太平洋 - みる会図書館


検索対象: アメリカの鏡・日本
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1. アメリカの鏡・日本

の一部を収め、中国、日本を目指していた。十七世紀初め日本が孤立主義にこもったのは、 ヨーロッパ諸国の「歴史的拡張主義」のせいなのだ。 十七、十八、十九世紀、日本が世界から身を退いて独自の社会を発展させている間、ヨ ーロッパ人たちは爆発的拡張をつづけていた。秀吉の職業軍人集団であるサムライ階級が、 いんとん ぶりよう 茶の湯に親しみ、花を活け、本来の仕事がなくなった無聊を隠遁的芸事で慰めていたとき、 イギリス、オランダ、フランス、ロシアは貿易、征服、戦争、植民地化といった本当の意 味の帝国の建設を目指して、東西南北に広がっていた。今日、「世界支配の歴史的野望 , を告発されている日本人が、ヨーロッパの獲得したものを数字でみれば、ある種の当惑を 覚えるに違いない〔注 1 〕。 0 、 1 ーー , レ、 ー当時、イギリスの本土面積 ( 九万四二七八平万マイル ) は日本列島 ( 一 四万六六九四平万マイル ) より小さく、本土人口も日本より一一千八百万少なかったが、一 育 三五三万九一一一平方マイルの帝国と連邦、三〇〇万平方マイルのアジアの領土、三五〇 万平方マイルの太平洋の領土、五億人の上に君臨していた。 革 改本土人口九百万、面積一万二七〇四平方マイルのオランダは、アジアの太平洋島嶼地域 七三万五〇〇〇平方マイル余を含む七八万九九六一平方マイルを支配していた。 第 本土人口約四千二百万、本土面積二一万二六五九平方マイルで日本よりかなり大きいフ 5 ランスは、アジア大陸の二七万七八〇〇平方マイル、アジア・南太平洋の海外領土二四万 三五八四平方マイルを含む三四二万二三〇〇平方マイルを支配していた。 とうしょ

2. アメリカの鏡・日本

409 第九章誰のための共栄圏か 7 一九四〇年十一月、汪精衛の南京政権の樹立に対抗して、アメリカは重慶に一億ドルの借 款を与えた。これは一九三五年のアメリカの対中国投資総額の半分に相当する。 8 これはルーズベルト大統領が一九四一年七月二十四日、民間防衛局に協力している民間人 グルー。フに非公式に説明したアメリカの対日政策からの引用だが、内容はきわめて率直か つ「現実的」である。大統領はアメリカの政策を「南太平洋方面の平和を維持するため」 のものとし、次のように説明している。「彼ら ( 日本 ) がその時点 ( ヨーロッパ戦争の開 、ヒこ自前の石 始期 ) で勢力圏を南に拡大しようとする攻撃的目的をもっていたにしても」冫 油はなかった。もし、われわれが石油を遮断していたら、彼らは一年後には、オランダ領 東インド諸島に南下してきていただろう。したがって、われわれの石油を日本に送る理由 があったのである」。南太平洋を戦争から守ることはアメリカとイギリスの防衛のためで あり、太平洋の自由のためになると考えていたのである。 大統領はさらに、われわれはオランダ領東インド諸島、イギリス領植民地、インドシナの 戦略物資、スズ、ゴム「などなど」を必要としていたし、「オーストラリアの肉、麦、 ウモロコシの余剰農産物がイギリスに届くのを助ける必要があった」と説明した。 日本の立場で分析するなら、米大統領の言明は、アメリカは国益と「イギリスの防衛」に 必要な戦略物資を守るために、もし必要なら戦う、あるいは「戦争になっていただろう」 ということなのだ。言葉を換えれば、この説明が本当にアメリカの政策なら、アメリカと 日本は英蘭仏領植民地の戦略物資を手に入れるという同じ目的で戦争を始めたことになる。

