ところで、馬は鍛えることで果たして強くなるのだろうか ? お そらくこれは私だけではなく、 ほとんど全ての調教師が抱えている 疑問であり、悩みなのではないだろうか。あまりにも本質的すぎて、 正しい答えというものかあるとは思えないか、それでも考えないよ りはましたろ - フ まず「馬は鍛えることで強くなる」という考えを持っ調教師を紹 介したい。冒頭に登場した、 2 冠馬ミホノブルポンを管理した故戸 もう一人、「馬は鍛えることで強くなる」という考えを持っ調教 山為夫調教師である。坂路調教は通常 1 日 2 、 3 本の厩舎が多い中師を紹介したい。。 タンスパートナー、スペシャルウィーク、アグネ で、 1 日 4 本、多い日には 5 本も登坂することもあり、「スパルタ スデジタルなど、数々の ()—ホースを育て上げ、究極の仕上げの上 調教」とも揶揄されたトレ 1 ニング方法を確立した故戸山為夫調教手さは誰もが認める白井寿昭調教師である。白井寿昭調教師は強い 師は、自身の調教理論についてこう語る。 調教について、こう五っている 天才的に速い馬がどんどん厩舎に入ってくれば、私もハー マラソンでも日々の努力、毎日のハ 1 ドトレーニングの結果が レーニングなど考える必要はなかったかもしれない しかし、癶兀 反復練習となって厳しい試合で活かされるわけですよね。軽い調 足したばかりの厩舎のジョッキーとして育ち、勝てない悔しさを 教をやっていて厳しいレースを勝てるならそれに越したことはな 重ねた。調教師としても天才的な馬には恵まれない悔しさがあっ ( ( ( ( 力ないのか勝負の世界ですから。 やはり持ったままの調教で竸馬に通用するかというと疑問です ではどうするか。鍛えて鍛えて、鍛えぬいて勝っしかない。、ホ ね。我々の場合、厳しいレースに対応するにはハ ードなトレーニ クサーにしても、力士にしても、練習に練習を重ねたものが強い。 ングが必要だと思うからこそ、あれだけの調教を課すわけです。 10 0 メートルランナーもマラソンランナーも、人一倍練習する かといって馬の競走生命が短かったかというとそうではないと思 ものか最後には栄冠をもぎとるのだ。馬にそれが当てはまらない います。もちろん、なんでもかんでも無我夢中にやってしまうと はすはない。 ( 戸山為夫「鍛えて最強馬をつくる』かんき出版 ) パンクするでしようから、待っ時は時期が来るまで待つべきでし ( 井内利彰「—勝利の方程式」白夜書房 ) 故戸山為夫調教師はここで、「天才的に速い馬がどんどん厩舎に 入ってくれば、私もハ ードトレーニングなど考える必要はなかった 白井寿昭調教師も、故戸山為夫調教師と同じく、毎日の厳しいト かもしれない」と皮肉を込めているが、本当にそうだとは田 5 ってい レ 1 ニングがレースに行って生きてくるという信念を持って馬を鍛 ないだろう。そもそも天才的に速い馬がどんどん厩舎に入ってくる えていることが分かる。だからこそ、持ったままの馬なり調教を施 ことなど、どの厩舎においてもほとんどあり得ないことなのたから。 された馬が、いきなり厳しいレ 1 スで結果を出すことが出来るとい ードトレ それを承知の上で書いている以上、どの厩舎にとってもハ う考えに疑問を呈しているのである ーニングは必要だというのが師の真意であろう。 さて、今度は反対に、「馬は鍛えても強くなることはない」 馬は鍛えることで強くなるのか ? なぜ名馬ムれたのか 最強馬を。くる 井内“影◆ ROUNDERS vol.l 122
