場所 - みる会図書館


検索対象: サラバ! 上
50件見つかりました。

1. サラバ! 上

236 送っている「彼ら」を、決して見下してはいけないと思っていた。 あなたたちに対して悪意はない、あなたたちのことを見下してはいない、そう言え ない代わりに、僕は笑っていた。そして「彼ら」が、僕の笑顔に喜んで近づいてくる と、恐怖で震えた。心の中で「こっちへ来るな」、そう叫んでいた。 僕に唾を吐いたあの子は、僕の笑いの意味に、気づいていたのだ。 僕が結局、彼らを下に見ていたことに。 扱いづらい、僕たちとはレベルの違う人間だと、認識していたことに。 母のやり方は絶対に間違っていたが、間違っている分、真実だった。己を貶める行 為をすることで、母は彼らと同じ地平に立っていた。「そんなこと、してはいけない ことだ」「人間として下劣だ」、そう糾弾されるやり方で、母は叫んだ。 でも僕は、安全な場所で、誰にも石を投げられない場所で笑顔を作り、しかし圧倒 的に彼らを見下していたのだ。母よりも、深いところで。 僕は自分がしていたことが、恥ずかしくて仕方がなかった。一度そう思うと、父の おかげで大きな家に住んでいること、学校に通っていること、すべてのことが恥すか しく思えてきた。 僕と「彼ら」とに、どのような違いがあるのだろう。 おとし

2. サラバ! 上

先生に抱きっき、甘え、結果先生を独り占め出来ないことにいらだって泣き叫ぶとい う、最も女つぼいことをしているのだから。 僕は昼寝のときいつも、教室の隅で寝ることにしていた。そこにはアツ。フライトピ アノが置いてあった。普段は、その。ヒアノを取り合う園児で混雑する場所なのに、昼 寝をするとなると人気がなかった。カーテンを閉めた教室は薄暗く、黒いピアノが、 代ちょっとした化け物みたいに見えるからだった。正直僕だって、うとうとしているさ 少なか、薄目を開けて見上げる。ヒアノの、異様な大きさと沈黙の重さに気おされそうに のなることはあった。でも、。ヒアノは。ヒアノだ。僕はそのときすでに、母親の「サンタ はおらん ! 」発言を耳にしていたし、ここにいる誰よりお兄さんである、という自負 姉があった。 たよ 僕はその場所に率先してタオルケットを持ってゆくことで、皆から尊敬のまなざし 的 奇を頂戴した。そんなことくらいで尊敬されるなんて、ちょろいものだ。そのおかげか、 僕は女の子から人気があった。体操をするとき、園の外に散歩に行くとき、二人組に 一ならないといけないとき、何人かの女の子たちが僕のところにやって来た。 僕が一番人気があったわけではない。「さくら組」で一番人気があったのは、「すな 別がれん、という男の子だ。「すながれん」は背が高く、色が黒くて、唇が厚い、

3. サラバ! 上

と言った。姉が悪いのではない、悪魔が悪いのだ、と。そして、悪魔が姉の体を去る まで、バスルームに閉し込めておくのだ。 家にはバスルームがふたつあった。バスルームに閉じ込めたら閉じ込めたで、ビデ の蛇口を全開にして噴水にしたり、父の剃刀を口に入れようとするので、姉が閉し込 められるバスルームは、完全に機能を停止したふたつめのバスルームだった。蛇口に はきつく針金が巻かれ、バスタブに湯が溜まることはなく、シンクの上の棚には、何 も入っていなかった。 姉はまったくの無機質な白い場所に閉じ込められたのであり、よしんば怒り狂って だつぶん 放尿したり脱糞したところで、床はリノリウムのタイルだ、綺麗にふき取ることが出 来た。飛び降りようとしても窓がなかったし、首をつろうとしても、ロー。フに類する ものがなかった。く ノッールと母にとって、姉を閉じ込める場所として、これ以上適し たところはなかったのだ。 「あんたはバスルームに閉し込められた経験、一度もないでしよう ? 」 後年、姉はそう、憎々しげに言った。姉の中では、「あのバスルーム」は虐待以外 の何ものでもなく、自分が愛されていなかったことの、そして、僕だけが愛されてい たことの、厳然たる証拠だったのだ。 かみそり

