りながら、その血をひく俺たちより特に戦後にな 。ヒンコに聞くと、 ってつぎつぎと外国から輸人されてくる新しいサ 仲間 「俺はこの仕事に誇りを持ち、もう名人の域に達 ラブレッドに最近では人気は移ってしまっていっ したといっていいくらいなんだが、この当て馬ほ ている。 俺の生まれた牧場は南北に連なる山あいにあり、 ど悲しい職業はない」 これも理由があって、ちょうどおばばたちが日土地の人はこのあたりを″沢″と呼んでいる。下ともらした。 本にやってきて、日本馬を問題としなかったようにのほうが町の上水源になっている小川に沿った町要するに当て馬とは、まだセックスの何たるか 速い馬の血がたくさん人ってきているのだという。道から、少し引っこんだところである。 を知らない若い牝馬や、十頭からの仔を産んだお 人間は俺たちの世話をいろいろとやいてくれる プロック建ての厩舎は白い壁と赤い壁に塗り分ばあさんに至るまで、彼女らに鼻先のテクニック が、それも俺たちが速く走った時に限るという。 けられ、町道からだと大屋根に書かれた″たいらと鳴き声だけで″春情〃を催わせ、発情させる仕 たいら 走らない馬は冷たくあしらわれ、抹殺されてしま牧場〃の文字が遠くからでもよく見える。平は事だという。 う。それも一頭だけの問題ではなくなり、血の流ポスの姓からとったものだ。 ピンコも今では人間でいえば八十幾歳になり、 れを重んじる人間は俺たち一族をひとまとめにし牧夫の住宅が厩舎に隣接し、その前が俺たちが精力的にも衰えているが、この仕事に芸術的な喜 て考える。一族のなかから速く走る馬が出現すれ遊ぶ広場である。その広場を囲う格好で倉庫があびを見出している。しかし当て馬になりたての頃 ば、その一族の血の優秀さを人間は認める。 、車庫、納屋がある。 は、春の毎朝が期待と悲しみの連続で、まるで地 だから、俺がより速く走ることが俺や子孫の生 これらの建築物は、冬になって冷えきった北風獄の責め苦にあっているようだったという。 き延びていく唯一の道であり、成り上がり者と侮や雪がまともにかぶるのを防ぐ厩舎の壁ともなっ ビンコが当て馬の悲しさをいやというほど味わ 辱されたミラおばばの血の優秀さを証明することていた。 ったのは、だいぶ昔のある朝のことであった。 になるという。 厩舎には八頭の繁殖牝馬と、俺を含めた三頭の 二歳の追い運動で骨折した栗毛の牝馬が、三歳 「走る使命を背負ったお前は、仲間のどの馬より仔馬と、道産仔の。ヒンコが住んでいる。 になると競馬場へも行かず。ヒンコの世話になった。 も速く走らなければいけない。そして、ミラの偉道産仔の。ヒンコは今年一一十二歳になる。背は低彼女は生まれて間もない頃からピンコを眺めて育 大な血を証明するようなすばらしい駒にお前もないが、がっしりした体格の牡馬で、この牧場で生っていたから、道産仔。ヒンコに特別な感情を持っ まれ、ずっとここで暮してきた。なにしろ先代牧ている訳はない。 マバは激しい口調で言った。 場主の顔を知っているのはポス夫婦とビンコぐら しかし、何回も当て馬をしてもらっているうち 〈ヒカルイマイはあんなに速く走ったのになぜ人いのもので、牧場の生き辞引みたいな存在である。に、彼女にもビンコにも情の通いあう心がいっし 気がなかったのだろう ? サラ系というのは何だ 若い頃は牧場に馬買いにくるお客の送迎から、 か芽生えてきていた。 ろう ? 〉 荷馬車も曳いたというが、今の本職は″当て馬〃 そろそろ本物が来るとビンコが感じていた朝、 ちょっぴり疑問も残るが、マバが真剣に語った と″追い馬〃である。 「ビンコさん頼むよ」と、声をかけながら牧夫が 長い話に、訳もわからず俺の体内に熱いものが激追い馬とは、俺たちのような牧場生まれの馬にまた彼女を連れてやってきた。 しくめぐった。 走り方を教えて訓練してくれることだが、当て馬 。ヒンコは例によって太い割り木の柵のなかに一 〈走ること : : どの馬よりも速く : とはよくわからない。 本綱でつながれている。 ROUNDERS vol.l 090
ムにも伸びやかさかなくなり、また精神的にも疲れているため前進 ないという理由もある。まだ競走馬としての体が出来上がっていな 意欲に欠ける走りとなる。時計が遅い ということではなく、馬の いため、実戦ではレースセンスの良さで好走できても、調教で速い 「動き」自体が悪くなるということだ。その「動き」を見た陣営は、 タイムを出したり、抜群の動きを披露したりすることは難しいのだ 体調が悪いのかもとはロが裂けても一言えず、前述のコメントでお茶 たとえば、 2 9 年の日本ダービーで 4 番人気に推されたアプ を濁す。 レザンレーヴは、最終追い切りの時点で、陣営から調教では「動か たとえば、ヴァ 1 ミリアンの陣営から、 2 0 0 8 年のジャパンカ というコメントが出ていた。なぜアプレザンレーヴが調教で というコメントが頻繁に ップダート以降、追い切りで「動かない」 動かないかというと、日本ダ 1 ビ 1 時点では競走馬として成長途上 出てくるようになった。ジャパンカップダートでのコメントは以下であったということに尽きる。馬体だけを見ても、父シンポリクリ のとおり。 