二〇一〇年の凱旋門賞を一一着したナカヤマフェスタは、馬と人との信 頼関係によって大きく生まれ変わった馬であった。ナカヤマフェスタを 管理する二ノ宮敬宇調教師は、本来は馬に厳しい調教を課すタイプであ り、そうして多くの名馬を作り上げてきた。同じく凱旋門賞を二着した エルコンドルバサーには、これでもかというぐらいの負荷を掛け、田 5 、 つきり鍛え上げた。その二ノ宮敬字調教師をしても、敏感なところのあ るナカヤマフェスタは、エルコンドルバサーと同じように厳しい調教を 課してしまうと、競走馬としては大成できないだろうという思いがあっ ナカヤマフェスタが入厩してきた当初は、馬を可愛がりながら、ある 意味では甘やかしながら、ゆっくりと優しく調教を進めた。そんな人間 の心遣いに応えるように、ナカヤマフェスタはデビュー戦を央勝し、続 く東京スポ 1 ッ杯 2 歳も勝利した。そして、年明けの京成杯を二着、 ぶつつけで臨んだ皐月賞では八着に敗退するものの、日本ダービーでは 不良馬場を後方から四着まで追い込んで、潜在能力の高さを改めて証明 行くことで服従の意を一小そうとする。これは人間の子供にもよくある行 してみせた。そのまま馬体を緩めることなく夏を越したナカヤマフェス 動である。怒られた人に対して、その場では恐れの反応をするが、のち タは、秋緒戦のセントライト記念を横綱相撲で完勝した。極めて順風満 に甘えてくるというような。この ' 前進と後退 , に、馬と人間のコミュ 帆な競走成績である。 ニケーションの鍵があることにモンティ・ロバーツは気づき始めた。 ところが、このあたりから、ナカヤマフェスタは我がままに振舞って そして、人が馬から信頼と自発的な協力を得るために欠かせない条件 みせるようになってきた。二一 調教馬場に入らずに立ち止まってみたり、立 として、「両者が中間地点で出会うこと」を挙げた。しかし、それが達 ち上がって蛯名正義騎手を振り落としてみたり、思い通りの調教ができ 成できるかどうかは人間にかかっているという。ク闘う動物である人 なくなってしまったのだ。そこで、甘やかしてきたことを反省した二ノ 間は、馬の信頼を得ることに、いを砕くべきであり、クおびえる動物クで 宮敬字調教師は一転、ナカヤマフェスタに厳しく当たることにした。長 ある馬の立場を悪用しては決してならない人が馬の信頼を得ようと努 いムチを持って、立ち止まったナカヤマフェスタを叩いたり、 手綱をき めたときに、両者は初めて本当の意味で出会うことができるのだ。 つめに引っ張ってみたりした。 へそを曲げてしまったナカヤマフェスタは、レースに行って全く走ら なくなってしまったのだ。菊花賞が一秒七差の十一一着、続く中日新聞杯 は二秒一差の十三着と大敗した。長距離輸送がこたえたとか、体調が優 れなかったとかではなく、もはや走る気がなかったという着差であり着 順である。それまでのナカヤマフェスタが自分の気持ちを尊重してもら えたことで、どれだけ走る気になっていたか、また逆に、人間に対して 嫌悪感や不信感を抱いてしまったことで、どれだけ走らなくなってしま ったかが明らかである。ナカヤマフェスタと人間との信頼関係が崩れて しまっていることに気づいた二ノ宮敬宇調教師は、再びナカヤマフェス タのペースに合わせることにした。ナカヤマフェスタと人間の中間点を 取ろうとしたということである その後のナカヤマフェスタの活躍を見れば、二ノ宮敬宇調教師の判断 が正しかったことが分かる。メトロポリタンを楽勝すると、続く宝塚 言念ではあのブエナビスタを外からあっという間に差し切った。そして、 フランスに渡り、ステップレースとしてのフォワ賞を二着して、本番の 凱旋門賞ではあと一歩で勝利というところまで走った。菊花賞や中日新 聞杯で大敗していた馬と同じ馬とは到底思えない、世界でもトップレベ ROUNDERS vol.l 014
