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検索対象: ゴリラの森、言葉の海
99件見つかりました。

1. ゴリラの森、言葉の海

ようね。天皇陛下のために死んだ自分という存在を、親族はそれを誇り に思って生きてくれるだろうという。あるいは、もし敵前逃亡したら、 親族がどんなに辛い思いをするだろうかということです。 家族愛のようなものですか。 山極それもあるでしようが、やはり死者とのつながりですね。あの時 代は、自分の身体が自分ひとりのものではないと思われていたでしよう。 もう一つは、やつばり一種の宗教かな。人間は神というものを持って 3 しまった。いまの自分が生きているのは、死後の世界のためなんだと逆 背転現象を起こしてしまった。だからいまがどんなに苦しくても、死後は 救われて幸福な世界に行けるということになるんです。この先、二十年 ゴ や三十年も生きるはずだった命をいま捧げるということは、自分が死後 英雄として称えられることにつながるという思いがある。 自分と家族が死によって断絶するのではなく、延々つながりあう ということですね。お盆に迎え火をたいて、ナスやキュウリに割り箸を 刺してお供えをするのを見ていると、人間って物語の中に生きているな あとしみじみ思います。帰ってくるときは馬に乗って足早に、去ってい くときは牛に乗ってゆっくりと : : : 死者たちが生きている自分とつなが

2. ゴリラの森、言葉の海

Ⅱさんは、動物のことが 山極最後にちょっと質問したいんですが、小丿 好きで小説によく書きますよね。で、どうですか。動物の心は分かる ? いやあ、人間の心も分からないぐらいですから ( 笑 ) 。ただ、分 かったつもりになって、そのつもりの状態がとても心地いいと感じるこ とはあります。 五ロ なぜ動物をよく小説の中に登場させるか、というと、言葉を持たない 物 う相手に一言葉を映し出すと、書くべきものがくつきり見えてくるんです。 言葉を持たない動物に、言葉を映して、それを書きとるということをし 分 ているんだと思います。自分の中にある言葉を外に向けて発するだけで は、どうしても行き詰ってしまうので、なにかに映し出すなり、なにか にぶつけないと、言葉の本質が見えてこないという感じですね。 山極なるほど。アフリカの熱帯林や日本の森を歩いていると、自分と はまったく能力の違う生物と出会うことがありますよね。言葉は通じな いけれど、その生物と僕たちの間では何らかの合意というのが成り立つ。 僕は一言葉を生業にしていないから特にそう思うのかもしれないけど、わ れわれの能力がすごいのは、身体や精神的な能力が違う動物との間に、 了解事項を作ることができるということなんです。つまり、本当のこと

3. ゴリラの森、言葉の海

は分からないけれども、でも合意して共存することができるという性質 なんです。 河合隼雄さんのことを思い出せば、やつばり数学というのはイデアな んです。数学は、自然の中にある法則を見つける。自然っていうのは繰 り返しがないですから、きちんとまとまった定式はないんです。だけど そこに何らかの法則性を見つけるのが科学で、その一番純粋な形という のが、たぶん数学なんですね。言葉は、それをもっともうまく映し出す ものなんです。数式を説明するのは一一一口葉じゃないですか。でも同時に、 言葉は本当は違うものを同じものにしてしまう大きな力があるんじゃな いでしようか。例えば「走る」という動作は、ニワトリもイヌも人間も、 本当はそれぞれ違っているのに、同じ「走る」という一一口葉に置き換えち やえば、どれも想像できるわけですよね。そういう力を持っている。た だそれは、うつかりすると、ネガテイプなことを生み出してしまうかも しれない。 置き換えによって切り捨てられる部分が大きくありますね。 山極あいさつもそうで、単に言葉を発するだけではなくて、生身の顔 とか、身体の接触とかいうもので担保しなくてはならなかったものを、

