5 飢える自由 ここにおける経済戦争は、銃弾が飛び交っていたときより激烈である。いかなる武器 も、たとえ原子爆弾でも、経済戦争の結末ほど恐ろしい効果は発揮しえない。原爆は数 ・この国が戦争を始めた一つの理由は 万を殺すが、飢餓は数百万を殺すのである。 : いまや、われわれの問題 : この国が資源を得ようとして手を伸ばしたことである。 は、日本をどうやって支えるかである。 マッカーサー将軍、一九四七年三月十七日 日本の戦後問題を扱う極東委員会が決定した政策は現代史の偉大な記録となるべきも のである。 ・ : それは : : : 健全で中庸の道 : : : 低水準ながら生存できる可能性 : : : を明 示している。 マッカーサー将軍、一九四七年七月十三日 戦後の対日政策は、戦前の状況と事件に即して、考えなければならない。日本人を「平
有罪か、無罪か 質 資 の 日本と日本国民の罪と罰という問題は単純ではない。確かに、日華事変の記録を普通に 酩読めば、日本の指導部と軍隊の行為すべてが犯罪であるということができる。彼らの重大 教な犯罪には「情状酌量」の余地がない。彼らは残虐にも非戦闘員を爆撃した。彼らは他人 の財産を略奪し破壊した。彼らは何百万の民衆に怖るべき惨禍をもたらした恐怖の戦争の 第 遂行者である。 しかし、日本が実際に「人道に対する罪」を犯したとしても、私たちが日本国民を懲罰 するのは果たして正義だろうか。また、現在行なっている懲罰が将来起きるかもしれない 琉球はわれわれの当然の境界線である、とマッカーサー最高司令官は語った。さらに、 沖縄人は日本人ではなく、日本は戦争放棄を誓ったのだから、合衆国が沖縄を領有する ことに反対する日本人はいないだろう、と述べた。 ハシフィック・スターズ・アンド・ストライプス掲載のマッカーサー将軍との会 見記事、一九四七年六月一一十九日
166 近い国を見出すのだ。マッカーサー司令部の経済統制委員長、レイモンド・ o ・クレーマ ー大佐は一九四五年九月、その状況を「日本産業の問題は、いかにしてこれを再始動させ るかである」と表現した。 それならば、なぜ、と間いかけたい。日本は完全に無防備であり、文字どおり一隻の軍 艦、一機の戦闘機、いかなる種類の飛行機ももっていないのだ。武装解除され、非武装化 され、産業は戦前のほぼ三分の一にまで縮小され、国民は日常の食べ物に事欠き飢餓状態 にあるというのに、どうしてこの国を軍事占領しつづける必要があるのか ? 占領は日本が「再びそれを試みる」ことがなくなる保証として必要であったし、これか らも必要である、というのが公式説明だ。 「 : : : 戦争願望を形成してきた現在の経済・社会制度が変えられ、戦争願望が存続しなく なるまで : : : 」〔注幻〕占領は継続しなければならないという。 ここで表明されているのは、一方でマッカーサー将軍がのちに「経済的扼殺」〔注 と呼ぶ管理体制であり、一方では国民を「民主化」する政策である。おとなしくいえば、 相矛盾する二つの原則を基盤にする政策。歯に衣を着せずにいえば、こちらを目指すとい いながら、あちらに向かうがごとき政策である。 注 1 New 斗ミ January 25.1945.
