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検索対象: ザ・セカンド・マシン・エイジ
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1. ザ・セカンド・マシン・エイジ

第 1 章 人類の歴史の物語 の通常の手法で臨んだ。すなわち論文や専門書を読みあさり、さまざまなデータを収集し、ア イデアや仮説について議論した。こうした方法は必要だったし有効でもあったが、しかし私た ちがほんとうの意味で学びはじめ、それとともに楽しみを見出すようになったのは、研究室の 外に飛び出し現場に足を踏み人れるようになってからだった。私たちは、実際に技術を開発あ るいは活用している多くの人々、すなわち発明家、投資家、起業家、技術者、科学者等々から 話を聞いた。 彼らがみな快く迎え人れてくれたおかげで、私たちはデジタル・イノベーションの現場で近 未来体験をすることができた。自動運転車に同乗することもできたし、クイズ番組「ジェ。ハデ イ ! 」でコンビュータがハー 、ハードとの学生チームを打ち負かす過程を見ることもでき た。産業用ロポットの訓練 ( ロポットの腕を握り、一連の手順に従って誘導する ) も体験させてもらった。 また、プリンターで制作された精緻なオブジェを手にとることもできた。このほかにも信 じられないようなテクノロジーの数々を目の当たりにして、私たちはもうすっかり度肝を抜か れたのだった。 人類の現在地は こうした体験を通じて、私たちはおおまかに三つの結論に到達した。 第一に、人類は現在、デジタル技術が驚異的に発展する時期に立ち会っている。デジタル技

2. ザ・セカンド・マシン・エイジ

辞 謝 れば、それは私たちの理解がおよばなかったからであり、言うまでもなくすべて私たちの責任 である。 ーティングに参加し いま挙げた中には、マサチューセッツ工科大学 ( - ) のランチ・ てくれた人たちもいる。この一連のミ 1 ティングはジョン・レナード、フランク・レビー ニエラ・ラス、セス・テラーが企画し、経済学部、スローン経営大学院、計算機科学・人工知 能研究所から参加者を募って、まさに私たちが最も関心を抱いているト。ヒックで討論を行った。 そこでは好奇心の赴くままに学際的な会話を満喫することができた。学者生活はいろいろと不 都合も多いが、こういう楽しみがあるから文句は言えない。 そもそもこうしたランチ・ ーティングができること自体、—のおかげである。ここは 研究を仕事にする人間にとって理想の場所であり、スローン経営大学院の学長デービッド・シ ュミッタライン、副学長の・・コタリに深く感謝したい。ここに集結する知性は私たちを 謙虚にさせ、ここに集う人々は楽しくさせてくれる。 執筆のほうは、ラファエル・セイガインの問い合わせからはじまった。ラファエルはじつに ~ 羽能な出版エージェントだった ( 紹介してくれたのは、アンディのやはり有能な講演工 1 ジェントのジョーン・ ウエルである ) 。彼は、私たちが自費出版した電子プック『機械との競争』をもっと発展させて ードカバーで。ラファエル 紙で出す気はないかと言ってくれた。ちゃんとした出版社から、 は業界人らしく「紙」とは言わずに「リアル」と言ったが、もちろん意味はよくわかった。 ノ 413

3. ザ・セカンド・マシン・エイジ

T H E S E C O N D M A C H I N E A G E 二〇一二年の夏、私たちはめったにできない体験をした。 調査の一環としてシリコンバレーにあるグーグル本社を訊ねた際、同社が開発した自動運転 車に同乗するという幸運に恵まれたのである。はじめ私たちは、前部座席は空つぼの車の後部 座席に座れるのかと思ったのだが、グーグル側はあきらかに自動運転とわかる車で公道を走る ことを躊躇した。考えてみれば当然である。そんなことをすれば歩行者や他のドライバーを仰 天させるだろうし、無用に警察官の注意を引きかねない。そこで前部座席にはショーファー ( お抱え運転手 ) ・プロジェクト・チームのメンバ ー二人が座ることになった。 ハイウェイ一〇一号を走行中にメンバ ーの一人が完全自動運転モ 1 ドに切り替えるスイッチ を人れると、私たちの好奇心はいやがうえにも高まったーー・正直に白状すれば、自己防衛本能 も。というのも一〇一号線は、空いていて走りやすい道ではないからだ。道路自体はよく整備 され急カーブなどはないものの、ほとんどの時間帯に混雑しており、交通量や流れが突然変わ ったりする。高速走行中に運転を誤ったら、重大な事故になりかねない。単に知的好奇心を満 足させるつもりだったのが、いまや命が懸かっているのだと私たちは緊張した。

