せつかく父が自分に興味を持ってくれたのに、面白い話が出来なくて申し訳なかっ た。だが、「先生あのね」に関して、父を爆笑させられるような話を、僕は持ってい よ、つこ。 子 / カ子 / 「歩、エジ。フトって知ってるか。」 急たった。 代「エジ。フト ? 」 少「そう。」 の僕の頭に咄嗟に浮かんだのは、教室に置いてある一冊の絵本だった。僕らの学校に は図書室があったが、教室内に別に、学級文庫と呼ばれる本棚があった ( 指でロの両 姉わきを横にひつばった状態で「学級文庫」と言うと、「学級うんこ」になる、という 「エジ。フトのみい 遊びに夢中になったのは、僕たちだけではないだろう ) 。そこに、 的 奇らという本があった。エジ。フトのミイラの作り方を、絵入りで説明している絵本だ った。子供向けとはいえ、内臓を取り出す工程など、結構グロテスクな表現が多く、 章 一僕の脳裏に強烈な印象として残っていた。 「ミイラの ? 」 「ミイラ ? あ、ミイラ ? はは、まあそうやな。歩、よう知ってんな。」 とっさ
「綺麗な色やね。」 「頑丈ゃなあ。」 それは僕ではなくレゴ社の手柄だが、それでも僕は、おばさんが僕の造形物に興味 を持ってくれることが、本当に嬉しかった。おばさんの遊び方は徹底的に受け身で、 おばさんの方から何か面白い遊びを提案してくれることはなかったが、こちらが飽き 代るまでつきあってくれるおばさんの忍耐強さに、母も感心させられていた。 「なっちゃんのほうが絶対母親に向いてる。 の母がそう真剣に言っているのを、何度か見たことがある。夏枝おばさんはその度困 ったように笑って、結局何も言わないのだった。 姉夏枝おばさんは、僕らを毎日、近所の神社に連れて行ってくれた。歩いて 2 分ほど のところにあるその神社は、ここら一帯の氏神様ということだった。とても小さくて、 的 奇僕たち以外にお参りしている人を見たことは、ほとんどなかった。 こまいぬ 幼い僕には、狛犬の形相や社の古めかしさが恐ろしかった。でも、夏枝おばさんが 章 一熱心に熱むに、 いつまでもお祈りをしているので、待っているしかなかった。おばさ っふや んが目をつむって、何かぶつぶっと呟いている横顔を、今でも覚えている。それは家 では見せない、夏枝おばさんのシリアスな一面だった。
組のどんな子供とも話してはいなかった。無視するとか、怖がっているとか、そうい うことでは全然なく、「みやかわさき」はいつだってやつばり、ひとりで遊んでい るのだった。 だが、クレョンのトレードが、「みやかわさき」に変化をもたらした。といって も、他の女の子のように、青色のクレョンを持ってウロウロするわけではなかった。 「みやかわさき」は、「クレョンを、好きな色と交換する」という、表面上の遊びの 方に夢中になったのだ。 「みやかわさき、の好きな色は、緑色だった。 緑色は、僕たちの組では、男の子の色だった。順位でいえば、大体 4 番目くらいに 好きな男の子に渡す色だ。「みやかわさき」は、そんなことに頓着せす、自分のク レョンの赤や黄色や青を、おしげもなく渡しまくって、男女問わす、次々に緑色をも らっていた。 組の子たちも、普段ひとりで遊んでいる「みやかわさき、が、急に嬉々として自 分たちとクレョンを交換したがるのを見て、驚いていた。だが、「みやかわさき」 が集めているのが緑色のクレョンだと知るや、「ルールを知らない奴」というレッテ ルの中に追いやった。
284 方はまったくみつともなかったし、騒々しかった。静かにソフアに座っているつもり でも、全身から「私はかわいそう」のオーラが出ていて、やかましかった。 その姿は、母が姉の母であることをまったく証明するものだったが、小さな頃、ど んなに暴れても訴えても、自分の思いを汲んでもらえなかった ( と姉自身が思ってい る ) 経験を持っ姉は、母を完全に許そうと決めたわけではなさそうだった。 僕はというと、ただただ困惑していた。 僕は、父も母も好きだった。何より彼らの「不穏」の原因を知らないのでは、行動 のしようがなかったし、ではその理由を聞く勇気があるかというと、やはりなかった。 僕が選ぶのはいつだって中庸であることだった。そしてここでは、それは逃亡を意味 母が泣いていると、僕はその姿が見えないところへ逃げた。父と母の言い争う声が すると毛布を頭までかぶり、「サラバ。を言い続けた。そして、家とは関係のない 様々なことを頭の中で想像し、現実の声を追い出した。 想像が毎晩続くと、いっしかそれは物語になった。僕は頭の中で竜に乗って宇宙を 飛び、目の覚めるような綺麗な猫に傷を癒してもらい、夜の終わりには、平和で美し い森で眠った。そしてその想像には、必すヤコプが寄り添ってくれた。僕がピンチの