4. サラバ! 上

天井が低い廊下をしばらく登ると、急に開けた場所に出た。天井は、先ほどの廊下 など嘘のように、一気に高くなった。開放感に、汗がすうと引いた 「大回廊ゃ。」 父の声は反響し、母は何故か「はは ! 」と、声を出して笑った。 登っている途中、上から降りてくる人に、何人もすれ違った。何人かはエジ。フシャ クンで、何人かは白人、そしてそれに混しって日本人もいた。 マ「疲れたねー。」 「よいしよ。」 ロ イ こんな場所で、日本語を聞いていることが奇妙だった。エジ。フト滞在はまだ、 1 日 カ と数時間だったが、僕はもう、ほとんど日本を異国だと思っていた。今まさに家族と 話しているこの言葉こそ、遠い国のもの、ここでは異質な一言語なのだと思っていた。 ジ 僕の環境適応能力は、かくも優れているのだ。 工 石室に最初に着いたのは姉だった。姉は、ピラミッドの内部に入ってから、一言も 章 二発していなかった。そして石室でも、まったく言葉を失っていた。 新畳くらいの部屋だ。大回廊と同じように、天井が高かった。奥に大きな石の棺が 置いてあって、それだけだった。それだけの部屋だった。僕たちが部屋に着いたとき、

5. サラバ! 上

僕たち家族全員が寝そべっても、充分な広さがあった。 父がパンフレットを広げ、どこに行きたいか、何をしたいかなどを僕たちに訊く。 姉は「教会」と答え、母は「買い物 ! 」の一点張りだった。母は、我々圷家のなかで、 ダントツの俗物だった。そしてだからこそ、誰より旅行を楽しめる人でもあった。 僕には、行きたい場所はなかったし、何がしたいということもなかった。僕が唯一 ク行きたかった場所、それは日本だった。 リカけご飯だった。 マ面白いアニメ、美味しいお菓子、中でも最も恋しかったものは、卩ゝ カイロでは、生の卵を食べる習慣が無い。僕たちに出来るのはせいぜい半熟気味のス しようゆ イクランブルエッグをご飯に乗せ、油 ( その醤油も、どれほど貴重だったことか ! ) カ をかけて誤魔化す程度だ。それは当然ながら、卵かけご飯とは違った。全く違った。 山ーこよ、日・ゝ 以カけご飯が食べたいあまり、日本に一時帰国した際、飛行機に乗る直前 プ ジに生卵を購人し、機内に持ち込んで膝の上に大切に載せて来た人もいるくらいだった。 卵かけご飯は、それほど貴重な食べ物だったのだ。 章 卵かけご飯に関して、忘れられない出来事がある。 たましろまりな 第 ある日、玉城真里菜という女の子が、僕を家に誘ってきた。 体育が終わった後で、僕は学校の水道で手を洗っていた。どうしてひとりだったの

6. サラバ! 上

「アームーナイナナーイ。」 と歌うのだ。母が教えた「アユム」は、ヾ ノッールにとっては難しかったようだ。い つの間にか「アーム」になった。「ナイナナ ] イ」は、おそらくバツールオリジナル の歌だろう。その際、必す邪魔を人れたのが、やはり姉だった。 僕の頬をつねりに来たり、「ナイナナーイ」をかき消す大音量で「いないいないい ない ! 」と叫んだり、とにかく「赤ちゃんがえり欲求」をむき出しにして挑みかかっ てきた。その度バツールは、姉の名を叫んで怒るのだが、バ ツールが叫・ぶと、タカコ が「タッコ」に聞こえるのだった。 「アームーナイナナーイ。」 A 」い、つ歌 A 」、 「タッコッ という叫び声が、僕の子守唄だったのだ。 姉は、幼稚園に通っていた。アメリカ資本のインターナショナルスクールだ。在イ ランのアメリカ人の子供たちがほとんどだったが、中にはイラン人もいた。そういう 場所に自分の子供を通わせるイラン人は、多分に西洋化され、そして十分に裕福だっ こ。ほとんどがイスラム教徒だったが、園のクリスマス会に子供たちを参加させてい