4. ザ・セカンド・マシン・エイジ

第 4 章 デジタル化の大波 システムの有用性はぐ 0 と上がる。このような多様な組み合わせによるイノベーシ「ンを、私 たちは「組み合わせ型イノベーション」と呼ぶ。これについては次章でくわしく取り上げるが、 今日のイノベーシ「ンの特徴の一つと言えよう。組み合わせ型イノベーシ「ンが果たす役割は きわめて大きく、私たちがセカンド・マシン・エイジの推進力の一つに挙げるのも、このため である。 119

5. ザ・セカンド・マシン・エイジ

T H E S E C 0 N D M A C H I N E A G E 化が顕著になれば、中間的なスキルしか必要としない知的労働に従事していた人たちは、スキ ルも賃金も低い職業に移行せざるを得ない。たとえば診療報酬請求事務が自動化されたら、そ の仕事をしていた人たちは在宅介護の職を探しはじめるかもしれない。そうなったら賃金に下 押し圧力がかかるだろうし、競争が激化して就労はむずかしくなるだろう。こうしたわけだか ら、介護自体は自動化とは当面無縁だとしても、この職業がデジタル化の影響と無縁だとは言 えない。 絶対と言い切れることは一つもない とはいえここで、本書の予想や提言をけっして金科玉条のごとく受け取らないよう、読者に お願いしておかねばならない。私たちは、コン。ヒュータやロポットが近い将来に発想力、幅広 い。ハターン認識能力、複雑なコミュニケーション能力を身につけることはあるまいと考えてい る。また、モラベックのパラドックスが完璧に克服される可能性は低いとも考えている。だが デジタル技術に関して私たちの学んだことが一つあるとすれば、それは、「絶対と言い切れる ことは一つもない」ということだ。読者と同じく私たちも、が一気に現実になる事態に何 度となく驚かされてきた。 人間固有の創造性と機械の能力との境界は、けっして固定的ではない。もう一度、チェスの ・フィッシャーは、グランドマ 話をしよう。一九五六年のこと、当時一三歳だった神童ポビー

6. ザ・セカンド・マシン・エイジ

第 15 章 テクノロジーと未来 そのためには、技術的な選択とともに、新たな組織や制度の設計が大切になる。人間にでき ることが増えれば増えるほど、制約が少なくなればなるほど、人間の価値観がますます重要に なってくる。情報の流れは自由にすべきか、規制すべきか。ゆたかさを広く共有し活気ある共 同体を形成するにはどうしたらいいか。イノベーションの創出に対してどのようなインセンテ イプを設定すべきか。人生の最もよきものを発見し、創造し、享受する機会をすべての人に行 き渡らせることができるか : セカンド・ マシン・エイジには、何をほんとうに欲するのか、何に価値を置くかについて、 個人としても社会としても深く考えることが求められる。私たちの世代は、世界を大きく変え る可能性を受け継いだ。熟考と配慮の末に選択を行うなら、未来は希望を持てるものになるだ ろう。 運命を決めるのはテクノロジーではない、私たちだ。

