定程度の知識と経験、理論への習熟が求められる。税制があまりにも複雑になり過ぎている面 もあるが、つねに勉強を怠らないことが必要である。 ただし、毎年の税制改正は不要であろう。知恵者の租税回避スキームをつぶす必要があるの でやむをえない面はあるかも知れないが、せいぜい二年に一度でよい。現在のように毎年膨大 な量の改正を行っていると、専門家である税理士でさえ勉強が間に合わない。「特別措置、覚 えた頃には廃止されーという川柳もあるくらいである。 者 何 2 官僚 タ 経済重視の吉田ドクトリンの結果、戦後の稀少な資金を配分する権限が大蔵省に集中し、ま イ ~ た内務省が解体されたために、大蔵省が霞が関で突出した官庁となる形になった。しかし、カ ツネを配る機関が国政の中心で政策全体を牛耳るという状態は、英米と比べてみても行政府のあ タ り方として健全ではない。金権亡者の跋扈する政治となることは必然であった。ここでは、巨 章 大な予算を求める事業官庁もふくめて、官僚機構の内実について述べよう。 第
た金融制度の仕組みが、成長する日本経済にとって桎梏となっていたことである。「規制に利 益ありーの言葉が示すように、規制にすがりついて既得権益を墨守しようとする既得権益者が 多数いた。他方で、規制を喜ばず自由な業務展開を求める起業家精神に富んだ者がいた。そし て市場経済が発達し、経済が国際化するに従って、規制緩和を求める声が国内外で大きくなっ ていたのである。 「金融は経済の血液である」という。金融システムはそれだけ重要な経済のインフラである という表現である。行政改革の基礎に金融自由化が不可欠であるのはこのためでもある。しか し一方では、先進各国を見渡しても金融監督庁を置いていない国はない。 これは、金融システ ムが崩壊するようなことがあると、経済に取り返しのつかないダメージが与えられるからであ る。そこで、事前の規制行政こそが重要であるという認識 ( よ、当時から世界の金融行政の常識 であった。 この二つの要請、すなわち規制緩和の必要と事前的な規制監督行政の必要とは真っ向から矛 盾する。世界的に見ても金融行政はこの矛盾する要請の合間で揺れ動いてきたし、今でも巨大 な振り子のように振れている。ただ、当時の日本の護送船団方式の金融行政は時代遅れで腐蝕 し切っており、二つの矛盾する要請のいずれから見ても落第であったのである。 112
このような事態を起こさないようにするというのが 取り付け騒ぎを起こしてしまいかねない 当時の旧大蔵省の発想の残滓であった。 しかし、この第一次公的資金の注入は「 ( oosma = , ( 00 一 a ( e 」であると評価されて、各国から 失敗の烙印を押されてしまった。結局、第二次の大量の公的資金の注人がおこなわれ、ようや く金融機関は息を吹き返した。スウェーデンの金融危機と米国の & 危機の経験から、国家 規模の金融不安に際してはの一〇 % の政府資金が必要であることが相場感となっていた。 日本国経済は五〇〇兆円経済である。政府ははじめ六〇兆円、のち七〇兆円の資金を用意し、 二次にわたる公的資金の注入をおこなって辛うじて危機を乗り切ったのである。 ハンキングーと言われたように、一三ないし二三もの主要金融機関が 革日本には「オー 政あった。その大半が債務超過である状況の下では、諸外国と競争にならない。そこで外国のメ 行 なガバンクと競争になっても潰れないだけの規模のメガバンクを作る必要が生じた。やがて退場 わと合併の繰り返しによって数が絞られ、現在ではメガ金融機関は三つないし六つに集約されて 終 章 武士の情けで「タックス・イーターである」とまでは言わないが、そうして生まれたメガ金 第 融機関は、かって注人された公的資金をすべて返済できたのであろうか。納税はしているので 125
