くれました。「産まれちゃうんじゃないゝ ぶんつらかったと思います。 て。ショックがあると早く産まれてしまうこと 主人のは主人の兄と一緒に車で、兵乂母があるんですね。 とおじさんと私の父とは里里で、それぞれに上に小さな言【がありますでしよう。あれ 田に帰りました。手・の中では、栄一一さんの優を陣痛室の枕兀に置いて、「ううう、 ~ るぞ お しさを思い出して、もう泣きつばなしでした。 ー ! 」ってカんでいたんですよ。で一緒 「しつかりしなくちゃ」と私は自分にずうっとに陣痛室にいた奥さんのご主人は横浜にいて、 言い聞かせていました。お八が終わってからそのとき来られなかったんです。もしその人の あとはどうなってもいいから、とにかくお八ご主人が駆けつけていたりしたら、私は自分で が終わるまではと気を張っていました。お ~ もつらかったと思います。心細かったと思う。 さんたちもあんな匹っているんだから、自そりや「うらやましい」って思いますよね。で 分だってと。めそめそしていても絵は喜ばなもその人も一人だったから、がんばれました。 いんだからって。でもそんなの昔ですね。ぜ ~ 一や主人の友だちのお母さんなんかもついて んぜん駄目。泣いちゃいけないとわかっていて いて、応援してくれましたし。 ぜんぶで一三時間かかりました。「これくら 子 嘉お腹の中で赤ん坊が動きました。泣いたりしい並聶ですよ」って一一一口われて、「へー、これで普 和ていると、ごろんごろんと動くんです。お - 八通なのお ? 」って思いました ( 笑 ) 。体重は一一一 とか事件のあと、お腹がだんだん下がってきた〇四〇グラム。予想より重かったです。産むと んです。それでまわりの人がずいぶん心配してきはもうそれだけで手一杯で、主人のことなん っ
さい」と救が来たんですが乗りませんでしできません」と一一一一口われたんです。そこの病院の , 入亠人亠大だろうと思って。 医者はテレビのニュースを見ていなかったんで 新富町まで歩きまして、そこから有楽町線をしようね。何が起こっているのか、訒はまっ 利用して、乗り継いで〈在に行きました。〈一たくなかったようでした。時間はだいたい一〇 に着いたら、総務からがありまして、「大時半くらいでしたかね。当然サリンの検査をし 丈夫だったか ? 」と訊かれたので、事情をた経験もなくて、どうやって扱っていいのか、 したら、「それはサリンらしいから、早く病院わからないみたいでしたね。いろいろと調べて いました。 に行って検査を受けるように」といわれまし 一時間ほど待たされてから、「これはまあ、 * * 病院が近くにありましたので、そこで検曲みたいなものだから、要はいつばい水を飲 査を受けようと思いました。実は呈町に人っんで、それを出しちゃえばいいんですよ」とい た頃から、もうあたりがかったんです。でうようなことを一一一口われました。とりあえず大丈 もそのときは、これは外がよく晴れていて眩し夫ですからと。まあ大丈夫ならよかったと思っ かったせいだろうと思っていました。あとでて、お金を払うために受け付けまで行ったんで 郎「あれはサリンのせいだ「たんだ」とわかります。そしたらテレビを見て事件を知「ていた看 晃したが。 喉の異」いうのはもうほとんどな護婦さんがやってきて、「ここではサリンの治 牧くて、鬣もちゃんと吸えました。でもとにか療はできません。テレビを見ていたら、聖蕗加 / 、検査を受けてみようと。 ~ 燒で正式な治療ができるようなことを言って そこに行ったら、「ここではサリンの検査は いました。そこならちゃんとした薬もあるし、 ~ 」 0
374 こういう火害の場合にいちばん重要ないうんな状况にあっては、医師としてや のは、「トリアージ」といいまして、串署に治はりいちばん困ることなのです。 療の優先順位をつけることです。サリン山毒でもその前に的確な情報さえ入っていれ の場合の優先順位は、まず重傷者を治療するば、「あなたの目の見えないのは時間がたて ことです。右はある放っておいてもば必ず治ります。心配しないで大丈夫です。 具だ治るから大丈夫なのです。その仕分け少しそのまま安静にしていてください」と冷 をちゃんとやらないで、早く来た人から順番静に指小することができます。そうすれば患 に治療をしていると、助かる人も助からなく煮だって。ハニック甃 ( にはなりません。医師 なってしまいます。鼕症で来た人の占満からもエ婦も順序よく治療にあたれます。 