3. アメリカの鏡・日本

398 私たちは「世界を征服し奴隷化する、野望に燃えた軍国主義的侵略者、日本の姿にとらわ れすぎ、日本が「白人プロック、の「奴隷体制 , から太平洋地域と「アジアを解放する」 というスローガンの下に、日華事変と第二次世界大戦を戦っていることを見ようとしなか った。仮に見たとしても、このスローガンは私たちにとって法的擬制だった。しかし、私 たちの法的擬制より、日本の見せかけを信用したアジア人はかなりいる。一九三一年の満 州から一九四一年のインド国境まで、日本が破竹の勢いで進出できたのは、アジア・太平 洋諸国をヨーロッパの政治・経済的支配から解放するという大アジア建設計画 ( 大東亜共 栄圏 ) のダイナミックな革命的魅力に負うところが大きい アジア・太平洋地域の植民地には、もともと経済的支配からの政治的独立と自由への渇 望がくすぶっていた。日本のプロバガンダと指導は、それに火を点けたにすぎない。初め のころ、若干の例外はあったが ( フィリピンはその一つ ) 、アジアと英仏蘭領植民地で日 本が勝てたのは、現地協力者の活動があったからだ。開戦当初の日本は、ほとんど銃火を 交えないで戦果を収めている。 ヨーロッパのアジア「領有者」たちは、日本軍から逃げたのではなく、現地住民の敵意 から逃げたのだ。私たちが「解放 , 戦争と呼んでいたものは、実はヨーロッパによるアジ アの再征服 ( 恥ずかしいことに、アメリカが手を貸した ) だったのである。 ルーズベルト大統領は一九四四年八月十二日の声明で、アジアの民衆は日本の奴隷にな ることを望んでいないといった。まったくそのとおりだ。しかし、歴史的にみてアジアの

4. アメリカの鏡・日本

180 私たちは、日本に本土列島以外の海外領土を放棄させた。日本は一八九五年に、欧米先 進国から新しく教えられた文明の恩恵を「後れた」地域の住民にも及ぼすという名目で、 ほうこ 澎湖諸島と台湾を併合したが、それまでは海外領をもったことはない〔注 1 〕。 私たちは、日本人に国家神道を廃棄させた。しかし、国家神道は西洋型国家意識の日本 版にすぎない。国家神道は、一 八六八年、西洋の「指導」に応えて出てきたものだ。近代 以前の日本では、神道は自然と祖先に対する信仰であり、習俗であった。軍事的なもの、 国家的なものの対極にあるものだった。日本の外交は徹底して平和主義だった。日本列島 は世界の常識からいえば、国家でさえなかった。仮に国家があったとしても、国家宗教と いえるものは仏教だったのである。 私たちは「満州事変」、日本の汎アジア政策、共栄圏構想を非難してきた。しかし、日 本は彼らの行動を、私たちのテキサスとパナマ運河地域の領有、モンロー主義、汎アメリ カ連合と同じ言葉で説明した。私たちは「白人の帝国主義的支配から有色植民地住民を解 放する」という日本人の「神聖なる使命、を偽善ときめつけた。しかし、西洋文明と西洋 の政治をアジア、太平洋、南太平洋諸島、アフリカの原住民に及ぼすのが「白人の責務」 ならば、日本の行動理念はそれに対する論理的かっ当然の答えである、と日本は主張して 日本人と政治意識をもつアジア人がよく知っているこうした事実は、私たちの占領を歴 史としては面白く、政策としては恐ろしいものにしている。私たちは、日本人の性格と文

