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検索対象: ロンドンのタウンハウス巡り
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1. ロンドンのタウンハウス巡り

占めています。これは、日本が英国に比べていかに優良な中古住宅が少なく、 日本人がいかに中古住宅に住みたがらないかを示しています。 伝統様式も現代様式も外部が共通の材料 ロンドンのタウンハウスは、現代様式のものも、煉瓦造の伝統様式のタウ ンハウスに使われているものとほぼ同じ建築材料でつくられています。それは、 ふるい 数世紀に渡るタウンハウスの建築で培い、篩にかけられ生き残った、煉瓦、 石、漆喰、天然スレート、木、ガラス、鉄などの材料で、それらを使い、 長持ちのするようつくられています。これを外部と構造 ( スケルトン ) は修繕し ながら、内部 ( インフィル ) は時代時代の生活スタイルに合った設備や内装 に模様替えすることで、建築当時の外観意匠を変えずに大切に使い続けられ ています。それにより時代を経るごとに美しさが増す街並みを、世代から世 代へと人々の共有財産として引き継いできたのです。日本の住宅が、木造伝 統様式の住宅で使われていた建築材料のほとんどを捨て、それに代わる材 料とその材料に基づく新たな様式を打ち立てないまま、建ててはすぐに取り 壊すことを繰り返しているのとは真逆の世界です。 実際ロンドンの住宅街を歩いてみると、築年数を経た伝統様式のタウンハ ウスが、つい最近建ったばかりではないかと思うほど、きれいに維持され、 伝統様式の過剰と思えるほどの凝った外観意匠も相まって、ゴージャスに見 えます。 一方、現代様式のタウンハウスは、築年数が経っていない分だけ、本来 なら伝統様式のものよりきれいに見えなければならないはずです。ところが、 特にフラツッ形式 ( 日本のマンションと同じ形式 ) のものは維持管理が共同管 理のため行き届かないのか、劣化が目立ちます。外観を、装飾的な意匠を 排してシンカレにした分だけ、伝統様式のものより見劣りがするのです。それ でもピムリコのリリントン・ガーデンズ・エステート ( 84 頁の写真 ) に見るよう に日本のマンションに比べればずっと味わいがあり、魅力的な佇まいを見せ ているのですが。

2. ロンドンのタウンハウス巡り

赤煉瓦のヴィクトリアン・スタイル 前頁の写真の右端から中央に写る L 字に折れ曲がった形状のフラツツが、 本章の主役アイヴァーナ・コート (lvernacourt) です。ハイ・ストリート・ケ ンジントン駅から歩いて 2 ~ 3 分。ロンドン名物の赤い 2 階建バスがひっきり なしに行き交うケンジントン・ハイ・ストリートの裏通りに面し、表通りの喧 騒が途切れる住宅街の一角にあります。近くにチャールズ皇太子の居城ケン ジントン・パレスがあることでも分かるように、この地区はロンドンの中心市 街地でも有数の高級住宅街になっています。 このフラツツは、見ての通り、 19 世紀後半のヴィクトリア朝時代に流行っ たヴィクトリアン・スタイル (Victorian style) です。この時代は、産業革命が もたらした商工業の発展と大英帝国の版図の極大化でイギリスが最も隆盛 を極めた時代です。市民が裕福になり、自信をもち、それぞれのアイデンティ ティを大切にするようになった時代です。ヴィクトリアン・スタイルのタウンハ ウスの特徴は、なんといっても赤煉瓦 (Red brick) の使用ですが、この煉瓦 の色がまさにこの時代のロンドン市民の心象を象徴しています。 黄煉瓦のジョージアン・スタイル その前のジョージ王朝時代以前、ロンドンのタウンハウスは、ロンドンで 採れる土で焼いた黄煉瓦 (Yellow brick) でつくられていました。赤煉瓦は、 ロンドン以外の土地で採れる上で焼くことから、鉄道がない時代には運送費 が掛かり過ぎ、たいへんな贅沢品でした。そのため、せいぜい窓の化粧額 赤煉瓦 (Red brick) 20 黄煉瓦 (Yellow brick)o 煉瓦メーカーのカタログより。

