進歩 - みる会図書館


検索対象: ザ・セカンド・マシン・エイジ
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1. ザ・セカンド・マシン・エイジ

T H E S E C O N D M A C H I N E A G E セカンド・ マシン・エイジのゆたかさをいっそう高めると同時に所得格差を減らし、せめて 悪影響を緩和するために、何をすべきだろうか。技術の進歩を推進すると同時に、置き去りに される人をできるだけ少なくするためには、どうしたらいいだろう。 サイエンス・フィクションに過ぎなかったテクノロジーが次々に実現するのを目の当たりに すると、何かこれまでにない大胆な手を打っ必要がありそうにみえる。だが実際には、そうで はない。少なくとも当面の施策に関する限り、むしろ標準的な経済学の教科書のほうが役に立 つ。そこに書かれている成長と繁栄の原則の多くは、セカンド・ マシン・エイジの政策の正し い出発点となるはずだ。政策担当者、技術者、企業経営者と話していてたびたび意外に思うこ との一つは、教科書に載っているような経済学の初歩的な論理がきちんと理解されていないこ とである。そこで私たちは本章を追加することにした。 経済学者も賛成する基本とは 標準的な経済学の教科書は、今日もなお正しい指針となる。なぜなら、近年の技術の進歩が 2

2. ザ・セカンド・マシン・エイジ

第 1 章 人類の歴史の物語 したるちがいは生み出していない。だがたった二〇〇年ほど前に、何か衝撃的なことが起きた。 それを契機に、人口のグラフも社会開発指数のグラフも、急激にー・ーそう、ほとんど直角に傾 きが変わった。 進歩の原動力となったのは 賢明なる読者は、もうすでに見当がついていることだろう。何と言っても本書はテクノロジ ーと未来を語る本なのだから、いかに技術が重要かというところから書き出すにちがいない、 と。まさにそのとおり。一八世紀後半に現れた突然の変化とは、学校で何度も教わった、あれ 産業革命だ。産業革命は、機械工学、化学、冶金学などの分野でほぼ同時期に起きた発展 の集大成である。従ってこうした技術の発展が人類の進歩に急激かっ持続的な飛躍をもたらし た、と言ってさしつかえない。 ※モリスは、人類史における社会開発は四つの要素から構成されるとした。エネルギー摂取量 ( 衣食住および農工商業・運 輸のために環境から抽出した一人当たりカロリー ) 、集団化 ( 最大都市の規模 ) 、戦闘能力 ( 軍隊の規模、兵器の殺傷力と 速度、兵站能力など ) 、情報技術 ( 情報の伝達・処理手段の水準と普及度 ) である。これらの項目を時代ごとに〇 5 二五 〇の間で指数化した。その時代の社会開発の度合いは、単純に全項目の総和で表す。モリスは、西洋 ( 西欧、メソボタミ ア、北米のうち、その時点で最も進んでいた地域 ) と東洋 ( 中国、日本 ) の比較に興味があったので、紀元前一万四〇〇 〇年から紀元後二〇〇〇年に至るまでの指数を東と西に分けて計算した。二〇〇〇年の時点では、東洋が西洋を上回るの は最大都市の規模だけだった ( 東京はその時点で世界最大の都市だった ) 。二〇〇〇年における東洋の社会開発指数は五 六四・八三、西洋は九〇六・三七である。本書では、東洋と西洋の平均値をグラフ化した。 2