5. アメリカの鏡・日本

二月八日、フランク・クラックホーン記者はニューギニアから次のような記事を書き送っ ている〔注 6 〕。 ジャップ 日本軍は遠隔の占領地を守る意欲も能力ももっていない。南太平洋のいたるところで、 ジャップ ジャップ : 日本軍の状況は、わが海軍、陸軍、空軍、ワシ 日本軍はずたずたにされるだろう。 ントンが現認し : : : 思っていたよりもっと悪化している。 もはや日本の海軍と空軍はささやかな抵抗しかできなくなっていた。日本陸軍の主力部 隊は後方基地と補給拠点から切り離され、ゲリラ集団と化していた。一九四四年四月三日 付のニューヨーク・タイムズは、米軍は南・南西両太平洋地域で少なくとも十万の日本軍 体 正部隊を封じ込め、「日本兵は弾薬が尽きるまで戦うか、ジャングル深く逃げ込んで飢えて 威死ぬか、病死するかの絶望的な状況に追い込まれている」と伝えた。四月十一日付の同紙 的は「日本兵は次第に発見しにくくなっている。わが軍の前線指揮官にとっては、これが悩 世みのたねである」というローウル将軍の言葉を伝えている〔注 7 〕。 章 一九四四年二月二十九日には、ノックス海軍長官が米潜水艦は日本の艦船のほぼ半分を 第 沈めたと発表した。「日本は所有する、あるいは押収または購入によって取得した全輸送 船七五〇万トンのうち三〇〇万トン以上を失った」。これに対して、同作戦中にわが方の 潜水艦がこうむった損害は「驚くほど小さい」ものだった。

6. アメリカの鏡・日本

170 日本民族は太平洋地域の他の民族ーーー中国人、マレー人、インド人、白人ーーと異な 、何世紀にもわたって戦争技術と武士階級の忠実なる信奉者であった。彼らは太平洋 で武力を振るうべく生まれついた民族であった。彼らは日本の武士は常に勝利するとい う自らの不敗性を確信し、武士階級の英知に対する神話的信仰は、日本民族の文明の基 礎となった。この信仰は全政府機関のみならす、日本人の肉体、感情、精神にまで浸透 し、支配しているのである。 ダグラス・マッカーサー将軍、東京、一九四六年九月一一日 ( キリスト教は ) われわれの国家が拠って立っ土台をつくったのです。そこには、倫理 の偉大な力がありました。われわれの不敗の軍がオーストラリアから日本帝国の心臓部 どとう に向けて怒濤の攻撃をかけるとき、われわれの銃座を確固として支え、標準を的確にと らえさせてくれたのはこのカでした。 同、一九四七年一月十一一日 ( 宗教教育国際会議事務局長、・ O ・レス博士に宛 てた書簡、 <Q)

7. アメリカの鏡・日本

ーバーは依然として、「神の行為」のように謎であり、青天の霹靂であり、背景 もわからなければ、納得いく説明もない何かなのだ。 0 、ーー 1 レ、 ーには納得のいく説明があったはずだ。もちろん、中国と太平洋地域に 「権益」をもっすべての国に及ぼす相互作用を考えに人れなければならないから、説明は きわめて複雑なものになるだろう。だからといって、納得のいく説明の追求を回避し、パ レ、 ーバーは歴史的に世界征服にくくりつけられた日本民族の先天的侵略性が引き起こ したという、単純きわまりない説明を受け入れていいわけではない。 政しかし、私たちはまさしくそうしてきたのだ。私たちの政策担当者は、この単純な説明 の をある面では否定しながら、真実だと主張しつづけている。そして、あたかもそれが真実 であるかのようにして、日本、中国、アジア・太平洋全域の戦後計画をこの前提の上に策 た定しているのだ。 見 第三次世界大戦を防ぐためには、まず、第二次世界大戦の事実を整理する必要がある。 機東洋に向かって飛ぶ一アメリカ人の目には、それがはっきり見える。 爆 章 第