トップトレ 1 ナ 1 の座に 2 年以応しい成績を残すことができ、競走期間は長く充実したものとなる う考えを持っ調教師を紹介したい。 上にわたって君臨し続けている藤澤和雄調教師である。当時は革命のだ 続いて、もう少し具体的に、「馬は鍛えても強くなることはない」 的でさえあった馬なり調教を貫き、広く認めさせた師は、次のよう こ五ロる。 という考えを実践している調教師を紹介したい。牝馬のウォッカで 日本ダ 1 ビ 1 を制し、シ 1 ザリオ、デルタ。フルース、ヴィクトワ 1 キリキリ ルビサで海外の—レースを勝つなど、驚くべき挑戦をしてかっ結 よくパドックの解説で「うっすらとア、ハラが浮いた、、、 ナという言葉を耳にするが、私に言わせれば、やりすぎ果を出し続ける、日本を代表するトレーナー角居勝彦調教師である。 の仕上に」 日に ( たっては、馬は鍛えても走らないというだけではなく、「馬 である。仮にそれでいつもより少しばかり速く走れたとしても という考えにまで至っている は鍛えなくてもよい」 ( 私は速く走れるとは思わないが ) 、そういう体で目一杯のレ 1 スを したら、馬はそのあと、どうなるのか。そんな競走生活を、二年 馬は、自分で強くなる。レースを使えば、本能的に 120 % の 三年と続けさせられる馬は、はたしてハッビーだろうかレ 1 ス 力を出し尽くし、その中から何かを学習して成長してゆく。また、 のときさえ速く走れれば、そのあとはどんな状態になってもよい レ 1 スで酷使した筋肉は、超回復の原理によって、いったん組織 という考え方には賛成できない が壊れても、適切な休養さえ取ってやれば、よりたくましくなっ ( 中略 ) て回復してくる。調教師は、それを我漫強く見守り、あせらずに たしかにレ 1 スに出走する馬は、体が出来上がっていなければ じっと待ちながら、その時点での彼らのベストパフォーマンスを ならないが、痩せていてはダメである。レースで勝ちつづけるに 鍛えなくてい 引き出すような、管理の工夫をしていればいい。 は、力強い馬体に、元気が満ちていなければならない。 ( 角居勝彦『勝利の競馬、仕事の極意』廣済堂出版 ) のである。 ( 藤澤和雄「競走馬私論』クレスト新社 ) それぞれの馬が持って生まれた能力というのは、調教師がつくり これぞまさに藤澤和雄調教師の調教論の本質である。藤澤和雄調 変えられるような甘いものではない。私にできるせめてものことは、 教師と、他の多くの調教師との間にある、たったひとつの大きな違 いかここにある。目一杯に仕上げてしまうか、そうでないか、の違彼らの能力をできる限り減らさないことくらいだろう。目先の勝ち 目一杯に仕上げてしまうことを、藤澤和雄調教師は「やりす負けにこだわって、馬に無理をさせるようなことはできないのだと いうわけである ぎ」とする。 その後のことを考えずに 10 0 % に仕上げてしまってはいけな、 肉体的にも精神的にもダメ 1 ジを受けた馬は、次第に走ることが嫌 になり、それを強いる人間に対しても反抗的になる。果たして、そ の馬の成績は尻すばみとなり、競走期間は短いものとなる もちろん、体が出来上かっていなければ競馬にならないので、 % 程度の仕上げでコンスタントに競走に臨ませることになる。肉体 的にも精神的にも、多少の余裕を持たせた状態で出走させるのであ る。馬に力があればそれでも勝てる。果たして、その馬の能力に相 和 競走馬私論 0 勝利の競馬、 仕事の極意 J R A 調教師 角居勝彦 調教のすべて ROUNDERS vol.l 123
し ' をい 4 ある。日本の中央競馬会で言えば、副理事長にまで私が知っていた企業をのスポンサー として連れてきたんです。その時の企業は、現 肌当たる。 > 0 に三十年以上勤務しているスー 在でも O のスポンサーなんですよ」 に、 O で働く前のことを聞いてみた。 法机けてスーはこ、つ五ロっこ。 「私は、もともと、中小企業のバックグランド 「私が一九七九年にに勤め始めた時には、 を持っているのです。学校を出て最初に勤めた ノ、フリシティ・オフィサーと、 のは、食器、陶器など、ホームウェア ( 家庭用アシスタント・ 品 ) を輸入する小規模な会社でした。この会社う肩書きでした。マーケティング部がまだなか ったからです。