「申し訳ない。。 とうか許してほしい しいえ、こちらこそーキョウコは床に視線を落とし、かすかに首を振った。「醜い顔 。あな を見せて不快にさせるよりはと思し 、、、礼儀に反する話し方をしてしまいました : たのおっしやる通りです。お詫びしなければならないのは、わたくしの方ですわー 「その方が落ち着くというのであれば、元のように座ってもらいたい」私は目を伏せ、さ つきポケットにしまったタ、、ハコを取り出して、火をつけた。「そのうえで、あらためて話を 聞こう」 キョウコのこわばった顔に、かすかにほっとした表情が浮かぶのがわかった。 , 彼女は静 かに頭を下げ、ひっそりとした動作でまた横顔を向けて椅子に座りなおした。 ィッオに視線を向けると、彼は戸惑った様子で眼をきよろきよろさせた。 「えーと : : ぼくたちは、その : : : キジマを昔から知っています : : : あいつは捕虜虐待な : ほくたち どという、むごい行為のできる人物では絶対にありません : : : だから、その : プ はなんとかしてキジマを救い出したい せめて話をしたい と考えているのです」よ 一うやく落ち着いた。「それなのに、キジマときたら、ぼくはおろか、せつかく苦労して月に キ一度の面会に来た婚約者のキョウコにまで、これまで一度も会おうとはしないんです」 「 : : : あの人はぎっと、自分が記憶を失っていることに混乱しているのですわ」キョウコ が口を開いた。「あの人にとって時間は、戦争がはしまる前で止まっているのです。あの人 の記憶のなかでは、わたしはまだ婚約者ではない。それに :
戦闘機から脱出したさい、既に死亡していたのかもしれない。あるいは、なんらかの理由 で落下傘が開かなかったのかもしれない。開いた落下傘が機体にひっかかって一緒に海の 中にもっていかれたのかもしれない。実際、そんなことはいくらでもあったのだ。 リスが今も生きている可能性は薄いだろう」 「でも、そう思っているのなら、なぜわざわざ日本にいらっしやったのです ? ーキョウコ まゆ は形の良い眉をひそめてきいた。 「あのままでは、クリスのお袋さんは本当におかしくなってしまっていた」私は肩をすく めた。「私自身は戦場で数多くの理不尽な死を目の当たりにした。さっきまで元気に話し ていた奴が、次の瞬間、目の前で頭を吹き飛ばされて無残な死体に変わる。そんなことが いくらでもあった。自分が今生きていること自体、一種の奇跡に思えてきたくらいだ。だ が、幸運なことに、今度の戦争でニ = ージーランドは戦場にならなかった。日本のように 以爆撃で焼け野原になることもなかった。あの土地では、愛する一人息子がどこか遠い場所 で、突然この地上から跡形もなく消えうせたと聞かされても、信じることは容易ではない。 もしクリスが死んだのなら、そのことを彼のお袋さんに納得させることが必要だ。私はむ ・ : 私の話は以上だ」顔の前で手を振り、 しろ、そのために日本に来たようなものなのだ。 話題を変えた。「きみは小説に出てくる探偵についてずいぶん詳しいようだが、探偵小説 をよく読むのかっ・ 「よく、というほどではありませんわ」キョウコは首を振った。「ただ、幼い頃のわたし 235
こんしん 渾身の力を込め、勢いよくドアを開いたグレイは、しかし次の瞬間、あっと声をあげて しりもち 顔を覆い、突き倒されたようにその場に尻餅をついた。 極彩色の塊がグレイの顔をかすめて、廊下に飛び出してきた。 鮮やかな赤や緑、といった監獄にはおよそ不似合いなその塊は、ばさばさと羽ばたきを しながら、廊下の天井近くを飛び回った。 あっけ 呆気に取られて眺めていると、ニシノがにやにやと笑いながら説明してくれた。 あいがん 「オウムですよ。かれは現在、このスガモプリズン内で飼われている唯一の愛玩動物なん です。 : : : おかしいな ? いつもは外の鳥小屋で飼っているんですが : : : どこから入って きたのだろう ? 」 オウムは天井近くを飛び回りながら、時折あの甲高い声を発した。 「ガッデム、ガッデム : : ファック・ユ : ジーザス・ジーザス : ッケッケ : : : 」 グレイがようやく我に返った様子で立ち上がった。 「ちくしよう、馬鹿にしやがって : : : 」 しゅうち 顔がまた赤くなっていたが、興奮というよりはむしろ羞恥のためのように思われた。 気がつくと、スガモプリズンの廊下に、押し殺した低い笑い声がさざ波のように広がっ ていた。 だが、廊下に突き出された日本の囚人たちの顔はいずれも無表情のままであり、誰が笑 ・ジーザスー ケッケ