めて悪質な歪曲である。しかし、日本に最初の勝利をもたらしたのは、実にこのプロバガ ンダだったのだ。これから、何千万のアジア人はこうした歴史的経過に照らして、アメリ 力の戦後計画をみきわめていくだろう。山下裁判が始まった直後の一九四五年十月、ニュ ーヨーク・タイムズの社説は「山下司令官のような階級にある軍人が、部下が犯した残虐 行為の責任を問われた例はいまだかってない」と次のように論評している。 これは、一国の将官たちの前で開かれる純粋な軍法会議である。したがって判決の是 策非を審理するのは軍当局でしかない。だとすれば、その判例は、仮に判例たりえたとし の カ ても、連合国が一一ユールンベルクで打ち出そうとしているものほどには重要ではない。 しかしながら、日本人に西洋の考え方を改めて教えこむためには、意味のある判決でな ア ければならない。 見 ら 機 ニューヨーク・タイムズの山下裁判の位置づけは、結果的には間違っていた。というの は、判決は米最高裁で審理されたからである。しかし、日本人を再教育するための判決と 章いう後段の記述は、社説の筆者が考えたほど正しくなかったともいえるし、それ以上に正 第しかったともいえる。正しくなかったというのは、マッカーサー将軍は、山下判決を確定 するにあたって、日本の新聞に対しては厳重な報道管制を敷き、判決の詳細を報道するこ とを禁じたからである。つまり、マッカーサー将軍は、「西洋の考え方 , を示すことが日
完全版刊行にあたって 占領が終わらなければ、日本人は、この本を日本語で読むことはできない。 ダグラス・マッカーサー ( ラベル・トンプソン宛、一九四九年八月六日付書簡 ) この本の原著 MirrorforAmericans:JAPAN がアメリカで出版されたのは、日本の敗 戦後三年目、一九四八年 ( 昭和二十三年 ) であった。その年、翻訳家・原百代氏はヘレ ン・ミアーズより原著の寄贈を受け日本での翻訳出版の許可を得た。 原氏は、連合国軍最高司令官総司令部 (c c) に嘆願書を添えて日本に於ける翻訳出 版の許可を求めた。しかし、その望みは断たれた。翻訳出版不許可の決定が下されたのだ。 て マッカーサーは右の書簡の中で、「私はいかなる形の検閲や表現の自由の制限も憎んで たいるから、自分でこの本を精読したが、本書はプロバガンダであり、公共の安全を脅かす ものであって、占領国日本における同著の出版は、絶対に正当化しえない」と述べている。 行 刊 による検閲の影響が続いていたとは言え、出版不許可は当然の決定であったと推 版 完測できる。そして占領が終了した翌年の一九五三年 ( 昭和二十八年 ) 、原氏の翻訳は『ア メリカの反省』と題してやっと出版されたのであった。しかし、当時はなにゆえかあまり こく限られた専門家以外には、その存在すら忘れられていた。 注目されず、その後は、
ーー同、一九四七年一一月一一十三日 私たちの占領は、どう見ても日本の軍事力に対する防衛的軍事行動とはいえない。もし 対日戦争の目的が日本の戦争機関、軍事生産、軍事生産能力を破壊し、その台頭を許した 国民を罰することであったなら、占領は必要なかった。なぜなら、私たちが日本に上陸す る前に、その目的は達成されていたからだ。戦争それ自体の結果として、日本は三度と 侵略戦争ができない状態に置かれていた」。 軍事的にいえば、占領は単に警察官の役割を果たしているにすぎない。日本軍の武装解 除と残存する軍事装備、貯蔵物資の解体を監視するだけのことなのだ。この仕事は二カ月 で終わった。一九四五年十月十六日、マッカーサー将軍は「史上これほど迅速かっ円滑に 体 正武装解除が行なわれた例を私は知らない」と語っている。 威武装解除が迅速に完了したのは、恐らく解体すべき戦争機関がほとんど残っていなかっ 的たからだろう。そこでマッカーサー将軍は、日本軍の完全武装解除を宣言するとともに、 世日本帝国の臨終を宣言するのだ。 章「日本人には、海軍、空軍を問わず、軍事的なもののすべてが禁じられる。これによって、 第 日本の軍事的能力、国際問題に対する軍事的影響力は消滅する。日本は大きかろうが小さ 簡かろうが、もはや国家とはみなされない」 占領後日本に来たアメリカ人は、文字どおり完全無防備な国、産業と経済が完全停止に