7. サラバ! 上

308 僕と母は、確実に日本を楽しみ始めていた。 矢田のおばちゃんの家に歩いていく途中、母は様々な場所で歓声をあげた。主に 「懐かしい」という歓声だったが、たまに変わったことに対して興奮しているときも あった。 空は晴れ、澄んでいた。カイロの空に似ていたが、何かが違った。 「矢田のおばちゃんは、全然変わってへんよ。」 夏枝おばさんが言った。 矢田マンションは、果たして変わらす、そこにあった。木造の 2 階建て、古い外観。 ただ、姉が様々なものを埋葬した空き地は、 3 階建てのマンションになっていた。 矢田のおばちゃんは、僕を見て、大声を出した。 「いや ! もう人間やんー 矢田のおばちゃんといるとき、僕はまだ人間ではなかったらしい 「背もえらい高なって ! 」 圷家の遺伝子は、姉だけではなく、僕にも及んでいた。背がみるみる伸び、今では 年上の生徒と同しくらいになっていた。ヤコプには、遠く及ばなかったが。 「入り、入り

8. サラバ! 上

僕はヤコ。フに夢中になった。 クヤコプは、本当に合好良かった。 マ向井さんが、ザマレク中の道を知っているとすれば、ヤコプはザマレク中の網の目 ザ を知っていた。ヤコプは僕を連れて、向井さんと通った道の先、こんなところに道が、 ロ と驚くような路地へ入り、思いがけない場所へ出た。それだけではなく、壁に落書き カ をする楽しさを、ゴミ置き場のゴミを燃やす楽しさを、そして店に入り、店の大人と、 まったく対等に話す楽しさを教えてくれた。 プ ジ 堂々とした体嫗と、気品のある態度がヤコブを大人に見せていることは確かだった 工 が、それ以上に、ヤコプには人を受け入れる度量のようなものがあった。同じ年なの 章 に、ヤコプは僕を守ろうと決めているように見えたし、僕も完全にヤコ。フに守られよ 第 うとしていた。 いっしか僕も、ヤコブと同じような服が着たくて、父の着なくなったポロシャツを

9. サラバ! 上

間は相変わらすやらかし続けていたようだったし、学校側は母に特別学級を勧め続け、 母はそれを拒否し続けていた。 桜並木を母と歩くこの時間は、それはそれは平穏なもののはすだったが、僕は勝手 に母の気配に当てられ、緊張していた。様々な様子で和んでいるほかの家族たちを見 て、初めて、僕たちは少しおかしいのかもしれない、と思った。だが、そう思うより ももっと深い場所で、僕は、だからどうなるものでもない、 と思っていた。 もう、生まれ落ちてしまったのだ。 僕には、この可能性以外なかった。 そんな言葉は、やはり知らなかったが、僕はその思いを経験していた。もしかした ら、すべての子供がそうだったのかもしれなかった。今ある環境がすべてで、それ以 外の可能性はなくって、自分はすっとすっとここで生きてゆくのだと、思うより先に、 ほとんど生存本能として身につけていることなのかもしれなかった。一方でスー マンになりたいとか、お姫様になるのだと強く思っているにもかかわらす、自分の世 界には無限の可能性、無限の選択肢があるなんて、実は小さな頃は、思いもしないの 僕には、この家族しかいない

10. サラバ! 上

190 ゼイナプがやってきたのは、僕たちがカイロに着いて、 1 週間ほど経った朝だった。 その 1 週間の間に、父は夏休みを取って僕たちをカイロのあちこちに連れて行って くれた。ハ、ノ ノ、リーリという市場、ワニのミイラがあるエジ。フト考古学博物館、大き な大きなモスクや、ビラミッドが見える豪華なホテル。 驚くことはたくさんあったが、やはりピラミッドを見たのは、大きな出来事だった。 生まれて初めて見た古代遺跡がピラミッド、だなんて、僕は相当幸運な人間だ。だが、 だからこそその後、何を見てもそんなに驚くことが出来ないという不幸にも見舞われ た ( 石舞台古墳 ? パルテノン神殿 ? という感しだ ) 。 観光地だけではなく、父は近所のスー ーや公園、会員制のスポーックラブなど、 僕らの生活に大いに関わってくる場所にも連れて行ってくれた。 僕は、 3 、 4 日もすれば、「カイロはこういう街なのだ」と思うようになっていた。 肉屋の軒先に牛がそのまま吊り下げられているのも、すれ違う男の人たちの強烈なに