ひざだ 場に膝立ちになって、ぽかんとした顔で自分の腹を見ていた。 男の脇腹から、なにか妙なものが突き出ていた。よく見ればそれは、あたしが昼間研い で置いておいた出刃包丁の柄だった。大きな出刃包丁の刃が、まるまるすつ。ほりと男の腹 に突き刺さっていたんだ。男は包丁の柄をつかんで、何度か抜こうと試みているようだっ た。けれど、刃は腹の中でどこかにひっかかっているみたいで、全然抜けやしない。その うち男は白眼をむき、痙攣をはじめて、やがて動かなくなっちまった。 あたしはそのようすを、台所の隅で、着物の襟をかきあわせ、身をかたくしながら全部 見ていた。目を逸らそうと思ってもできなかった。あのままだったら、あたしはきっと朝 までそうしていたに違いない。 そこへ、キジマさんが人って来たんだ。脱走した捕虜を探しているうちに、うちの裏口 が開いているのに気づいてようすを見に来たのだと言った。キジマさんは、入ってくるな ズりひと目で事情がわかったみたいだった。あの人は、脱走した捕虜が死んでいるのを確認 すると、台所の隅で震えているあたしの正面に来て、肩をつかみ、目を真っすぐに見つめ てこう言ったんだ。 『いいか、よく聞くんだ。脱走した捕虜はこの家には来なかった。この家の裏手の山に隠 れているところを私が発見して、私が刺殺した。きみはなにも知らない。なにも見ていな ぼうぜん あの人は、呆然としているあたしに無理やり内容を繰り返させると、死んだ捕虜を一人 けいれん
339 トーキョー・プリズン と、男がむけた器具のなかに自分から入っていった。 どうやらグレイの不審を招いた〃変なもの〃は、手製の鳥籠だったらしい 男は振り返り、やはり私たちにペこペこと頭を下げながら、事情を説明した。 「面目ないことです。さっき鳥小屋の掃除をしていたら、眼をはなしたすきにタローが逃 げてしまいまして : : : おや、ご存じない ? タローというのはこのオウムの名前です。で、 こっちの方向に飛んできたんで、この鳥籠をもって探していたんですが、わたしがタロー を見つける前に、わたしがこの人に見つかってしまいまして : : : それでまあ、この独房に ほうり込まれてしまったというわけです、はい。まったく面目ないことです、はい」 と首をすくめた男は、ニシノの通訳を待って先をつづけた。 「でもまあ、おかげさまでこうして無事タローを捕まえることができましたので、これに て失礼をいたします。ではみなさん、さようなら。ごきげんよう」 腰をかがめ、ペこペこと頭を下げながら独房を出ていこうとする。私はあることを思い つき、声をかけた。 「ちょっと待ってくれ ! 話がある」 男を呼び止めておいて、ニシノを振り返った。 「通訳を頼む。ミラー軍曹が死んだ日の鳥小屋当番が誰だったかわかるか、この男に訊い てみてくれ。できれば、アベという囚人が死んだ日の鳥小屋当番の名前も知りたい」 = シノは眉をひそめ、いったん鳥籠を提げた男に口を開きかけたものの、結局私を振り まゆ とりかご
おり。ーー殉教者めいた悲しげな顔の中年歯科医に惚れていたのだ。ャングはアシレイ医 師の気を引こうとして、うまくいかなかった。少なくともアシレイ医師は、彼をけっし て恋人扱いしようとしなかったのだろう。そんなことはヤングにとってはじめての経験だ った。混乱したヤングは、うまくいかない原因が、しばしば歯の治療に訪れているミス・ フジムラのせいだと思い込んだ。〃彼女がアシレイ医師を誘惑している、だから彼は自 分を見てくれないのだ〃と。 嫉妬は、太古の昔から人間を犯罪に駆り立ててきたありふれた動機だ。そして、その感 情が必すしも実態を伴う必要のないことは、シェイクス。ヒアが『オセロ』のなかで証明済 みであった。 「それじゃャング、本当にきみが彼女に薬を盛ったのか ? 」ニシノは無言で涙を流すャン グと私の間でいそがしく首を振り、どちらにともなくたずねた。「しかし、あの衆人環視 の状況で、いったいどうやって : 「ヤングは助手として、当日の昼間、彼女が歯の治療を受けた現場にいたんだ」私はタバ コをくわえたまま言った。「そう、彼にならできたはずだ」 まゆ 「処方薬をすり替えたというんですか ? 」ニシノが疑わしげに眉をひそめた。「しかし、 彼女が映画会のあいだしゅう、なにも口にしなかったことは、両隣についていた二人の女 警官がはっきりと証言しているんですよ ? 」 「ドクタ・アシュレイは、悪くなった歯を削り、開いた穴に暫定的な詰め物をしている。 しっと
