使 になりたい」という意識がありました。 阿川たしかに。先ほど一汁一菜は十意識があるのね ( 笑 ) 。 ったことがない。「吉兆」で、イワシ 年以上前に思いついたとおっしやって 0 が好きですと言うたら、そんなもん何 ましたけど、それがようやく本にな。プロの和食の世界は常に季節を先取りして が美味しいねん、と言われる世界です たのは、世界的に和食が認知されたこ から。 とと関係していますか ? 阿川そのときは、プロの料理人と家後、父の料理学校を手伝う機会があっ 土井それよりも和食を残したいとい庭の料理人とはまったく違うと思ってたんです。そこで漬け物を盛りなさい阿川イワシは使わない。雑魚という と言われて、もう脂汗。何を手立てに扱いですか ? う気持ちが大きかったのかもしれませらっしやった ? ん。和食が無形文化遺産になりまし土井別物だと思ってました。修業時考えていいかわからない ( 笑 ) 。これ土井そうです。ゲテモンというか。 た。これはお母さんが作ってきた日本代は「完璧」という言葉を使ってましは和食を勉強しなければと思って和食阿川ゲテモン ( 笑 ) アジも ? 土井アジも使わない。イカでもャリ ーフェクトなお料理を作りたのプロの世界へ行くわけですよ。 の家庭料理が大切だから残していこうたし、バ イカか剣先のいいのしか使わない。教 阿川は 5 あ、悔しさのあまり ! という考え方ですよね。でもテレビ番いと思うわけです。 ーフェクト ? 土井その当時は父が和・洋・中、みんわることはたくさんありましたけれ 組になると、決まって京都の料理人が阿川 取り上げられる。そこに違和感がある土井素材よし、見た目よし、味よしな教えていましたから、区別いうのはど、世間とはズレた世界なんです。た んです。一般家庭に行って、「無形文ということですね。それを目指してい あんまりなかったんです。何でもかんとえば三月三日に父がユズを使って でも一生勉強。やっているうちに、日て、もう春ゃねんから木の芽がええや 化遺産になりましたよ。おめでとうごました。 ろ、と進言したことがあるんですけ ざいます」と言うてあげたら、どれだ阿川それにしても、せつかく本場で本料理のこと何でもできるわ、みたい け日本のお母さんは喜ぶかと思いますフランス料理を学んだのに、どうしてなつもりになってくるんですよ ( 笑 ) 。ど、父は、船場は雛祭りにユズを使い ね。 阿川だって俺、プロだもんねって。納めとする風習があるんやと。実際に 和食に移られたんですか ? 阿川そうか。世界で認められた和食土井フランス料理を学んで、帰国土井結果、当時は家庭料理を下に見その時期、まだ木の芽は芽吹いてない