スエスの 3 歳春時点と比べて、明らかに完成度が劣っていることが 分かる。競走馬としての資質やレ 1 スセンスは非常に高い馬なので、 しい雰囲気。攻めで動かないのはいつものことだから」と青葉賞まではなんとか勝ち上がって来たが、やはりダービーという 古川助手の表情も明るい。 ( スポニチ 2 。。 8 年に月 6 日 ) 完成度を競う舞台で勝ち負けするのは難しかったのだ。陣営から 「動かない」という一言葉か頻繁に出てくるということは、アプレサ 圧倒的な 1 番人気 ( 倍 ) に推された実戦では、最後はカネヒキ ンレーヴの完成度が高くないということを暗に示していたのである。 リに出し抜けを食ら、 メイショウトウコンには後ろから差され、 その他、調教で「動かない」ことには、年齢によってズプさを増 まったく強さを見せることなく 3 着に敗れてしまった。第 1 コ 1 ナ している、蹄鉄が薄くなっている、〇〇コースでは動かない、など ーで挟まれて苦しいレースを強いられたこともあったが、それまで様々な理由が存在するが、最も多いのは先に挙げた「体調が良くな のダートでの鬼のような強さを思えば、考えられないほどの凡走で と「完成度が高くない」の 2 つである。「ケイコでは動かない あった。次走、大井競馬場で行われた東京大賞典でも敗れ、翌年馬だから : ・」、「元々動かない馬だから : ・」、「実戦タイプだから : ・」 ( 2 。。 9 年 ) のフェ。フラリーステークスに臨んだヴァーミリアンた という調教の動きが悪いことを示唆するコメントが出てきたら、そ か、ここでもまた陣営から「調教で動かない」 とい - フ一一一口禾がちらほ の馬は消しと考えてもよいだろう らと聞こえてきた。案の定、 2 番人気に推されたものの、見せ場な たたし、ひとつだけ例外がある。それはその馬がスティャー ( 長 しの 6 着と惨敗を喫してしまった。 距離を得意とする馬 ) であるケースである。基本的にスティャーはゆ ヴァーミリアンには目に見えない疲れが少しずつ出始めていたの ったりとしたフットワークで走る馬が多く、気的にもおっとりし たろう。 2 度にわたるドバイ遠征や国内の ()—レースを勝ち続けて ているので、調教のような短い距離で、速いタイムを出したり、抜 きたことによる肉体的、精神的な疲労が、 2 。 8 年のジャパンカ群の動きを見せたりすることはない。 ップダートを境として噴出してしまったのだ。全盛期に比べ、衰え たとえば、私の中でスティャーというと真っ先に出てくるのがラ もあったのかもしれない確かにそれほど速い時計の出る馬ではな イスシャワ 1 という名前であるか、この馬は本当に調教では動かな カったか、陣営からこれほどまでに「動かない」 という言葉が出て かった。 5 0 0 万下の条件馬と併せ馬をしても、食らいついてい くるということは、もうヴァ 1 ミリアン自身が黄色信号を発して ( のが精一杯という具合。どこにでもいそうな小柄な馬だったので、 たとい、フことに・也は、らもはい もし菊花賞や天皇賞春を制したライスシャワ 1 ということを知らず 調教で「動かない」ことには、その馬自身の完成度が高く に調教だけを見ると、走らない下級条件馬と誰もが認識したはずで ROUNDERS vol. 1 148
もう一つ、前出のゴスホ 1 クケンのように、ウッドチップコ 1 ス では木片で蹄の裏を傷めてしまうという馬に対しては、ダ 1 トコー スで調教することもあり得る。ウッドチップ以外にも、歩いていて 金属片が刺さったり、思いきり小石を踏んずけたりして、蹄の底を 痛めてしまうことを「挫石」と言い、蹄の弱い馬に起こりやすい 1 ・、・ 2 週間ほどそっとしておけば治るの それほど重症にはならず、 たが、その間はもちろん調教が出来ない。 ところで、藤澤和雄厩舎の馬房前の砂地には、常に箒 ( ほうき ) の目が立てられている。馬は厩舎の外に出る時には必ずこの砂地を 通るため、万が一そこに釘などの異物が落ちたりした場合にはすぐ ( = ロカか気付くようになっていなければならないという理由からで ある。馬や人の足跡が付きつばなしの状態では、異物が落ちていて しかし、馬がそれを踏んで挫石してしまってか も気付かれに ら気付いたのでは遅いのだ。サラブレッドの蹄にはそれほどに廩重 にならなければならず、つまり「蹄なくして馬なし」ということで ある。 以上がウッドチップコースとダ 1 トコースの使用上の違いだが 1 周距離の違いによっても 2 つのダートコ 1 スが使い分けられるこ ともある。たとえば、栗東トレセンのコ 1 ス ( ダート ) は、新馬 にとってはコ 1 ナリングの練習にちょうど良いという。コースの 1 周は 16 。 o で、京都競馬場のダ 1 トコースとほとんど同じ形 ) だと、 1 周が 態なのである。対して、コース ( ダート 2 2 0 0 あり、大回りすぎてコ 1 ナリングの練習にはならない。 つまり、これからダ 1 トの新馬戦に出走する若駒をコースに入れ るのは、より実戦的な調教を施すことが目的である。 