その頃は、自分が O のデビ で、私は様々なビジネススキルを学びました」 ュティ O C になるなんて思わなかったし、な O におけるスーの現在の仕事は多岐にわた る。初めて勤めた小さな会社で、何でもかんでりたいとも全く考えていませんでした。だって、 もやらなければならなかったことが、結局は良当時は男性優位の組織でしたからね。女性がキ ャリアを上るなんてこともありませんでしたよ。 い経験になり、役に立ったのだという 「あの頃、私の役割は、セールス & マーケティじゃあ、なぜなれたのかって ? それは、 my ングでしたけれど、同時に、会社の運営にも関 careerfoundme 彼女は、「キャリアが私を見つけた」のだと わらなければならなかったので、その会社で、 う一言い方をした。つまり、チャンスが私をつ アド、 , 、ニストレーションのことも学びました」 スーがに入った時、には所謂マかんたのだと。これは、かなり自信に溢れた表 ーケティング立ロとい、つものがなかったとい、つ 現である。 たから、この私が、 > O に、ビジネス的な「この仕事は自分にしかできない、たからする 考えを取り入れたのです」と彼女は胸を張ってんだと思ったのです。すんなり行ったかって ? 子 とんでもない色々ありましたね」とスーは笑 様語る。今でこそ、各競馬クラブにはマーケティ 場 馬 ング立口があり、マーケティング・マネージャー 、、記應をたどる様に語ってくれた「最初 の がいるけれど、私がオーストラリアの競馬に染仕事をすることに熱中していて、自分のキャリ 当 アのことなど考えもしませんでした。猪突猛進 ッまり始めた頃、つまり二十五年くらい前には、 ン そのような立場の職はなかったよ、つに記億する。に仕事をしていたので、ガッンとやられたこと 刈スーは言う。「に勤め始めた時に、それが何度もありましたよ」 ROUNDERS vol.l 053
この後すぐに悲劇は起こった。。 コールまであと三〇〇メートルという 地点で、脚元からポキッと鈍い音がして、キーストンは前のめりに崩れ 落ちた。山本は宙に放り出され、ターフに叩きつけられた。あっという 間の出来事であった。三本の脚で懸命に立っ馬とターフに横たわって動 かないジョッキー。馬運車と救急車が急いで現場に向かっていた。考え うる限り、最悪の光景が競馬ファンの前に広がっていた そこから先、予期せぬ出来事が私たちの目の前で起こったのだ。キー ストンは傷ついた一本の脚をプラブラと宙で揺らしながらも、少しずつ、 一歩一歩、山本のもとに近づいていったのだ。何度も転びそうになりな がらも、ようやく山本のもとにたどり 着いたキーストンは、彼の顔に自 分の鼻づらをこすりつけた。この時、キーストンが山本の様子を気づか っていることは、誰の目にも明らかであった。 山本は意識を取り戻した。そして立ち上がり、キーストンの顔を抱擁 した。競馬ファンは固唾を呑み、ひと言も発することができなかった。 一頭の馬と一人の騎手にその目は釘付けになった。ある者は一種の美し さのようなものを観て、ある者は馬や騎手を記号としてしか見ていなか った自分を恥じた。競馬は馬と人間が力を合わせて織り成すスポ 1 ツで あることを、改めて認識した者もいただろう。数分後には死を迎えるで あろうキーストンが、ハ ートナーである山本を救うために歩み寄った光 景を観て、多くの競馬ファンは競馬観さえ変わったに違いない キーストンは自発的に走ったのだ。山本がその手綱を通してキースト ンの信頼を得ようと努めた結果として、ふたりは出会ったのだ。逃げ馬 であったキーストンは、 : おびえる動物としての本能がより強かった のではないだろうか。たからこそ、信頼のおける人間のためには、己の 限界を超えても走らんとした。ク同志の契りクを結んだ人間が自分の背 中から放り出されてしまい、離れ離れになってしまった時、とっさにパ H ミミ戸 2 「す W ミ rts トナーの姿を探した。