220 それそれの状況を鑑みる知恵などなかった。 冫いたということは、必す、向井さんが自 とにかく向井さんが自分より ~ 間にカイロこ 分をおいて日本に帰るということだ。僕はその事実がいやだった。自分が取り残され る、ということが。 向井さんのお父さんは、家族と離れてケニアに住んでいた。向井家は、カイロの前 は、ナイジェリアに住んでいた。お父さんは、土木関係の企業に勤めていて、アフリ カ諸国のインフラ整備を専門にしているらしかった。 カイロに来るまで家族一緒に暮らしていたが、ケニアの治安が心配だということと、 お母さんがカイロを、特にこのヨーロッパの雰囲気に溢れたザマレク地区を気に人り、 お父さんが単身赴任することになったのだ。 向井さんのお母さんは、姉ふたりや向井さんに、このような少女趣味な服を着せる ようなタイ。フには見えなかった。つまり、普通のお母さんだった。向井さんと同しょ うに、とても小柄な体型だったが、髪を短く切り、地味な色の服を着ていた。自分の 容姿には関心がないようで、その関心を、ほとんどすべて、娘と息子に注ぎ込んでい た。向井さんのクローゼットには、数え切れないほどの女つぼい服がしまわれていた が、向井さんが「なんだよ」とか、「うるせえな」などと、男つぼく話すことや、ザ あふ
入した服を着ているというだけで、それは大きな大きな進歩だった。 僕はその変化を、恐ろしく単純なものだと考えたが、あれだけ頑固な姉だ、やはり それだけが理由ではなかったのかもしれない。姉はカイロの空港に着いた日、トイレ で共に苦労した母を、ピラミッドに興奮して、思わす手を繋いで写真に写った母を、 覚えていたのだろう。 ク姉は姉なりに、母に歩み寄り始めたのだ。 マ いくつかの驚きと共に、ほとんど健やか ということで、カイロでの圷家の生活は、 ザ に、そして明るく流れて行った。 ロ そして数ヶ月も経てば、家族は皆エジ。フシャンのことを大好きになったし、時々日 カ 本食を恋しく思うことを別にすれば、カイロの生活を、心から楽しむようになった。 プ ジ 工 章 第
189 第二章エジプト、カイロ、ザマレク れた宗教の気配に、姉の体内の何らかが、強烈に反応したのだろう。 僕はといえば、すっかり疲れて眠っただけだった。カイロに来て 2 日目だったが、 僕は激しい疲れのおかげでちっとも恐れす、すぐにひとりで眠ることが出来たのだっ
はすべてが恐ろしく、僕らを憂鬱にさせたそれらが、僕を安心させ、懐かしい気持ち にさせたのだから、「住む . という経験がもたらすものは、計り知れない。 母も、有象無象をかき分け、タクシーの運転手を散々ねぎり、家までの道を指図出 来るまでになっていた。僕たちは完全にカイロに住む人だった。だがカイロは、僕た ちの故郷ではなかった。 僕たちはいすれ、ここから去る人間なのだった。
237 第二章エジプト、カイロ、ザマレク どのような違いが、この現実を生んでいるのだろう。 カイロにいる間、母の無邪気さ、素直さは、すっと変わることがなかったが、僕が 「彼ら、に対して思う、この後ろめたさ、羞恥心も、決して消えることはなかった。 僕は毎日、「彼ら」に会わないことを祈った。そしてその祈りは、絶対に叶えられ なかった。僕は毎日、誰かしらの「彼ら」に会い、そのたび卑屈に笑い続けたのだっ
190 ゼイナプがやってきたのは、僕たちがカイロに着いて、 1 週間ほど経った朝だった。 その 1 週間の間に、父は夏休みを取って僕たちをカイロのあちこちに連れて行って くれた。ハ、ノ ノ、リーリという市場、ワニのミイラがあるエジ。フト考古学博物館、大き な大きなモスクや、ビラミッドが見える豪華なホテル。 驚くことはたくさんあったが、やはりピラミッドを見たのは、大きな出来事だった。 生まれて初めて見た古代遺跡がピラミッド、だなんて、僕は相当幸運な人間だ。だが、 だからこそその後、何を見てもそんなに驚くことが出来ないという不幸にも見舞われ た ( 石舞台古墳 ? パルテノン神殿 ? という感しだ ) 。 観光地だけではなく、父は近所のスー ーや公園、会員制のスポーックラブなど、 僕らの生活に大いに関わってくる場所にも連れて行ってくれた。 僕は、 3 、 4 日もすれば、「カイロはこういう街なのだ」と思うようになっていた。 肉屋の軒先に牛がそのまま吊り下げられているのも、すれ違う男の人たちの強烈なに
日本にいる時間は、あっという間に過ぎていった。 僕らは慌ただしく好美おばさんに会い ( 幸いなことに、義一と文也には会わなかっ た ) 、 2 泊ほど、母とふたりで懐かしい我が家に泊まって ( 姉の部屋の巻貝は、その ままにされていた。やはり夏枝おばさんだ ! ) 、やっと時差ポケが直る頃には、もう カイロに戻らなければならなかった。 ク何故日本に帰ってきたのか、僕にはさつばり分からなかった。 マでも、日本を存分に楽しんでしまったからには、文句は言えなかった。僕は数キロ ザ 体重を増やし、カイロではおよそありえない最新のおもちやや漫画を大量に買っても ロ らっていた。それに、飛行機に乗り込む母の顔から鑑みて、きっとこの帰国は、母に イ カ とって良い影響を及ぼしたのに違いなかった。それが僕にどのような人生をもたらす プのかは分からなか 0 たが、何が起ころうと、僕はお得意の諦観でも 0 て、流れに任せ ジ ようと思った。父とは違うが、あり方としては似ていたかもしれない。父が苦行に耐 工 えるそれなら、僕は、大いなる流れに寄り添う僧侶のような心境だったのだ。 二今回の一時帰国で、もっとも興味深かったことは、カイロの空港に着いたときに 「帰って来た」と思ったことだった。 酸つばい体臭や叫び声、信しられないほど古びた床に汚いトイレ。初めて来たとき
かった。僕たちはだから、毎日自由に、街を徘徊していた。 向井さんは、 4 歳からカイロに住んでいた。姉のように、現地のアメリカ資本の幼 稚園に通い、それから日本人学校に入学したらしい。だから彼は英語を話すことが出 かいわし サマレク界隈 来たし ( 姉は日本に帰国した途端、綺麗さつばり忘れてしまったが ) 、。 にも詳しかった。 ク ルーマニア大使館の兵隊さんが時々銃を触らせてくれることや、ブラジルストリー レ マトという道にあるフラットのボアーブの鼻がつぶれていること、火炎樹の葉っぱが乾 ッという立日がすることなど、 燥して落ちた後、踏むととてつもなく気持ちいい「パ イ当時の僕にとってのザマレク地区のほぼすべてを、僕は向井さんから学んだ。ある人 カ 物が出現するまでは。 僕は、 4 歳からここに住んでいる向井さんのことをやはり尊敬していたが、同時に、 プ ジ あることに法えてもいた。 工 僕より先にカイロにいるということは、向井さんは、僕よりも先に日本に帰るのだ。 章 一一僕が来た 2 学期にも、 3 人の生徒が帰って行った。僕たちがカイロにいるのは、大 体 4 年ほどだと父に聞かされていたから、他の人もそうだと思っていた。実際は、 2 年足らすで帰る生徒もいたし、 8 年も住んでいる生徒もいたのだが、当時の僕には、 おび
第一一章エジ。フト、カイロ、ザマレク
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