芝コースで追い切る理山 芝コ 1 スは、当然のことながら、ウッドチップコ 1 スやダートコ ースに比べ馬場が硬く、馬の脚元に負担が掛かることは避けられな そのため、よほどの理由がない限り、芝コ 1 スでしつかりとし 。その代表的な理由 た時計を出す追い切りか行われることは珍しい としては、「芝のスピード感覚に慣らしておきたい」、「他のコ 1 ス の馬場状態が悪い」、「実戦が近いことを意識させる」、「右回りだと モタれて仕方ない」の 4 つが考えられる。 芝のスビード感覚に慣らしておきたい ダ 1 トをずっと使ってきた馬を芝のレースに使う前に、芝で走る ことに少しでも慣らしておきたいという理由で、芝コースで追い切 られることがある。ダ 1 トと芝のレ 1 スとでは道中のペースが全く 違うため、ぶつつけ本番で芝コースに放り込まれてしまうと、スビ 1 ド感覚の違いに馬が戸惑ってしまうからである。脚元に掛かる負 荷を考慮に入れても、実戦の前に芝コースで追い切 っておくことで、ス。ヒード感覚を養っておくことは 重要である。 たとえば、 2 010 年の安田記念に出走したグロ 終 最 リアスノアは、デビュー以来、芝のレ 1 スにはたっ 也 た 1 度しか出走したことがなかった。この年の根岸 馬 ステ 1 クスを勝ち、ドバイに遠征してオ 1 ルウェザ ⑦ 1 コ 1 スで 4 着と気を吐いたが、同馬の走破タイム 1 分引秒台。安田記念が行われる芝のマイル戦と は、時計にして約 4 秒の隔たりがあった。いつも通 りの調教をして出走することもできたが、矢作芳人 4 e 調教師は最終追い切りを芝で敢行した 3 】 芝コ 1 スで追い切られ、ダートに比べて少し反応 ラスト 1 ハロンのⅡ秒 6 とい の鈍い感じはしたが、 真 こ、もしかしたらと思わせられたのは私だ う好時計 ( 時林 けではなかっただろう。しかし、実際のレ 1 スはさ 、着と惨敗してしまった。グロ丿 念良すがに甘くなく ア己 芝 アスノア自身は、 1 分引秒 1 の時計で安田記念を走 ア安栗 った。この開催の府中の芝コースは例年よりも 1 秒 ロ 近く時計が速く、 1 分引秒 7 という驚異的な勝ちタ 3 0 ・◆ 2 -0 イムであったことが、この馬にとって厳しかったの 調教のすべて ROUNDERS vol.l 133
よって、ウッド ダ 1 トコースで追い切るほどの負担が掛からない。 チップコースでは追い切ることが出来ても、ダ 1 トコースでは難し 坂路に対して平地で行われるウッドチップコースとダートコース いという馬もいて、現状としては、ダ 1 トよりもウッドチップコ に話を移したい。 スを使う調教師の方が圧倒的に多い。脚元に掛かる負担を少なくし 平地調教と前述の坂路調教の違いは、厳密に言うと、平地調教は つつ、体全体には負荷を掛けながら、長距離馬としての筋肉やスタ 有酸素運動的な効果がより多く見込まれるということだろう。たと ミナを作っていくというにおいて、ウッドチップコ 1 スは極めて えば、ダイエットは、激しい運動を短い時間で行うよりも、比較的効果的な調教コ 1 スなのである。 緩やかな運動を長い時間かけて行う方が効果的だとされるが、平地 血統的、体型的にスタミナに不安のある馬がウッドチップコース 調教はどちらかと言うと後者の運動である。実際に長い距離を、息 で調教されることによって、距離をこなせるようになることもある を入れながらジックリ時間をかけて調教していくため、その疲労度アドマイヤムーンなどは、その典型的な例だろう。 3 歳時の馬体と、 は高く、馬体を絞る効果もある。冬場のレースでは、坂路コ 1 スで 最後のジャ。ハンカップ出走時の馬体を見比べてみると、拳 1 個か 1 調教された馬が大幅な馬体増で凡走することがよくあるが、これは、個半分ぐらいは馬体 ( 胴部 ) が伸びていることが分かる。 平地調教に比べると坂路における調教がどちらかと言えば無酸素運 父エンドスウィープ、母父サンデーサイレンスという血統で、か 動に近いということを示している。 っ 3 歳時は胴の詰まった体型をしていた同馬が、ウッドチップコー さらに、平地調教だけで鍛えられる馬と、坂路調教だけで鍛えら スを中心として調教されたことによって、最後は 2 4 0 0 E のジャ れる馬とでは、筋肉の付き方が違ってくることが分かる。前者は長 ハンカップを勝つのだから驚きである。調教によって馬はつくるこ 距離馬らしいスリムな体型へ、後者は短距離馬らしい筋骨隆々の体 とが出来るということの証明でもあり、この年の賞優秀技術 型へと変化してい 調教師に松田博資調教師が選出されたのも当然の結果だろう。 たとえば、アドマイヤム 1 ンを管理した松田博資調教師は、平地 しかし、ウッドチップコースには欠もあり、ダートコースに比 のウッドチップコースを中心として調教するが、その管理馬にはべ べて走りにくいため、馬が力を入れて走らなければならず、馬によ ガ、タイムパラドックス、アドマイヤドン、プエナビスタ、レーヴ っては筋肉や腱に負担が掛かりすぎてしまうこともある。