3. 週刊文春 2017年7月13日号

状をふり返り、急に露悪的な気分にしてわからないのだろう、どうして つぶやきを唇にのせると、大林が しばらく寝顔を見下ろしていた奈でもなったのだろうか。 自分だけは別だなどと思えるのだろ身じろぎ、寝返りを打って壁のほう 3 4 コ - 津は、やがて、指先をそっとほどい このぶんでは、ますます心配にな う。歯がみしたくなる。 を向いた。寝息だったものがはっき 9 た。大林の手首にはごっい時計がはる。志澤一狼太とのことだ。 志澤のやり方はいつだって同じりとしたいびきに変わる。広いべッ 1 0 まったままだが、はずしてやれば目今夜、大林は志澤から声をかけらだ。目をかけた相手が自分に刃向かドだが、こうも真ん中に、それも対 2 を覚ましてしまうかもしれない。 れ、長いこと内緒話をしていた。おわず、忠実な大でいるうちは、嬉し角線に寝られては、こちらの寝る余 バネライのルミノール・マリーナ。まけに、日を改めて二人きりで飲むい言葉を沢山かけてくれる。 地がな、。 三次会で流れた蕎麦屋で、彼はそ約東を交わしたと言う。 お前の才能は突出している、お前 奈津はべッドから離れ、彼の脱ぎ れを、同席した女優の前でわざわざ 〈さっきもかなり厳しく活を入れらなら凄いものが書ける、俺にだけは捨てたシャッとズボンを拾ってハン 袖口をまくって見せ、 れたけど、でも、嬉しかったな。志お前の良さがわかる、俺は喜んでおガーに吊した。軽くシャワーを浴び 「これね、妻が買ってくれたんです澤さん、こりや駄目だと思う相手な前の踏み台になろう : ながら化粧を落とし、歯を磨き、髪 よ。世界限定三百本のやっ」 らほっとく、って。お前冫。 」こま期待し 自尊心を絶妙にくすぐる言葉をシを乾かしてから、猫を抱いてソファ 自慢を始めた。 てるからこそこれだけ厳しいこともャワーのように浴びせられた者は、 に横たわる。 奈津は、慌てて横から言い訳をし言うんだからな、って。ありがたい 夢心地を味わえる。ただし、何か志 結局、何も変わらない。籍を入れ こ 0 よね。あんな凄い人が、俺みたいな澤にしかわからないきっかけで逆鱗ようと、そのことを公にしようと、 「あの、違うんです。この人は『携半端者のことを真剣に気にかけてく に触れ、突然切り捨てられるような彼と自分の間の何が変わるわけでも 帯があれば時計なんか要らない』なれるなんてさ〉 ことさえなければの話だ。 ない。そういうことだ。わかってい んて言うんですけど、私自身が時計帰りのタクシーで話す大林は上機近いうちに二人きりで酒を飲むたのに、うら寂しかった。 フェチで : : : こういう大ぶりの時計嫌だった。ほとんど鼻歌交じりでさ時、男たちはいったい何を話すのだ〈それでも、あえて婚姻届を出すと えあった。 は女性では難しいから ろう。志澤とのかっての関係を大林いうことはつまり、これから先も二 に着けててもらったほうがいつでも演出家としての志澤一狼太を、尊が知っていることは、双方が了解済人でこの関係を続けていく努力をし 眺められるでしよう ? 」 敬し崇める彼の気持ちに、あえて水みだ。まさか志澤が、その後も媚薬ますという決意表明ではあるわけや 「はあ、なるほどね。高遠ちゃんてを差そうとは思わない。 を用いてこちらと寝た事実をばらすから〉 ば相変わらずのおばかさんねえ」 だが、甘過ぎる。こちらとの一部とも思えない。 父、吾朗の言葉が浮かぶ。 旧知の女優は苦笑していたが、大始終をそばで見ていたくせに、どう そういう意味での心配はないとも〈そういう覚悟を決めることで、互 林という人間を好意的に受け止めて 言えるのだが、 彼らが二人でいると いの間がいい意味で安定するという くれたようには感じられなかった。 ころを想像すると、まったくいい気ことはあるやろう〉 あの時、彼がいったい何を思って 分はしなかった。 ああ、そうだといい と念じなが Q) そんなことを言いだしたものやら、 時をずらして同じ芝居を観た者同ら目をつぶる。 ・も , つ、 今考えてみてもわからない。妻に愛 士が感想を話し合う、ようなわけに 本当に、それだけでいい。 ・ 1 されているのが嬉しくて自慢したか はいかないだろう。 しつまでもこんなふうにぐらぐらし 〇 長い溜息がもれた。 ていたくない。 レ 0 たのか、場の雰囲気に呑まれて舞 ノ い上がったか、あるいは、自身の現 ( : : : 疲れた ) ( つづく )