過ぎない 地方自治法によれば、住民訴訟を起こすに当たって、住民はまず監査委員にたいして住民監 これを「住民監査請求前置主義ーという。公金検査訴訟制度に 査請求をしなければならない おいては、これは会計検査院に対する事前の検査請求によって代替される。その意味でも、会 計検査院の機能強化は必須である。 制度の創設に当たっての問題は、金銭の絡んだ会計経理だけにとらわれない訴訟類型にする ことである。その意味で、「公金検査」という言葉の与える金銭的かっ会計経理的なイメージ を払拭する「国民訴訟」という名称の方が適切であると思われる。制度設計の基本的な考え方 を、歳出予算の重箱の隅をつつくようなものでなく、大規模プロジェクトの効率性をも争える ものとする必要がある。本四連絡橋がなぜ一度に三本も必要なのかとか、国立競技場はなぜ改 築ではいけないのか、といった類の問題提起も視野に入れられなければなるまい。日本の議院 内閣制の下では、行政府と立法府が相互チェックをする機能を果たすことはあまり期待できな いからである。とはいえ、訴訟はまず会計監査に限定して始めればよいであろう。制度の導人 を優先し、その定着を待って、やがてはこれを業務監査へと広げていく二段方式で行けばよい 192
アベノミクスにおける「第一の矢」は金融政策による円安誘導である。しかし、輸出型企業 は現在、円が大幅にぶれるのを嫌って、すでに生産拠点を海外に移してしまっている。円安が 輸出振興に役立っという神話はもはや成り立たない。安倍総理の放った一本目の矢が的の中心 を射貫くことはない。次なる「第二の矢ーは機動的な財政政策である。古典的な手法であるが、 これは供給が追いっかずに効果が出ていないという予想外の結果に終わった。 財政政策の難しさは、ゝ しちど熱を帯びた経済を引き締めることはなかなか難しいことである。 景気刺激策としての財政政策は即座に実行される。しかし、経済が財政によるテコ入れを必要 としなくなり、むしろ逆に引締めを必要としはじめたとき、政府は国民の不人気を恐れるあま り、世論に評判の良くない引締め策をためらう。対策はつい遅れがちになり、かっ不十分なも のになる。これを、財政政策の「非対称性ーという。その点が決定的に重要である。 著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』によって財政政策の発動による恐慌対策を考案し たケインズは、このことに当初から気がついていた。そして、財政政策の発動による景気調整 は、民主主義的な意思決定によるのではなく、ひと握りの知的エリートによってなされること を前提とすればよいと考えた。このような考え方を、ケインズの生家のあるケンプリッジの通 りの名にちなんで、「ハーヴェイ・ロードの前提」という。
次長組は実務の査定、主計官・局長組は国会関係というように、それぞれが事務と政務とを分 担する。 第一次局議に先行して、あるいはそれに並行して「重要局議、がおこなわれる。これは主計 局長が主宰するもので、官邸の了承を必要とするような政治案件の重要事項について議論する 会議である。このような重要案件は、小泉内閣が創設した「経済財政諮問会議」の『骨太の方 針』において決定されるようになった。 予算編成権を握る者 よ、小泉内閣において本格稼働を始めた合議制機関である。総理を議長と 経済財政諮間会議ー 策 対 して関係閣僚と有識者を集め、経済・財政運営の基本方針を定める。二〇〇一 ( 平成一三 ) 年、 所中央省庁再編の一環として内閣府に設置され、小泉総理によって活用されるところとなった。 題例年六月頃に予算編成の基本的な考え方である『骨太の方針』を提示する。 誰が予算編成の決定権限をもつのかという点については、昔の大蔵省の専権だった時代と違 6 って現在は流動的になった。その時々の総理、財務大臣、経済財政諮問会議メンバー て、どういう人となりであるかによって異なったものとなる。予算編成権を官邸で主導するの 175
く行われるように監督する職責を果たしています」とある。ここで「独立した憲法上の機関」 という点が重要である。 そこで間題となるのは、タックス・イーターの事例の数々を発見し、評価を下し、公表し、 是正を勧告する権限が会計検査院にあるのか、あるとすればその職責を果たしているのかとい うことである。結論を先に言えば、会計検査院には法律上、その権限を与えられているにもか かわらず、実効性のある機能をほとんど果たしていない。そして、そのような機能を果たそう とする意欲もなければ能力もない 会計検査院の権限 最も重要なことは、会計検査院の権限である。これについては、憲法九〇条を受けて会計検 査院法二〇条が定めている。同条によれば、 「第二〇条会計検査院は、日本国憲法第九〇条の規定により国の収人支出の決算の検査を 行う外、法律に定める会計の検査を行う。 2 会計検査院は、常時会計検査を行い、 会計経理 を監督し、その適正を期し、且つ、是正を図る。 3 会計検査院は、正確性、合規性、経済性、 効率性及び有効性の観点その他会計検査上必要な観点から検査を行うものとする。」 180