7. ザ・セカンド・マシン・エイジ

TH E S E C 0 N D M A C H I N E A G E アメリカのイノベーションが減っているという声をよく聞く。もしほんとうなら、由々しき ことである。だが私たちの見る限り、実際にイノベーションが減っているとは思えない。 私たちがイノベーションを気にかけるのは、単に新し物好きだからではない ( たしかに新し物 好きではあるのだが。ト ) / 説家のウィリアム・メイク。ヒース・サッカレーは鋭くも、「新しさの魅力 には誰も抵抗できない」と述べている。新しい携帯端末やアプリを買わずにいられない人はす くなくない。あるいは新しい流行の服、あるいは新しいレストラン : ・ : 。経済学者の立場から 言えば、こうした願望を叶えるのは結構なことである。消費者の需要が満たされるのはだいた いにおいてよいことだ。だがイノベーションは単に新しいものを提供するわけではなく、社会 をよりゆたかにするという重要な役割を担っている。 イノベーションがすべて ポール・クルーグマンは「生産性がすべてというわけではないが、長期的にはほぼすべてで ある」と述べた。この発言は、大方の経済学者の意見を代弁したと言えよう。「一国が長期に 124

8. ザ・セカンド・マシン・エイジ

マーサ・パヴラキスに、生涯の愛を込めて。 父デービッド・マカフィーと母ナンシー 両親は望み得るあらゆる資質を私に与え、 セカンド・ マシン・エイジを迎える準備を整えてくれた。 ハラーに。

9. ザ・セカンド・マシン・エイジ

第 8 章 GDP の限界 にスカイプで子供とおしゃべりしても、は一セントも増えない。だがこれが無価値であ るはずがない。いままでどれほどお金を払っても手に人らなかったモノやサ 1 ビスが、それも 無料で、次々に出現している。こうしたモノやサービスがもたらす便益をどのように計測した らよいだろうか。 は何を測り損ねているのか 経済学者、評論家、ジャ 1 ナリスト、政治家といった人たちはに注意を払い、その変 動に一喜一憂するが、すべての項目が正確に計測されたとしても、が私たちの幸福や生 活満足度を数値化できているわけではない。前章で論じたように、が拡大することはも ちろん重要である。だがは幸福の指標ではないし、経済的満足度の指標にもなり得ない。 このことを口ヾ ・ケネディは詩的に表現している ( 章扉の引用を参照されたい ) 。 ケネディが言及した美しい諸々のものに金銭的価値を設定するのは非現実的だとしても、現 にいま私たちが消費できるモノやサービスの変化を考慮して、経済の姿をよりよく把握するこ とは可能なはずだ。公式の統計では現在の幸福や充足が過小評価されていることはあきらかで ある。それどころか、セカンド・マシン・エイジにおいては、統計デ 1 タを鵜呑みにすると現 状を見誤る恐れがある。 たとえばスマートフォンを持っている子供は、音楽やゲームをダウンロードするだけでなく、

10. ザ・セカンド・マシン・エイジ

T H E S E C 0 N D MA C H I N E A G E いと考えている。さしあたり、ここではごく簡単な答を示すにとどめよう。進歩とは、物理 的・知的環境を整備・制御してニーズの実現を可能にすることだと定義するならば、そのため に知的能力が果たす役割は、肉体的能力にまさるとも劣らない。となれば、知的能力が飛躍的 発展を遂げるなら、それは必ずや大きな変化の原動力となるはずだ。かって肉体的能力がそう だったように。 最前線を見て歩く 本書を書いた理由は、ある疑問に悩まされるようになったからだった。私たちはコンピュー 夕、ソフトウェア、通信ネットワークといったデジタル技術の影響を長年にわたり調査・研究 してきて、その可能性と限界を適切に理解したと信じていた。ところがここ数年のデジタル技 術の能力には驚かされることが多い。コン。ヒュータが病気を診断したり、人間の質問を聞いて 答えたり、正しい文章を書いたりするようになったし、ロポットはほとんど指示を与えなくて も倉庫内で作業し、さらには車を運転するようになった。デジタル技術は長い間笑ってしまう ほどお粗末で、こうした仕事にはてんで役に立たなかった。それが突如としてひどく巧みにや ってのけるようになったのである。いったい何が起きたのだろうか。この驚くべき展開はこの 先もまだ続くのだろうか、そしてどのような結果を引き起こすのだろうか。 問いの答を見つけるために、私たちはチームを組んで調査を始めた。最初は、研究者として