4. 週刊文春 2017年7月13日号

土井でも和食って実は副菜を兼ねたを作っていかないとだめ、という考え一日に十五、六時間も働いても、一汁ざ料理するとなると、特別なことをし 主菜、主菜を兼ねた副菜が多い。切り方に縛られると : ・ 一菜。それが毎日、朝・昼・晩あるわなくてはと考えてしまう。すると何を 干し大根にも油揚が入ってるし、きん阿川和食だけで備えようとするとカけですよ。そこにコンニヤクの煮つけしていいかわからなくなってもうイヤ びらごばうにおじゃこを混ぜたり、た尽きちゃいます。 とかメザシがつく。これでみんな元気だとなってしまうのは当然。僕はそん んばく質とお野菜が入っていて、両方土井でしよ。なので、一汁三菜とにしていた。決して貧しいころに戻ろな人たちに対して、そこまで頑張らな の役割を果たすものがあるわけです。か、主菜、副菜という考え方はおかしうというんじゃなくて、自分たちが毎くてもいいよとも伝えたかったんです。 阿川混ぜ混ぜなんですね、和食は。 いと最初から思ってたんですよ。レシ日食べても飽きない、毎日作ることが阿川私も一応、料理をしますが、毎 土井そう考えていくと、日々の料理ピを紹介する雑誌や番組でも大きいおできる食事が、世界のすべての民族の日の料理って実際の作業より、献立を の基本として、ご飯と味噌汁と香のかずと小さいおかずのレシピをお願い根っこにあると思ったんです。日本人考えるほうが面倒ですよね。そんなと 物、あとは焼き魚なんかがあれば充分しますと提案されることがあるんですの場合、それがご飯と味噌汁なんじやきに「とりあえずご飯と味噌汁を作れ だし、味噌汁に肉を入れれば魚がなく けど、そんなこと自分にはできないっ ばいい」と言われたら、ずい分楽にな りますね。 たってそれだけで充分なおかずになて、ずっとお断りしてました。もう何阿川そういう歴史があったのにもか る。なのに、まださらに色んなおかず十年と。 かわらず、日本人が一汁一菜の意識を土井しかも味噌汁には冷蔵庫にある 捨てたのはなぜなんでしよう ? ものを入れればいいんです。和洋折衷 土井さっき阿川さんがおっしやってでも大丈夫なので、味噌汁の中にバタ 〃一汁一菜〃は埋もれていた考え方ですね。 いたように、やつばり外国に対する憧ーを入れてもいいし、出汁を取らなく 阿川それで、一汁一菜という考え方 いいようなものがサイドになっていつれとか、豊かさに対する憧れでしようたっていい。何を入れても素材のうま を基本にすれ、、 ししとなったわけですた歴史があるということですか ? ね。父 ( 土井勝・料理研究家 ) が料理学みが出て美味しくなるし、同じものは か。でも、すいません、高度成長の中土井そう。昔はおばあちゃんの家に校をしていて、全国に何万人も生徒さ作れないので毎日違った味になります。 で生まれた子どもとしては、憧れたの行ったら生節の炊いたのとかが食卓にんがいましたけれども、みなさん良妻阿川キュウリを入れてもいいって、 はマカロニグラタンとかコロッケと並んだでしよ。いまはほんとに美味し賢母。新しい料理をおばえて、家で作お書きになってましたけど ( 笑 ) 。 か、もつばら洋食であって、あれが主いなと思うけど、子どものころはあんって、それが豊かさや幸せの象徴だっ土井うちでも実際に入れることあり 菜になると嬉しかったんですよ。 まり美味しいと思わないこともありまたんですね。 ますよ。実は昔のほうが家庭料理はけ したよね ( 笑 ) 。 土井たしかに嬉しい。そっちの思い 阿川経済が成長するにつれて、どんっこう自由にやっていて、父の五十年 出のほうが僕も強いですよ。 阿川まあ、なんか辛気臭くてね。豚どん新しい技術と料理のレシピが広が前ぐらいのテキストを見たら、味噌汁 阿川感動的でしたもんね。そういう汁があれば、ご飯だけでいいって自然っていったということ ? にトーストを浮かべて、と書いている。 外国から来たものが主菜になり、昔な に思うけど、確かにお汁がメインにな土井そうです。まさに専業主婦の時阿川クルトンみたいに ? ( 笑 ) 、 がらの日本の、いわば主菜になってもるという発想はなかったです。そう考代でした。ところがいまは女性の社会土井そうそう。美味しいんですよ。 えると一般家庭にとって、この二十年、進出とか男女機会均等という風潮にな要は、味噌汁とご飯があれま、、と どいよしはる一九五七年、大阪府生まれ。ス イス、フランスでフランス料理を学び、帰国、三十年は、一汁一菜という言葉自体がって。もはや女の子も、私、料理なんうのは、和食にしなさいってことじゃ 後、大阪「味吉兆」で日本料理を修業。土井勝新鮮というか、斬新に聞こえます。 かしないって言ってもいい時代になり ない。一汁一菜というスタイルの中に、 料理学校講師を経て、九ニ年に「おいしいもの 洋風も中華も取り入れていこうという乃 研究所」を設立。「おかずのクッキング」 0 アレ土井うん、理もれていた考え方ですましたよね。 ビ朝日系 ) レギュラー講師、『きようの料理ね。でも、昔のことを調べると、たと阿川忙しいからねえ。 意味なんです。家の中は自由、もう何 ( テと講師を務める。著書に「おいしいもの えば信州の製糸工場の女工さんなんか土井でも真面目な人が多いから、 をしてもいい場所なんだよっていう。 のまわり」・「一汁一菜でよいという提案」など。