301 私は不思議に思って、部屋の中の女たちにもう一度目をやった。いずれも貧相な体格を した日本人の女ばかりだ。この小柄な女たちが、酔っ払って暴れている大柄なアメリカ兵 たちから私を救ってくれたとは、にわかには信じられなかった。 「べつに、あんたを助けたわけじゃないさー一人だけ和服姿をした上品な顔つきの中年女 が口を開いた。「あたしら、ここでこのクソ商売をやっているんだ。あんなクソ大声でわ めかれたんじゃ、ほかのスケベなクソ客どもがナニする邪魔なんだよ」 すさまじい英語に顔をしかめた。洗練された、品のある物腰とはあまりにもかけはなれ すぎている。だが、考えてみれば″クソ〃を多用する汚い英語は、日本に駐留するた ちの一一一口葉そのままであった。女たちの取りまとめ役らしい彼女の英語は、たち相手の 商売を通じて自然に身についたものなのだろう。オウムと同じだ。 「せつかくナニしに来たクソ客を逃しちゃしようがないからね。もめごとなんて、こう言 ン 以やたいていカタがつくもんさ。 " おい、どうしたてめえ ? てめえもファックが好きなん プだろう ? え、このスケベ野郎〃」 あいさっ 中年女は顔色も変えずにつづけた。どうやら彼女にとってそれは親しい挨拶言葉であり、 それ以上の意味は含まれていないらしい : と , もか、亠めりがとう 私は礼を言い、赤い顔をしているキョウコを促して立ち上がった。 「礼なら、その人に言うんだね」女はキョウコを指さし、上品な笑みを浮かべて言った。 ファック
342 「私はキジマに言われて、タバコを面会室でひろった囚人に話を聞きにいった。するとそ の囚人はーーーキジマが予想したとおり ″掃除を行う直前に部屋を覗いたときは、そん なものは落ちていなかった。気がついたら床に落ちていた〃と証言したのだ。つまり、そ こっぜん のタバコ一箱は、なにもないところから、忽然と現れたことになる」 「タバコがどこから現れたかなんて、そんなささいなことはどうでもいい題を : グレイが勢い込んでロを開いた。 「なるほど、ささいなことだ」私は手を振り、相変わらず死人のようにべッドに横たわっ ているキジマにちらりと目を走らせた。「だがキジマは″一見不可解な事件の謎を解くた めには、ささいなことほど重要なのだ〃と言う。例えば、事件現場に落ちていた折れた小 枝といったものが」 つぶや 「やれやれ、タバコ一箱の次は折れた小枝ときましたか」ニシノが小声で呟き、首を振っ 「いずれの事件現場でも、真ん中近くで二つに折れた小枝が見つかっているー私は無視し てつづけた。「一回だけなら偶然かもしれない。だが、奇妙な密室での毒死事件がたてつ づけに発生し、しかもその二件とも、現場に同じ物が落ちていたとなれば、偶然と片付け るわけこよ、 冫をし力ない。これはいったいなにを意味しているのだろう ? あきら ニシノとグレイはそれそれ、諦めたように首を振った。 「そうだな。例えば囚人の誰かがプリズン内にタ。ハコを一箱、外から持ち込もうと考えた
う。独房に入れられたキジマは、機会を見てそれを自分で取り出した。そのために傷口が 開き、包帯が赤く染まっていたのだとしたら : : : ? 私は、人の流れとは逆に、さっきキジマが出て来た独房に向かって歩きはじめた。 想像が当たっているとすれば、手製のロープはわざと見つけさせたのだろう。狙いは、 警備の眼を上にむけさせることだ。キジマはそれまでに二度、ロープを使って脱走を企て ている。またロープが発見されれば、プリズン管理者の心情としては、彼を上の階に移し とど づらくなる。逆に言えば、キジマはなんとしても一階の独房に留まる必要があったのだ。 なぜなら あるじ 独房のドアを開けた。主のいなくなった無人の独房の中は、すでにきれいに片付けられ ていた。 ひざ 私は板の間の部分に膝をつき、顔を近づけて、床板を文字通りなめるように点検した。 ン ズ一度ではわからなかった。 : 、 カ何度か点検するうちに、ごくかすかながら、不自然な段 。フ 差がある箇所を見つけた。 板と板のあいだにペン先を突っ込むと、わずかに透き間ができた。 爪をつかって、なんとか板を持ち上げた。 キジマは監視を尻目に床の上に座り込み、股のあいだにナイフを隠して、あたかもザゼ 四ンをしているように見せかけて床板を切っていたのだ。 独房の床下に暗い穴が口を開いた。そこにあるはずのない穴。しやがめば、人一人がす また
390 険を感じたことも何度かあった。 も、つ なぜ私が、探偵などという大して儲かるわけでもない職業をこんなにも長く続けること になったのか、自分でも理由はよく分からない。ただ私にとって、行方不明のいとこの消 息を追って日本に行き、そこで経験したことが、その後の生き方に大きな影響を持ったこ とだけは確かであった。 ある日、オークランドで開かれる予定の国際会議の参加者名簿を見ていた私は、そこに 偶然懐かしい名前を見つけた。 ファミリ 1 ・ネーム 珍しい名字だ。もしやと思い、会議本部にこちらの連絡先を教え、本人に連絡を とってくれるよう頼んでおいた。 かぎ 数日後、事務所に行くと、鍵がかかったドアの前で一人の女性が私を待っていた。 ひと目でわかった。 キョウコは少しも変わっていなかった。いや、二十年の歳月はたしかに彼女の上にも流 れていた。あの頃、二十歳そこそこだったキョウコも、いまでは四十歳をこえているはず だ。高価な磁器を思わせた彼女の肌は、日にやけ、よく見れば細かなしみが浮かんでいる。 ほっそりとしていた体も、少々まるくなったようだ。それにもかかわらず、キョウコはま