338 はとっさに、彼とキジマのべッドのあいだで身構えた。 「これ以上騒ぎを起こすつもりはないさ」グレイは体の前で両手をひろげてみせた。 彼は部屋の隅のヤングをちらりと盗み見たが、すぐに悲しげな顔で首を振り、視線を逸 らした。その代わりにドアの陰に手を伸ばし、廊下にいた小柄な男の襟首をつまみあげる ようにして、独房の中にほうりこんだ。 「こいつが変なものを持って廊下をうろうろしていやがった」グレイが顎をしやくって言 った。「俺の姿を見て逃げ出したんで、とつつかまえたんだ」 全員の視線が、あらためて男に向けられた。 痩せた、背の低い、日本人戦犯容疑者の一人だ。しなびた猿のような顔からは年齢はよ く分からない。たぶん三十歳から五十歳のあいだだろう。これまでに一、二度プリズン内 で見かけたことはあるが、名前までは知らなかった。 旧日本軍支給の軍服を着た男は、片手に奇妙な木製の器具をぶら下げていた。 男はしばらく亀のように首をすくめ、まぶしそうに目を細めて辺りを見回していたが、 急にほっとした顔で首をのばした。 「ヤア、タロー ココニイタノ力」 そう日本語で言うと、不審けな眼を向ける周囲の者たちにペこペこと頭を下げながら、 窓に近づき、手に持っていた木製の奇妙な器具を窓枠にとまったオウムにさしむけた。 オウムはちょっと小首を傾げて考えるようすであったが、極彩色の羽根をはためかせる あご
406 てみたくなった。どうせ本土からは遠く離れた、日常から切り離された島だ。誰にもわか るはずがない。そう思った彼らは、順番に捕虜に向かって。ヒストルの試し撃ちを行い、さ らには日本刀の試し斬りをするに至った。多分その際にも、最後に捕虜の首を斬り落とす 役ーー実行犯ーーを命じられたのがオオバだったのだろう。だからこそ彼は、スガモプリ ズンの中でも、外にいるイツオの指示を忠実に守るしかなかったのだ」 「兄が : : : そんなことを : : : 」キョウコは唇を噛んだ。 「すべては想像にすぎない」私は小さく首を振り、先をつづけた。「キジマは、島から 内地に帰ってきてすぐに、捕虜殺しの罪でに出頭しようとしたのではないだろう か ? そのことでイツオと争いになった。ィッオは、それがせつかく生きて帰った自分た ちの首を、あらためて絞め直すことだと知っていたのだ。捕虜を殺したーー・ーしかも、その 肉を食ったーーー容疑で捕らえられたら、必ず死刑になる。そう思ったイツオは、自首する といってきかないキジマの頭を殴りつけ、強盗にみせかけるために財布を盗んだ : たんのう 私はそれ以上、キョウコに対して言葉をつづける気になれなかった。英語に堪能だった キジマは、捕虜に接するうちに本当に親しくなっていたのではないか ? 戦争が終わった ら、敵としてではなく友人として付き合おう、そう約束していたのかもしれない。だが、 キジマの反対にもかかわらず、その捕虜は殺され、さらに肉を食われることになった。そ して、その捕虜とは、行方不明になった私の相棒、クリスだったのかもしれないのだ : この推測を、私は依頼人ーークリスの母親ーーには話さなかった。どのみち、はっきり
261 てやり、火にあたらせてもらいたい旨を身振りで伝えると、彼らは汚れた顔を見合わせ、 につと笑って席を空けてくれた。 キョウコをその場に座らせ、しばらくたき火にあたるうちに、頬にはしだいに血の気が 戻ってきた。 : 、 カまだ足元が確かでない様子である。もう少しこのままいることにして、 そのあいだに本来訊くべきであったことを訊いておくことにした。 あき キョウコを介して質問すると、子供たちは呆れたように笑って、口々に答えた。 かばん 「トーキヨー駅で盗まれた鞄を捜しているだって ? 」 「だったらオレたちに訊いたってだめさ」 「縄張りがあるんだ」 「おれたちはおれたち、あいつらはあいつらだよ」 年長の一人が思案げに首をひねって言った。「でも妙だな ? マフィア 以やくざに雇われているんだ。一人働きなんかするかなあ」 プ「マフィア ? 」 「よくは知らないけどさ」彼は大人びた様子で肩をすくめてみせた。 「それよりおじさん、チョコレートはないの ? 」まだ顔に幼さの残る子供の一人が言った。 「ギブミ 私は苦笑して首を振った。「チョコレートは持っていない。甘い物はきらいなんでね」 「ちえつ。それなら、シガレでもいいや。もう一箱くれよ」 チョコレート」 ーキヨー駅のやつらは、