実際に地 デイソールなど、たとえ短距離血統の馬でも、絞り込まれたスリム方競馬でダートだけを使ってこれまで調教されてきた馬が、中央に な体型の馬が多い対して、坂路コースを中心として馬を仕上げる移籍し、ウッドチップコ 1 スで調教をされたら、ガタガタになって 松田国英調教師の管理馬には、タニノギムレット、キングカメハメ しまったとい、フ例もある ハ、クロフネ、ダイワスカーレットなど、たとえ長距離血統の馬で たとえば、骨が弱い馬がいるとすると、ダートならソェで済むと あっても、筋骨隆々のマッチョな体型の馬が多い ころか、ウッドたと骨折とい - フ一愛き目に遭 , フこともあるとい - フ。っ 坂路コ 1 スでもスタミナを強化することは出来るが、やはり長距まり、脚元に負担が掛からないはずのウッドチップコ 1 スも、 離戦向きの肉体やスタミナを養うという点については、平地コース ドな調教に堪えられる馬でなければ、その激しさゆえに、馬を傷め の方に一日の長かあるということだ。 てしまったり、 大きなアクシデントに繋がってしまう可能性もある さて、同じ平地調教であっても、やはりウッドチップコースとダ ということである。つまり、走られる体がしつかり出来ていない馬 ートコースでの調教には違いかある に関しては、比較的負荷の少ないダートコースで追い切るほうが良 し」い - フ , 」し」 4 0 ウッドチップコ 1 スは木片が敷き詰められているため、馬の脚に 策 ウッドチッフコースとダートコース 月 / / 4 み 0 4 ー〃 0 ”ど 7 みマ / 〃 / 〃 g ROUNDERS vol.l 132
とにする。たとえば、 2 。 0 7 年の宝塚 杯杯 記念に臨むアドマイヤムーンの調教欄は 馬馬馬 【・】◆ 2 】のように表記される ⑨⑨⑨⑨ 0 9 一つ「 / 51 表記内容は左から、「調教が行われた 月日」、「コ 1 ス」、「馬場状態」、「騎乗 っマ′ 5 一 1- っコ っ 4 「 / 1- 8 4 っっ 4 っ 者」、「タイム」、「走ったコースの内外」、 っっフ′ 0 L.n 「追われ方」となる。ひとつずつ詳しく 5 一 4 5 一 5 ) 【 ) 5 一 8 0 5 一 述べていこう。 っコ 5 一 「調教が行われた月日」を見てもらうと、 L.n 8 5 一 宝塚記念に臨むにあたってのアドマイヤ ムーンの最終追い切りが 6 月幻日 ( 木 ) 時手田手手 に行われたことが分かる。 1 週間前追い 走助岩助助 ン念重稍良稍良 切りは 6 月日 ( 水 ) で、それ以外に、 中間は 3 本の時計を出している。 イ宝栗 調教は基本的に毎日するものだが、ダマ 日水土木 7 クやキャンターで馬場を回るような軽い ・ ( 、 00 C.0 4 ー亠 0 -11 11 -11 り乙 ◆◆◆ 2 れり 調教は調教時計としては扱われない。具 体的に言うと、 1 ハロン秒以上で走っ た調教は調教時計として公表されること はない。アドマイヤムーンの例で述べると、ドバイ↓香港遠征を終 え栗東に戻ってきてから宝塚記念までの間に、 1 週間前追い切りと 最終追い切りを含め、 1 ハロン秒以下の速さでの追い切りが計 5 本あったとい - フことになる 追い切りが行われる「コ 1 ス」について具体的な話を進める前に、 ところで、ふと疑問に田 5 った方もいるはずなので説明しておくと、 中 まずは美浦トレセンと栗東トレセンについて説明しておきたい。 宝塚記念に臨むにあたってのアドマイヤム 1 ンの最終追い切りは木央競馬では馬 1 頭 1 頭に必要な調教を施すことが出来るように様々 曜日に行われている。通常、最終追い切り、そして 1 週間前追い切な種類の施設が設けられていて、関東 ( 美浦トレ 1 ニングセンター ) りは水曜日に行われるのが一般的である。それは土曜日のレ 1 スに と関西 ( 栗東トレーニングセンター ) ではわずかに施設が異なる 出走する馬も、日曜日のレースに出走する馬も同じである。全休明 美浦トレーニングセンタ 1 は 19 7 8 年に開設され、北と南に 2 けの火曜日に軽めの運動で体を作り、水曜日に最終的な追い切りを つのトラックコースを持つ。しかし、南馬場にはウッドチップコ 1 かけるというわけである。それでは、なぜアドマイヤムーンの最終 スや坂路コース、そしてニューポリトラックコースがあるのに対し、 追い切りは木曜日になったのだろうか ? 北馬場には障害コースやダートコースしかない この施設の差から 結論から述べると、それほど深い意味はない。 日曜日のレースに も分かるように、現在、美浦トレセンでは北馬場と南馬場で調教を 0 0 出走する馬で、たまに木曜日に最終追い切りをかけられるケースが あるか、 ほとんどが天候やコ 1 スの馬場状態の問題であることか多 水曜日は雨が降って下 ( 馬場 ) が悪くなりそうだからとか、周 りになるべく馬の少ない混雑していない中で追い切りたいとか、そ ういうほんの些細な理由である たとえば、、ティープインハクトかラストランとなった有馬記念に 臨む過程において、陣営は同馬の最終追い切りを木曜日と予定して いたが、急遽水曜日に変更した。暮れの時期の天候不順を考慮して 木曜日に変えたものを、慎重を喫して、再度普段どおりの水曜日に 変更したのだ。そして、ジャパンカップ時には及ばなかったものの、 フランスに遠征する前とは比べものにならない時計と動きでディー プインパクトは最終追い切りを終えた。 木曜追いには、脚元や蹄に不安があったり、馬体が細化してしま っていて、回復を 1 日でも待ってから追い切りたいという理由もあ るにはあるだろう。しかし、そこまでの状態であれば情報として伝 わってくるはずで、特に何もない状況での木曜追いには深い意味は 水曜日に追い切りをしなければならないという決まりはない 0 以上、いっ追い切るかはあくまでも調教師の判断なのである 美浦トレセンと栗東トレセン 0 0 ROUNDERS vo い 126