5. 週刊文春 2017年7月13日号

村山由佳 M i 1 k H 〇 n e y Y u k a M u r a y a m a オカダミカ = 画 回 ミルク・アンド・ハニ おおばやしかずや どうして今になって、大林一也と わざわざ籍を入れようと考えるに至 ったのか。逆に言えば、どうして今 9 まではそうしようと思わなかったの きようこ 奈津には、杏子にも話さなかった 理由がもう一つある。 母・紀代子のことだ。 ここ数年前からの紀代子の様子 に、奈津はひどく心を痛めていた。 怯えていた、というほうが正確かも しれない。何しろ母のポケ方たる や、言葉から行動、表情に至るま で、かっての祖母の衰え方とあまり にもそっくりだったからだ。 遺伝がそうさせるなら、いっか自 もしな 分もああなるかもしれない。 ったら、父の吾朗が今そうであるよ うに、自分もその時そばにいる誰か に哀しく寂しい苦労を強いることに なってしまう。 父と母を安易に不幸だというつも りはない。けれど、七つも年下の大 林に、未来の苦労を背負わせるなど ということだけは絶対にしたくなか っ ? ) 0 彼が望んでくれる間は一緒に暮ら せま、 そうしていっか、怖れて いた時が訪れたなら、まだそれを自 覚できるうちに自分から施設に入ろ う。そのための蓄えのことも考えて おかなくては : 人が聞けば、今からそんな先のこ ′一ろう

6. 週刊文春 2017年7月13日号

れ aeru ーに う、という印象をうけた。ま 不安ダョオ。浦島太郎じゃな長い目で見たとき、業界にと ってよいことなのかどうか ? だまだ、この人たちは純粋に いんですから : おいまだ枯れてない " ゆす。の 音楽表現に於いて新たなる領 5 それはともかく、この業界うーむ : : : 難しい問題だ。 おっと段々話がそれてきた。域を開拓しようとしているの ストイックな精神を感じた第一嬲 : 、 もうそんなに珍しいことではてな感じで俺も色んな周年だなと思った。そういっては 記念盤を耳にしてきた訳だ何だが、もっと売れ筋の、 ゆすが今年で周年と聞なくなってきているようだ。 かにもファンが喜びそうな が、率直にいってこいつには き、すこしビックリした。な その意味するところをサク んだかまだデビューして 65 ーー再生産的なーー歌などい ッと考えてみましたんですけ相当の延命措置が施されてる くらでも書けるだろうに。 わなあと思わざるを得ない、 7 年ぐらいのイメージだったど、昔の歌手 / 芸能人よりい た飲 ⑨ からだ。そういわれてみれば 私はこの楽曲の仕上がりつ涼 まのいわゆる pop アーチスそんな、もはやネタの尽きて な青け たしかにそうなのだが : しまった″大物″もなかには に、とてもストイックな精神に窈す トみのほうが才能に優れてい 止通で いた。ではゆずはどうなのか。 いや別に彼らに限ったことるから長命なのだというのな で音楽に臨む二人を、強く感碚 2 出ない じたのだった。 ではない。 このページをやっ ら、それにはちょっと異議の 今週の本題はそこである。 れれて らそし 米津玄師。 『カナリア』を聴いた実感と ていると、結構案外周年に申し立てをしたいところだ。 こどラ は出くわす。そのたんびに同俯瞰すれば、何にせよ根幹にして、これは リズムの作追い立てられるようなテンけ一 上だロ あるのはいわゆる″事務所りにせよギターのフレーズにボ、自己愛的な歌詞、サビででんン じようなことを思うのだ。 んてク 実感する時間の進み方が昔カみのアップであろう。プロせよーーポップスとして辛口グッとテンションの上がる曲飲っッ を言ロ か とは比べものにならぬほど遅ダクションにしろ会社に なものを目指しているのだろ構造等々、まさにぎ op だ くなってしまっているこの現しろ、如何に所属の商品の ノダ倒 ら面 状には、実は俺も当惑という〃人気″を長持ちさせるか、 レかき 斎 る引 そのノウハウにはますます磨 安か脅威は感じているのよね。 ア え線 ン 与の ノ きがかかってきているに違い 絵何故といって、こんな傾向に を辺 で 響の 場′ 字拍車でも掛かりようもんならない。そうした意味での地道 悪あ 文 あーた、下手をすりや俺なんな努力の結果 ( 笑 ) なのでは き 描 ハイ。あ、あくま ないかと、 か・もあっとい , っ間 ( 3 日ぐら で助夫 いの実感で ) にお爺さんだよ。 で私見ですけどね。 んこ春 読財田 このスキルが巧妙に、いや , り僕 をも近 ス、、と レー」 z ・、メ。失礼、向上すればするほど、 0 カニ期 ュ丿な のア 1 も第演者側にしてみれば、生活的 のの 玄い一ア には助かるだろうが、一方売 ツが ネ士 0 米ビデれているのはどこまでが自身 「護ら / クタカ 員弁な ンソンア の実力によるものなのか、ま ロ 会て外 のいの スて一すます判断がっかなくな 0 て 週が水 一くヒ いくだろう。それは果たして 今人料 ピ「たの カナリア / ゆす ( セーニヤ・アンド ー ) 『謳おう』 EP (extend ・カンパニ ed play) 収録。日本テレビ系「 NEWS ZERO 」テーマソング。 〇 近田春夫の P 団旺 N