3. ロンドンのタウンハウス巡り

材料や仕上げの方法、棟飾りや窓の額縁などの建築表現を見ることで、 ウンハウスがいっ頃建ち、何様式のものかが推測できます。 タウンハウスの建築様式の呼び方 タ ロンドンのタウンハウスの「建築様式」には、外観意匠の類型的表現ごと 88 合です ( 詳細は章末の年表参照 ) 。 時代がエドワーディアン (Edwardian style : 工ドワード王朝様式 ) といった具 (Victorian sty 厄 : ヴィクトリア王朝様式 ) 、エドワードⅦ世 ( 1901 年 ~ 1910 年 ) ジ王朝様式 ) 、ヴィクトリア女王時代 ( 1837 年 ~ 1901 年 ) がヴィクトリアン 年 ~ 1820 年 ) の時代がレイト・ジョージアン (Late Georgian style : 後期ジョー ジアン (EarIy Georgian style : 前期ジョージ王朝様式 ) 、ジョージⅢ世 ( 1760 年 ~ 1727 年 ) とジョージⅡ世 ( 1727 年 ~ 1760 年 ) の時代がアーリー・ジョー 様式 ) 。「ロンドンの大火」以降の煉瓦造の建築様式は、ジョージ I 世 ( 1714 年 ~ 1603 年 ) の時代の王朝名でチューダー (Tudor style : チューダー王朝 ヘンリーⅧ世 ( 1509 年 ~ 1547 年 : 在位、以下同じ ) とエリザベス I 世 ( 1558 例えば、 1666 年の「ロンドンの大火」以前に流行った木造の建築様式は、 建築様式が流行った時代の王朝名を冠した名称です。 ゴシック、ルネサンス、バロック、ロココといったものではなく、もつばらその う。その呼び方は、私たちが西洋建築史で習う建築様式の名称、ロマネスク、 に名前が付けられています、というより呼ばれていると言ったほうが適切でしょ

4. ロンドンのタウンハウス巡り

レクサム・ガーデンズ、アールズ・コート、 2012 年 12 月。この通りは外壁に黄煉瓦積みの素地を残すアー リー・ジョージアン様式と、黄煉瓦積みを全てスタッコ塗りで化粧し石造に似せたレイト・ジョージア ン様式のテラスド・ハウスが並存するジョージアン・タウンです。各住戸、同じ外観意匠の玄関ポーチ が建ち並びます。この時代が、住宅を同じ間取り、同じ外観で効率的につくる大量供給時代であった ことを示します Dp. 98 ⑧ 3.9 集合住宅「エステート」開発手法

5. ロンドンのタウンハウス巡り

タウンハウスの建築様式 100 年以上経つ年代物のタウンハウスが建ち並ぶ通りがあります。 ロンドンの人々は、新築時の外観フアサードを変えることなく維持し、 できる限り長く大切に使い続けています。 ロンドンのタウンハウスには明確な建築様式がある この章を書くにあたって、「建築様式」という言葉の意味を明らかにしてか らと思い、『建築大辞典』 * で、まず「様式」の意味を調べてみました。 ようしき様式 (style) る個性的な類型が認められるとき、この語が使われる。 個人・民族・時代・流派などの諸作を通じて、それぞれ他と異な 芸術作品において特徴的なデザイン・装飾に基づく特定の表現。 折衷様はこの例である。明治以後「様式」と呼ばれるようになった。 決められる特定の形式、または表現の形式。和様・唐様・天竺様・ 1. 様はう ) 。建築・庭園などで特定の哲学・社会慣習・規準などで 2. 86- * 彰国社、昭和 49 年川月 10 日第一版発行 いて何も知らないと言っていい私でも、目の前に建つタウンハウスの外部の 意味の「様式」が明確にあるからです。そのおかげでロンドンの建築史につ 他の時代とは異なっているからです。まさに『建築大辞典』に記述されている 時代によって建築表現や装飾に類型的な特徴があり、その特徴がそれぞれ おおよそ見当がっきます。それが可能なのは、ロンドンのタウンハウスには、 ロンドンのタウンハウスは、外観を一目見ただけで、いっ頃建ったものか