しようてん これがポスからマコが受けた俺の攻馬の指示で農林省賞典であるこの阪神一二歳ステークスで、喜んでいるようすがはっきりわかった。 しようてん ある。 ートナーは、最近すっかりカをつけ、前俺がつけた白地の″ 3 ″のゼッケンが澄みきった後検量が済むと″農林省賞典阪神三歳ステー 回も紅葉特別に勝ったタイムリイだ。 空に美しく映えている。 クス優勝〃と染め抜かれた豪華なレイを首に、白 昨夜の馬鹿冷えこみが、今年初めての不凍液撒 一コーナーのポケットがスタート地点である。 熱のレースに酔った観衆の余韻の残る馬場へ出た。 布となって、馬場の砂にしっとりと濡れている。十二頭の仲間は殺気だっており、俺を前回負かしあまりの喜びに声も出ない増さんに手綱をとられ、 俺は不凍液に弱い。と言うのは、今年の正月、肢たヒデラホウ、キネャホウオウもいる。彼らの面初めて見る彼の家族と共にカメラに収まった。 にあった小さな傷に不凍液がしみ込み、肢を丸太魂は不敵そのものである。 その夜、祝い酒に酔ったカタブツが夜の更ける 棒のように腫らしたことがあるからだ。 ″ヾチッ〃ゲートが開いた。 まで馬房の前で、訳のわからないことをつぶやい 今日の俺には幸いに傷はない。栗東の冬が初め俺は隅角を狙ってダッシュをつけた。 ている。カタブツの声を聞きながら俺は今日のレ てというタイムリイにも注意したが、彼も傷はな流れが落ち着いたのは二ハロンを過ぎたバック ースを振り返って考えた。 いというから、俺たちは安心して速歩に移った。 ストレッチ。俺の前にはヒデラホウがいる。キネ 〈レースでは、ただがむしやらに走っては駄目だ。 攻馬の最盛時である。めまぐるしく俺たちを追ャも横にいる。ヒデラホウの蹴る土が俺の顔を叩相手もある。闘う相手の出方を見ながら、自分の い越して行く。鼻を鳴らし、汗みずくになりなが き、一瞬目がくらむ。 ペースを守っていく。どうやら、これが一番大切 ら先輩や仲間が : 。キャンターに移った時には、 三ハロンの標識が過ぎると、にわかに足音が迫なようで、脚力だけでなく、頭を使ってレースを 俺の首にもうっすらと汗がにじんでいた。 ってくる。マコはまだ行けとは合図しない。キネすることだ〉 七の標識がくるとマコの鞭が来た。同時に鼻ヤが追われ気味にヒデラホウに並びかけて行った。 これが、俺の得た結論であった。 鳴りでタイムリイに合図する。逸っている俺の心四コーナーがきた。地響きがすごい。ヒデラホウ が馬場を蹴る。あと半マイル、内を走るタイムリ が張り出し気味に内をあける。マコはそれを待っ それからしばらく調教を休んだ彼は、ポスの計 イもついてくる。それもゴール一〇〇メートルまていた。 画どおり、一月、一一月の競馬を休み、焦点を四月 でだ。マコの鞭が尻にくると一気に差があいた。 鞭がきた。俺は縫うように内から一気に並ぶ。 の皐月賞にしぼった。 攻馬の帰り「やはり兄貴にはかなわないや」息 マコの手は動いているが、まだラストス。ハートは その間、京都、中京とレースはつづき、俺の他 をはずませながらタイムリイがもらした。 命じない。あと一ハロン。俺は大きく息を吸い込む。にもダービー出場の資格を得た馬が、続々と誕生 全身の汗が寒気に心地よい。そのひと汗にすか鞭が鳴る。キネヤが出る、ヒデラホウも出た。 していった。 っとした俺は、ステークスをものにしてやる自信俺の横腹をマコの足が蹴る。あと三〇メートル、 阪神の芝が、徐々に緑に変わっていった三月、 がついてきた。 ヒデラホウがわずかではあるが外によれた。その桜花賞を狙って西下してきた二頭の牝馬を混えて、 先日来から、またつづいていた不穏なストへの瞬間俺は体をまりのようにして走り抜けた。 俺は久方ぶりのレースを味わった。弱い相手では ″やった ! 動きもどうやら回避できたようだ。カタ、、フツの顔 あったが、レースへ向けて自分で体を作るように に笑顔がもどり、久しぶりに頭から鉢巻も消えて本能が感じた。 なっていた俺は、六キロだけ増えた体重で出場し、 いる。こうなるとレースが待ち遠しい。 惰力は二ハロンっづき、顏は見えなかったが健自分でも予想外に軽く勝ち、東上への履歴に勝鞍 ( つづく ) 闘した俺をいたわるようにして乗っているマコが、をきざみ込んだのである。 ROUNDERS vol.l