3. ザ・セカンド・マシン・エイジ

第 2 章 機械とスキル イプや模型の制作にプリンターを使っている企業は、もはや数え切れないほどだろう。航 空宇宙局 (Z<T<) の次世代月面探査車の筺体やべントから、高齢者のための人工顎骨にい たるまで、じつにさまざまなものの最終部品の製作にも活用されている。そう遠くない将来に は、大量の部品在庫を抱える必要はなくなり、故障した現場でエンジンの部品をプリントアウ トできるようになるかもしれない。デモンストレーションでは、実際の建築に使えるコンクリ ート部材まで作れると紹介されていた。 本章で取り上げたイノベーションの大半は、ここ数年の間に登場している。その多くが、長 い間じれったいほどゆっくりとしか進歩しなかった分野、多くの専門家が劇的な改善は期待で きそうもないと結論したような領域だ。デジタル技術は長い間ぐずぐずしていた末に、突如と して飛躍的進歩を遂げた。こうしためざましい進歩は、人工知能から自動運転車、ロポットエ 学など、たくさんの領域で見受けられる。 なぜ、こうなったのだろうか。成果が次々に上がっているのは、単に偶然が重なっただけな のだろうか。いやいや、そうではない。今日のデジタル技術の進歩は驚嘆すべきものだが、じ つはこれは、今後起きることのごくごくかすかな予兆にすぎない。いま私たちは、セカンド・ ードウェ マシン・エイジの夜明けを迎えている。なぜいまなのかーーそれを理解するには、 ア、ソフトウェア、ネットワークにおける技術の進歩の性質を理解する必要がある。とくに注 目すべきは、指数関数的な高性能化、デジタル化、組み合わせ型イノベーションという三つの

4. ザ・セカンド・マシン・エイジ

T H E S E C O N D MA C H I N E A G E これまでの五つの章では、セカンド・ マシン・エイジで際立っ三つの特徴、すなわち、コン 。ヒュータ技術の指数関数的高性能化、大量の情報のデジタル化、組み合わせ型イノベーション の増加を読み解いてきた。この三つのパワーは、ごく最近の予測や理論すら覆す勢いでを 現実に変えてしまった。しかも、その勢いが止まる気配は見当たらない。 ここ数年間に見られた進歩、たとえば自動運転車、ヒューマノイド型ロポット、音声認識・ 合成システム、 3 プリンター、スー ーコンピュータといったものは、けっしてセカンド・ マシン・エイジの頂点ではなく、ほんのウォームアップにすぎない。さらに先へ進めば、もっ と多くのイノベーションが出現するにちがいない。それらは一段とわくわくするようなものに なるはずだ。 こんなに自信たつぶりに言えるのは、ちゃんと理由がある。いま挙げた三つの。ハワーによっ て、人類史上きわめて重要な出来事が二つ同時に出現すると見込まれるからだ。一つは真の意 味で有用な人工知能 (<-) の出現であり、もう一つは、地球上の多くの人々がデジタル・イ ットワークを介してつながることである。 152

5. ザ・セカンド・マシン・エイジ

T H E S E C O N D M A C H I N E A G E 私たちは、研究の成果と結論をあちこちでいろいろな人に話してきた。相手は企業経営者か らラジオ番組の聴取者にいたるまでじつにさまざまだが、どの人からもまずまちがいなく「う ちには子供がいるのだが、あなた方の言う将来に備えて何かしてやれることはあるだろうか」 と質問されたものである。その子供は幼稚園児の場合もあれば大学生のこともあるが、親が発 する質問は同じだった。いや、セカンド・マシン・エイジの職業について心配しているのは親 だけではない。学生自身も、彼らを雇う企業も、教育者も、政策担当者も、それ以外の大勢の 人も、機械が進化し続けてもなお人間がひけをとらないスキルは何だろうかと頭を悩ませてい る。 近年の経緯を見る限り、この質問に答えるのはむずかしい。二〇〇四年に書かれたフラン ク・レビーとリチャード・ マーネインの共著『新しい分業』は、この問題に関して現時点で最 もすぐれた研究だが、同書では人間が機械を上回る領域としてパタ 1 ン認識と複雑なコミュニ ケーションが挙げられていた。だがこれまで見てきたとおり、もはや必ずしも人間が上とは言 えなくなっている。では技術の進歩に伴い、あらゆる分野とは言わないまでも、ほとんどの分