6. ロンドンのタウンハウス巡り

アイヴァーナ・ガーデンズ 2 イ が付いた住戸を 3 住戸以上横に繋げた長屋形式のものをそう呼びます。当時、 ラスド・ハウス (Terraced h 。 use ) 形式がほとんどでした。各住戸に庭 (Garden) のジョージ王朝時代に建設されたジョージアン・スタイルの集合住宅は、テ この形式は、ヴィクトリア朝時代になって初めて登場したものです。その前 人口急増 になっています。 そこから共用玄関を通って 1 階の共用リフト乗降ロビーにアクセスできるよう して各ユニットに一カ所ずっ真っ白なスタッコ塗りの共用ポーチが設けられ、 ナ・コート、アイヴァーナ・ガーデンズともに 4 ユニット構成です。通りに面 構成一式を最小ユニットとして、通常、数ユニットを連接させます。アイヴァー 施設を設け、それらの共用動線を介し各住戸にアクセスする形式です。この 置し、 2 住戸間の中央にリフト、その乗降ロビー、階段、シャフトなどの共用 ル (Victorian style) の 2 戸 1 型フラツツです。この形式は、各階に 2 住戸を配 トと同じく 19 世紀後半のヴィクトリア朝時代に流行ったヴィクトリアン・スタイ て 4 ~ 5 分のところにあります。アイヴァーナ・ガーデンズもアイヴァーナ・コー イ・ストリートの裏通りに面し、ハイ・ストリート・ケンジントン駅から歩い イヴァーナ・ガーデンズ (1vernaGardens) を紹介します。ケンジントン・ハ 本章では、前章で紹介したアイヴァーナ・コート (lverna court) の隣のア 真っ白なスタッコ塗りのポーチ よリ高密度・高層化が可能なフラツツ形式の集合住宅が求められたのです。 18 世紀、ロンドンの人口が 100 万人から 800 万人に急増しました。

7. ロンドンのタウンハウス巡り

縁などのごく限られた部分にしか使うことができませんでした。 ところが、ヴィクトリア朝時代には鉄道網の整備により、赤煉瓦を遠方の 産地から容易に取り寄せ、以前より手頃な価格で手に人れることができるよ うになりました。それでも赤煉瓦が、黄煉瓦に比べれば高価で、贅沢品で あることには変わりがありません。そのため赤煉瓦を使うことで、裕福である ことを誇示でき、見た目も華やかになります。小金持ちになった市民は、競っ て住宅を赤煉瓦で飾るようになりました。これが、「赤煉瓦」といえば「ヴィク ゆえん トリアン」と呼ばれる所以です。 ヴィクトリア朝の前のジョージ王朝時代は、大英帝国の発展に呼応し海外 植民地や国内の農村から富と仕事を求めて人々がロンドンに流人し、約 100 年の間に 100 万人から 800 万人に人口が急膨張しました。人々に住宅を供給 するため、大量かつ効率的につくらなければなりません。その成果がジョー ジアン・スタイル (Georgian style) の特徴の一つになりました。このスタイル のタウンハウスは、安価なロンドン産の黄煉瓦を使い、効率的に速くっくる ため、どの住戸も同じ間取り、同じ窓の形となっています。外観を見ただけ では我が家がどこか見分けがつきません。それほど画一的な顔が並びます。 ( 41 頁、カドガン・プレイス参照 ) ヴィクトリア朝時代には、市民がこの画一性に飽きたのでしよう。我が家 がどこかすぐ分かるよう各住戸の外観に個性的な表現を求めました。アイデ ンティティの発露です。アイヴァーナ・コートも外観意匠が画一的になりがち なフラツツ (Flats) 形式でありながら、各住戸の外観がそれぞれ個性的な顔 をもつよう工夫がされています。同じフラツツ形式の日本のマンションが、養 鶏場のゲージのような外観意匠になっているのとは正反対の世界です。 22