三ハロンの標識がうしろに飛び、足音が迫ってに、 宛名が立木厩舎内ドトウ君。 「キミノショウリノサケウマシ。ュケズニゴメン。 くる。最後のコーナーで栗毛の外に黒鹿毛が顔を「まあまあだな」 出す。回りきると栗毛が首ひとっ遅れ、黒鹿毛が と表現し、カタブツが、 ガンバッテヤ」 出ようとした。俺の平首にマコの鞭がきた。 カタブツが大きな声で読み上げてくれた。増さ 「六馬身離してますよ」 一直線の三〇〇メートル。 と一一一口うと、ニャリと笑った。 んも味なことをする。人間から電報をもらった馬 手前を左に変えると一気に後肢で芝を蹴った。 それから連れて行かれたところには先客がいた。は俺くらいのものだろうか。 マコの鞭がふたたび鳴り、手綱が俺を追う。 黒鹿毛とレース前にゲート人りを嫌った鹿毛の小 ちょっぴり横腹が痛くなり、苦しい一瞬がくる柄な牝馬である。黒鹿毛は二着だといい、鹿毛の みなの祝福の声が途切れ、俺の馬房から引き揚 と黒鹿毛は俺の視野から消えていた。 牝馬も頭しか違わないと気強く話している。 げていくと初勝利の実感が改めてわいてきたが、 最後の一〇〇メートルは攻馬で追われるほうが ここで体を洗われると、係員から水を飲まされそれとともに緊張しづめだったこの一日の疲れが よほど苦しいと思ったほどで、ゴールを過ぎる時独房で小便を採取された。 どっと出てくる。いつもは待ち遠しいはずの夜飼 は後の馬の足音は聞えてこなかった。〈勝った〉 この小便は東京にある理化学研究所に送られてにもさつばり食欲がわかず、ただ無性に休息が欲 という満足感が出てきたのは、引き返し地点でマ化学分析されるという。興奮剤や減退薬を使ってしい。 コから首をやさしく叩かれた時である。 いっとき泥のように眠った。 いないか調べるためだ。俺にはそんな心配はもち レースが終った後も検査されるのか、検量室前ろんないのに。 うつつのなかで板壁を隔てた向うでタイムリイ いなな で鞍がおろされ、カタブツが俺の首に抱きついて厩舎へ帰るとスプリングが嘶いて祝ってくれが盛んに寝返りを打っ音を聞きながら、俺は夢を きた。ポスとカタブツが堅く手を握り合っていて、た。古馬のテムジンも「放送を聞いていて応援し見ていた。 そこへ牧場のポスが駈けつけてきてポス同志も握たんだぞ」と、喜んでくれる。 俺が新馬勝ちした自慢話をしながら、伯爵のマ 手している。 俺は幸福である。みなが素直に俺の勝利を喜ん バと肩を並べて山の放牧場の一番甘い草を食べて 勝った実感が、俺だけのものでないことが徐々でくれる。スプリングに言ってあげた。 いるマバがあらわれ、俺を調教したのだと誇らし にわかってきたが〈がんばらなくっちゃ〉の増さ「君も勝てるさ。稽古は俺と互角なんだもの」 気に語りながら二歳の追い運動に歯を鳴らす。ヒン んの顔は見えなかった。 スプリングはこのところ食欲がなく、飼を食べ コの姿もある。 また鞍がつけられ、マコが俺に乗る、何のこと残していたが、俺の勝利の言葉で力を得たのかし 公営競馬に売られていったスキートも出てきた かわからぬまま馬場に出る。スタンドには人はまばらくすると彼女の馬房から飼を食べる歯切れのし、俺たちミラ一族の血のホープ、皐月賞を制覇 ばらで、初夏の心地よい風に小さな紙切れが舞い、いい音が聞こえてきた。 したランドプリンスに完敗したというタイテエム 殺気立つものはもう何もない。 夕方、両脇に人参を下げて顔なじみがやって来兄貴も出てきた。 写真をとられるらしい。背景はゴ 1 ル標で牧場た。歯で割りながら俺に食べさせてくれ、ゆっく しばらくの夢の世界も現実の腹のすいたのに破 のポスが胸を張る。俺も精いつばいのポーズをと りした口調で、エイトボーイが喜んでいること、 られた。飼桶のなかには俺が眠っている間に、や っこ。 イ爵が札幌に来ていることなどを告げてくれた。 や黄色味を帯びた人参がまるで宝石を散りばめた 勝ちタイムは一分一秒二。ご ホスははなはだ曖昧馬主の増さんから電報が来たのはこの時である。ようにこまかく振りかけられていた。 ROUNDERS vol.l 108
次の朝、調教に行き帰りするずいぶん忙しい古場で見た笑いのある顔と違い、いつも小むずかし 栗東 参馬の出人りが終ると、俺も外に出され洗い場でい面構えを崩さぬところをみると、これが商売顔 エプリルに会った。彼女はひどくしょぼくれていなのかと勝負師の厳しさを変なところで感じさせ 旅がこれほど苦しいものとは思わなかった。おる。 られる。 まけに、俺たちは正確な到着地を知らないから、 肛門からさしこまれた体温計によると、平熱の何でもポスは騎手時代に天皇賞を勝ったことも 余計道中を長く感じる。 三十八度より四分ほど高い微熱があり、蹄を洗っあり、自分が騎乗していた馬のタカクラヤマとか 終着地である、滋賀県栗東町″中央競馬会栗東ただけで寝巻を着せられ馬房へ帰っていった。 ホウシュウというのは種牡馬にもなったそうだ。 トレーニングセンター〃に着いても、まだ先を急 エプリルの厩務員がさっそく獣医を連れてきた厩舎には三人の騎手と三人の騎手の卵、すなわ ぐ旅をしている錯覚にとらわれてしまう。 ところをみると、よほど悪いのか気になるが、こち騎手候補生がいる。厩舎一一一口葉では騎手のことを この旅は二日半がかりで、始終車の騒音と排気んな時は人間の知恵に頼るしか方法を知らない俺乗り役、騎手候補生は下乗りと呼んでいる。調教 ガスに悩まされ、間断なくつづく車の音に満足にたちだから、任せておくより仕方がないのだ。 