ゲーリング - みる会図書館


検索対象: トーキョー・プリズン
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1. トーキョー・プリズン

グ自殺」のニュースはたちまち世界中を駆け巡り、関係者に多大な興奮と、少なからぬ衝 撃を与えていた。 だが、ナチス高官が自殺したことが、私や、ましてやキジマとかいう日本の囚人と、 ったいなんの関係があるというのだ ? 「きみには、あのゲーリングが自殺用の青酸カリを獄中にどうやって持ち込んだのかわか るかね ? 」ジョンソン中佐は、私の顔に目を据えたまま言葉をつづけた。「ナチス高官で 彼こよ何と ある彼が、獄中で服毒自殺を遂げることなど本来あってはならぬことだった。 , 冫を しても正義の裁きを受けさせなければならなかったのだ。実際、逮捕された後、ゲーリン グは一日二十四時間、つねに、厳重に監視されていた。だが彼は、結局、自ら準備した青 酸カリを獄中で仰いで、処刑一一時間前にまんまと自殺してしまった。 ニュルンベルクで大騒ぎになったことは言うまでもない。彼がいったいどうやって厳重 な監視の目をかいくぐって青酸カリを持ち込み、またどこに隠し持っていたのか ? 再発 プ防止のためにも、ゲーリングのとった方法が明らかにされなければならなかった。調査委 しい、か、れ、 一員会がつくられ、何人もの専門家たちによって調査がつづけられていた : キ調査は依然として継続中だったのだ。 ところがキジマは、、、 ケーリングの写真をひと目見ただけで、彼が獄中に青酸カリを持ち 込んだある可能性を指摘した。無論、看守からの報告を聞いた時点で、われわれは半信半 疑だった。だが、一応可能性は可能性として、ニュルンベルクに伝えた方がいいと判断し

2. トーキョー・プリズン

ころまったく不明だ」 「その事件を私に調査しろと ? 「きみが ? プリズン内で起きた事件を調査 ? 」ジョンソン中佐は一瞬驚いたような顔に なり、すぐに首を振った。「いや、そうじゃない。われわれが期待しているのはキジマと いう囚人だよ」 「キジマ ? 」 「サトル・キジマ、元日本陸軍中尉だ」 ら ~ いったい何を期待してい 「しかし : : : 」私は混乱してたすねた。「その日本人の戦巳こ、 るのです ? 」 のぞ ジョンソン中佐は私の顔を覗き込み、灰色の眼の奥でなにごとか計算する様子であった。 それから話題がいきなり妙な方向に飛んだ。 「ゲーリングが自殺したことを知っているかね ? 」 あっけ 呆気にとられ、すぐには返事ができなかった。 ナチス・ドイツの指導者の一人、ヘルマン・ゲーリングのことを言っているのなら、そ う、もちろん知っている。 ゲーリングは、ナチス・ドイツを裁くニルンベルク国際軍事裁判で絞首刑を宣告され、 処刑二時間前に獄中で謎の自殺を遂げた。確か服毒自殺だったと聞いている。「ゲーリン

3. トーキョー・プリズン

417 解説 まず、キジマの脱獄騒ぎのエ。ヒソードから連想したのは、ジャック・フットレル作「十 三号独房の問題」という有名な短編ミステリだ。〈思考機械〉の異名を持つ、オーガスタ ス・ co ・・・ヴァン・ドウーゼン教授が活躍する連作集の最初の一作で、密室からの 脱出をテーマにしている。刑務所の死刑囚監房に入れられた〈思考機械〉は、一週間以内 で脱獄すると宣言し、見事に十三号独房から脱出してみせた。密室からの人間消失をあっ かった名作古典として海外ミステリのマニアなら、知らない人はいないだろう。 また冒頭で、キジマはナチス・ドイツの指導者のひとり、ゲーリングの自殺の謎を解き 明かしている。つねに厳重に監視されていたゲーリングはどうやって青酸カリを手に入れ たのか。どのように獄中へ持ち込み、どこに隠していたのだろうか。これは、「密室から の脱出」の逆パターンにほかならない。推理の手順が〈思考機械〉と似ている。 , 仄に、フェアフィーレ ノドがはじめてキジマと面会するシーンは、さながらホームズもの の一場面のようである。ちょっとした相手のしぐさや言葉をもとにすべてを洞察してしま う。しかもキジマは、ゲーリング自殺事件の推理過程を説明し、「つまり他の可能性がす べて間違いだと判明したあとならーーそれがいくらありそうにないことだとしても、残っ たものが真実ということになる」と述べている。これは、『シャーロック・ホームズの冒 険』の一作「緑柱石の宝冠」における「かねてから私は一つの信条をもっています。あり えないことを消去していけば、あとに残るのよ、 をいかにそれが信じがたいものであっても、 真実にちがいない、 ということです」という一一一一口葉のもじりだ。そのほか、面会に来た者が