350 ウムがしゃべった言葉をいちいち訳してなんか : : : 」 「いいから通訳しろ ! 」 「こう言ったのです」ニシノは肩をすくめ、オウムの言葉を通訳した。 このおれだ : ・ : 次はあ 「″死ねよ、お前ら : : : みんな死ね : : : 選ぶのはあんたじゃない、 んただ : : : 誰もおれを止められるものか : ・ ニシノの言葉が終わるのを待っていたかのように、オウムが鳥籠のなかで羽根を広げ、 ふたたび甲高い声を上げた。 ンナ死ネ : : : ケッケッケッケ : ・ : ・次ハアンタダ、ファック・ユー 「死ネョ、オ前ラ、ミ ジーザス ! 」 きようがく オウムは一休みして小首をかしげると、きろきろとした黒い眼で人間たちの驚愕した顔 を楽しむかのように眺めた。 オウムから顔をあげ、鳥籠を提げた男に視線をむけた。 男は荒てたようすで首を振り、なにごとか早口に言った。 通訳を待たずとも、彼が「いまオウムがしゃべった言葉は自分が教えたのではない」と 容疑を懸命に否定しているのは明らかだった。 私は首を振り、そんなことは疑っていないとニシノに言わせた。が、男はなお動揺を抑 えられないようすで、落ち着くためであろう、震える手でポケットをさぐり、タ。 ( コを取 り出した。
410 少し歩いていきたい気分なので : : : 」 うなず 頷き、最後に、気になっていたことを思いきってたずねた。「えー、キョウコ。その後、 吐婚はフ . 彼女は首を振った。 かばん 「でも、わたしにはたくさん子供がいますのよ」そう言って、鞄から一葉のパンフレット を取り出し、私に差し出した。 〃女性と子供の権利に関する国際会議〃 日本代表のところにキョウコの名前がある。 「ヤミイチの子供たちを覚えておいででしてフ 顔を上けると、キョウコが南半球の十二月のまばゆい光の中でほほ笑んでいた。「ほら、 あなたとご一緒にヤミイチを回ったとき、たき火のそばで出会ったあの子たち : : : 」 私は頷き、先を促した。 「キジマが亡くなった後、わたしはあの子たちに会いに一人でヤミイチに出掛けたので す」キョウコはとんでもないことを、けろりとした顔で言った。「わたしたちはすぐに仲 良くなりましたわ。お互い、戦争で一番大事なものを奪われた者同士ですもの」 「それがきっかけで、戦争孤児たちの世話をするようになったというわけか : : : 」 、え。世話をしてもらっていたのは、わたしの方ですわ」キョウコはもう一度首を振 った。「兄があんなことになった後もわたしが生きていけたのは、あの子たちのおかげな
おそらくニシノにもそれがわかっている。だからこそ彼は″ときどきひどく酔っ払う / のだ。 「そう悲観したものでもないさ」私は、。 : ホヒイがテーブルの上からこっそりと酒瓶を取り のけるのを待って、ロを開いた。「日本とアメリカの戦争はもう終わったんだ。それに、 幸いなことに次の戦争はまだはじまってはいない」 「本当に : : : そうでしようか ? ニシノは空になったグラスを見つめたまま、疑わしげに 首を振っている。 「本当もなにも、ニシノ、きみはよく知っているはずじゃないか」ポビイが友人を励ます ように言った。「日本を今度の戦争に導いた連中はみんな、いまじやスガモプリズンにつ ながれて、判決を待っているところだ。彼らは自分たちがしたことの責任を取らされるだ ろう。とりあえずはそれでよしとするさ 「責任 ? 彼らが責任を取るだって ? ニシノは。ほかんとした顔になり、すぐに皮肉な形 ゆが に唇を歪めて首を振った。「とんでもない、あの連中が責任なんか取るものか。少なくと も連中は誰ひとり、今度の戦争の責任が自分にあるとは思っちゃいないよ」 「原因と結果は、お互い執念深い恋人のようなものだ。結局は逃れられないさー私が言っ た。「現在、級戦犯としてスガモプリズンにつながれているあの老人たちは、今度の戦 争中、日本の政治的指導者の立場にあった。とすれば、彼らには自分たちの行動に対して 責任を取る義務があるはずだ」
することはけっしてできないのだ : : : 」 つけいる隙のない、理路整然とした、冷ややかな口調。 ようやく直れはしたものの、彼の話し方にはどこか、子供のころに想像していた悪魔を 思わせるところがある。 私が相変わらず無一言のままタ。ハコの煙の行方を眼で追っているだけなのに気づくと、キ あざけ ジマは頬に嘲るような笑みをちらりと浮かべ、首を巡らせて天井に顔を向けた。 ちょうしよう 「それじゃ、次はあんたの番だ」キジマが虚空に眼をすえ、口元に嘲笑のあとを残したま ま言った。「あんたの現実の話をしてくれー 「私の現実 ? 」私は首をかしげて呟いた。 私が見た夢について話せとでもいうのか ? 「図書室の貸し出し者リスト。プリズン内の医者にかかった者。俺が持っていた『オデ = ン ズッセイア』がどういう経緯でスガモプリズンの図書室に納まることになったのか。その他 もろもろ」キジマは平板な口調で並べ立てた。「調べたんじゃないのか ? 」 そのことか。 キ私は苦笑して、ポケットから手帳を取り出し、調査結果を話した。 キジマは表情ひとっ変えすに聞いていたが、最後に本を寄贈した者の住所が墓地であっ 片たと知ると、はじめてのどの奥でかすかに笑った。 ハデス : もっとも、これでは 「冥府からの差し入れか。ふん、『オデュッセイア』らしいな。 つぶや