自らの運命など知る由もなく、ひたすらに歩 み寄って、こう話しかけた。 「ごめんね、放り出しちゃって。大丈夫か い ? ほら、また僕の背中に乗ってくれよ。君を信頼しているんだ」と きっとて、ると、一 = ロじているか、リ、馬を怖が、らない力、リ、モ ンティ・ロバーツ流ク同志の契リクは、誰にても成し遂げられる。 まず最初に、若馬を馴らすことについてあなたが持っている既 ただし、馬は恐ろ 存の知識や先入観をすべて捨ててもらいたい。 しいものではないと肌で知った経験や、安全かっ巧みに馬を乗リ こなす技術まで捨てる必要はない。馬は悪いことができない生き ものだと、いつも自分に言い聞かせておくことだ。馬がどのよう な行動をとるかは、おおむね、あなた自身が馬とどう向き合うか にかかってくる。 ( 中略 ) 馬は、非常に読み取リやすく、区別しやすく、伝えやすい言語 を持っている。この言語がすばらしいのは、通訳をまったく必要 としないところだ。地球上の馬たちは、すべてこのク馬語クによ って互いを理解し合っている。この地上で最も優秀な頭脳を持っ 人間が、意思の疎通をはかるときにしばしば通訳の助けを必要と するというのに、驚くべきことではないカ 生まれついてのものではないコミュニケーション方法を学ぶわ けだから、ク馬語クを習得しようと思ったら、それなリの努力は必 要だ。馬どうしの豊かなコミュニケーションの存在を信じない人 間なら、苦痛という手段で効率よく馬を調教しようとするかもし れない しかし、馬にコミュニケーション能力があると信じるな らば、馬をもし苦痛という手段で調教した場合、馬とのあいだに 敵対的な関係しか築けないのは理の当然だ。 ROUNDERS vo い 016
馬を調教することに対する考え方がこれほどまで変わってきてい サラ。フレッドもまったく同じだ。使うレースの距離に関係なく、 3 0 0 0 のレースたろうが 12 0 0 Éのレースたろうが、同じ ることにまず驚かされる。決してミホノブルポンがウォッカに比べ、 素質が劣っていたとは田 5 えない ミホノブルポンは戸山厩舎に入厩 である。トレセンでの調教は、稽古というより、心身の調整程度 に考えておいたほうが良いのたと田 5 う したときから凄い馬だったという説もある。それでも、故戸山為夫 調教師はミホノブルポンを鍛えることで、一方、角居勝彦調教師は ( 角居勝彦「勝利の競馬、仕事の極意」廣済堂出版 ) ウォッカを鍛えないことでダービー馬に育て上げたのた 角居勝彦調教師にとって初めての—レース制覇となったのは、 故戸山為夫調教師や白井寿昭調教師は調教で馬を鍛えることによ デルタブルースか勝った 2 0 0 4 年の菊花賞である。このレースに って走る能力が高くなると考え、藤澤和雄調教師や角居勝彦調教師 臨むにあたっての調教においても、角居勝彦調教師はデルタブルー はそうはならないと考えている。鍛えれば速く走られるようになる スを鍛えることはなかった。最終追い切りは、芝コ 1 スを馬なりで のであれば厳しい調教を課すだろうし、そうでなければ調教は心身 流したのみという極めて軽い調教であった。これから 3 0 0 0 と のコンディションを整える程度のものとするだろう。 フ過酷な距離のレースに挑もうという馬が、これだけの調教で息 私は後者の考えを支持したい。 もちろん、現代を代表するトップ か持つのかどうか心配する声も少なくはなかった。 , 従来の考え方で トレーナ 1 たちが実行して結果を出しているというのが何よりの証 あれば、長距離のレース前にはビッシリと追っておくのが常であっ拠だが、それ以上に、馬の走る能力はサラブレッドが厩舎に入って た。それでも角居勝彦調教師は勇気を持って鍛えなかったのだ くる時点ではほとんど決まっていると私も考えるからだ。 角居勝彦調教師の「それぞれの馬が持って生まれた能力というの 大丈夫さ、と私は信じていた。