4. ゴリラの森、言葉の海

ないかと思っています。 僕は二つの地域で子殺しに遭遇しています。ひとつはルワンダのマウ ンテンゴリラで、もう一つはコンゴのヒガシローランドゴリラです。ル ワンダでは政府の政策で保護区の四〇。ハーセントが農地に転換されて、 狭い地域にゴリラの群れがひしめき合い、群れ同士がぶつかり合うよう になった。コンゴでも内戦でゴリラが半分に減り、安全な狭い地域に集 遊中するようになったので、群れ同士が頻繁に出会うようになりました。 で そのためオス同士のメスを巡る競合が激しくなり、子殺しが起こったの の ではないだろうか。しかもメスを奪って自分の群れを作りたがっている 若いオスが相対的に増えたことも、その傾向を助長しているように思い ます。 だとすれば、やはり人間が原因を作っています。 山極そうだと思います。もともと潜在的に子殺しの性質を持っていた けれど、人間が影響を及ぼす前はそれが抑えられていたのでしよう。 発揮する必要がなかったのでしようね。 山極人間もそうですが、生物学的におかしいと思われることや、残虐 な行為というのは、普通は抑えられています。でもある条件が与えられ 157

5. ゴリラの森、言葉の海

きるのが生命の営みというものだ。それぞれの生物は持って生まれた能力に従って世 界を構築している。地上性の哺乳類は、地上に染み付いた臭いを頼りに世界を感知し ているし、水中に棲む哺乳類は空中より素早く伝わる音を頼りにしている。人間はサ ルや類人猿に近縁だから、五感のうち視覚と聴覚に強く頼っている。それは樹上で鳥 と共に進化してきた証である。科学技術はその二つの感知能力を拡大してきた。写真 や映像は視覚を、電話は聴覚を広げた。それに言葉の能力が加わって、人間は本来の 能力では感知し得ない世界を自分のものにできるようになった。 しかしそれは、たしかにこの世に存在する世界ではあるが、自分が身体を通じて参 加している世界ではない。人間の間違いは、あらゆる手を使ってその世界に介人しょ うとし始めたことだ。二十一世紀は人間が神の手をもっ時代だと言われている。すで に、地球の生態系で人間の影響が及ばない原生の自然は残っていない。陸上に棲む哺 乳類の九割以上が人間と家畜で、鳥類や魚類に対しても遺伝子を改変して人工的な種 を作り始めた。生命を操作する、新しい生物を造る、という神の技を人間は手にし始 めたのだ。最近中国では、遺伝子編集によってデザイナー・ベビーが生まれたという 報告もある。人間の勝手に作った物語の上に科学技術が利用されて世界が再構築され ようとしている。ここでいったん立ち止まって、人間の力がさらに増大する地球の末 来を見つめ直さなければいけない。 218

6. ゴリラの森、言葉の海

山極ゴールがない ? 作家が勝手に、「まあ、このへんでゴールにしておくか」と決め ているだけですね。ですから、確信はありません。あるいは、自分は繰 り返し同じ一つのことを書いているんじゃないかという錯覚に陥ること もあります。 今まで自分が書いてきた小説は、結局一つの大きな森のある部分を書 いているだけで、全体として一つの森を歩いているにすぎないんじゃな いかなと。 山極森の一部分が違っているだけだということですね。面白いなあ。 / 丿 自分が書いた登場人物たちは皆、同じ森の住人かもしれません。 でも、書き手として自分は、森の住人にはなれない。あくまで私はこの 森の訪問者なのです。 山極作家は一人きりだから、シカとかサルに会えるとホッとするんで すね。 たしかに動物を描くと、彼らを案内役にして小説という森の深い ところまで人っていけます。動物たちは言葉を持たないですから。それ から「数字」もそうです。その森の中に数字も落ちているんでしようね、 202