361 第八章第五の自由 と語った。 のを事前に阻止するために、日本の繊維を世界市場から締め出さねばならない、 プランツ会長のこの見解は同協会の年次総会で述べられたものである。同会長は、日本の 輸出は近接地域に限定されるべきであり、また日本の貿易代理機関は南米、アフリカ、フ ィリピン、中東、その他日本が現地政治紛争を利用して民主主義戦勝国に対する反感をあ おる危険性のあるすべての地域に入れるべきではないと警告した」 ( ~ ミ T ぎ May 10, 1945. ) 。 川 New 斗 Times, New 斗 HeraId T ぎミなどの新聞には日本経済の危機的状況を伝える 生々しい記事がたくさん載っているが、雑誌は全般的にアメリカの「民主化政策に焦点 ひつばく を絞った記事ばかりである。しかも、逼迫した状況に関する記事の見出しは、書かれてい る事実をねじ曲げていることが少なくない。たとえば、東京発電を掲載した一九四六 年十月二十二日付 ~ ミ Times の見出しは「遅れる日本政府の教師追放。マッカーサ ー報告、連合国の行動促進を示唆。経済は上向き」となっているが、記事自体は「下向 き」であると伝えている。「八月の連合国占領概要に関するマッカーサー報告によれば、 生活経費から死亡率にいたる大部分の面で全体的に数字が上がっている。 : : : 賃金は上昇 したが、生活経費と日用品価格はものによっては二〇〇ないし七〇〇パーセント上昇した。 国債は二千二百億円に達し、通貨発行高は五十億円を超えた。生産状況は改善されている にもかかわらす、厚生省に対する占領軍司令部報告によれば、失業者数は本年末までに六 : 『食糧不足地域の 百八十万にのぼる見込みだという。 : 食糧備蓄はさらに減った。
明を改革すると宣言した。しかし、私たちが改革しようとしている日本は、私たちが最初 の教育と改革でつくり出した日本なのだ。 近代日本は西洋文明を映す鏡を掲げて、アジアの国際関係に登場してきた。私たちは日 本人の「本性に根ざす伝統的軍国主義」を告発した。しかし、告発はブーメランなのだ。 日本の伝統的な発展パターンは、十九世紀半ば、アメリカを含む西洋列強の侵人と、ダイ ナミックな欧米文化の外圧的導人によって壊され、二つの異種文明が混合する日本が出現 した。伝統的社会は庶民の日常に根強く残っていたが、その社会を支配するのは、西洋か ら学んだ生産、貿易、政治、外交、戦争の技術をつかうまったく新しい社会階級だった。 一八五三年、ペリーが軍艦を引き連れてやってきた。二世紀半のあいだ、平和な殻の中 で独自の社会をつくってきた人々は、その異様な船に怖れおののき、国際関係の流れに引 きずりこまれていった。。 ヘリーからマッカーサーまで一世紀足らすの間に、日本は農業、 性 略手工業を中心とする交換経済から、産業、貿易中心の資本主義経済に移行した。そして、 魅半独立の藩からなる緩やかな連合体は高度に中央集権化された国家に変わり、孤立主義を 伝 守る小さな島は軍国主義的、帝国主義的大国に変貌した。 章 タイナミックな西洋文明を表わ 七隻の軍艦を率いて日本の門戸を開いたペリー提督は : 四 第 していた。その物カと機械力は一八五三年の日本が及ぶところではなかったが、一九四五 年も同じである。マッカーサー将軍が「未曾有の陸海空大兵団」を引き連れてきて、今度 は日本の門戸を閉ざした。
4 銃もバターも 。「日本の戦闘能力を消滅させるためなら、喜んで アメリカ人はみんな思っている : すべてをなげうつだろう : : : 」。 ハリー・ホプキンス、アメリカン・マガジン、一九四四年一月 全面戦争では、軍服を着ていようが、作業服あるいは白いシャツを着ていようが、わ れわれすべてが兵士なのである。 フランクリン・・ルーズベルト、一九四三年一月 すでに政策目標の基本的で最も重要な事項の大部分、すなわち武装解除と非武装化は 完璧に達成された。日本は外部から制御しなくても、今後百年間、近代戦に備えるよう な再軍備はできないだろう。 ダグラス・マッカーサー将軍、一九四七年七月十一ニ日
三大連合国は日本の侵略を抑え込み懲罰するために、この戦争を戦っているのである。 しようかいせき フランクリン・・ルーズベルト、ウインストン・チャーチル、蒋介石、カイロ、 一九四三年十一一月一日 われわれの条件は次のとおりである。われわれはこの条件から一歩たりとも外れるも のではない。これ以外に選択はない。われわれは一刻の遅滞も許さない : : : もし日本が これに従わなければ、即時かっ完全な壊滅しかない。 アメリカ大統領、中華民国政府主席、イギリス首相によるポッダム宣 = = 尺一九四 五年七月一一十六日 ′」うまん 日本軍部のかっての尊大な傲慢さま、、 , しまや追従と恐怖に変わった。彼らは徹底的に 打ちのめされ、脅えている。そして降伏条件が彼らの重大な罪を懲罰するために科した 恐ろしい報いに震えおののいている。 マッカーサー将軍、東京、一九四五年十月十六日