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検索対象: アメリカの鏡・日本
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1. アメリカの鏡・日本

完全版刊行にあたって : ・ 第一章爆撃機から見たアメリカの政策・ : 1 フラツンユヾック 2 島伝いの旅 3 ヒッカム基地 0 、 1 ー - 、レ、 5 ジョンストン島 6 戦争犯罪とは何かれ 第二章懲罰と拘束 : ・ 1 なぜ日本を占領するか新 2 攻撃と反攻 9 第三章世界的脅威の正体・ : 目次 40 33 101 7 クワジャリン環礁 8 罪なき傍観者 9 グアム 川誰のための戦略地域か Ⅱ戦略的占領 アメリカの墜落 ・ : 白子英城

2. アメリカの鏡・日本

1 フラツンユヾック 午前十時十五分、グアムを飛び立った陸軍の飛行機は一路、日本を目指していた。サン フランシスコー厚木間の最後の飛行であった。飛行機は微動だにしない。まるで空と海の 間にバランスよく吊り下げられているみたいである。時速四〇〇キロのスピードで飛んで いるのだが、外を見ないかぎり、速度のことなんて考えもしない。雲がなければ、まるで 海を見下ろす山の上に座っているようだ。恐ろしいほど何も感じない。 自分では理解できない力を、それと気づかずにつかっているのは特権だが、これには大 きな危険がっきまとっている。私たちの命は、航路を決め、飛行機を動かす人、飛行コー スを正常に維持し、エンジンを制御することを職業とする人の指導力に委ねられているわ けだ。乗客は、ひとたび飛行機に乗りこんだが最後、自分の意思でコースを変えることも、 自分自身を助けることもできない。パ イロットと乗員、そして目的地を選び、コースを決 めた人間に全面的に従うしかない。 もし彼らが失敗すれば、私たちも一緒に墜落するので ある。 飛行機は占領軍関係の仕事に従事するアメリカ人を乗せて、日本に向かっていた。よく

3. アメリカの鏡・日本

差別に目クジラを立てない「女」たちは別に文句をいわなかった。 私たちはひと泳ぎしたあと、観光客がよくやる「現地の村」の見学に出かけた。しかし、 一時間以上もあっちへ行き、こっちへ行きしたあげく、半分爆撃されてどろどろになった 椰子林の中に、「合衆国陸軍住宅計画 1944 」という物々しい大看板で権威づけされた 茅ぶき小屋のこぎれいな居住区を見つけたにすぎない。 結局、私たちがこの島で見たものといえば、巨大な陸軍施設だけだった。行きと帰りに、 何キロもつづく囲いに沿って走った。囲いの中では、ジープ、戦車、大きな燃料容器、そ の他もろもろの武器や軍用資材が、廃棄処分になるのを待っているようであった。それか ら真新しい道路に出た。道路は新しくつくられた港を取り巻く珊瑚礁の上を走っていた。 恐ろしい格好の機械が動いていた。私たちは車を止めて、鉄製マンモスのような機械が、 山の側壁を食いちぎっては海に投げ込むのを眺めた。 もちろん、グアムには現地住民がいる。しかし、次の目的地、日本に向かって離陸した 飛行機から見下ろしても、延々と広がる美しい林に遮られて、どこに村があるのか見分け ることができなかった。

4. アメリカの鏡・日本

114 機を失った。一九四五年三月一日、日本軍は本土以外の地上軍には補給物資を送らない ことを決定した。引き延ばし作戦は別にして、日本は本土防衛に全力を傾注せざるをえ ない状態であった。 同報告はさらに、一九四五年三月段階での日本の危機的状況を次のように概括している。 : 日本本土に対する直接的な大規模爆撃までに、日本空軍はカミカゼ攻撃隊だけに なっていた。艦隊は沈められるか、無力化されていた。輸送船団の多くが失われ、地上 軍の大半が孤立していた。そして経済は窒息し始めていた〔注〕。 海軍は四月までに、日本の主要都市の「海峡と港湾に機雷を敷設する大規模計画」を作 成していた。まさに全面封鎖だった。日本の侵略的戦争機関は完全に無力化された。 三月の東京爆撃以後、米軍は日本軍相手ではなく、主に一般市民を相手に戦争をしてい た。ニューヨーク・タイムズの軍事専門記者、・・ローレンスは一九四五年八月十四 日、グアム発の記事の中で、三月九日 ( 日本時間、十日未明 ) の東京爆撃はわれわれの戦 争の新局面であり、「大きな賭け」というべきものだ、と書いている。 ローレンス記者は「ルメイ将軍は先例のない低空まで飛行機を送り込もうとしていた : : これは危険な作戦であり、ドイツ相手なら自殺行為だ。アメリカ人の心情からしても、

5. アメリカの鏡・日本

軍が緒戦に勝った理由を十分に分析しないで、日本の兵士の勇猛さとか指導部の野望に結 びつけた。だから、いまでも、日本軍はあと一センチでアメリカを「征服」し、「ホワイ ハウスで講和を結ぶ」ところまできていたと信じているアメリカ人が少なくない。 日本人の勇猛さに対する恐怖は、ほとんど根拠のないものだったが、誇張されたプロバ ガンダがそれを覆い隠してしまった。日本の戦争機関は一度も「アメリカの安全を脅かし た」ことはなかったのだ。日本が実際にやったことといえば、私たちの海岸線から三七〇 〇キロも離れた軍港にいる艦船を爆撃したことである。彼らが私たちの大陸に最も近づい たのは、三〇〇〇キロ離れたアリューシャン列島の島を二つ占領したときである。それも 攻撃の先鋒としてではなく、アメリカの攻撃を遅らせるための自衛手段だった。 日本が最もファナティックだった時期の最もファナティックな日本人でも、アメリカを 体 ハウスで講和を結 正「征服」できるなどとは考えていなかった。山本提督が「ホワイト・ 威ぶ、といったことが徹底して宣伝され、この発言はいまやアメリカ人にとって消しがたい この言葉はむしろ、 的神話の一部となっているが、彼はけっしてそう豪語したのではない。 界一一口 世アメリカとの間で問題をこじらせると、日本にとって非常にむずかしいことになるという 章 警告だったのだ。彼がその中で「豪語」したという手紙は、占領後に日本で見つかった。 第 その内容はこうである。 もし日本とアメリカの間で戦争が起きれば、グアム、フィリピンを取るだけでは十分 せんぼう