この二つの部門ごとの支出と収人を考えてみる。①では、過去の公債発行による借金につい て、国債費 ( 当年度における元本の返済と利払い ) を支出とし、当年度における公債発行金を収入 とする。②は①以外の支出と収人で、国債費以外の主要経費を支出とし、公債発行金ではない 収人 ( おもに税収 ) を収人とする。ここで主要経費とは、国債費、社会保障関係費、公共事業関 係費、地方交付税等、その他などで示される経費分類である。 プライマリー 、ハランスとは、この②の部門の支出と収入のバランス ( 均衡 ) を指している。 言い換えると、当年度の借金は、当年度の経常の経費にはつぎ込まないという方針である。要 するに、政策上必要とする経費はあくまで税収でまかなうということである。国の財政にとっ てプライマリーなもの ( 本質的なもの ) は②の経常部門であり、①の借金部門はとりあえず脇に 置いておきましよう。というわけである さて、そのプライマリー・ バランスの均衡が、昨今の財政再建目標であるといわれる。かっ ての財政再建目標は、「赤字国債をゼロにする」とか、「公債依存度を三〇 % に抑える」とか、 今からみれば夢のような目標であった。しかし、そのようなとても達成できない目標を掲げて いては、もう誰も信用してくれない。そこで、なぜそれが目標なのかという理論的な体裁を整 えるのもさることながら、「かなり頑張れば何とか達成できそうなものーを選んで設定するこ
れだけ上乗せさせるかという考え方になる。これを「増分主義」という。高度成長による税収 の伸びを背景に、財政需要をどんどん膨らませた時代の名残である。主計局が査定をするのは、 そうした新規要求の増分に対してである。その意味で「ゼロからの積み上げ」はあくまで建前 といえる。増分主義に凝り固まった各省庁の既得権を引きはがして、本当のゼロから予算を編 成する意思も力もない。そもそも、そういう発想すらない このような時代錯誤で矛盾した考え方の下で予算編成はおこなわれ、全体構造を考えること もなければ、将来の国民の負担を見据えることもなく、タックス・イーターに予算をばらまく 編成方式がずっと維持されてきたのである。 策 補正予算 所補正予算の編成は、例外なく毎年おこなわれる年中行事である。災害などがあると第三次や 題第四次補正予算まで組まれることがある。そうして補正予算を編成するたびに、財政規律の箍 が外れてい 章 ーリングがあるから、要求側の官庁も賢く ( 小狡く ) 対応するようにな 7 当初予算では厳しいシ 第 っている。どうしても必要な経費については当初予算ではあえて要求しないか、頭出しの小さ
5 鉄のトライアングルの萌芽 中央と地方 かって高度成長のエンジンであった企業は、東京を筆頭とする大都市圏ないし大工業圏にあ った。輸出で外貨を稼ぐ大都市圏を「中央」と呼ぶとすれば、農村部は「地方」である。高度 きんてん 成長期とは、中央の稼いだカネを地方にばらまいて、経済成長の果実を国内にくまなく均霑す る仕組みが作られた時代であったともいえる。「国土の均衡ある発展」というスローガンの下、 一地方のための様々なバラマキ予算が考案されていった。 とくに、各省が何か新たな政策を打ち出すと、政策措置である以上はそれにともなって補助 イ 金や税制の優遇措置が付く。新たな制度を作った省庁としてはそれを使ってもらいたいから、 ス ク 地方に採用を働きかける。地方は慢性的な財源不足にあえいでいるのが普通であるため中央の タ 頼みを断れない。かくして、不要な政策であっても中央の押しつけによって地方は採用せざる 章 をえなくなる。 第 ところが、そのような事業に必要な予算の全額を国が持ってくれるわけではない。特定の社