ちんをくつつけた僕は、裸の女たちに代わる代わる撫でられながら、何故かぼうっと 突っ立って、体を洗うおばちゃんを見ていた。 弁天様は、琵琶を持っていた。羽衣がふわふわと弁天様を取り囲み、肩にかけた布 がたゆたっていた。弁天様の白い肌の上を、もっと白い泡が流れた。少し弛んだおば ちゃんの背中で、弁天様はいつまでも若く、どんな風に見たって、決して目が合わな 代いのだった。 少アパートには、母の母、つまり僕たちの祖母も来てくれていた。 の祖母と矢田のおばちゃんは、仲が良かった。祖母のほうが年上だったが、祖母はお ばちゃんのことを姉のように慕い、実際見た目は、祖母のほうがうんと若かった。 姉母の容姿は、この祖母から引き継がれたものだったようだ。三人姉妹の一番上と母 よしみ が祖母、二番目が祖父に似た。一番上のおばさんは好美おばさん、二番目は夏枝おば 奇さんといっこ。 姉は、この夏枝おばさんにも、よくなついた。おばさんは、三人姉妹の中でひとり、 章 一結婚していなかった。実家に住んでいたので、近くにある矢田マンションに来やすか ったということもあるし、本を読むのが好きだったり、ひとりで映画を見に行ったり、 菊少し芸術家っぽい雰囲気がするのも、姉の気にいったのだと思う。 なっえ
224 速く、時にかけっこで向井さんを負かしてしまうこともあった。 盗んできたゴルフポールを使って、新しいゲームを考えたりもした。「だるまさん が転んだ」の変形版だ。鬼になった人間が、 木に自分の顔をつけ、「ゴルフポールは 固いです、と叫ぶ。その間に、他の数人が鬼に近づくが、鬼が振り返ると、動きを止 めないといけなかった。鬼は持っていたゴルフポールを転がし、そのポールが誰かに 当たったら、その子が鬼になるのだ。 その遊びは段々過激になり、とうとうゴルフポールを力強く投げるまでになった。 あおやぎ のうみ 一度、クラスで一番背の高い青柳さんが投けたゴルフポールが、双子の能見兄弟の片 しげる 割れ、茂さんの頭を直撃し、流血沙汰になってからは、この遊びは厳重に禁止された あっし ( 能見兄弟だけは、能見さんではなく、茂さん、敦さんと呼ばれた ) 。 ーもりみさと テニスコートでテニスに興しる白人をからかおうと言ったのは、森見里さんだ。僕 たちはテニスを応援するフリをしながら、彼らを日本語で散々ののしった。白人がこ ちらを振り返ると、笑顔で手を振り、その顔のまま「うんこ野郎 ! 、「でぶ ! 」と叫 ぶのだ。最も口汚いののしり言葉を考えたのは、やつばり向井さんだった。「ちんぼ 菌」である。僕らはその言葉の持っ馬鹿馬鹿しさと破壊力に、腰が砕けるまで笑った。 敦さんなどは、笑いすぎて、軽く小便まで漏らしてしまうほどだった。
なんて目しゃなかったが、「みやかわさきは、「なかのみすきのように、ナオ ぼんやりとしていたわけではなかった。それどころか、積極的に遊んでいた。組にあ るおもちやで、空いたビアノで、運動場の遊具で。それがいつもひとりだったという だけの話だ。そして驚くことに、「みやかわさき」は、そうやってひとりでいるこ とに、何の寂しさも困難も感じていないようだった。 僕が「みやかわさき」に惹かれたのは、まさにそういうところだった。姉ほどの 積極性はないにしても、女の子たちは大抵自分のことを見てほしがった。「さしみ おりは、僕のことを何度も呼び、僕がそっけない態度を取るとすねるのだったし、 「たはらえいし、は別として、モモ工先生を取り合うのも、大抵が女の子たちだっ 昼寝のとき、さっさと寝場所を決めてしまう僕と同しように、「みやかわさき」 もすぐにタオルケットを持って、僕とは反対側の隅に寝転がった。そして、いつだっ て最後に起きてきた。先生がカーテンを開けると、昼寝が終わった合図だった。待っ てましたとばかりに起き上がる子、まだ寝ていたい、 とぐずる子 ( とぎには位き出す 子までいた ! ) 、そして大概がノロノロと目を覚ましてゆく中、「みやかわさき」は、 死んだようにいつまでも寝ていた。胸のあたりまでタオルケットをかけ、その上でお