6. ザ・セカンド・マシン・エイジ

第 11 章 ゆたかさと格差は何をもたらすか この思考実験は、現実よりむしろに近いと感じられるかもしれない。果たしてこの実験 が何かの参考になるだろうか。今日のアメリカ企業では、これほど賢いヒューマノイド型アン ドロイドは働いていない。そもそもこんなアンドロイドはまだ誕生していないし、パターン認 識、複雑なコミュニケーション、知覚、運動スキルを必要とする分野で人間にとって代われる ような機械の開発はあまり進んでいない。しかし本書の前半で見てきたように、進歩のペース は最近になって驚くほど加速している。 人間が有能な機械に置き換えられるにつれて、機械と同じようなスキルしか持ち合わせてい ない人間の賃金は下がっていくだろう。経済学の知識からしても、経営戦略からしても、自分 に近い代用品と競争するのは得策ではない。相手がコスト優位に立っているなら、なおのこと である。 だが、人間とはまったく異なる長所と短所を機械に持たせることは、理論的には十分可能な はずである。機械が強く人間が弱い分野に着目し、両者のちがいを増幅する方向で機械を設計 するなら、機械は人間にとって代わるのではなく、人間を補う存在になりうるだろう。そうな れば効率的・効果的な生産には人間と機械の両方が必要となり、機械の性能が向上しても人間 の価値は下がらず、逆に上がると期待できる。 経済学と経営戦略の視点からもう一つ言えるのは、これからどんどん増えるものの周辺には 有望なチャンスがある、ということだ。そこには、人間 ( または人間を単純にまねた機械 ) が想像も

7. ザ・セカンド・マシン・エイジ

T H E S E C O N D MA C H I N E A G E ドルに躍進するかもしれない : 競争市場にあっては、候補にいくらかでも能力差があると見なされたら、それが報酬 を大きく左右することになる。経済学者のロヾ ート・フランクとフィリップ・クックは、著圭「 『ウイナー・ティク・オール』 ( 邦訳日本経済新聞出版社刊 ) の中で、次のように指摘した。「軍曹が * 川 誤りを犯しても小隊が迷惑するだけだが、将軍が誤りを犯したら軍隊全体が危うくなる」。 相対優位が絶対価値に ースター経済は、経済学者のシャーウイン・ローゼンが一九八一年に初めて論じた。 多くの市場では、選択権を持っ買い手は最高の品質のモノやサービスを選ぶ。しかし供給面に 制限があったり輸送コストがひどく高くついたりした時代には、最高の売り手といえども、グ ロ 1 バル市場のごく一部の買い手しか満足させることはできない ( たとえば一九世紀には、最高の歌い 手や最高の俳優にできるのは大きな劇場を満員にすることがせいぜいであり、これでは年間に動員できる観客の数は数千人程 度に過ぎない ) 。すると、少々劣った売り手でもそれなりのシェアを確保することができる。だ が、デジタル技術の進歩によって複製が安く容易にできるようになり、ほとんどコストをかけ ずにそれをグロー バルに提供できるようになったらどうだろうか。突如としてベスト・。 ハフォ ーマーが市場を支配し、セカンドベストはお呼びでなくなる。市場のデジタル化が進むにつれ、 勝者総取り経済が幅を利かすようになる。 250

8. ザ・セカンド・マシン・エイジ

第 3 章 ムーアの法則とチェス盤の残り半分 将来的にはもっと安価になるだろう。べロダインの創業者にしてのデービッド・ホール は、量産化できれば価格は「カメラ程度に、つまり数百ドルになる、と予想している。 これらの例は、まさに指数関数的進歩を体現するものと言えよう。そして、なぜいまセカン ・マシン・エイジを迎えようとしているのか、それを説明する第一の理由がこの指数関数的 進歩であることを思い出してほしい。この類いの進歩は、またたくまに私たちをチェス盤の残 り半分に連れていく。残り半分にさしかかったら、最初の半分で起きたことは、もはやこれか ら起きることの指針にはならない。ムーアの法則通りに性能の倍増が積み重なり、さらにこれ ーコンビュータの性能がそこらの玩具に搭載され からも続くならば、ほんの数年先にはスー るようになるだろう。以前は取り組むことさえできなかった問題に、安価なセンサーが解決を 与えてくれるようになり、が日々現実と化していくのを目の当たりにすることになる。 ときには、より多く・より小さくといった程度のちがいではなく、まったく質的に異なる解 決が登場することもあるだろう。チェス盤の残り半分に突人したら、いったい何が起きるのか、 どこに到達するのか、わからなくなると肝に銘じておかなければならない。このところ目にす る多くの事例を見る限り、もう残り半分に入っていることはまちがいないと考えられる。