7. 週刊文春 2017年7月13日号

2017.7.13 週刊文春 合掌のこころ あなたたち二人が交わしている会だ 奥さんを亡くした海老蔵さ 大学に実際に通い始めたり、というせんか ? 。で とす そう、そりや良かったネ。 んの会見を見て、思わず涙話は、長い時間、夫婦でこしらえてこまま ことを続けて経験しています。数か 月前、大学の入学式で見かけて「こ えっ何だって ? 大学の入学がこぼれました。実はうちの家内もきたものですから、大切にしなきや。らて それに、それだけの会話が病院のわ集カ の人とっき合ったら波乱が起きそ式で見かけて″この男とっき合った闘病中で、もう病院からは戻れなさ む そう。長年連れそった古女房ですか中でも続いているのなら、奥さんはんを「 う」と直感した男性がいたのですら波乱が起きそう″と思った人に が、先日その人から交際を申し込まっき合いを申し込まれたんですか ? ら、見舞うたび「クソババア」とか十分、あなたの思いをわかっている生み集 圦編 あなたの能力が本物なら、そりや「早く成仏しろ」とか、憎まれ口をということです。 れました。一見、穏やかで優しそう 叩くばかり。今さら「愛してる」な な人ですが、先の「第一印象」が気やめとくべきでしよう。必ず波乱が 二児の母親でもあ 0 た歌舞伎役者 んて言えません。でも、こんな俺とよさんの奥さんの、今回の別離は大変皆刊 になって交際を迷っています。この待ち受けていますよ。 ような第六感は大事にしたほうがよ " この人なら自分はしあわせになれく結婚してくれた、よくぞ息子を育に切ないことですが、プログの公開「者「 は、同じ立場の人たちを勇気づける いでしようか。 ( 歳・女・大学一年生 ) る 4 と第六感にピンと来る人があらてあげてくれたと感謝しています。 私も家内が死ぬまでに「ありがとう」という考えからそうされたのであっ好文町 われるまで待つべきですな。 十九歳の女子大生のお嬢さずっとあらわれなかったらどうしと伝えたいですが、うまいやり方がて、本当はそうしたくなかっただろが文尾 秋中区 ん。それはまたたいした第六たらいいのかって ? そりや簡単で見つかりません。 ( 歳・男・自営業 ) うと私は考えています。 感をお持ちですな。 すよ。鏡の前に立って、そこに映っ 夫婦の気持ちを世に発信するとい藝発代 文も千 奥さんにそれだけ感謝してう在り方は、よその家族のことです。 〃ここに住むかも″とマンションをている顔をじっと見て、″この人は 0 0 0 いるなら、今までどおりの憎あなたたちはあなたたちのやり方で格い 見て思ったら、今は本当に住んでい第六感で人生がメチャクチャにな るし、 " この大学に通うかも。と思る。と感じたら、その第六感をゴミまれ口を叩くような会話でいいんじ毎日を送っていくことが大切です。の 1 ゃないですか。 会話というのは、夫婦がこしらえとそか った大学に今、通っている ? 箱に捨てることだネ。 それはたいした能力なんでしよう " 明日の新聞を手に入れたら、当人妙に改まって「愛している」とかた大切な情愛のカタチです。憎まれ『う たま c が、それであなたは、交通事故の現の死亡記事がある″というの / 「ありがとう」と口にすると、かえっ口をきいて笑い合うなんて、 6 て奥さんを切なくしてしまいますよ。最高の夫婦じゃありませんか。の 場や斎場の前を通って、何か感じまは常識だから。 まん を死 @ 載で而 あなたは誰かの「憧れの人」ですか ? 日 6 誰にでも職場などで、尊敬の念を抱いた目上の存在がいた事たと思います。 5 長い年月が経った今、あなたはかって自分が憧れた 4 良き先輩や上司の様にふるまえているでしようか ? 3 敬い憧れた存在は、い つまでも自らの良き目標です。若い頃の自分に 恥すかしくないような、今の自分を心がけたいものですね。 の 月 いつも胸に合掌のこころを。・ー日蓮宗ー 7 日聖人降誕 800 年 平成 33 ( 2021 ) 年 いのちに合掌 日蓮宗 http://wwvv.nichiren.or.jp/