いちいち始めていたりすると、一里名に ~ 朝別 に対応できなくなるんです。でもよく事情が ーー・そのよ一スよ害のロの的マ わからないと、串並名にたとえば「目が見えな ニュアルみたいなものは、普通に医療の現場 い」なんて一 = ロわれたら、現場は。ハニックに陥にいると学ぶものなのですか ? ってしまう可もありますね。「息が苦し い」という人と、「目が見えない」という人が いいえ、まったく学びませんね。私たちも いたら、どちらを優先させるかという選択を松本サリン事件が現実に起こるまでは、そん 医師は迫られるわけです。これはに迷いなことはほとんどわかっていませんでした。 ますし、に迷うなんていうことは、そうしかしもちろん「トリアージ」そのものは、
いる各たちをそこに乗せていたんです。トラ した。空がどんよりと曇っていたことを覚えて ックに乗せられていった人もいました。私は います。「あれ天気が良かったはずなのにな」 とふと思いました。雨が降りそうだから寒くな「ただちょっと休ませてくれればいい」と言っ ったのかなとも思いました。私はそれまで病気たんですが、「だめだ。車に乗って行きなさい」 ひとっしたことがなかったので、体の具合が悪と一一一口われた。もう寒くて寒くてがくがく震えて くなるとい , つのがど , つい , つものか、よくわか , ら いるし、汁もかいているし。 なかったんです。 車に乗せられてから、運転している人に「そ れで、どこに行けばいいんですか ? ーって訊か ーーーまわりにはほかにも倒れている人はいまれました。私は「築地」って言いました。まだ したか ? 〈在に行くつもりだったんです。ほかにも人は 乗っていたし、自分のことだけじゃなかったん いや、そんなことはわからないです。自分はですが、そんなことまで私は気が回りませんで 寝てしまっているから、それはわかりません。した。そのときは自分のことしか考えられなか まわりの人が「大丈夫ですか ? 」と声をかけてったんです。「とりあえず〈在に行かなくては」 くれました。「少し休ませてください」と私はと、それしか頭になかった。 治 誠答えました。でも「これはだめだ」と一一一口われて、 1 ~ りが悪いっていうと、その運転していた 宮そのまま押し込むように勗車に乗せられまし人は「ちょっと待って下さい」って言って、ト た。普通の乗用里でしたね。その人たちは道路ランクからわざわざ新しいタオルを出してきて を通りかかった ~ 甼化片っ端から停めて、倒れてくれました。私はそれでずっと口を押さえて、
452 休の中日だからすいているかなと思ったんです いた方が便利なわけです。 が、むしろ混んでいた。私の乗った車両が何両 ホームをできるだけ前の方まで歩いていっ て、導ョなところで電車に乗るという。ハターン目だったか正確にはわかりませんが、あとから になります。間があればいちばん前まで歩い旧的に考えてみると、前からおそらく四一胃 て行くし、時間かなければそこでョに乗ってだったと思います。 しまうということですね。そのタイミングがど乗っているあいだ、いつもと変わったことと いえば、咳き込む人が多かったということくら こで来るかによって、乗車する位置が決まるわ けです。 ~ 墨は前に行けば行くほどすいていまいですね。自分も咳をしていまして、それで す。通動時間はいつもほぼ同じですから、「だ「風邪をひいて、それで喉がやられたんだろう いたいこの辺で暈が来るな」というタイミンか」と考えました。ところが私だけではなく グはわかっているんです。そうですね、普通はて、他の人たちもみんな咳をしているんです。 手墨のだいたい真ん中くらいに乗ることになり「あれ、みんなをひいたんだろうかーと考 えたことを覚えています。何かしら非常に鼻古 ます。 しかったんです。私は築地で降りますから、早 その日は ~ 墨が少し遅れていたらしく、いつく外に出て新鮮な空気が吸いたいと思いまし もよりは前まで歩けたなという感覚がありました。それくらい鼻古しかったんですね。ですか こ。けっこう前のほうに乗りました。手里里保ら築地に着くと里里を急いで降りて、ばあっと はいつもと同じくらいか、あるいはいつもより出口の方にロ胥一・に向かいました。三一胃の前を ちょっと混んでいるなというくらいでした。連通りかかるときに、車内に一人、ホームに一人