デルタブル ースはその菊花賞の は、調教師がつくり変えられるような甘いものではない」という一言 3 週前に、中山競馬場での九十九里特別を勝っていた葉は、まさにその通りだと思う。競走馬としてトレセンに入ってき 長距離レースの経験がある馬は、よほど長いプランクがない限り、 た時点で、調教師及びその関係者たちに出来ることといえば、その 実戦で一度息をつくってさえやれば、調教は軽くてもかまわない 馬が本来持っている能力を最大限に発揮できるよう、あらゆる手段 というより、レースに行ったときの息と調教でつくるはは違うの や方策を工夫してケアすることぐらいなのではないか。 で、どんなに厳しい調教を積んでもあまり意味はない、 とさ、ん一一一口 ただし、厳しい調教を課されて極限に仕上げられた馬が、己の能 えるたろ・フ 力の限界を超えて 12 。 % の力を出してしまうことも確かにある 悪影響の方が大きいかもしれない。サラブレッドの腱や関節は 目の前のレ 1 スに照準を絞り、考えうる限りの強い追い切りをかけ 消耗品だからである。大きな負荷をかけるのはレ 1 スだけでい られた馬が、あっと驚く激走をするところを幾度となく私は見てき 毎日のように長い距離を走らせれば馬は傷むものだし、大事な本ているのだ。だからこそ、私はこう考える。「サラブレッドは鍛え 番直前に強い追い切りをかけるのも、せつかく高まっている心身れば ( 少しばかりは ) 強くなるし、ギリギリに仕上げると ( 少しばか のテンションを台無しにする恐れがある りは ) 速く走ることかできる」と マラソンランナ 1 や野球の投手、ボクサーなど、人間のアスリ あくまでも ( 少しばかりは ) という括弧付きではあるが、その ( 少 ートに置き換えて考えてみてほしい。。 ヒークを本番に持ってい しばかり ) が勝負の行方を左右するのも事実である。サラブレッド ために、逆算して、激しいトレ 1 ニングを積むのは本番よりかな の競走は o ・ 1 秒を争うものであり、わずか鼻の差でレースの勝敗 り前に済ませて、直前には微調整くらいしかしないはずである。 か分かれてしまうことは少なくない相手よりも鼻の差だけでも前 ROUNDERS vo い 124
俺が気がついた時、マバの上にかぶさり、マバ く。同じ放牧地でも旨い草はいつも格が上のもの のたてがみをしつかりくわえた種牡馬の顔が目の 別離 が食べる仕来たりになっている。しかし、早く売 前に見える。彼の恍惚の境地にいたる眼には中心 れることと走ることは別である。その仔が活躍し 点がなく、マバをいだく前肢の先が終局を語るか俺が生まれて一カ月目、ポスの家の庭の桜が咲クラシック馬ともなれば、母親は優雅に一生を送 のように痙攣を起こし震えていた。 いた。いつもより丁寧に俺の体を顔なじみが手人ることができる。だから、いつまでも売れない仔 種付けは終った。ひどく疲れたようすのマバが、れしてくれるので、お祝いでもしてくれるのかとをかかえた母親でも仔に寄せる夢は捨てず、なか 「年をとると長くかかるものだ」 思ったら、朝早くから三人の客である。馬買いのには身。こもる体を揺さぶりながらも仔と共に走り、 種牡馬を見ながらつぶやき、そしてはにかむよ人たちで、このあたりではみかけない仕立てのよ教え、たくましい筋肉を持っ仔に育てる努力を続 うな顔で俺を見た。 い背広を着こなしている。三人のうち二人までをける母親がいる。マバもやはりそんな母親の一頭 ポスは先生と呼び、先生と呼ばれた二人はいまひに違いない。 次の朝、俺はエプリルと会うのが楽しみだった。 とりを社長と呼んでいる。 惨めなのは仔を産まない牝馬である。仲間から 初めてトラックに乗り、初めて見た種付けをどの ポスの命令で俺とカウントとエプリルが広場には空き腹馬と軽蔑されるし、牧場でも雑草まがい ようにしてエプリルに話して聞かせようとそれば並ばされた。