8. 週刊文春 2017年7月13日号

クドナルドにも寄らず、タクシーを キャップをかぶり、タクシーで三身に染みるわ」 3 脅とめて千島のアパートに帰った。階 昨日、どうしたんですか。 軒家の実家に行った。おふくろはゲ「そんなん、いいな。親が子供に頼 なんやと。 》段をあがり、ドアの前に立ったら、 ートボールから帰ったらしく、ジー られるのはあたりまえや」 0 マキが気づいたのか、鳴き声が聞こ 心斎橋のプティックの子でンズと白のスウェットにオレンジ色おふくろに金を借りて、理由や使 2 える。鍵を挿して部屋に入った。す。 のジップバーカをはおっていた。 い途を訊かれたことは一度としてな ″マキチャンケイチャンゴハン ああ、あれな。秘密ゃ。 「どうしたん、にこにこして」 。まとまった金が入ったときに返 タベョカ″マキはケージの中でとま 秘密はないでしよ。 「せめて顔ぐらいは景気ようしよかそうとは思っているが、そのときに り木の上をせわしなく跳ねている。 よめはんに会わす顔がない。 なと思てるんや」 はすっかり忘れて遊び呆けてしま 「マキ、ごめんな。啓ちゃんは朝帰 顔がないようなことしたんで「お金か」 う。おふくろからの借金は百万円に りしてしもた」正確には昼帰りだが。すか。 「嶋田さんと麻雀して、どえらい負なるといったんリセットし、また一 ケージの扉をあげると、マキは飛 二宮くん、おまえはええ店をけた」 からはじめると二宮は勝手に了解し んできて肩にとまった。二宮の耳を知ってる。 「あんた、弱いから」おふくろは気ている。 噛む。ほったらかしにしていたこと 何時に出たんです、『プレデにするふうもなく、「元気かいな、 「悠紀は元気 ? 長いこと会うてへ を怒っているのだ。 嶋田さん」 んけど」 餌皿を持ってマキに食べさせた。 二時ごろかのう。 「相変わらずや。新地ですき焼き奢「二日にいっぺんは事務所に来るか ひとりで ? べランダの手すりに一スズメが三羽と ってくれた」 な。マキと遊びに」 ノーコメント。 まってこちらを見ている。ちょっと おふくろは嶋田をよく知ってい 「英子がこばしてたで。いつんなっ 待ってな。あんたらにもやるから 縄張り荒らしはチンチン切らる。孝之が現役のころ、嶋田はしょ たら出ていくんか、て」 スズメはここのべランダで飯れるんですよ。 っちゅう家に遊びにきて、おふくろ「甘やかしすぎや。朝飯と晩飯に昼 が食えると憶えたのかもしれない。 ーーー出てこい。教えたる。おまえの作る飯を食った。孝之の葬式の喪の弁当まで作って、掃除洗濯までし 携帯が鳴った。餌皿とマキをケー があほみたいに歌うてるあいだに、 主はおふくろだったが、式を段取りてやるようでは、一生、バラサイト ジの上におく。携帯を開くと、桑原わしらがなにをしたか。 してくれたのは嶋田だった。 やで」 の登録番号だ。迷わず着信ボタンをわしら : : : 。複数形だ。眩暈がす「ごはん、食べるか」 しいつつ、思った。おれもおふく る。 押した。 「ごめんな。行かなあかんねん、ミろのバラサイトやないか なにしとんのや。はよ出んか 昼飯は。 ナミに」 「お茶、淹れよか」 まだです。 「そう : : : 」 「そうやな : コーヒーにする ミナミや。『スイスホテル南おふくろは仏間に行き、すぐにもわ」おふくろのプルーマウンテンは 海』。六階のラウンジ。すぐに出ろどってきた。「これで足りる ? 」 旨い ゃ。 札東は厚い。二十万 : ・ 三十分ほど話をして、大正駅から 電話は切れた。 十万か。 タクシーに乗った。札を数えると三 「おおきに、ありがとう。親不孝が十万円だった。 ( つづく ) 0