間った時間は、そうですね、三分くらいのものかみ込んでいました。僕も一緒にそこに行きまし な : : : すぐです。そのあいだ若い員がずっとた。そのときにはまだ ~ 〕さんは生きていたん 窓から手を出して赤いハンカチを振っていましです。目をばちばちさせていたんです。 ~ 〔さ た。緊急なので通してくれということで。赤信んは車から降ろされたあと、露に寝ていまし た。もう一人の人は道はたにしやがみ込んでい 号なんかもうすっ飛はしていきました。一方通 ました。みんなかっかして頭に血が上っていま 行も逆に入りました。警官は見ていたけれど、 したから、そこでどれくらい時間がたったの 「行っていい」「早く行け」って一 = ロわれました。 私も「これは命がかかっているんだ」と思いまか、正確にはわかりません。でもけっこう長い あいだ放り出しにされていました。 したから、必死でした。 それからしばらくしてやっと先生が出て来 でもね病院がなかなか中に入れてくれないん です。鷹さんが出てきたんですが、「霞ヶて、担架で一一人を病院の中に運び入れました。 関の駅でガスにやられたらしい」と言っても、要するに何が起こったのか、状況がまったく 先生がいないとか何とか言って、入れてくれなされていなかったんですね。そっちの病院 に串著を連びますというも、どこからも入 しばらくのあいだ歩道に置き去りみたいに されていたんですよ。こういう一一口い方は病院につていなかったから、事情がわからなかったん 失礼かもしれないが、置去美りです。どうしてです。面繽をえない。そのときはもう九時半を そんなことをしたのか、わからないです。 過ぎていて、事件発生以来一時上たってい 若い貝が「死にそうなんです。なんとかします。それでも病院は、何が起こったのかまっ たくわかっていないんです。そこに行った事件 てください」と受け付けで泣きそうになって頼
それがいったいどういう人だったのか、いま それで「じゃあ一服するか」というわけで、 イスを持ってきまして、それに座っていましだにわかりません。あれはひょっとしてオウム 店先からちょっと身を乗り出しますと、反の者いしゃなかったのかと、そのあとずっと 対側のホームには手里里が停まっているのが見え考えていたんですが。 ました。ドアを開けたままずっとホームに停ま っているんです。そうしていましたら、男の人そのうちにやがて、なんだかまわりの明かり がふうっと暗くなってきたんですよ。それで通 が一人、ふらふらっとした足どりでやってきた んです。まるで酔っぱらったみたいな感じでりかかった轡員さんに「ねえ、これは照明の電 す。それで近くにあった券売機の角のところ気の電圧を菴 ~ 」しているんですか ? 」って訊い に、こうやってだらっと寄り掛かっているんでたんです。電圧を落とすなんて、そんなことあ るわけないんですがね、私も馬鹿だから、そん す。 貝さえがやって来まして「お客さん、ど , つなをしました。するとその轡員さんも立ち したんですか ? どうしたんですか ? 」って尋止まって、首を傾けて「そうだね。そういえば ねるんですが、何かよくわかりません。器をたしかに電気が暗いみたいだねえ」と言いまし えません。変だな、と私は思いました。考えてた。 子 そのときには、もうというのが始まって 悦みたら、朝からそんなに酔っぱらっている人な いたんですね。 杉んて並聶いませんよね。茶色の薄いコートを着 それでふと駅の中を見ると、向こう側のホー た男の人でした。結局お巡りさんを呼んで、そ ムにお客さんが何人か倒れているんです。これ の人を引き取ってもらいました。
210 供たちは小さいですから、もちろん事情はわか者さんのまとまった話がやっと聞けたのは、一一 りません。でもヱ - たちの姿を見て、がゆ一一日の査日のことです。血圧と呼吸が若十良 るんだのか、私は思わず泣き出してしまいましくなってきた。これがもう少し安定したら、脳 た。「シズちゃんが、大変なことになっちゃっ だとかいろいろな部分の検査をしていきます、 たんだよ」と言って、そのまま : ・ 。それを見ということでした。「ただ少し安定したという てヱ虚 ( たちもびつくりして、「これは大変なこだけですから、まだむできる甃 ~ ではありま とになったらしい」とわかったようです。そうせんよ」と一一一口われました。 です、お父さんというのはまず泣いたりしない サリンがどうこうという酳はありませんで ものですからね。それで上の子も下の子も「おした。ただ脳のレントゲン言【を見せてもらい 父さん、お父さん、泣かないで」と一生噐私ました。