433 第 14 章ョーロッパの縁のトルコ ・オスマン帝国の領土 地中海 国のかは是非知っておくべきだろう。こ ンの帝国の偉大さがよくわかるはずだ。 ス 最盛期のオスマン帝国は、ナイル流 の域を含む北アフリカ、紅海、ベルシャ 盛西部を支配下に収めた他、ヨーロッパ 最 大陸にも侵入した。。 フダベストを越え、 ウィーンやクラクフの近くにまで到達 したのである。もっとも、すべての場 所を征服したわけではなく、同盟を結 んで現地の政治に関わるというかたち で支配した土地もあった。ただ、一世 紀ほどにわたり、プダベストがオスマ ンの都市であったことは確かである。 プダベストには、私が生まれた場所 から二プロックのところに「ドハーニ ・ウッツア・テンプロム ( タバコ通り シナゴーグ ) ーという名前のシナゴー グがある。ヨーロッパでは最大のシナ
かった。単に互いに物理的、精神的に疲弊しきって、その結果、戦争が終わったということ ューゴスラビアがで だ。戦争が終わっても、始まる前と変わらず、何も解決はしていない。 きた時には、これで一九一二年、一三年のような流血は防げると思われたが、幻想に過ぎな かった。敵は敵のままだ。たとえどんな旗を掲げて生きるようになろうと、敵は敵のまま変 わらない。への加盟が認められたら、戦いは終わると多くの人が信じたこともあった。 にこ、いに信じた人たちがいたたが一方で、次の なぜ信じたのかはよくわからないが、一立ロし . 戦争は必す起きるとわかっていた人たちもいた。の推進者たちはもちろん、加盟が戦い を終わらせると信じきっていた。私はどちらの側の人たちとも話したが、戦争を予期してい た人の方が冷静に現実を見ていて、その考えには動かしがたいものがあると感じたので、よ り真剣に話に耳を傾けることになった。 コーカサスの戦争 バルカン半島西部の紛争の火種は、その土地に古くからあったものだ。だが、実際に火が つくのは、外部的要因によることが多い。今後、火がつくとすれば、トルコの勢力が高まっ ヨーロッヾ、ミ た場合、あるいは、ロシアの同地域への影響力が強まった場合かもしれない。 力を失い、不安定になることで紛争が起きる恐れもある。ドイツ一国が極端に強くなり、統 合を進めていた他のヨーロッパ諸国との乖離が大きくなると、それが紛争へとつながるかも
トルコをヨーロッパだと思う人は少ないだろう。西アジアの果てだと思う人がほとんどの コはすだ。。こか、 オ、それは誤りだ。トルコは、ヨーロッパ構造プレートの上にあるからという地 2 質学上の理由はさておき、トルコ、あるいはその前身であるオスマン帝国は、何世紀にもわ 縁たりヨーロッパ諸国と深く関わってきたし、ヨーロッパ大陸のかなり深くまで領土を拡大し たこともある。他の大国と同じようにヨーロッパの歴史を形作る一つの大きな勢力であった ことは間違いない ヨーロッパ諸国にとっては、時によって敵になることも味方になること もある存在だった。トルコの歴史は、他の諸国と同様にヨーロッパの歴史であった。 章ただ、ヨーロッパ人は二つの理由でトルコ人を異邦人だと見ている。一つは、その多くが キリスト教徒ではなくイスラム教徒であることだ。その点でどうしても完全なヨーロッパ人 第 だとは田 5 えない 。もう一つは、ビザンティン帝国 ( 東ローマ帝国 ) を滅ばしたのがオスマン 帝国だったという事実だ。トルコ人が一四五三年にコンスタンティノープルを陥落させ、東 第章ヨーロッパの縁のトルコ
ある。普通の人の心に棲む悪魔を見つめ、それを攻撃することを使命と信じていた。 私は彼らとしばらく時を過ごしたことで、ヨーロッパの将来に不安を覚えるようになった。 ヨーロッパ人自身は、過去と訣別したという自信を年々深めていたが、私は信じる気にはな れなかった。ヨーロッパは私の目には、手術に失敗した癌患者のように思えた。医師は癌細 胞をすべて取り除いたつもりでわずかに残してしまった。一定の条件が整えば、病気は再発 する可能性が高い。一九九〇年代には、ヨーロッパの二つの地域、バルカンとコーカサスで 戦争が勃発した。だが、 ヨーロッパ人の多くは、あの戦争を現代のヨーロッパを象徴するも のとは見なかった。彼らは左翼のテロリスト集団も、現代ヨーロッパの象徴とはみなさなか った。最近では、新たに極右のテロリストも現れているが、やはり同じような扱いである。 この態度は、ヨーロッパ人の誇りと自信の表れであり、おそらく正しい見方をしているのだ とは思うが、確かな証拠はない。 は今、試練の時を迎えている。人間の作る組織は必ず同じような試練を経験すること になる。いくつもの問題 ( 多くは今のところ経済の問題 ) に直面しているが、これを解決し なければ前には進めない。は、ヨーロッパに「平和と繁栄」をもたらすことを目的とし て設立された。では、全体、あるいは一部の加盟国から経済的な繁栄が失われたら、平 し和はどうなるのか。南ヨーロッパでは今、失業が深刻な問題になっている。中には、大恐荒 時代のアメリカより失業率の高い国すらある。これは何を意味するのだろうか。 この本では、まさにそのことを書いている。世界には「ヨーロッパ例外論」とでも呼ぶべ