9. 週刊文春 2017年7月13日号

東芝 , ~ , 2017.7.13 週刊文春 二人ではありますが、どうか皆さ まっすぐに口からこばれる言葉くり居場所が定まるっていうか、落 ん、これからもよろしくお付き合い ち着くっていうかさ」 のほど、お願いいたします」 「そう。よかった」 「ん。だったらよかった」 奈津は微笑んで言った。 と、奈津はもう一度言った。 ・ 1 三次会の店の前からタクシーに乗手を伸ばし、頭の後ろを愛撫する誰でも感じることであろうし、と 〇 り、午前二時過ぎに家へ帰り着いたと、大林はようやく顔をこちらへ向 くに大林ならよけいにそう受け止め レ あと、大林はすぐさまスーツを脱け、奈津の手を取った。 るだろうと、はなから承知していた。 ぎ、ネクタイをむしり取り、ストラ 「だってさ。あんなに沢山の、それ年のわりに古風なところと、わかり 、最初の夫と別れて独りになったイプのクレリックシャツもズボンもも業界で知らない人なんかいないよやすいステイタスを好むところ、彼 にはその両方が備わっている。 自分が、今また夫婦というかたちをくしやくしやに脱ぎ捨てて、べッド うな有名人が集まってるところで、 選んだのは、これから書き続けてゆに倒れ伏した。 これもおそらくは酔いのせいでふ みんなから拍手で祝福されるなんて く上でその結婚が助けにこそなれ、 「ああ、もう」 こと、めったに体験できるもんじゃ だんより素直になった大林が、奈津 足枷になることはないと思ったから とシャッとズボンを床から拾い上ないよ」 の指先をぎゅっと握って言った。 ですーーそんなふうに話した上で、 げる奈津を、 酔いのせいか赤くなった目でこち「幸せに、なろうよね。今でも充分 少し離れたバーカウンターへ目をや「そんなもの、明日でいいから、こらを見上げてくる。 幸せだけど」 った。岡島杏子と並んで飲んでいた 「それにさ、俺としては、これまで「そうだね。私も幸せだよ。ありが 彼に合図し、立ってもらう。皆の視と手招きする。 の〈同棲相手〉とか〈今のオトコ〉とう」 線が彼に集まる。 そばへ行くと、うつ伏せのまま言みたいな立場に比べると、ああいう 「いや、だから、ありがとうは俺の 奈津は言った。 ふうな、そうそうたる人たちが集まセリフでしよ」 「夫の、大林一也です。舞台俳優で「ねえ、奈津」 るような場でも堂々と、〈高遠ナッ のろくさく呟いたのを最後に、す すけれど、じつのところ彼も脚本家「うん ? 」 メの夫〉としてそばにいられるってうっと寝息を立て始める。 を目指しています。今もって未熟な「今夜は、ありがとう。嬉しかった」いう あっという間だった。冗談のよう 万人企業を滅ぼした、思考停止の凡人たち。 おかじま 大西・ 敗原 浜松町徹底取材。 週報、メール、工クセルフケイルから 浮かび上がる、 名門企業の最期ふ サラリーマン全体主義は終わった。 東芝原子力事業の暴走と、それを糊、 塗するためにほぼ全事業部で行われ た粉飾には、何千人もの東芝社員が 関わった。 ( 中略 ) まさに「滅私奉公」 「全社一丸」だ。そのやり方では、もは やグローバル競争に勝てないことを、 我々は知っている。 「エヒ。ローグ」より 大西康之 ・定価 ( 本体 1600 円 + 税 ) 文藝春秋 〒 102-8008 東京都千代田区紀尾井町 3 -23 http://www.bunshun. CO. jp

