人 - みる会図書館


検索対象: サラバ! 上
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1. サラバ! 上

「革命が起こったことによる帰国などという劇的なトピックに、夢中になっていた。 姉によると、姉はイラン在住当時から、イラン人たちによる憎悪の視線を感してい たし、いっか革命が起こる気配を、痛いほど感じ取っていたそうである。 おかしな話だ。 ます、イラン人による悪の視線、というが、両親によると、イラン人、少なくと 代も僕たち家族が接するイラン人は、皆穏やかで優しかったそうだし ( 「アームー」と 少言って可愛がってくれた人たちを、僕は決して忘れない ) 、もし外国人に対する憎悪 のというものがあったとしても、それを姉のような小さな子供に向けるだろうか。それ に、革命が起こりそうな気配、というものがもしあったとして、 5 歳の子供が痛いほ 姉ど感じるものなら、両親が気づかなかったのは、どうしてなのだろうか。 このように、姉の言うことには、とにかくいつも胡散臭さがあった。いつどこでだ 的 奇って、ドラマチックなものの渦中にいたがる姉の、それは悪い癖だと僕は思っている うそ し、そもそも姉は嘘つきだった。人の気を惹くことにかけては命をかけることも辞さ きつね 章 一ない姉だ、幼稚園ではとうとう、皆から「ライアーフォックス ( 嘘つき狐 ) 」と言わ れるようになっていた。残酷なあだ名だが、残酷な分、真実だと思う。 いつも、姉の話になる。 うさんくさ

2. サラバ! 上

150 たくさんの怒声に混じって、父の声が聞こえた。僕たち 3 人は、すがるように、声 のするほうを見た。 エジ。フト人の濃い顔、顔、顔に混しって、父の涼やかな顔があった。あのときほど、 父をハンサムだと思った瞬間はなかった。父はエジ。フト人より頭ひとっ分大きかった。 こざっぱりした水色のシャツを着ていて、まったくいかしていた。 大きなスーツケースを引きすりながら、姉と母はほとんど走り出した。さっきまで の勇ましい気持ちを忘れて、僕も泣き出しそうになった。 父は、これ以上笑えないと思えるような笑顔で、僕らを出迎えた。ます姉を、母を、 そして最後に僕の肩を叩いた。抱きしめないのが、父らしかった、というより、日本 人らしかった。周囲を見ると、エジ。フト人は様々な場所で様々に抱き合い、キスをし 力いこう て、涙を流していた。その人たちに比べたら、圷家の邂逅はまことに地味だった。だ が、父は父なりに、僕たちは僕たちなりに、精一杯感激していたのだ。 「よう来た、よう来てくれたー それは、ふだん物静かな父が、決して出さない声だった。 「よう来た。よう来た。」 父は、そればかりを繰り返した。

3. サラバ! 上

202 僕と姉は、日本人学校に通うことになった。 姉は 5 年生、僕は 1 年生の 9 月からの編入だ。 日本人学校はその当時で、全校生徒が 100 人ほど、 1 年生から中学 3 年生まで 9 クラスあった。驚くことに、僕たちの他に転人生は 4 人もいた。そして、転出した生 徒も 3 人いた。 日本人学校に通う生徒は、僕らのように親の赴任でやって来た子ばかりだ。当然、 親の赴任期間が終了すると帰国することになる。赴任が終了した家族の後には、また 新しい家族がやってくる。その家族に子供がいたら、その子供がまた転入生としてや ってくるのだ。 だから、日本の学校とは比べ物にならないくらい、生徒の出人りが激しかった。 僕のクラスである小学 1 年生は、人のクラスメイトがいた。日本人学校の中でも、 多いほうだったと思う。