時は騎手は黒い帽子、騎手候補生はいつも赤い帽 眠ることもできず、深い疲労と苦々しい思いだけ顔なじみが別れに来たのは、水道の蛇口からお子をかぶっているから、俺にもすぐに区別ができ が重く体に残った。 湯が流れてくるのに驚きながら、四日分の旅の垢る。 それでも、到着したトレーニングセンターにはを洗ってもらっている時である。 騎手の卵でも騎手でも、俺が今まで見てきた人 北海道の匂いがあり、疲れた体がほぐれてほっと 「エプリルのことが心配だ」 間たちから較べると超小型であり、俺の世話をや した気分になる。 と前置きして、名前もまだ知らない俺の概務員いてくれる厩務員からみても大人とこどもほど違 けんえき にんじん 到着するなり放りこまれた検疫厩舎では、検血氏に頼み、俺には人参をくれながら、 う。しかし、動作はすばらしく機敏でしゃべり方 や健康状態を調べられるのに半日がつぶれ、待望「エプリルの力になってくれよ」 もキビキビしている。 の厩舎人りは秋の陽が松林に落ち、外燈が照らすと、やさしく首をさすってくれた。それが彼と 騎手の三人はポスが呼ぶのを聞いていると″マ 見当もっかない道をたどっていく夜になってからのしばらくの別れとなった。 コ〃と″タカシ〃と、もうひとりの一番若いのは であった。 〃ミツル〃と呼んでいる。そのなかでもマコが厩 うまや 俺とエプリルの馬房は離れている。それにして トレーニングセンターのことを厩舎の人はトレ 舎の主戦騎手で、ポスや厩の人が話をする時も も、なんとこの厩舎のムードの冷たいことだろう。センと呼び、その面積は百六十万平方メートルとマコに対してはロの聞き方がていねいである。マ 新参の俺などまったく知らぬそぶりで飼を食べるいう。その広い敷地の北西の隅に俺が所属する立コにはもうこどもがあり、俺は時々、この子から 古参馬の単調な歯音がバリバリと聞こえてくる他木厩舎がある。厩舎は二十馬房単位になっていて人参をもらったりしている。 は、物音もしない単調さである。 その棟続きの右端に調教師立木幸治が住んでいる。俺の小ポスともいえる厩務員には三通りの呼び エプリルは淋しいのか、遠くの馬房で甲高い悲彼は騎手上がりだけあって背は低いが、これで名がある。馬丁、別当、厩務員である。呼び名が 鳴をあげている。こうなってみると仲間と過ごしも昔は騎手だったのかと疑いたくなるほど太って三種類もあるのでまごっいたが、普通は馬丁が使 た北海道の追い込み馬房がなっかしく、俺にもやいる。びんに白髪の見えるこの新しいポスとは牧われているようだ。しかし、調教師や騎手が彼ら けに淋しさがこみ上げてくる。 場で何回か会っていたから初対面ではないが、牧と話し合う時は″別当さん〃とさんづけで呼んで りつとう ROUNDERS vol.l 100
山つつじの紅がまだ残る灌木に囲まれたこの放牧 小屋になっかしい香りのする干し草が投げ込まれことのほうが嬉しいと、至極ど機嫌である。 ることもあるが、いつも零下何十度という寒さの客は来はじめるとひっきりなしにやってくる。地は、俺がかって見たこともない広さがあり、山 なかで雪の下の笹を探し、牧草の根を掘り出すひ俺は一日に幾度も外 ( 引っ張り出されることもあの頂上からは海も見える。ここには処女地を思わ もじさは想像を絶する厳しさだ。こんな生活ではれば、放牧地まで追っかけてきて俺の遊んでいるせる青々とした一面の牧草に混じり、レッドクロ ーバーが首をかしげて笑っている。 孤独に耐えるのが精いつばいで、自然のなかで生姿などをカメラに収めて帰る人もいる。 ひどいのになると、雨が降っているというのに放牧地までは急坂な一本道が続く。一列縦隊に きていく自信などなくなってしまう。 長い冬が過ぎ、春のはしりに山を下ろされる頃俺を引っ張り出し、立ち方がどうの、首が低いと登らなければ進めないほどの狭い道であり、とこ になると、どのような美しさを誇った馬でも老婆か注文ばかりをつける。これらの客の大半は先生ろどころに雨に洗われた石ころが露出していたか と呼ばれる調教師である。彼らは言い合わせたよら、どうかすると転びそうになり、かろうじてマ のような姿になって帰ってくる。 バのしつぼにかじりついて転落をまぬがれたりす だからマバたちは不妊馬になることを極度に恐うに月曜日に来て、水曜日になると、 る。不意に片端の藪から飛び出す雉に驚かされ、 れ、セックスは楽しみよりも受胎するためにある〈明日は追い切りがあるから〉 うしろからつづくエプリルのマバに支えられたり、 と言って、潮の引くように帰っていく。 と思っている。 なかには土地の人と勘違いするほど足繁く来る初めの頃は山の放牧地へたどり着くまでが大変で 夕方、放牧から帰ってくるとカウントの売れた先生もいる。そして気に人った馬を買っていくの冷汗の連続である。 放牧地通いは朝早くから、少しぐらいの雨の日 ニュースが伝わり、厩舎のなかに異様に熱つぼいだ。 くちそからす 牧夫の話を聞いていると、これを「庭先取引」も続けられ、餌をあさりに出たロ細烏が山に帰 空気が渦巻いている。 「よほどの高値で売れない限り、こんなムードはというらしい。〈庭先取引は実態がっかみにくい〉るタ暮れまで続けられる。 この放牧地通いで、またたく間に俺の四肢は強 と税務署員は嘆き、競馬会も頭を悩ませているの ないんだよ」 が実状と聞いた。