9. ザ・セカンド・マシン・エイジ

T H E S E C 0 N D M A C H I N E A G E が何でもやってくれ、人間はひたすら消費するためだけに存在し、あまりに太りすぎて自分の 足で動くことすらできない。 『ウォーリー』のディストビアからもわかるように、テクノロジーが十分に進化した世界で は、人間のとめどない経済的欲求は完全雇用を保証しない。たとえば人間の輸送需要が途方も なく増えたとしても ( 実際、二〇世紀を通じて途方もなく増えたのだが、 ) 馬の需要にほとんど影響はあ るまい。要するに技術の進歩は、消費が増えれば人間の雇用も増えるという連鎖を断ち切る。 かって馬の雇用についてそうしたように。 言うまでもなく私たちは、ロポットや人工知能 (<—) に何でもやってもらいたいなどとは 思っていない。まさにこの欲求が、完全自動化経済の実現を阻む最大の障壁となるし、人間の 6 労働者が近い将来に消滅しない最大の理由ともなる。人間はすぐれて社会的な動物であり、人 とつながりたいという欲望が経済にも持ち込まれている。私たちがお金を払う多くのものには 何らかの人間的な要素が含まれていることからも、それがわかる。たとえば連れ立って演劇や スポーツを見に行くのは、人間の芸術性や能力を堪能し、それを共有したいからだ。なじみの ーやレストランに足しげく通うのは、単に飲んだり食べたりしたいからではなく、あたたか いサービスを味わいたいからだ。監督やコーチはチームの士気を高めることができるが、これ は本やビデオにはできない。よい先生は生徒のやる気を起こさせ、その後何年にもわたって勉 強に励むきっかけを与えることができる。優秀なセラピストは患者と信頼関係を築き、治療に

10. ザ・セカンド・マシン・エイジ

T H E S E C O N D M A C H I N E A G E モラベックのバラドックスは不減か デジタル技術の発展が最近加速している分野として最後に挙げておきたいのは、ロポットエ 学である。工場、倉庫、戦場、オフィスといった現実の世界を自ら動き回り、対話もできるマ シンを構想・設計する分野だ。この分野も「徐々に、そして突然に」進歩のペースを上げてき蹲 こ 0 ロポットという一一一一口葉が登場したのは一九二一年のことである。チェコの国民的作家カレル・ チャベックが戯曲『・・』 ( ロッサム万能ロポット会社 ) の中でこの一一一一口葉を作り出した。以来、 オートマトン ( 自動機械 ) に人間は魅せられている。一九二九年の大恐慌以降、雑誌や新聞に はロポットの進化を予測する近未来的なストーリーがたびたび登場するようになった。ロポッ トに代理戦争をさせる、犯罪を実行させる、ロポットがあらゆる労働者を駆逐する、挙げ句の 果てにはロポットがヘビー級王者ジャック・デンプシーをノックアウトする、といった具合に。 そして一九四一年には作家で科学者のアイザック・アシモフがロポット工学 ( 「。ぎラ ) という 「二〇世紀に組み立てラインにロポットが導人されて工場労働者が不要になったように、新世 代の考えるマシンの登場で知識労働者は駆逐される。ブラッドと私はその第一号というわけだ。 とはいえ、クイズ回答者はお払い箱になる最初の知識労働者だとしても、最後ではないと確信 している」。