4. サラバ! 上

後につきまとっては、日本人のメイドをすることをどう思うか、しつこく訊いてい たかと思えば、部屋からまったく出てこなくなり、出てきた後は、急な人見知りを発 動させた。とにかく安定して人と接するということが出来ない人なので、大抵の人は 姉を「そういう人」というカッコの中に入れてしまい、それ以上関わろうとしなかっ た。それがまた姉の飢餓感に火をつけ、訳の分からない行動に走って人の気を惹こう 代とさせる、という悪循環になった。 少 イランでのメイド、 ハツールに対しても、姉の「私を見て ! 」欲求は際限がなかっ のオノ、 、ツールはバツールなりに、姉を愛してくれていたようだったが、やはり姉の複 雑さに立日を上げることもしばしばだっこ。 姉だからなのか、それとも、イランで生を受けたことに特別な思いを持っていたのか、 たよ ハツールは、病院から戻ってきた僕を溺愛した。 的 奇母が産気づいたときから、バツールは台所で何枚も目玉焼きを焼いたらしい。それ ハツール流のおまじないだった。フライバ は、「するっと生まれるように」という、 章 一ンをするりと滑りながら皿へ着地する、何枚もの目玉焼きを見て、姉は、 「あんたは生まれる前からもう愛されてるって思った。」 と一 = ロった。

5. サラバ! 上

爲とが出来なかった。 母はイライラした様子で人ごみをかきわけていたが、列はとうとう止まってしまっ た。足が疲れていたのでホッとしたが、母の機嫌がますます悪くなるのではないかと 思って、僕は気が気ではなかった。 そのとき、母の前を歩いていた男の人が、こちらを振り返った。 「すごい人ですね。」 イライラしていたはすなのに、母は反射的に笑顔を作っていた。 「そうですね、本当に、みんな桜見たいんでしようね。」 男の人は、母の顔を興味深げにしっと見て、次に、母の手とつながった僕に気づい 「入園式ですか ? 」 男の人の隣には、僕と同し幼稚園の制服を着た女の子と、その子と手をつないだお 母さんがいた。お母さんは母を、女の子は僕を見ていた。ふたりとも、目と口が大き くて、トカゲみたいだった。 「そうなんです。夫が仕事で。」 お母さんは曖昧に笑っていたが、母が気づかないでいると、すぐに真顔になった。

6. サラバ! 上

空港には、父が迎えに来てくれているはすだった。 ク遅い自動扉が開くと、そこにはたくさんの人がひしめき合っていた。皆、重なるよ マうに柵に並び、ある者は叫び、ある者は名前の書かれた紙を掲げ、出てくる人を凝視 していた。 イ僕たち 3 人は、例のごとく、特にじろじろと眺められた。何人にも、大きな声で何 カ 事か話しかけられたが、皆怒っているみたいに見えた。そして不思議なことに、女の ブ人がひとりでいる姿を、まったく見なかった。 ジ 母と姉は、今やしつかりと手をつないでいた。僕も恐怖のさなかにあったが、正直、 工 その光景に感動する余裕もあった。何せ、僕は男なのだ。何かあったらふたりを守ら 章 うそ 二なければ、そう思っていた。嘘じゃない。そのとぎの僕は、生まれてから一番、勇敢 な気持ちになっていた。 「奈緒子 ! 」

7. サラバ! 上

商をしていた祖父の稼ぎも、妻子 4 人を支えるには、いささか、いや、かなり頼りな かった。家は傾いていたし、三人姉妹に自分の部屋などなく、家族 5 人、まさに肩を 寄せ合って暮らしていたそうだ。 祖母は、狭い家の土間を改造して、夏は氷屋、冬はうどん屋をやっていた。 3 人の 娘を産んだ後なのに、住んでいた地区の小町に選ばれた祖母の店は、とても繁盛して いた。ときには祖父の収入を超えたこともあるそうだから、祖父は肩身の狭い思いを したに違いない。ただでさえ女 4 人に囲まれる生活というのも、男にとって居心地の しいものではなかったろうし、もし祖父が生きていたら、父や僕と気が合ったのでは ないだろうか。 祖父の写真が残っている。公園だろうか、大きな桜の木の前で、ハンチングをかぶ って、煙草をくわえて立っている。背が高いところや、真面目そうな眉毛が、どこと なく僕の父と似ている。 かたぎ 祖母と祖父は、いわゆる美男美女カツ。フルだったにちがいない。昔気質の女性だっ たこともあって、祖母が祖父に対して文句を言ったことはなかったそうだが、祖父が 死んでからは、三姉妹に、「顔で男を選んではいけない」ということを、再三言い聞 かせていたらしい。好美おばさんも母もおそらく、汗だくでうどん玉を茹でている祖