俺たちをセリに出して買手を捜靭なものとなった。よろけ続けた山道も一気に駈 マバはうらやましそうにつぶやいた。 マバの顔を見ていると、俺の心にカウントに対す市場取引を奨励するためにいろいろ知恵をしぼけ登ることも最近ではそんなにむずかしくない。 マバはこの機会が来るのを待っていたようだ。 り、レース面での優遇政策を打ち出したりしたが、 するライバル意識が今まで以上にこみ上げてくる。 相談する相手が軽種馬協会の理事である牧場主た小柄な俺が売れる馬に成長するにはより強靭な筋 それにしても、俺の買手はいっ決まるのだろう ちだ。最近のように生産馬がこれだけ過剰になっ肉の持ち主になる必要がある。 か : ・・ : 。不安もちょっぴり頭をもたげる。 〈ミラの牡馬として生まれた以上、ミラの血を守 てきては、表面でその政策に同調しても、自分の 翌朝は濃いガスがたちこめた。今年最後の仲間 る使命がお前にはある。おばばから受け継がれて が分娩予定日より三日も早く誕生して、この牧場馬だけは売れ残っては大変と皆が思っている。だ から、庭先取引はいつまでもなくならないというきた鍛練を、お前に厳しくやるよ〉 で八番目に生まれたことからエイトボーイと名付 マバは最近目立つようになってきた腹を振りな ことだ。 けられた。 がら、俺に走る方法を教え始めた。 こんな話を聞くと、売れるだけでも大変なこと ウ客の接待とかで朝方、酔いの残った顔で帰って 放牧地の周囲は、とて俺の頭では計算できる広 ドきたポスは、カウントが高い値段で売れたことよなのだとっくづく感じてしまう。 ーや白いクロー ところで、この日に俺は山の放牧場へ移された。さではない。。ヒンクのクロー 走りも生まれてきた仔馬に一頭の片輪もいなかった ROUNDERS vol.l 095
の一線をめがけて、研ぎすまされた神経が俺の体 に命じている。 序章 出生 〈蹴れ、もっと強く ! 〉 空はどんよりと重い。 からつぼの頭に、突然、スタンドのどよめきと 内地では桜の花が満開に咲き誇っている頃にな 昨夜来の雨が馬場のあちこちに水溜りを作り、 他馬の足音がうなりをあげてやってきた。 っても、日高では始終冷たい風が吹き抜けている。 大地がひとつに溶け合ったように暗く、遠く離れ俺は、以前、こんな音をどこかで聞いたことが とくにその朝は、冬に逆もどりしたような小雪ま しおさい たスタンドからは潮騒のようなどよめきが押し寄ある。そうだ : : これは生まれ故郷の日高の海鳴じりの風が吹きつけ、厩舎の大戸がふるえながら せてくる。 うなり、すき間風が笛のような音を立てて通り抜 この中山で勝ちたい。この有馬記念を制覇する どこかでマバが叫んでいる。 けていった。めったなことでは届かないという沢 ことは俺の執念でもある。俺の念願とする種牡馬〈走れ、どの馬よりも速く ! 〉 向うの海鳴りが裏山のざわめきのように聞えてき 生活への。ハスポートを手に人れるチャンスはこの俺は大地を蹴った。 レースに勝っことしかない。 一蹴り、二蹴り、三蹴り : 俺の名はドトウ。この名前も激しく荒れた日高 スタートと共に俺は飛び出した。 苦しい : の海の満潮と共に俺が生まれたので付けられたの まば レースの流れは意外なほどのスローベースであ しかし、俺は勝たねばならない。 だ。俺は生まれて二十分で立ち、一時間後には母 ちゅうだん る。俺の背のマコは中団に付けたままその流れ 一瞬のうちに幼い頃の記憶があざやかに脳裏にの乳房に噛じりついていたという。この乳付きの に俺を乗せた。張りつめていた俺の心もようやく うかび上り、それが俺に執念の到達の完成を命じ早いものほど優秀というが、俺はそのなかに人る 落着いてきた。 ている。 らしい。この辺のことは俺もよく覚えていないが、 俺は見知らぬ相手を鋭く観察した。スタンドの 日高の海鳴りが背後から俺を押している。そう俺の母 ( マバと俺は呼んでいる ) から聞かされた 歓声をはっきりと耳にとらえ、一周目のゴール前 いえば、俺が生まれたのも激しい海鳴りが怒濤の話である。俺自身が生まれてすぐに感じたのは、 を過ぎ 、バックストレッチにかかった。マコの手。ことくした日であった : 胃を刺すような空腹であった : 綱が動き、俺は一挙に三位まで上った。 激しい音だけが耳に人る。 三コーナーは滑る。のめりながらも俺は耐えた。 俺は無意識のうちにマバの乳房に噛じりついて 四コーナーでは先頭の馬が脱落し、直線、大外を いたようだが、胃袋に流れこむ温い液体に腹が満 回った俺の相手は一頭しかいない。マコの手綱は たされてくると、遠くから聞えてくるどよめきと まだラストスパートを命じてこない。一斉に他馬 は別に、近くで何かが動く気配が伝ってきた。俺 が俺をめがけて押し寄せてきた。 の体は誰かに触れられている。 最後の坂を俺は登った。ここで、マコの手綱が 俺はそっと瞼を上げてみた。真暗闇の世界がぼ 動き、ムチが飛んできた。荒い息遣いのなかで俺 んやりとした薄明の世界へ変っていく。まず最初 は泥んこの大地を蹴る。 に目に映ったのはマバの豊かな乳房であり、その 俺の頭のなかにはもう敵はいない。ただゴール ひとつを必死になって吸っている俺の体も目に人 せいは ROUNDERS vol.l 084