「どけ ! ちくしよう、そこをどけ ! 」 訂独房のなかに飛び込んだグレイが、先に到着していた二、三人の看護兵たちを払いのけ るようにして前に出た。 彼の動きが止まった。 グレイの背中ごしに見えた光景に、私もまたその場に凍りついた。 歯を剥き出しにしたキジマが、恐ろしいうなり声をあげながらャングの頬に食らいつい ていた。 血走った目がかっと大きく見開かれ、瞳が赤く輝いて見える。異様に痩せこけた長い腕 を相手の首に巻き付け、ヤングの白い頬に歯を立てたキジマの凄まじい形相は、もはや人 間のものとは思えず、飢えた野獣か異形の化け物のようであった。 ャングは大声でわめきながら、両手でキジマを引き離そうと懸命にもがいているのだが、 手錠をかけられたキジマの両手が彼の首にきつくまきついていて容易に離れそうにない。 周囲の者は、この類を見ない非常事態にどう対応していいのか分からず、遠巻きにおろ おろとするばかりで、手をつけかねているのだった。 突然、グレイが大艟でなにか叫んだ。 彼は拳を固めて無造作に歩み寄ると、いきなりキジマの顔を殴りつけた。そのまま太い 腕で無理やり二人を引き離してしまった。 ャングの悲鳴がようやく途切れた。うめき声をあげ、噛まれた頬を両手で押さえて、床 ひとみ すさ
101 こ、フりゅう スガモプリズンに勾留されている囚人たちのなかにいる可能性が高い : 「そんなことはありえない」ジョンソン中佐はきつばりと首を横に振った。「囚人たちで はない。きみの考え違いだ」 「なぜです ? 」 「われわれは囚人たちをおよそ考えつく限り厳重に調べている。彼らが外からプリズン内 に毒物を持ち込むことは、絶対に不可能なのだ」 私は首をかしげ、少し考えてから訊いた。「本館の掃除は誰がやっているのです ? 「囚人たちだが、それがフ 「正門を入ってから鉄条網の内側にある兵舎、あるいはこの本館までなら、それほど厳し い検査なしで入ってこられます」先日キジマが指摘した点をくり返した。「もしかすると 囚人の誰かが本館の掃除中に偶然毒物を手に入れ、監房棟に持ち込んだのかもしれない」 以「われわれが何のためにゲートを一カ所に限っていると思っているのだ」ジョンソン中佐 プは小馬鹿にしたように肩をすくめた。「囚人たちが、掃除その他の目的で本館と監房棟を 行き来する場合は、かならず一カ所しかないあのゲートを通らなければならない。囚人た ちがゲートを出入りするさいには、その前後で、かならす徹底的な検査を受けることにな のぞ っている。われわれは彼らをすっ裸にして、文字通り尻の穴まで覗いてチェックしている のだ。例外はない。すべての場合、すべての囚人に対してだ」 私は渋々頷いた。私自身、昨日その厳重な検査の様子を実際に目にしたばかりだ。
342 「私はキジマに言われて、タバコを面会室でひろった囚人に話を聞きにいった。するとそ の囚人はーーーキジマが予想したとおり ″掃除を行う直前に部屋を覗いたときは、そん なものは落ちていなかった。気がついたら床に落ちていた〃と証言したのだ。つまり、そ こっぜん のタバコ一箱は、なにもないところから、忽然と現れたことになる」 「タバコがどこから現れたかなんて、そんなささいなことはどうでもいい題を : グレイが勢い込んでロを開いた。 「なるほど、ささいなことだ」私は手を振り、相変わらず死人のようにべッドに横たわっ ているキジマにちらりと目を走らせた。「だがキジマは″一見不可解な事件の謎を解くた めには、ささいなことほど重要なのだ〃と言う。例えば、事件現場に落ちていた折れた小 枝といったものが」 つぶや 「やれやれ、タバコ一箱の次は折れた小枝ときましたか」ニシノが小声で呟き、首を振っ 「いずれの事件現場でも、真ん中近くで二つに折れた小枝が見つかっているー私は無視し てつづけた。「一回だけなら偶然かもしれない。だが、奇妙な密室での毒死事件がたてつ づけに発生し、しかもその二件とも、現場に同じ物が落ちていたとなれば、偶然と片付け るわけこよ、 冫をし力ない。これはいったいなにを意味しているのだろう ? あきら ニシノとグレイはそれそれ、諦めたように首を振った。 「そうだな。例えば囚人の誰かがプリズン内にタ。ハコを一箱、外から持ち込もうと考えた