しかし、俺たち三頭が平等に眺めらの草しかはえていない場所しか与えられない。そ かりを考えていたが、肝心のエプリルは、やはり れたのではない。どうやら目的はカウントにあるれでも、また種付け時期が来ると栄養剤やホルモ マバのお供をして今朝早く出かけて行っていなかようで、彼だけが何枚も写真をとられ、これでカンが注射され種付けに行くのだが、二年目も不受 っこ。 ウントを見るのが三回目だという先生から皮膚を胎ときまると農家にあずけられたり山放牧をやら ていり 意気込みが強かっただけに拍子抜けしてしまっ つままれ、しつぼを持ち上げられ、蹄裏を見られ、される馬が出る。 た。と言って、カウントやスキートに話す気にも歩かされたり走らされたりしている。 山放牧というのは不妊馬をいったん原始生活に なれずその日は退屈まぎれにマバの真似をして牧先生と言われるだけあってその観察も鋭いよう返らせ、人間が加えたもろもろの病毒を自然のな 草の新芽をかじってみた。 だが、社長は俺たちを見る眼がないのか先生と呼かで解消させる体質改善の方法で、血統の良い馬 いたずら半分でかじったのであるが、ほろ苦いばれる調教師が点検するようすを眺め、ポスが説ほどなんとか受胎させようとの考えからこれをや 香りがロのなかに広がり、お乳とはまた違った甘明する舶来馬の能書きに笑顔で相鎚を打つだけで、らされる。 さがある。俺はひとロ食べてそのとりこになって 〈カウントとは伯爵のことだね〉 人間が作った最高の芸術品にサラブレッドがあ しまった。 と、ちょっぴり学のある聞き方をしたに過ぎなると自負するだけあって、本来野生の俺たち馬族 その日は、飛びまわって退屈すると新芽をかじい。結局、俺とエプリルはカウントを引き立たすだが、人の手助けのない山放牧は喜びよりも数倍 る。草の中にはいろいろな虫もいて、驚かされも脇役に過ぎなかったのか、満足に見てもくれずにも苦しみのほうが多いという。 したがタ方には結構新芽の汁で腹は満たされてい馬見せは終った。 紅葉の季節は、まだところどころに群生する牧 た。今まではマバのお乳をしゃぶるだけであった 馬の社会にもプライドがある。特に、早く売れ草や笹の葉を、時には兎と一緒に腹いつばい食べ から、何かこどもから急に大人に脱皮したようなる馬ほど優秀とされ、仔自慢が話の種になるマバ る楽しみもあるが、雪がくると牧草は姿を消し笹 気分になり、いい気持である。 仲間では、仔が売れていく順に格付けがされていだけが頼りになる。雪の深い日には仮住居の掘立 ROUNDERS vol.l 094
兢馬場の 退憶 ちょっと記憶を遡ってみよう。シスタートウショウに ついてとりわけ印象深いのは、勝った桜花賞よりもむし ろ、逃げ馬イソノループルを文字通りの直線一気の脚で 追い詰め二着におわったオークスである。ウォッカはま さに東京競馬場適性が抜群で、策十角居師は途中からそ れを察知し、海外以外では東京でしか出走させなくなっ てしまったほどだ。この東京での立ち回りの自在性や確 実に突っこんでくる脚は、私にはシスタートウショウの 何かが乗り移っているのではないかとさえおもえる。そ れに対してスカーレット、フーケは、ノーサンテーストの 佳作らしい秀才淑女型で、きっちり上位にはくるのだが、 驚くべき脚なり、瞬時の力なりを発揮することはなかっ た。ダイワスカーレットは、むしろ安藤勝己が徹底した 逃げ馬に育てあげることによって、スカーレットプーケ がもっノーサンテースト系の堅実さに、逃がすという、 受動的にみえてきわめて能動的なスタンスを組みこみ、 それらを一種の破壊性に変容させていった産物ではない のか。 さて、レース当日 。いかにも秋晴れの府中のターフの 決戦では、直接対決ではダイワスカーレットに分がある にもかかわらず、一番人気はウォッカの方であった。ウ オッカの東京竸馬場適性はすでに誰にもわかっていた 前走の毎日王冠は、負けはしたものの、たたき台として は完璧だ。対してダイワスカーレットは休み明け。その うえ左回りは二回目で初の東京競馬場。このあまりに長 い本格派の直線が逃げ馬にとって有利であるわけではな 果たして府中のこれだけの直線にダイワスカーレッ @Photostud