480 にはそんなことをすっかり忘れたかのようにふるまっている国もあるが、だからといって歴 史が消えたわけではない。それが前面に出ている国も、背後に隠れている国もあるが、いず れにしてもヨーロッパ人の他のヨーロッパ人に対する怒りと憎しみが今も変わらずに存在す ることは確かだ。 一九四五年から一九九一年は平和の時代だったが、その平和はヨーロッパ人のカで得られ たものではない。アメリカとソ連がヨーロッパで対峙していたために結果的に得られたもの だ。続く一九九一年から二〇〇八年までの平和は、一応、ヨーロッパ人の力によるものであ る。この間は経済が概ね好調だったことと、ドイツがヨーロッパ統合に熱心に取り組んだこ とによって、大きな戦争が避けられ、全体的には平和が保たれたと一一 = ロえる。ただし、まった ヨーロッパの中心部では起きなかったというだけで、戦争 く戦争がなかったわけではない。 は起きていた。そして、二〇〇八年以降、いよいよヨーロッパが試される時が来ることにな った。今もそれは続いている。に対する期待は、実態に合わないものだったことが明白 になった。の真の姿が露呈したのである。再び大国となったドイツに対する不安も生ま れた。静かだったロシアが存在を主張し始めた。こうしたことすべてがヨーロッパの今後に 影響する。果たして何が待ち受けているのか、予想することは難しい 二つの大戦のような大戦争がヨーロッパで再び起きるとは私は考えていない。それは、も はやヨ 1 ロッパが世界の政治体制や文化の中心ではないからでもある。三一年の間に二度も 大戦が起きたのは、当時、世界のどこにもヨーロッパを止められる力が存在しなかったから
11 はじめに 科学技術、哲学、政治などが彼ら自身を攻撃し始めた。より正確には、彼らはそうしたもの すべてをお互いを攻撃するための武器としたのだ。おかげで、自らも同じ武器で攻撃される ことになった。三一年間の終わりには、ヨーロッパ全体が墓場のようになった。都市も生活 も完全に破壊された。彼らの世界支配は終わりを迎えることになる。べートーヴェンの交響 曲第九番の「歓喜の歌」はもはやヨーロッパの賛歌には聞こえない。皮肉で虚しいから騒ぎ にしか聞こえなくなってしまった。 何もヨーロッパだけではない。他の文明にも大きな動乱、戦争はあったし、そこで残虐な 行為もなされた。しかし、その唐突さ、激しさ、破壊の速度、世界全体に与えた影響の大き さなどは特別である。何より特異だったのは、高度に発達を遂げた文明が、いわば「自殺」 を遂げたという点だ。植民地で見られた彼らの残忍さは、この結果の予兆だったのかもしれ ヨーロッパ社会の根の深い不平等性とも関係があるかもしれない。狭い場所に数多く の国がひしめき合っていることも原因の一つだろう。だが、ヨーロッパの優れた文化と、恐 ろしい強制収容所とが結びつかす、少なくともその差にまず驚かされるというのも確かだ。 ヨーロッパは世界を征服したが、その同じ時にヨーロッパ内部でも互いを敵として戦って いた。何世紀も内戦が続いていたようなものだ。ヨーロッパ帝国は、軟弱で動きやすい砂地 の上に築かれたと言ってもいい。大きな謎なのは、なぜヨーロッパ人がまとまるのがそれほ ど難しいのかということだ。ヨーロッパの地理が原因なのだろうか。ヨーロッパは一様な土 地ではない。島もあり、半島もあり、半島からさらに伸びる半島というのもある。海、海峡、
この本で書いてきたことは主に三つだ。一つは、ヨーロッパはなぜ世界を支配できたのか とい、つこと。政治、軍事、経済、日、 矢あらゆる面でヨーロッパが世界を制覇した理由を探っ た。次に、一九一四年から一九四五年までの間にヨーロッパが覇権を手放すことになったの はなぜかということ。果たしてヨーロッパの何が問題だったのかを考えた。三つ目は、今後 のヨーロッパはどうなっていくのか、ということ。一九四五年以降は全体としては平和が続 いたが、今後も同じなのか、それとも再び昔のヨーロッパに戻ることはあるのか。三つ目の 終いに答えるには、どうしても最初の二つに答えなくてはならない。だが私がこの本を書い 章たのは、結局は三つ目の問いに答えるためである。 ごく簡単に一一一一口えば、ヨーロッパの紛争の歴史はまだまったく終わっていない、ということ 第 になる。ヨーロッパの基本的な構造は昔と変わっていない。狭い土地が多数の地域に分かれ、 町数多くの国民国家がひしめき合っている。そこには長い、 怒りと憎しみの歴史があった。中 一第祐章。終わりに