10. 週刊文春 2017年7月13日号

たかとお 〈なるほど、高遠さんの場合、長寿にせよ、どんなに気が楽になったか なのかは、正直なところよくわからいわば内輪の集まりだったので、 の遺伝子を持ってらっしゃいますしれない。 、な、かつ」。 ーティよりはずっと砕けた雰囲気と 3 コ - ・ね。いつばうで、アルッハイマー型要するにそれが、今回思いきって なった。集まったのは六、七十名ほ 9 ス , の認知症になりやすい遺伝子は見受大林に婚姻届を差し出してみようと区役所へ出かけて入籍をした翌週どだったろうか。 1 0 けられませんでした〉 決意するきっかけになったのは否めには、映画のヒットを受けて制作さ主だったスタッフが次々にスピー 2 一瞬、ロがきけなくなった。それなかった。 れることになったドラマの発表記者チをする中、奈津の番が回ってく から危うく涙ぐみそうになった。 七つの年の差は縮まらない。おま会見があった。 る。マイクを受け取ったところで、 ドクターの何気ない言葉にどれほ けに長寿だというのなら、今からで 夕刻からは同じホテルでマスコミ局側の担当プロデューサーから大き ど安堵し、救われたか、おそらく他きるだけ頭や指先を使い、生活習慣や業界関係者を招いた立食バーティ な声が飛んだ。 人には想像がっかないだろう。母親も見直して、心身ともに健康なままが開かれ、奈津はドラマ版の演出家「結婚おめでとう ! 」 が祖母から受け継いだかもしれないでいなくてはいけない。自分のためや俳優たちとともに対応に追われ座が大きくどよめく。壁際のはう 件の遺伝子は、自分のこの肉体の中というよりは、大林によけいな迷惑た。次々に話しかけてくる相手に失で話し込んでいた者までが驚いて向 しざわいちろうた には存在しないのだ。 をかけないために。 礼のないよう、こちらからも話題をき直る。その中に、志澤一狼太の顔 それカノ むろん、だからといって絶対に認 、ヾートナーとなる男への提供するので精いつばいで、食べもがあるのに気づいて、奈津ははっと 知症にならないというわけではない 当然の気遣いなのか、それとも遠慮のどころか、飲みものを口にする暇なった。 さえないほどだった。 「あの、いえ、そんな話はどうでも ようやく会場を一巡りして落ち着よくてですね : : : 」 いた頃、横合いからすっとウーロン慌てて言いかけるのを、ドラマの 茶のグラスが差し出された。見る演出家と、これまで何度も仕事をと と、大林だった。 もにした主演の俳優が遮る。 「炭酸はやめといたよ。ゲップが出「ちょっとちょっと、そんなの聞い ると困るでしよ」 てないよー」 真顔だが、目もとには笑みがある。 「なんで俺たちに断りもなくそうい 奈津も、ほっとして微笑んだ。 うことするかなあ」 「ありがと。喉カラカラ」 と、すぐそばに座っていた武田総 じろう 「何か食べる ? 取ってくるよ」 次郎が苦笑混じりに言った。 「ううん、このあとの二次会で頂く「これは、もう逃げられないね。き から大丈夫。あなたも一緒に行ってみ、あきらめて皆に挨拶しなさい」 くれるでしよう ? 」 御大にそう言われてしまっては、 「俺なんかが同席していいならね」観念するしかない。 「何言ってるの。杏子さんも行くか 奈津は、仕方なく話しだした。 ら、」緒に見てて」 数年前、思うような作品がどうし 近くの店を借り切っての二次会はても書けなくなってしまったため くだん たけだそう