競馬場の 追憶 ~ 囀 龕 & 1 「第一三八回 竸馬は記憶のゲームである。そして記憶は競馬場にし く逆に客観性を追い、血統論の整備、公正なレーティ 、刀オし ターフのうえにしかない。 これは私の持論では ング値の算出を強く提唱した。その意味で、山野のレー ある。だが竸馬場にしかない記憶そのものは、語られる ス総括的文章は、あくまでも競馬を非主観的に記述する ということによってのみ伝承されうることも確かである。「正史」の可能性にとって、決定的な役割を果たしてい 日本には見事な竸馬史の蓄積がある。寺山修司の『競るといえる ( とはいえ、「週刊竸馬ブック」に毎年春秋に掲載さ 馬場で逢おう』、塩崎利雄『止まり木プルース』はそのれるその連載は、むしろ客観性のなかに山野の主観的な想いこみ 典型的な例である。だがそれらは、予想という形態と、 が滲みでていて、そこにこそ読ませるものがある ) 。 想像上の人物の飲み屋の会話等からなりたっている、 このような豊穣な歴史記述の狭間で、しかし平成の日 わば前倒しの歴史、少なくとも主観的にみせて描かれた 本競馬を語る語り口はまだ確立されていないとおもう。 歴史である。また近代日本競馬評論の第一人者でありつだが、一九八九年以降の ( まさにオグリキャップ以後の ) ポ づけ、すでに歴史的権威となっている山野浩一は、まっ スト近代競馬は、バブル期の恩恵による馬場や情報シス ROUNDERS い 0
たがどう考えても、クラシック馬と下級条件馬とか同タイムであることは考えられない それでは、何がかくもスビード改革の原因になったのか。私はそれを、馬自身が野性の掟、身を守可。かカ′、 , る本能をも忘れて人間に頼り、すべての知能を走ることに結集しているからだと思いたい。 スピード改革の原因に 文化とは理想を実現していく過程とすれば、馬自身は野性を捨て、人に喜ばれるように著しくタイ なったのか。私はそれを、 ムの更新を重ねてきた。それによって人間社会に生存の意義を認めさせてきたのであり、これからも 馬自身が野性の掟、 より一層人間化していくのではないだろうか 身を守る本能をも 。リに馬が調子を崩している訳でなく、明ら , ) こ十五年ほどの間に何度かぶつかっている例がある男 忘れて人間に頼り、 かに能力の壁に付きあたり、もう地方競馬へでも売るしか方法がないと思い、馬主と相談のうえこの すべての知能を 一走でと決心を定める。すると、その最後の一走にびつくりするようなタイムで勝ってしまう。だか 走ることに結集して らといって、最近成績の良くない馬に、売る気もないのに「次のレースに走らなければ、売ってしま いるからたと思いたい。 うぞ」と厩務員に言わせても効果はないのだ現在管理しているモトフウキも、本気で売る話を進め た馬であり、あと一走から一一千万の賞金を稼いだ 文字のない馬の社会で、永い間馬と共にいても馬がコ、くュニケーションしていると考えられるよう なおしゃべりをしているのは見たことかない。しかし、馬に備っているテレバシーというべきもので 対話をしているのかもしれない。そうでないと解釈のつかない馬同士の好き嫌いや、対抗意識が醸成 される根拠の説明がっかない。あるいは、長い間に人間の話す言葉をある程度まで個々の馬が理解す るよ , つになったのかもしれない ドトウに一言 単行本にするにあたって、多少加筆した。ドトウになりきって私は書いたつもりだが、、 わせればみ違う、違うよッという部分もあるだろう。しかし、彼が人間を信じ、頼りにして走ったこ とは事実なのだ。その信頼に私はどう応えればいいのかわからないか、読者に少しでも馬の心を理解 ( 一九七七年七月一日 ) していただければ幸せである。 e 馬はどんな夢を見ているのだろう 『走れドトウ』「あとがき」よら 橋田俊三はしたしはんそう 昭和 C2 年に騎手としてテヒュー戦後、騎十をそして 調教師の道を歩み、公子タイテエムなと、幾多の名 馬を世に出した。現在、中中 ( 競馬て活蹴中の嬌田満調 教師の父てもある。 ROUNDERS vol.l 021