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を考えているかは、手に取るように明らかだったよ 「要するに : : : 世界を悩ませた謎の答えが″ボマード の瓶〃だったというわけか ? 」 「おそらくゲーリングは、逮捕される以前に青酸カリを用意していたんだろう。そして、 整髪用と称して、特別注文の高級ボマードを瓶ごと獄中に持ち込むことに成功した。奴は 瓶の中に青酸カリ入りのカプセルを忍ばせていた : 。それだけの話だ。大した謎じゃな しさ 私は少し考えて、キジマにたずねた。 「きみは今度の戦争中の記憶を失っていると聞いた。本当なのかフ 「単刀直人。よい質問だが : : : その質問は意味がないな」 キジマはにやりと笑って答えた。 「俺の言葉を信じるかどうかは、あんたの側の問題だ。結局のところ、他人の記憶を覗く ことなど誰にもできはしないのだから」 うなず プ なるほど、私は頷いて立ち上がった。短くなったタ。ハコを便器にほうり込み、振り返っ 一て言った。 キ「それじゃ、質問を変えよう。きみが本当に記憶を失っているのなら、なぜゲーリングの 自殺の方法を知り得たのだ ? 」 「王様は裸だ」 「なに ? のぞ

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「あんたは、子供の目がときとして大人の知り得ない真実を見抜くことがあるのはな。せだ と思う ? 」 キジマはゆっくりとした口調でつづけた。 「同じものを見ても子供にはものとものとの関係性が見えない。大人にとっては至極当た り前の関係性というやつが、子供には分からないんだ。だから、子供にはときとして大人 に見えないものが見えることがある。 俺も同じことだよ。五年間の記憶を失った俺にとっては、目に見えるものはなに一つ当 たり前ということがない。俺は、あんたたちが当たり前だと思うものとものの関係性を懸 命に考えなくちゃならないんだ。だから、ときとして、あんたたちが見えないものが見え ることがある : 。例えばあの写真がそうだ」 キジマはゲーリングの写真を貼った壁にむかって軽く顎をしやくってみせた。 あの写真の中でゲーリングが、被告の立場だとい 「あんたはなぜおかしいと思わない ? うのに、まるで映画スターかなにかのようにめかし込んでいることを。奴が身につけてい る軍服は、どう見ても、監獄で支給されたお仕着せなんかじゃなく、体に合わせてわざわ ざ作らせたもののようだ。胸ポケットから覗いている絹のハンカチは、まるで香水でも染 : そう、多分あんたたちは、あの写真がナチス・ドイツ み込ませていそうじゃないか。 を裁く〃世紀の裁判〃ということでなんの不思議も感じないんだろう。〃世紀の裁判の登 場人物はみす。ほらしくあってはならない〃、それが大人の常識だ。 あご

6. トーキョー・プリズン

ふた 下の壁に机を兼ねている蓋付き洗面台と、あとは右隅の壁際に椅子兼便座が見える。 部屋の左側の壁の隅に、雑誌から切り抜いたらしい一葉の写真が貼ってあった。 ニュルンベルク法廷で証言するヘルマン・ゲーリング。生前最後の姿となった有名な写 真である。 不意に耳元で、しやがれた低い声が聞こえた。 「 : : : ボマード の瓶だ」 はっとして振り返ると、壁ぎわに置かれたべッドの上でキジマが首だけを動かし、相変 わらず大きく見開かれた目で、私をしっと見ていた。 「あんたが、いま知りたいと思っていたことの答えだよ」 キジマはそう言って、にやりと笑った。 私は一瞬幽霊に会ったときのようにそっと寒気を覚えた。言葉の意味が頭に到達したの は、その後だ。 なるほど私はいま〃ゲーリングがどうやって獄中に青酸カリを持ち込んだのか、ジョン ソン中佐から答えを聞くのを忘れていたな〃とぼんやり考えていた。ポ ドの瓶 ? そ れが答えだというのか ? だが、それならキジマは私の心の中をどうやって知ったのだ ? つぶや キジマは、大きく見開いた目をじっと私に向けて呟いた。 「ふん、ニュージーランドか : 。遠いところご苦労なことだ。ま、せいぜいよろしく頼 むぜ」

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私立探偵などといういかがわしい職業の外国人となればなおさらだろう。だが一方で、ト ーキヨー裁判判事の推薦状を持参した者を正面から断ることはできない。そこで彼は、キ ジマという無理難題をふつかけることで、私が自分から逃げ出して行くよう仕向けた : そんなところが真相らしく思われる。 あいにく だとすれば、お生憎様だ。 私は、自分でも意外なほど、″押しつけられた相棒〃であるキジマに興味を覚えていた。 興味 ? いや、むしろ対抗心と呼ぶべきかもしれない。 キジマはさっき、ごくささいな手掛かりをもとに、初対面の私の母国や、あるいは興味 の対象 ( ゲーリングの自殺方法 ) などを見事に推理してみせた。だが、それは本来私が行 うべきことだったのだ。ジョンソン中佐がどんな偏見を抱いていようがたいして気にもな らないが、キジマの行為はこたえた。私にも職業的プライドが いささか偏ったもので 冫をしカオカオカくなるうえ はあるがーーある。このままおめおめと引き下がるわけこよ、 プは、なんとしてもキジマより先に毒死事件の真相をつきとめるしかない。あるいは失われ 一た過去とやらを見つけ出して、彼の鼻を明かすかだ まゆ キそう考えて、私は眉をひそめた。 失われた記憶。 キジマは言った。「俺にとっての事実を知りたい」「俺はなぜそんなことをした ? 俺は その理由を知りたいのだ」と。戦争中、キジマは捕虜収容所所長として捕虜たちを残酷に