8. アメリカの鏡・日本

民衆を「奴隷にしていた」のは日本ではなく、私たちが同盟を結ぶヨーロッパの民主主義 諸国であることを、ルーズベルトはいわないのだ。 日本は当然のことながら、アジアの人々に対して、アジアあるいは太平洋地域の領土を 併合したり、支配しようという意図あるいは希望は毛頭もっていないと繰り返し宣言して いた。日本はただアジアをヨーロッパの支配から自由にしたいだけである ( アメリカが南 アメリカをヨーロッパの侵人から守っているように ) 。そして、アジアの民がたがいに協 力して自分たちの資源と文明を発展させることができるようにしたいのだ、というのが日 本の主張だった。 日本の主張によれば、アジアでの日本の役割は単に指導者と守護者にすぎない。アジ かア・太平洋地域の民衆がヨーロッパとアメリカから「解放、された暁には、日本はアメリ 力が南アメリカとの間にもっているのと同じ関係を、彼らとの間でもっことになるだろう の ( と日本はいうのだった ) 。 アジアを「解放」したいという日本の願いは「聡明な利己主義、すなわち法的擬制から の 誰出たものであり、したがって、結局はその実現方法は野蛮であるという前提に立つにせよ、 九日本がその擬制を信用させるために、アメリカと同じところまで、そしてヨーロッパ友邦 第 よりははるか先まで、行っていたことを認める必要がある。 的日本は現地住民に独立を約束した。それだけでなく、独立を保障する具体的行動を進め ていた。一九三五年にはすでに、満州での治外法権を放棄していたし、一九四〇年には中

9. アメリカの鏡・日本

というのがアメリカの政策だったから、民間の日 さきがけて中国での特権は放棄しない、 本ポイコットだけでは日本を止めることができなかった。つまり、アメリカは指導的役割 を果たせなかったのだ。 米国政府は自分たちの政策は正しいと確信していたようである。この状況に対処するに は、私たち自身の特権を保持し、太平洋における米海軍の作戦行動のような力の誇示で、 日本を抑え込むことである、というのが政府の考え方だった。グルー元駐日大使は日記の 中で、そうした作戦行動に関する興味深いエピソードとコメントを書き残している。一九 三五年四月一日、訪日中のアメリカ教会連邦会議議長のイバン・リー・ホルト博士と会談 したとぎ、同博士が、教会の中には日本に近い太平洋で米海軍が作戦行動をとることに反 対の動きのあることを伝え、これについて大使の見解を求めた。これに対してグルー大使 はこう答えている。 私たちは戦争ではなく平和を望んでいます。しかし、いくつかの教会が唱えているよ うな弱腰で敗北的な政策は、確実に戦争を招き寄せるものです。平和を確立するための 最善の道は、政府の賢明なる政策に従うことです。攻撃的ではないが断固たる覚悟をも っこと、善き隣人としての精神をもちながら、私たちの正当な権利を守ることです。 : 東洋人が最も尊ぶのは強さです。弱さは彼らの侵略性を引き出すのです〔注 3 〕。

10. アメリカの鏡・日本

148 ービー提督が記者会見 とも少なくなかった。太平洋陸海統合軍司令官、ダニエル・・ ちょうしよう で、日本の機雷敷設技術を「嘲笑しながら」次のようにいっている。 「現在、われわれが抱えている最大の問題は、日本の港湾に敷設した機雷の撤去である。 われわれの損害の大部分は、自分たちの機雷によるものだからだ」 太平洋地域に建設された日本の「基地」は軍需産業の貧弱さをよく表わしていた。マー シャル諸島の施設を見たニミツツ提督は、日本製品がいかに劣っているかを示す「顕著な 証拠」であると語ったと伝えられている。基地の設備は「信じられないほど粗末な物」か らできていた。そして、私たちの資材担当官にいわせると、工事は「拙劣」で、機械、 ラクター、その他の大型機材は「われわれなら放り捨てて目もくれない」ようなものだった。 物量面に限れば、アメリカの優位は圧倒的以上のものだった。ジョージ・ホーン記者は : はもの凄い勢いでふっ飛ばされた。その勢いたる こう伝えている。「今日、ウオタイ : や、そこに立てこもるものにくらべて、滑稽なまでにもの凄かった」 物質面でいかに日本が劣悪であるかについては、アメリカの新聞報道が常に指摘してい たことである。日本が失った飛行機と艦船の数はいつもアメリカの損害を上回っていた。 一九四四年六月、ニミツツ提督は次のように報告している。 サイバンの戦闘で、日本軍は一撃にして四百一一機の飛行機を失った。われわれの一 回の出動としては過去最高の撃破数である。われわれは一貫して一機に対し十機の敵 すご