確に把握した。子馬は群れからニ、三百メートル離れた処罰の場 所て意気消沈のポーズを取リながら、戻っていくことが許可され るかどうかを、女家長の身構えから推し量っていた。 彼女が真正面に構えていたら、まだ許されていない。体の側面 を見せているのなら、子馬は、集団の中に入るよう促されている のてはないかと考え始める。この許しの行為の前に、女家長は、 子馬から悔悛のサインが送られるのを待つ。子馬が送った一連の 許しを求める信号を基礎として、私はその後、自分の調教法を形 作っていった。 子馬が、孤立した場所で、鼻先を地面に近づけてうろうろして いるのなら、それは、 ふたたひ女家長のそばに戻れるよう交渉を リ、こ、つ宀一口っているのた。 するきっかけを求めている。つま 「あなたに従います。言いつけを守ります」 子馬が相手に体の側面を見せているのなら、それは自分の無防 備な部分をさらすことで、許してほしいと頼んているのだ。 視線を合わせること、すなわちアイ・コンタクトも、大きな意 味を持つ。子馬を群れの外に置いているとき、女家長は、常に子 馬の目をまっすぐに見つめていた。ときにはそれが息詰まるほど 長く続いた。その目がわずかにそれることがあれば、子馬は、群 れも戻れる可能性があると知る。 馬たちが、アイ・コンタクトに対してとリわけ鋭敏に反応する ことに、私は気づき始めた。群れにとって私が見慣れた存在にな ってからでさえ、馬たちは、私が彼らの体のどの部分を見ている かによって、移動の方向と歩調を変えたーかなリの距離を置いて 、ると、てもだ。 追放処分を受けて、群れから速歩で出ていく雄の子馬は、鼻先 を前方に向かって、円軌道を描くように突き出す動作を繰リ返す。 ( 中硲 ) 雄の子馬が口をくちゃくちや動かすしぐさは、している ことを示す信号だった。こう言っているのだ。「ねえ、ぼくは草食 動物ですよ。あなたを襲ったリしません。ここて食事をしていま 人間のように言語を操ることのできない馬は、姿勢と移動の方向で意 志を伝え合う。たとえば、相手に背骨という体の長い軸を見せると相手 に心を許したサインとなり、正面からの短い軸を見せると相手に敵対心 を持っていることを意味する。相手の目を真っ直ぐに見つめることで攻 撃性を、鼻先を地面に近づけたり、ロをくちゃくちゃと動かす仕草で服 従を示す。また、近づいてみたり、離れてみたりと、相手との距離で親 密さを表現することもある。このように、彼らの全ての行動にはなんら かのメッセージが含まれているのだ 馬の群れの行動を観察しているうちに、モンティ・ロバーツはあるひ とつのことを発見した。群れから追い払われた馬は、必ず再び群れに戻 ってくる。本能として戻りたくなるのだ。馬は重圧を押し返そうとする 動物なのである。たとえば、馬の肩や横腹に一本の指を当てて、押して みると、馬は体を引いたりはせずに、体重を預けるかのように体で指を 押し返してくる。追えば戻ってきて、押せば押し返してくる。この馬特 有の習性を、モンティ・ロバーツはク前進と後退クと名づけた ク前進と後退は馬がクおびえる動物クであることに起因している。動 物に」十 6 み : おびえる動物とク闘う動物クがいて、馬は間違いなく前者で あり、人間は後者である。馬はクおびえる動物であるからこそ、他者 からの攻撃に対して敏感に反応して、まずは逃げる。しかし、その後に、 自分よりも優位の存在に対して、まるで許しを請うかのように近づいて 馬は人のために走る モンティ・ロハーツが教えてくれたこと ROUNDERS vol.l 013