8. トーキョー・プリズン

だが、記憶を失い、ニュルンベルク裁判の意味を知らない俺には、あの写真は不自然な ろう′」く 感じがして仕方がなかった。なぜ牢獄から真っすぐに裁判所に引ぎ出されたゲーリングが、 ボマードをつけてめかしこんでいられるのだ ? もしかするとニュルンベルクの囚人たち は、獄中に普段の生活に必要な身のまわりの品を持ち込むことまで許されているんじゃな いか ? とすれば、誰かが自決用の毒薬をカプセルに入れてボマードの瓶の底に隠してい たとしたら、検査係はあのねちゃねちゃとした不透明なボマード の瓶の中身をすべて確認 できなかったとしても不思議じゃない。 もちろん、こんなものはただの子供の思いっきにすぎない。だがそれも、あんたたちが よってたかって他の方法では獄中に毒薬を持ち込めなかったことを明らかにしたあとなら つまり他の可能性がすべて間違いだと判明したあとならーー・・・それがいくらありそうに ないことだとしても、残ったものが真実ということになる」 低く、囁くような声でそう語るあいだ、キジマの目は天井に向けて大きく見開かれたま プまであった。 一「それで、きみは何が望みなんだ ? 」私は新しいタバコに火をつけ、キジマに尋ねた。 キ「記憶だ」 こた キジマは反射的に応えた。 尸冫しったい何を 「俺は身に覚えのない罪で逮捕された。俺は、記憶を失っていた五年のこ、 したのだ ? 俺は何者だったのだ ? 」

9. トーキョー・プリズン

た。その結果、驚いたことに、むこうの調査委員会は、ゲーリングの自殺はキジマが指摘 した方法以外には考えられないと結論したのだ」 私が一言葉の意味をはかりかねていると、ジョンソン中佐は顔のわきで軽く手を振ってみ せた。 「もちろん、偶然ということも考えられる。狂人がたまたま口にした意味のない言葉が、 偶然真実を言い当てたという可能性もなくはない。だが、キジマはその後も、交替で彼の 監視にあたる看守たちのごく個人的な情報を次々に暴き立てていて、いまではみんな気味 悪がって彼に近づこうとしないほどなのだ」 どう反応していいのか戸惑った。物語中の名探偵でもあるまいし、写真をひと目見ただ けで謎を解くなどという話を信じろと言う方がどうかしている。それともジョンソン中佐 は私をからかっているのだろうか ? 「キジマは現在、手錠、及び足錠をもって拘束されているージョンソン中佐はかまわず一言 葉をつづけた。「もちろんこれはあくまで一時的なものであって、連合軍が戦犯容疑者を 扱う方法としては一般的なものではない。だが、われわれの側でも、そうせざるを得ない 事情があったのだ」 「事情、というと : 、」うりゅう 「彼はこれまでに二度、脱獄騒ぎを起こしている。最初に勾留されたオーモリの捕虜収容 所から一度。垂直な牢の壁に背中をつけてヤモリのように天井まではい上がり、天窓を頭 ろう

10. トーキョー・プリズン

人たちはたちまち全員が、足を引きすった、あるいは着物の前をはだけた、いささかみす かっこう ぼらしい恰好へと変わっていく。 「いったい : : : 何をしている ? 」 「自殺防止のためなのです」横手から別の声が答えた。「裁判所に出廷させるのに、さす がにあの恰好ではまずいですからね。ただしプリズン内では、ベルトや靴紐はおろか、日 本の下着であるフンドシの紐はもちろん、パンツのゴムの使用も禁止されていますー すらすらと答えたのは、正規のアメリカの軍の軍服を着てはいるが、しかしどう見ても 日本人の顔をした小柄な若者であった。 「ケン・ニシノ。日系二世です。ここで通訳として働いています」 「自殺防止 ? 」私は眉をひそめて訊いた。 「ゲーリングの一件以来、上の方がいささか神経質になっているのです。プリズン内では、 とが この 紐だけでなく、尖ったものは一切禁止。刃物類はもちろん、食事のさいの食器も プあいだまでは陶器製のものを使わせていたのですが・ーー破片で自殺を試みられては困ると 一いうのでアルミ製品にかえられました。日本のハシも危険なので、いまではスプーンしか しん キ使わせていません。もし囚人が手紙を書きたい場合は、万年筆は危険なので、芯のまるく あやま トなったごく短い鉛筆を渡しています。万が一、危険なものが外から過って持ち込まれない よう、ゲートを通過するさいは、、 力ならす厳重な身体検査を受けることになっています」 ニシノはゲートを指さした。