アスリートたちが目指しているメダルは、 金でコーティングされた銀メダル々 他国にはあまり見られない日本だけの特徴だが、金メダル占有率がメダル総数 占有率を下回る傾向がある。これは何が何でも 1 位を勝ち取るという他国とは異 なり、 1 位でなくても 2 位や 3 位でもよしとする日本人の「奥ゆかしさ」なのだ ろうか。それとも最後の「詰め」の甘さなのか。いずれにせよ「勝っことより参 加することに意義がある」というオリンビック精神の一つには則ってはいる。 懸命に心身を鍛えてきたアスリートたちが金メダルを競う姿は観る人々に感動 を与えるが、こんな興ざめするニュースを米 O Z Z が報じている。 各メダルの原材料の割合とコストを調べたところ、金メダルのコストは 6 5 0 ドル ( 4 1 % 、 ( 3 % 、同 6 % ) 、銀メ、ダルは 3 3 5 ドル ( 銀 % 、同 6 % ) 、銅メダル 5 ドル ( ほぼ銅 100 % ) 。これが本当なら、アスリートたち 1 7 ()
ではあったのかもしれない。。 フーチン大統領は「ドービング疑惑は欧米の政治的 意図」と発言している。 冷戦時代には、アメリカと旧ソ連が夏季五輪の金メダル獲得数を競い合ってい た。たが、近年はそれがアメリカと中国の競争に置き換わり、年アテネ 五輪では、アメリカが 1 位だったが、田年北京五輪では開催国メリットで中国が との首位に躍り出ている。こうしたメダル獲得競争の変化は、アメリカの衰退と中国 の経済発展を映し出しているが、 ( 日本、米国、英国、カナダ、フランス、 受 ドイツ、イタリア ) 対 CQ — O co ( プラジル、ロシア、インド、中国、南アフリ カ ) に置き換えても同様の傾向が浮かび上がってくる。 今のところ、 7 はまだ— O cn に勝っているが、その差は縮小している。 任お囲年アトランタ五輪での 7 の金メダル占有率は % で、 CQ — O は物 % と、 就京 東 統年 2 倍以上の開きがあったが、田年の北京五輪では、 7 の % に対し— O プ跚 は % % と肉薄した。こうした数値からも、オリンビックでの成績がその国や地域 の経済力を映し出すことが見えてくる。 章 第 1 6 9
のは、インドと南アフリカだけというのが象徴的である。 第 2 時代 ( —第 2 次世界大戦 ) の年間は、ソ連のスポーツ大国化が の 7 追い上げに寄与した。中国が五輪には長く不参加だったため、 19 8 0 年のモスクワ五輪までは、— O のメダル獲得数の % % をソ連が占めている。 第 3 時代 ( 519 8 0 年代 ) は、米国とソ連のポイコット合戦により、混乱の 時代となった。年モスクワ五輪ではソ連が金メダルの % 、年ロサンゼルス 五輪では米国が同 % を占有している。 第 4 時代 ( —現在までの年間 ) は、とが初めて正面から対抗 した時代である。ロシアは旧ソ連崩壊後、再びロシアとして参加するようになり、 中国は年のロサンゼルス大会で復帰を果たした。中国のメダル獲得数が増えた そう ことや、ドービングでロシアの選手が出場できないなどの問題があったが、 いったこともこの時代を反映している出来事と言えるだろう。 今回のリオデジャネイロオリンビックでもロシアの陸上チームのドービング間 題が発覚し、個人資格で出場する一部選手を除き、出場禁止となったが、ロシア のメダル獲得数を減らすことで国力が落ちたように見せかけようとする動きが裏 1 6 8