8. ロンドンのタウンハウス巡り

(Hampstead Heath) 駅ができたのが、 19 世紀後半。 1902 年には、地下鉄ノー ザン・ライン (Northern Line) がハムステッドの旧市街地のど真ん中に開通。 この路線は、先に開通した地上鉄道と異なり、サークル・ラインに直結する ことから中心市街地の繁華街やビジネス街に 20 ~ 30 分ほどで行けます。そ うした交通の便のよさと、直近に自然に親しむことができる広大なヒースをも っ環境も手伝い、人々のあこがれであった「郊外の戸建住宅の生活」を満喫 できる街としてハムステッドは脚光を浴びたのです。この開通を機にヒースを 切り開く住宅開発に拍車がかかったのは当然のことです。 この地下鉄開通時の特需を狙って建設されたセミ・デイタッチド・ハウス が、 63 頁の写真、キヤノン・プレイス (cannon Place) です。ハムステッド駅 から徒歩 10 分ほどの距離にあり、すぐ傍らにハムステッド・ヒースが広がる 好立地です。外観は、その頃流行ったエドワーディアン・スタイル (Edwardian style : 1901 年 ~ 1910 年のエドワード王朝時代の建築様式 ) で仕立てられ、 各棟のフアサードが、戸建て住宅に見紛うばかりのシンメトリーになっていま す。 なぜセミ・デイタッチド・ハウスが人気になったのか 地を購人しデイタッチド・ハウスを建てて住むことは、まさに「夢のまた夢」の きた商工業者などの中流階級の人々にとって、中心市街地のバカ高値の上 による技術革新や植民地経営や貿易などで事業に成功し、新たに台頭して 上地をもつ貴族でなければできないことです。 18 世紀後半以降の産業革命 ロンドンの中心市街地のデイタッチド・ハウスに住むことは、先祖代々の @West Hampstead lnglewood Road, West Hampstead, London NW6 IQT ウ工スト・ハムステッド、イングルウッド・ロードのテラスド・ハウス éHampstead Hampstead, London NW3 IEH Cannon Place キヤノン・プレイス

9. ロンドンのタウンハウス巡り

・を冫物 4 第ト盟 階段室の吹抜に設置されたタウンハウス時代からある客用リフト。 20 川年 8 月。 カドガン・ホテル

10. ロンドンのタウンハウス巡り

内装・設備に模様替えし、できるだけ永く住み続けることで、年とともに美し さが増す味わいのある街並み景観を大切に守っています。そうすることが市 民の義務の一つであると考えているようにさえ見えます。 このホテルも、ロンドンの人々のそうした古いものを大切にする心の表れの ーっです。日本人ならば、設備が古くなったから、生活様式に合わなくなっ たから、はたまた建物から上がる利益が減少したからという理由で、即、建 て直しという話になるでしようが、タウンハウス当時の外観をそのまま残し、 いまよう 内装・設備を今様にリニューアルすることで、ホテルとして生まれ変わらせ、 建物の命を永らえさせています。 タウンハウス時代のリフトがそのままに このホテルの客用リフトも、タウンハウス時代に使われていたものをそのま ま使用しています。ロの字形階段の中央吹抜に設けたストリップ・タイプ ( 籠 の露出した ) のものです。出人口は蛇腹式の鉄製グリル戸を手動で開閉する 形式のもので、籠も大人二人がやっと乗れる小ささです。それでもホテルの 客用の昇降設備として十分機能しています。日本ではほとんど見かけなくなっ たこうしたリフトも、廃棄されることなく使い続けられています。レトロが売り のこのホテルにとっては、それを演出する小道具として、なくてはならないも のです。 古いものを大切にし、それをいつまでも活かそうとする、ロンドンの人々の 心意気にはほとほと感心します。