7. ゴリラの森、言葉の海

山極そういう状況を一人で全部乗りきっていかなくちゃいけない。だ からひとりゴリラも、自然の中の気配や物音が気になって、歌でも歌わ ないと不安なのではないか、と思うんです : : : 。歌でなくても、自分ひ とりで「グフーム」ってあいさつをしたりすることもあります。 グループの中でコミュニケーションを取るだけでも高度だなと思 いますが、さらに自分と対話する方法を持っている。 ハミングといったり、シンギングといったりするん 山極もう一つは、 ですけれど、みんなで合唱をするんですよ。これは、みんなで食べてい るときにしか鳴きません。一人が食べていても、ほかが食べていないと 鳴かない。 「あ、今みんなにキイチゴが行き渡っているな」という満足の共 感があるわけですね。共感がないと、歌は合唱できませんものね。 山極あ、なるほど、そうですね。みんなで楽しさをわかち合うために 声を出すんですね。

8. ゴリラの森、言葉の海

彼らの場合は、やつばり大きな獲物を持ってくると女にモテて、子ども もたくさん残せるようです。 男らしさとか女らしさという一一一一「葉を使うと、時代遅れだと言われ そうですが、でもそういう類人猿と人間をつなげた視点で考えてみると、 やはり大事な間題ですね。オスが男性になっていく過程で必要だった男 らしさは、今の人間社会でも必要なものだと思います。 山極言い方は難しいと思いますが、今は男女共同参画社会で、いろん な職場で女性の比率を高めようという政府の方針もあって、みんな努力 しているわけですが、そういう話と、男女の違いをきちんと認識しまし ようという話は別だと思うんです。われわれはやつばり生物学的な違い を乗り越えることがなかなかできない。男は子どもを産めないわけだし、 女が男並みの体力を得て、まあ個人差もありますがスポーツで一番にな れと言っても無理なわけで。その違いをうまく使って協力しあうのが必 要なのでしよう。もちろん異性だけでなく同性とも協力をするわけだけ ど、その違いを常に無視するというのは不可能ですよ。 男の子と女の子の両方を育てているお母さんから、子育ての実感 として聞くのは、男の子のほうが優しいっていうんです。女の子が優し

9. ゴリラの森、言葉の海

ゴリラも孤独をかみしめる ゴリラは歌を持っていて、 ハミングをする、というのも驚きです。 山極二種類あってね。一つはすごく美しい、メロディックなハミング。 これは一人でいるときが多いんですよ。どうも自分に向かって歌ってい るんじゃないかと思うのね。最初に聞いたときは、道を外れてやってき た観光客が、『グリーンスリープス』だかを歌っているのかと思ったん です。それで危ないからって注意をしようと、その観光客を探したんで すよ。でも全然人影がない、足跡もない。「おかしいなあ」と思ってい たら、ゴリラがいたんですよ。群れから外れて行動をし始めている若い はこれを「フー・アー・ユー」という英語に似ていると思ってクエスチ ョンバークと名づけたんです。こういうゴリラと人間の関係は動物園と は逆なんですね。動物園は、野生動物を人間の世界になれさせるために 馴致ということをやるわけですが、野生では逆で、彼らが僕をならして くれるわけです。

10. ゴリラの森、言葉の海

間が予想して作ったものですから、そこにいる自分は予測されています。 森の中にいると、予測できないことが起こったときに、それを誰 かのせいにしないで、自然とはそういうものなんだと、ある種あきらめ るような余裕を持たざるをえません。 山極そう。しかも人間が作ったものは何もないから。 そうですよね。川に足がはまったからといって、その石に怒るわ けにもいかず : : : 。誰のせいにもできない。自分のせいであり、自然の せいであると ( 笑 ) 。人のせいにして人を責めるというのは、やつばり くたびれることです。 山極人間関係もそうなんですよね。例えばさっき、衣食住の話をしま したが、家というのは本来、公共空間なんです。でも、壁があって、外 からは見られないようになっている。人間は視覚優位の動物ですから、 見ることがほんとのことで、見ないことは本当のことじゃないんです。 聞いただけではだめで、見て確かめないと納得できない。だから壁をは りめぐらせて、そこは見なかったことにできるようなことを行える場所 になった。 実はセックスを隠したというのは、人間生活にとってものすごく重要 194