第 4 章トランプ大統領就任と英国の「 EU 離脱」で世界はどうなる ? そして 2020 年東京オリンビック後に待ち受ける日本の大不況とは ? 統領が誕生したことを円安転換の理由に挙げるが、多分、ヒラリーが新大統領に なっても円安転換していたはずだ。それが、オリンビックと為替市場のジンクス だからである。 オリンビックの成績は、国の経済力を映し出す鏡である 実は、オリンビックの成績は国の経済力を映し出す鏡でもある。 ロイターでは、シェフィールド・ ハラム大学のサイモン・シブリ教授が言う 「五輪の国別市場シェア」をヒントに、 18 9 6 年のアテネ五輪まで遡り、国別 メダル獲得数を調査 ( 旧ソ連の分はロシアとしてカウント ) している。それによ ると、大まかに 116 年のオリンビックの歴史は「 4 つの時代」に分けられるそ 第 1 時代 ( —世紀前半 ) は当時の世界情勢と同様に、五輪でも「西欧支配」、 すなわち— O c-n ( プラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ ) よりも西 欧諸国が強いという構図が見られた。のうち五輪に常時参加していた 1 6 7
オリンビック・イヤーは開幕後に市場が急変する 開催年 市場変動 開催都市 市場への影響 ユーロドルが 2000 / 7 0.96 → 2000 / 10 0.82 ( ー 15 % 下落 ) ューロ 10 月まで↓安加速 110 ~ 102 円ポックス圏 ドル円が 04 / 7 114.8 円 → 04 / 12 101.8 円 ( 11 % 円高 ) ューロ 4 月まで↓安・年末まで↑高 円 5 月まで↑円安、年末まで↓円高 ドル円が 08 / 8 110 円 → 08 / 12 87 円 ( 20 % 円高 ) ューロ 7 月まで↑高・年末まで↓安 円 8 月まで↑円安・年末まで↓円高 ドル円は 12 / 9 77 円 → 12 / 12 86 円 ( 12 % 円安 ) ューロ 7 月まで↓安・年末まで↑高 円 3 ー 9 月↓円高・年末↑円安 ドル円が 16 / 6 97 円→ 16 / 12 ? ューロ 5 月まで 9 % ↑高 ューロ史上 2000 年 シドニ 録 一三ロ を 値 最 ダメ押しの 円高・ドル安 2004 年 アテネ リーマン ショック 2008 年 北京 ドル高スタート の起点 2012 年 ロンドン リオデジャ ネイロ 2016 年 円 6 月まで↓ 19 % 円高 出所 ) T-ModeI 作成 ( 2016 年ⅱ月時点 ) 1 6 6
の起点になっていたのがロンドンオリンビックである。オリンビック後の年の 、 % の円安となった。同年の 9 月には行円だったドル円が月には新円となり ューロも、 7 月までユーロ安だったが、年末までにはユーロ高になっている。っ まり、 3S9 月まで円高だったドル円相場は、オリンビックを境に年末には円安 にトレンド ~ 転換した。 の 北京の場合、リーマンショックがあったが、この年ューロは 7 月までユーロ高 だったのが、年末までユーロ安となった。ドル円も 8 月まで円安だったのが、年 で ち末には円高となった。 ( 110 円から円、 % の円高 ) 。このように為替相場は オリンビックを境に急変するのである。 国ビ では、 2 016 在・のリオ一アジャ、不イロオリンビックはど一つか。 任オ このオリンビックと為替相場のジンクスから、 2 016 年 8 月に開催した生活 就京 頁東 年防衛の教室リアルセミナーでは、ユーロ高はユーロ安となり、現在の円高はオリ ンビックを境に円安になるだろうと予測した。当時、ドル円は 10 0 円割れで市 場コンセンサスは % 円までのさらなる円高だったが、ご存知のように、 118 円 章 第 までの円安に進行した。さらなる円高を予想していた市場関係者はトランプ新大 1 6 5