8. サラバ! 上

「アームーナイナナーイ。」 と歌うのだ。母が教えた「アユム」は、ヾ ノッールにとっては難しかったようだ。い つの間にか「アーム」になった。「ナイナナ ] イ」は、おそらくバツールオリジナル の歌だろう。その際、必す邪魔を人れたのが、やはり姉だった。 僕の頬をつねりに来たり、「ナイナナーイ」をかき消す大音量で「いないいないい ない ! 」と叫んだり、とにかく「赤ちゃんがえり欲求」をむき出しにして挑みかかっ てきた。その度バツールは、姉の名を叫んで怒るのだが、バ ツールが叫・ぶと、タカコ が「タッコ」に聞こえるのだった。 「アームーナイナナーイ。」 A 」い、つ歌 A 」、 「タッコッ という叫び声が、僕の子守唄だったのだ。 姉は、幼稚園に通っていた。アメリカ資本のインターナショナルスクールだ。在イ ランのアメリカ人の子供たちがほとんどだったが、中にはイラン人もいた。そういう 場所に自分の子供を通わせるイラン人は、多分に西洋化され、そして十分に裕福だっ こ。ほとんどがイスラム教徒だったが、園のクリスマス会に子供たちを参加させてい

9. サラバ! 上

Ⅷったが、それがまったく、妙なものだった。まず、両の掌を畳につく。そして目をつ むり、何事か唱えながら、掌を交互に持ち上げる。ちょうど、手で足踏みをしている ような感じだ。見てはいけないとは分かっていても、女の人のおかしな動きが気にな って、目が離せなかった。 おばちゃんは、女の人の後ろで、じっと座っていた。 母は、一連のことに面食らっていた。ただ、「何やってんの ? 」とぶしつけに訊く ようなことはなかった。カイロの日本人会で、彼女なりの社交術を身につけていたの だ。母は夏枝おばさんに目で合図を送ったが、夏枝おばさんは慣れているのか、それ とも母の合図の意味を分かっていないのか、小さくうなすいただけだった。 女の人は、どうやらお祈りを終えると 、バッグの中から封筒を出し、祭壇の二段目 に置いた。その際、また深々と頭を下げ、矢田のおばちゃんにも頭を下げた。 「ほんまに、サトラコヲモンサマのおかげですわ。」 おばちゃんは、 「良かったやないの。 うっとりするほどの威厳で答えた。 女の人が帰っても、母たちは話さなかった。話のきっかけを探しているようではあ

10. サラバ! 上

162 「メイドって何 ? 「そうか、歩はイランのこと覚えてへんもんな。メイドいうのは、お手伝いさん。」 「お手伝いさんがいるん ? 」 「はは、そない驚くか。せやで。イランのときもおったんやで。バツールって名前の。 貴子は覚えてるやろ ? 」 「当然。」 姉は、僕の顔を見て、ちょっと得意そうだった。僕はそのときまだ、小さな頃の僕 がバツールにどれほど可愛がられたかを聞かせてもらっていなかった。僕は、ハツール を知っている姉が、うらやましかった。 「メイドさん、名前なんていうん ? 」 「ゼイナ。フっていうんやって。」 「変な名前ー 「大丈夫なん ? そのゼイナブって人信用できるん ? 」 きゅう 母のむ配はもっともだった。だが、後冫 こ母のその心配は、まったく杞憂に終わるこ とになった。。 セイナ、、フは、素晴らしい人だった。メイドとしてだけではなく、人とし て。