いて立ち止まったことがあるんですよ。あれだけたくさんの人々がいる 馬は人間の気を背負って走る なかで、かって自分の背にいた人間を一瞬で見分けるのです。スビリチ 僕たちが仕事をする上で、馬との信頼関係は非常に大切です。本来、 ュアルな話だと思われるかもしれないけれど、僕たちにはない特別な感 馬は集団で生きる動物ですから、基本的には世話をしてくれる人間に頼 覚を持っていることは、馬を扱っていてつくづく感じますよ ってきます。頼ってきてくれたことに対して応えてあげることで、信頼 馬は人間の気を背負って走るんです。人間の気持ちは馬に伝わる。ダ 関係が結ばれていきます。ただ、 壊れるのも意外に簡単です。。フレーキ メだと思ってレースに送り込めば、絶対にダメな結果が出ます。誰の気 ング ( 馴致 ) の段階までは信頼関係が保たれていたとしても、いざ本格 を最も背負うかというと、その馬がポスと認めた人じゃないでしようか 的に乗り出す段階で担当の人間が別の人間に変わってしまうとしますよ 運勢的には馬主さんの運を背負って走ると僕は思っていますけど、自分 わ。もし、その新しい担当者の騎乗技術が拙かったりしたら、一瞬のう の世話を全てしてくれる、いちばんのパ 1 トナ 1 である厩務員さんや、 ちにその馬と人との信頼関係が壊れてしまうことだってある。今まで積実際のレースで騎乗するジョッキ 1 がポスになりやすいと思います。 。こか、らこそ、 み上げてきたものが全部バ 1 になってしまうんです。僕はどちらかとい ートナーがころころ変わるのは、馬にとっては迷惑な うと乗るほうが専門ですので、とにかく馬の邪魔をしない、前向きさを 話なんじゃないかと思います。ビジネスとしては仕方のない部分もあり 殺さないように心がけています。リラックスとバランスを重視して、人 ますが、馬が誰を頼って良いか分からなくなってしまうのではないでし 馬一体が基本ですね。 ようか。今の競走馬は少し可哀想だなと思います。昔であれば、同じ厩 自分に自信を持っことができれば、馬に対しても自信を持って接して 務員さんと一緒にレースに行って、同じ場所に帰ってきて、少しリフレ あげられます。そうすると、馬も安心して人間に頼れる。人間に自信が ッシュするために、生まれ故郷の北海道へ放牧に出て、再び馴染みの厩 なくてソワソワしていれば、馬も頼れる人がいないからソワソワしてし 企口にヨ市ってきて、とい - フふ - フに、 人があまり変わらなかったんですよ。 まう。余談ですけど、かって日本馬が海外に遠征して結果を出せなかっ でも今は調教師も牧場も育成場もビジネス優先になっている気がするん たのは、馬の能力がなかったからではなく、帯同する厩務員さんなど人 ですよね。もちろんビジネスも大事ですけど、僕は馬が好きでやってい 間たちの自信のなさが、馬に伝わっていたことが理由として大きかった るから、馬の気持ちも大切にしてほしいなと思います。 のではないかと僕は考えています。しかし今は、海外遠征も盛んになり、 それなりのトレーニングを積み、それをクリアしてきているのであれ ノウハウも蓄積されてきて、自信を持って馬を扱える人間が日本にも増 ば、レ 1 スに行って、最下位やブ 1 ビーという結果はまずありえません。 えてきた。だからこそ、凱旋門賞を 2 着したナカヤマフェスタを始め、 最下位やブービーになるような馬は、たとえば競馬で酷使していたり、 海外で良い結果を出す日本馬が増えてきているのだと思います 何らかの理由があって、やはりそれなりの結果があります。 馬は第 6 感の優れた動物です。ほ乳類のなかではトップクラスではな 極論すると、離されてシンガリ負けしてしまうような馬は、人間の愛 いでしようか。僕たち人間には見えていない何かを感じているのだと思 情が足りないということを物語っているのかもしれません。どんなレー います。僕が預かったライジングウェープなんて、パドックで僕に気づ スも、基本的には、オープン馬と未勝利馬が一緒に走るわけではありま ROUNDERS vo い 028