ったのがスタートの 5 年間となった。 特に、これまでの経済サイクルで注意すべきは、年サイクルの最後の 5 年間 である混乱期には必ず大不況が来るということだ。今回の場合、それは 2 0 2 年から 2 0 2 4 年に訪れる。これは世帯数がビークをつけた後の時期と一致して いる。しかもオリンビックの後は必ず不況になるという法則があり、悪いことが 重なっている。 2 0 2 0 年の東京オリンビック後の日本経済は最悪の状態に陥っ ているだろうし、東京オリンビック後の日本は「焼け野原」となっている可能性 さえある。 オリンピック開幕後に、為替市場は急変する 2 2 0 年に東京オリンビックが開催されるが、オリンビックは株式相場にと っても重要である。オリンビック閉幕後には為替市場が急変するからだ。 例えば過去、シドニー、アテネ、北一只、ロンドンと遡ってみると、 2 012 年 のロンドン五輪の場合、年から年にかけて 12 5 円まで円安が進んだが、そ 1 6 4
経済の 8 年サイクルで振り返ると、 戦後、 1950 年から創業期が始まり、 保守期、因循姑息期、崩壊期の 4 つの 期間が年ずつあり、 2009 年に終 る 況 わっている。そして 2 010 年から 2 ま の 024 年まで、再び創業期が始まってらロ かカ いる。この年間をマーケットでは 5 で O 労 ち年ごと分類することができ、スタート 0 0 世 は「値がさ株相場」で、次の 5 年は 1 ー 8 ク 0 っこ ロ 21 国ビ 「低位株相場」になり、最後は「混乱 危 の 任オ期」になる。 就京 当 領東 本 統年 まず、年サイクルの始まりは直が さ株 ( 値段の高い株 ) が最初に上がる。 トそ 今回の場合も、 2010 年から年ま 章 第 で、アベノミクスで外国人が一斉に買 人口 ( 単位 : 1000 人 ) 120000 100000 2060 年 86737 2005 年 68400 80000 60000 40000 20000 労働力人口 ( 単位 : 1000 人 ) 2060 年 37950 2020 年 50441 世帯数 ( 単位 : 1000 世帯 ) 2040 2010 1995 1980 出所 ) T-ModeIfr 成 2055 2025 1 6 3
「って何 ? 」と検索していたイギリス国民が国民投票で離脱を決めたよ 、リこ「憲法改正って何 ? 」と検索する日本国民が、国民投票 うに、日本でも投票前。 で重大な決断をすることも近い将来、起こるかもしれない。イギリス国民も日本 国民も、その後の重い代償を負うことへの意識がないままに決定する「国民投 の 票」は使い方によってはまさに「魔物」としか言いようがない。 で 受 日本の本当の危機は 2020 年から始まる 国ビ 今、世界的に起きていることは、「現状維持」か「破壊」かの選択ということ 任おである。 2016 年 6 月のイギリスの離脱は、国民が破壊の道を選んだ結果 就京 東 ・クリントンが現状維持、ト 統であるし、Ⅱ月の米国の大統領選挙では、ヒラリー ランプが破壊を象徴していたと言える。そして、米国民はトランプを支持し、破 トそ 壊を選択した。 章 第 各国の国民は今の閉塞感に辟易としているのだ。現状維持だったら今の状況が
人の我慢は限界だった。離脱派は、が間題提議に耳を傾けないので「独 立」に懸けようと訴えた。残留派の主張は民意を得なかった。 伝統の「光輝ある孤立」を選択するやスコットランドなどの分離運動が表 面化した。「崩壊は避けられず、ロシアが大国として台頭する、。ソロス 氏の予言は不気味だ。 の ソロスの不気味な予言が実現するかどうかは別として、そのようなことを導く ち可能性のある離脱を決めたのはイギリスの国民投票である。しかし驚きだっ たのは、投票の締め切り数時間後に、英国民によるグーグルの検索で急増したの の 国。ヒ が「って何 ? 。という検索キーワードだったことだ。多くのイギリス国民が 任オ 離脱の意味をあまりわかっていないまま、離脱に投票した可能性があるとい 就京 領東 統年 うことである。イギリスの主権奪回という政治的理念の追求と引き換えに経済的 プ跚 舌という重い代償を負うことを国民は時間をかけて実感していくことになるだ トそ ろう。 章 そんな中、 2016 年 7 月 1 日の日経新聞に『大機小機 5 国民投票という魔 第 1 5 9