0 た。大英帝国がもはや維持できないことをってからでさえ、ヨーロッパとの関わりには消 極的だった。イギリスの外交政策は、かってはヨーロッパ内の大国間のカの均衡が安全保障 上重要、という考え方を基本としていた。だが、第二次世界大戦後は、一一つの超大国のカの 均衡を重視するようになった。 一方、フランスは国の主権に執着する点ではイギリスと同じだったが、ヨーロッパ全体へ の関心はイギリスよりも高かった。ド・ゴールは戦後、トップの座からは離れていたが、ヨ ーロッパが安定を取り戻し、目に見えて復興し始めていた一九五八年、再び指導者となる。 フランスが本当に力を持っためには、ヨーロッパの統合を自ら積極的に進めていかねばなら ないとド・ゴールはわかっていた。本当の力とは、アメリカに頼ることなく、自力でソ連に 対処する力のことである。アメリカの経済援助が必要な時期はすでに過ぎたとド・ゴールは 見ていた。元来、人民の教育程度も能力も高いヨーロッパは、アメリカからの援助資金を有 効に活用し、経済は見事な復活を遂げていた。危険なのは、アメリカとソ連がヨーロッパで 対峙していることだった。戦争か平和かを選ぶ権限はもはやヨーロッパのどの国にもなく、 モスクワかワシントンの意思で決まってしまう。再度フランスの指導者となったド・ゴール は、ヨーロッパの完全な主権を取り戻したかった。フランスの主導の下、自らの意思で動け るヨーロッパを作りたかった。 ヨーロッパにおける二極対立の構図は変えなくてはならないとド・ゴールは考えた。ソ連 の拡大に関して中立になるというのではない。しかし、これまでのようにただアメリカに従
482 ッパは今でも先進的な科学技術を有しているし、経済的にも豊かである。ヨーロッパ諸国と 関われば、何らかの利益になる可能性が高いということだ。その関係を拒否する力を持って いれば、他国は脅威に感じる。無視のできない脅威である。 ヨーロッパ人の投資資産や、ヨーロッパ人が結んだ商取引上の契約をどこまで尊重しても らえるかは、結局、将来への期待にかかっている。今後、さらに投資の促進、取引の活発化 などが期待できれば、自然に尊重するに違いない。かってヨーロッパの経済大国が後ろ盾に ードパワーはもはや失われてしまった。中国やロシア、アメリカなどは経済大国 していたハ であると同時に軍事大国でもある。彼らは他国にヨーロッパと同様の利益をもたらすことが できるのに加え、契約違反などあった場合には武力による報復も可能である。つまり、尊重 を怠った場合の結果が、ヨーロッパ相手の時より重大なものになる恐れがあるということだ。 現状、それが問題になることはないが、世界的な大国どうしに利害の対立が生じると、ヨー ードパワーの欠如によって追い詰められ ロッパがその間で板挟みになることはあり得る。 ることもあるだろう。「裕福だが弱いーというのは危険な状態なのである。 ヨーロッパ人もやはり、狼のいる世界に生きている。以前からいる狼に加え、最近はまた 新たな狼も現れている。ドイツ、フランス、イギリスなどの大国なら経済力を盾にすること は可能だろうが、その他の諸国には難しくなる恐れがある。経済力だけで軍事力がないと特 に厳しい。まず、ともかくアメリカに対抗できない。これが現在のヨーロッパを理解する上 で、最も重要なポイントである。ヨーロッパ諸国に対しては、どの国であっても、軍事力を
0 りの場所にふさわしいだろう。ここがヨーロッパの中心で、の中枢となるべきところだ と誰もが信じて疑わなかった。マーストリヒトは、設立の象徴だが、この街が地理的に ヨーロッパの中央部にあったのは決して偶然ではない。 マーストリヒト条約は正式には「欧州連合条約」と一一一一口う。これは論理的には、すでに触れ た「人民のさらに緊密な統合」という概念の延長線上にある条約だ。その意思は経済だけの 連合を超え、社会的、政治的な統合までをも含んだものになっている。当初と比べれば非常 に過激な延長と言えるだろう。重要なのは、人民の心にまで踏み込んでいるところだ。条約 は、ヨーロッパ人の連合体を作るためのものだ。それは、単なる国家の連合体ではなく、人 民の連合体である。人民が、「自分はドイツ人だ」、「自分はフランス人だ」などと思うの と少なくとも同じくらいに、「自分はヨーロッパ人だ」と思うようになる、そんな状態を目 指す。ヨーロッパを単なる地理上の概念ではなく、そこに住む人民の統一の文化を表す一言葉 にする。どこかの国民であると同時にヨーロッパ人、ヨーロッパ市民であると皆が自然に思 うようになるのが理想だ。従来の国家をなくすわけではないが、それを保ちつつも乗り越え 試みは成功に近づいている。最近では、たとえば政治の話題で、ヨーロツ。ハを主権国の集 合ではなく、全体で一つの国のように表現する人が増えた。どこかの国民でありながら、他 のヨーロッパ諸国の人民と運命を共有しているという意識を持つ人が少しずつ現れているこ とが重要だ。国民意識、民族意識は持っているが、同時に大きなヨーロッパ文化の中にいる