「脳が腫れた甃なんですーと一一一口われ を慰めてくれました。私と一緒になっておいおたのですが、たしかに吊の脳の言【と比べる い泣きながら。 と、かなりぼわっとした状態になっていまし 一は昔の人間ですから、気丈にじっと耐えた。それがサリンによるものなのか、あるいは ていました。しかしその夜は家に帰って、一一人甃が続いたせいなのか、その辺がまだ で一晩泣き明かしたということです。病院にい よくわからないのだということです。 るあいだはしつかりしていたのですが。 呼吸も自分ではできませんので、ずっと人工 呼吸をしていたのですが、そのままではいけな 私はそれから一週間ほど〈一を休ませてもら いというので、一一九日に喉に呼吸弁を開けまし いました。妻もやはり休みを取りました。お医た。その甃 ~ はまだ今でも続いています。
ね。どこまで本当なのか誰にもわかりません。か、そういう話も報道で耳にするんですが、私 一週間くらいはそんな調十でぜんぜん仕事にの場合はあまりそういうことはありませんでし はなりませんでした。何か見ようと思っても、 乗った ~ 里里にたまたまサリンが置かれてな 焦点が合わないんです。像をうまく結はないんかったとか、そういうせいかもしれませんが。 です。ぼわーんとして。そうしたら、「もと一一日後に同じ電車に乗って災在に行ったとき もと目が悪いからじゃないの」って一一一口われましにも、そんなに怖いという感じはありませんで た。 した。電車には他の人たちも乗っていますし、 何度か病院には通ったんですが、なかなか瞳なんというのかな、実感というのがないんです 孔が一兀に戻りませんでした。だいたい一カ月くね。すぐ近くで亡くなった人もいるわけです らいかかったかな。今で、余ノし痛くなるんですが、あんまり実感がないんです。 が、もともとあまり目も丈夫な方じゃないん頭俑なんかも最近けっこうするんです。サリ で、そのせいかなとも思ったりもして。どうなンのせいかなとも思うんですが、でももともと のかな。今でもやはり不安は残っています。い ~ 噐もあった方ですから、どっちかよくわから いえ、視力保は悪くなってないんです。視力なくて二噐の回数は前よりもっと増えたんで はとくに下がってはいません。でもこういう仕すが : それから目が疲れてくると、だんだ 智事ですから、目の目天ロの悪いのは本当に辛かつん 1 ち悪くなってきます。やつばりその辺が 月たです。 いちばん不安ですね。でも、考え出すときりな いし、「いや、これは別になんでもないんだ」と 被害に遭った人がそれ以来が怖くなると思うしかないんですね。テレビなんかでは、お
こでテレビを見て、初めてそれがサリンだっても手埠請しましたが、「あなた、さっきはなんと いうことがわかりました。テレビで「被圭昱右はもないって言ったじゃないですか ! 」ってすご みんな目が暗くなった」って言っていまして、く叱られました ( 笑 ) 。 じゃあ俺もそれだったのかと思いました。しか六日間人院しました。月曜日に入って、 しそれでもまだ、目が暗くなったということ退院したのは土曜日でした。人院中苦しいこと と、近くに変なにおいのする包みが置いてあっはとくにありませんでした。サリンのすぐそば たというのが、頭の中ではぜんぜん結ひついてにいたのに、私のは不思議なくらい軽かっ はいなかったですね。 たんです。きっとそれは私が袋の風上にいたか らでしようね。車内にはだいたい前から後ろに 合病院に行きましたら目の検査があり向けて尢差刄の流れがありますから、もしその風 まして、これは簡だということですぐに解毒下にいたら、乗っていたのがたとえ一駅か一一駅 剤の注射をされ、占満を受けました尸皿液検査でも、えらい目にあっていたかもしれないと思 もされて、コリンエステラーゼがすごく少なく います。それは運命みたいなものです。 なっていると一一一口われました。もうそのまま入院 です。コリンエステラーゼの数値が戻るまでは それ以来地下鉄に乗るのが怖いとか、そうい 退院できないって。しようがないから〈在に電うのはありません。嫌な夢も見ません。あるい 話をして、「こういうわけで入院させられるみは私が無とんちゃくだからなのかもしれません たいだ。何日かかるかわからない。悪いけど机がね。しかし運命というのはたしかに感じま の上の片づけを頼むよーって一一口いました。家にす。たとえば私は並晟、三一胃のいちばん前の