6. アメリカの鏡・日本

: また、昨日、日本はマレーに対する攻撃を開始した。昨夜、日本軍は香港・ グアム : ・・ : フィリピン諸島 : : : ウェークを攻撃した。 : : : 本朝、日本軍はミッドウェー : この計画的侵略を打ち破るまでに、どれだけ長くかかろうとも、正義 を攻撃した。 : このような : われわれは・ に立つアメリカ国民は完全勝利まで戦い抜くであろう。 許しがたい行為が再びわれわれを危険にさらすことを許さないだろう。 対日宣戦布告を議会に要請したフランクリン・・ルーズベルトのメッセージ、 一九四一年十一一月八日 東洋支配のあくなき野望の実現に狂奔する米英は、重慶政権を支援しつつ、東アジア の動乱をいよいよ悪化させてきた。米英両国は他の国々に追随を唆し、われわれに挑戦 すべく、わが帝国周辺において軍事力を増強した。彼らはあらゆる手段を用いて、わが 束平和通商を妨害し、ついには経済関係断絶の挙に出るにいたった。これはわが帝国の存 拘 と 立を根底から脅かすものである。かくのごとき情勢にいたれば、わが帝国は実にその存 懲立と自衛のために、武力に訴え、その行く手に立ちはだかる障害を打破するほかに取る 章べき道はないのである。 第 米英両国に対する宣戦の詔書、一九四一年十一一月八日 私たちが罰する日本の犯罪とは何か。簡単にいえば、私たちの告発理由は「殺人、であ そそのか

7. アメリカの鏡・日本

116 紙と木でできた日本独特の建造物が焼夷弾の火つけ木の役割を果たし、そのために日本 の全都市で多くの人命と財産が失われていった。横浜爆撃を伝えた特派員は「高級住宅地 は現代的建築だったから、いくぶんは火の回りは遅かったが、一般の住宅地は昔ながらの 木と紙の家屋だった」とコメントしている。 八月一二日、グアムから記事を送った・・ローレンスは、こうした現状に疑問を呈し ている。同記者は、陸海空三軍の間に対抗意識がなければ、もっと手ひどく、もっと早く 日本を倒すことができるだろうに、と首をかしげるのだ。 ノルゼー提督が率いる艦隊 : 信じられないような一カ月だった。ウィリアム・ LL ・ これたけの機動力が一カ所に集められたのは太平洋戦史上初めてという最強の艦隊が、 ゅうよく : 一連の出撃で日本 七月初めから日本列島沿岸を遊弋し、艦載機を発進させている。 海軍は無に帰し、敵は戦闘機数百機を失った。ときおり戦艦、巡洋艦、駆逐艦を十分接 近させて、工場施設に艦砲射撃を加えている。その間、この大艦隊は : : : 「大攻勢」の 名に値する反撃を受けることがなかった。われわれにすれば、撃墜すべき敵の機影が空 中にあまりにも少なすぎるのが悲劇だった。 この期間、マリアナを基地とする cn 四も大活躍していた。われわれは、爆撃する都市 を事前に予告して出撃するところまできている。それでも予期したほどに反撃が強まる わけでもなく、予告どおり出撃し爆撃できた。七月の一カ月間だけで、当地から出撃し

8. アメリカの鏡・日本

に変わったと確信したのだった。ところが、私たちが委任統治領の「拠点」を一つひとっ バー以後に占し おとしていく過程でわかったのだが、これらの拠点は日本カノー てつくった基地ほど強固には防衛されていなかったし、要塞化されていなかった。アメリ 力も日本もこの点に関しては、過剰に相手を疑っていた。グアムと日本の委任統治領での 経験が教えるのは、本国から遠く離れた「拠点」というものは、「安全」を保証するどこ ろか、むしろ敵意と疑いを増幅させるものでしかないということである。 今日、日本の委任統治領は、住民が望んだわけでもない戦争の巡り合わせで、アメリカ の軍政下に入 0 ている。マリアナ諸島の他の島、カロリン諸島、その他太平洋の無数の島 の カ も、米軍に完全支配されることになった。いずれも戦火に焼き尽くされた島々である。こ の地域の「戦略的重要性」が増すにつれ、島の将来は暗くなっていく。島民はいてもいな たくてもいい存在だが、ときには邪魔になるだろう。一九四五年、この地域の島を訪れたア らメリカの人類学者、ジョン・エンブリーは、島の変わり方を次のように報告している〔注 撃 爆 章 日本人が去り、アメリカ人が取って代わった。 ・一一十年間にわたって日本の教育を 第受けてきた彼は、ある日突然、日本語と日本円が、英語と米ドルの前に価値を失ったこ : 日本人と朝鮮人 ( 島で生ま とに気づく : : : 日本語はもはや政策決定の一一 = ロ葉ではない : れ、現地人と結婚した日本人まで ) が一人残らすいなくなり、経済活動に空白ができた。