勇気を出して、僕はそう言った。緑色のクレョンを見せると、「みやかわさき」 の大きな黒目が、ぎゅうんと横に伸びた気がした。本当に、爬虫類みたいな顔だった。 背景に大きな桜の木はなかったが、それはやつばり、あのとき見た「みやかわさ ぎの顔なのだった。 「ありがとう。」 代「みやかわさき」の声は、男の子みたいに低かった。僕は嬉しくて、その場で飛び 少上がってしまいそうだった。自制心に長けた僕だ、もちろんそうはしなかったが、ク のレョンを渡すとき、僕のむ臓は最高にドキドキしていた。だが、本当にドキドキする のはこれからだった。 姉「みやかわさき」は、僕に何色のクレョンを寄越すのか。 あかし それは、彼女が僕をどう思っているのかの証だった。 的 奇「みやかわさき」の青色のクレョンは、すでに「うすださなえ」という女の子に 渡されていた。もちろん「あなたが一番、という意味ではない。「みやかわさき」 章 一は、ただ「うすださなえ」が持っている緑のクレョンがほしかっただけだからだ。 「うすださなえ」にとってもそれは、悪いことではなかった。青のクレョンを 2 本 手にし、「うすださなえ」には、「一番好きな男の子」をふたり選ぶ、という選択肢
、パックの 5 割増しで美味しくなるのだった。 は同じはすなのに、瓶に入っていると ところ 母の名誉のために言っておくが、母の料理が下手くそだったわけではない。。 か、母は料理上手だった。イサキのアクアパッツアや、 ー。フがたくさん入った トボール、にんじんのボタージ : 母の作る料理は、華やかで豪華だった。でもどれ しゃれ も、僕にとってはいささか「大人」すぎた。素材の味を生かしたお洒落な料理に興味 を持つには、僕は幼すぎたのだ。僕はケチャツ。フの味が好きだったし、マヨネーズの 味が、とんかっソースの味が好きだった。魚肉ソーセージなんて最高だったし、べし ゃべしやに伸びたインスタントラーメンはごちそうだった ( それらは大抵、父と登っ た山の山頂でしか食べられなかった ) 。 思えば、母は気の毒だった。せつかく手のこんだ料理を作っても、姉はヨーグルト と。フリンの食生活だったし、僕は幼かった ( それでも僕は母の料理を「美味しい」と 言い続けた。その年頃の少年にすれば、涙ぐましい気の使いようだ ) 。 父は平日、家でご飯をほとんど食べることが出来なかった。やっと週末に食べるこ とがあっても、ぼそぼそと口を動かすだけで、ちっとも美味しそうではなかった。母 はよノ \ 父に、 「もうちょっと嬉しそうに食べられへんかね。」
僕は僕で、小学校人学という出来事に、すごくビビっていたのだ。新しい世界に踏 み出すときは、いつだって勇気がいるものだ。その上僕には「あの圷貴子の弟」とい うおまけがついた。 小学校で相変わらすやらかし続けていた姉だったが、つまり姉は変わっていなかっ たが、姉の周囲にいるクラスメイトの態度には、変化が見られるようになっていた。 代低学年のときは、皆姉を恐れた。乱暴者、得体の知れない人物として、姉を遠巻きに 少見ていたし、「怖いや「嫌い」に類する拙いかたちでしか、姉のことを表現するこ のとは出来なかった。 だが中学年になり、高学年になってくると、皆姉の狼藉を疎ましく思うようになっ 齔た。相変わらす不気味な姉ではあ 0 たが、成長するにつれ衝動的な暴力行為はなりを 潜めていたし、そうなると姉は恐れるに足りなかった。つまり、ただの「うっとうし 的 奇い奴に成り下がった。 ばりそうごん 皆「怖い」や「嫌い」以外の言語を持つようになり、姉をからかう罵詈雑言やあだ 一名を考えるようになった。頭の足りない男子生徒は、姉のことを「ぶす」と言ったし、 意地悪な女子生徒は、姉のことを「ガリガリ」と言った。十分残酷だったが、とても 稚拙だった。姉はだから、彼らのことをまだ、下に見ることが出来た。言葉を知らな