Victoria - みる会図書館


検索対象: ロンドンのタウンハウス巡り
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1. ロンドンのタウンハウス巡り

City of 、 Vestminster シティ・オプ・ウェストミンスター ⑩マウント・ストリートのテラス ド・ハウス Mount Street, Mayfair, London W ー K Bond street, Green Park Prince Gardens 48 Knightsbridge, London SWIX 7JN Knightsbridge London Borough 0f lslington イズリントン・ロンドン特別区 マルケス・ロード・エステート Marquess Road Estate, 円 70 Essex Road and Paul's Road, London N ー Canonbury Architects : Darbourine and Darke 、、新コ」コ ユ Map London Borough 0f Camden カムデン・ロンドン特別区 キヤノン・プレイス Cannon Place Hampstead , London NW3 ー EH Hampstead ⑩バッキンガム・プレイス B uckingham PIace Westminster, London SW ー E 6HR Victoria, St Jame's Park ハムステッド、ホリクロフト・アヴェニュー のセミ・デイタッチド・ハウス HoIIycroft Avenue, Hampstead, London NW3 7 QL Hampstead ⑩キャッスル・レーンのタウン ハウス Castle Lane, 、 Vestminster, London SWIE Victoria ウ工スト・ハムステッド、イングルウッ ド・ロードのテラスド・ハウス lnglewood Road, West Hampstead, London 、 W6 IQT West Hampstead Morpeth Terrace Westminster, London SW ー P 1 EW Victoria Map ) サウス・ハムステッド、コンペイン・ ガーデンズのデイタッチド・ハウス Compay ne Gardens , South 宿同第 Hampstead , London NW6 West Hampstead, Finchley Road , 、⑩リリントン・ガーデンズ・ ステート LiIIington Gardens Estate , 円 6 し 71 VauxhaII Bridge Road, London SWI Victoria , Pimrico Arc hitects : Darbourine and Darke London Borough 0f Barnet バーネット・ロンドン特別区 ハムステッド・ガーデン・サバープ、 アースキン・ヒルのデイタッチド・ハ ウス Erskine HiIl, Hampstead Garden Suburb, London NWII 6EY Golders Green 0 70. /

2. ロンドンのタウンハウス巡り

モーベス・テラス、 2008 年に月。通りに沿って見る。奥がヴィクトリアン、手前がジョージアン。 、イ ' 、、ゝ。 " ノ。モーベス・テラス Morpeth Terrace Westminster, London SWIP IEW Victoria 憧れのジョージアン & ヴィクトリアン

3. ロンドンのタウンハウス巡り

Q0000 4000 se 一 30 三 Thaye 「 St• り 0000 0 ( ア・ 0 、 60 、 C00000g い t 5 し 0 対 ord 5 し Oxford Circus 2 芝 90 一 Bond Street 00K5 し gayswater Rd ・ G 、 0 引 000 、・ 1 4 Hyde Park Green Park G 「 e e n Pa 「 k Hyde Park Corner Constitution Hill Buckingham P 引 a c e G a r d e n s 一一【 0 つア・ Knightsbridge S t. 」 a m e s 's P a 「 k Birdcage ⅸ・ St. 」 ames's Park 56a つの・ 1 7 に t0 れ a 5 し cadoga っ pa = 三 0 っ Rd ・ cadogan ・ Victoria 0 Sloane Squa 「 e Elystan PI• Pimlico

4. ロンドンのタウンハウス巡り

圓堂が亡くなった後、所内でのレターサイズの使用は自然消滅的になくなり ました。 私たち所員にとって不合理と思われたこの標準も、圓堂が希求するデザイ ンを彼に代わって行う所員に、圓堂の好むプロポーションを体得させるため のツールの一つだったのではないかと、現在では善意に解釈しています。建 築のデザインに直接関係ない用紙のプロポーションにまで、自分の趣味、嗜 好を徹底させるところに、圓堂のこだわりの強さと、それ以上に我の強さを 1979 年からのメッセー 感じざるを得ません。 私たちの事務所は、圓堂政嘉が 30 年間事務所を構えた銀座 8 丁目並木 シ ジング・プロジェクト、ピムリコのリリントン・ガーデンズ・エステートとイズ 少し黄ばんだグレーのハードカバーを開けてみると、ロンドンの 2 件のハウ が眠っていました。 きな処分を潜り抜け生き残った資料の中に、冒頭のレターサイズのファイル 類や貴重な図書をやむなく処分しなければなりませんでした。その 2 度の大 ることがあったため、そのたびに圓堂建築設計事務所時代に貯まった記録 通りから、現在の芝 1 丁目へ引越し、引越ししてからも事務所規模を縮小す 3 7 イ マルケス・ロード・エステート Marquess Road Estate, 円 70 Essex Road and St Paul's Road NI @Canonbury リリントン・ガーデンズ・エステート LiIIington Gardens Estate, 196 レ 7 ー VauxhaII Bridge Road SWI @Victoria, Pimrico

5. ロンドンのタウンハウス巡り

いても規定されました。当時ロンドンでは煉瓦造の建築費が石造より安かっ たため、大火以降、個人の懐に頼らざるを得ない住宅は、もつばら煉瓦造、 高くてもあまり問題とされない教会、議事堂などの公共的建築物や貴族の 館などは、その多くが石造で建てられることになりました。 この大火で甚大な被害を受けたにもかかわらず不幸中の幸いであったの は、それが市内に限定されていて英国自体に国力があったことから復興用の 資材を調達できたことと、新しい法律に対応できる石造や煉瓦造の伝統技 術の蓄積があったことです。そのため市民がそれまで育ててきた家屋に関す る価値観や美的感性が大きく変わらず、復興の街づくりに邁進できました。 1950 年「建築基準法」制定、日本 一方、日本における不燃・耐火の街づくりはどうだったのでしよう。英国 に遅れること約 280 年。それは 1950 年 ( 昭和 25 年 ) の「建築基準法」の制定 に始まったと言っていいでしよう。関東大震災や戦災で瞬く間に市街地が焦 上と化したことの反省から出たものです。ロンドンのように市街地において木 造が禁止されたわけではなく、家屋の不燃・耐火が義務付けられただけです。 しかし、それは、それまで木、竹、萱、藁、土などの自然素材だけでつくっ てきた家屋を、それまでほとんど使ったことがなかった鉄筋コンクリート、鉄 骨、モルタル、不燃ポード、金属板などでつくることを要求するものであり、 有史以来培ってきた人々の木造建築の伝統様式の技術や常識から美的感 性、生活感までを完膚なきまでに打ち砕くものでした。 更に不幸が重なったのは、この法律に基づく街づくりが、太平洋戦争の Victoria Castle Lane, Westminster, London SWIE キャッスル・レーンのタウンハウス 36-

6. ロンドンのタウンハウス巡り

アイヴァーナ・ガーデンズ 2 イ が付いた住戸を 3 住戸以上横に繋げた長屋形式のものをそう呼びます。当時、 ラスド・ハウス (Terraced h 。 use ) 形式がほとんどでした。各住戸に庭 (Garden) のジョージ王朝時代に建設されたジョージアン・スタイルの集合住宅は、テ この形式は、ヴィクトリア朝時代になって初めて登場したものです。その前 人口急増 になっています。 そこから共用玄関を通って 1 階の共用リフト乗降ロビーにアクセスできるよう して各ユニットに一カ所ずっ真っ白なスタッコ塗りの共用ポーチが設けられ、 ナ・コート、アイヴァーナ・ガーデンズともに 4 ユニット構成です。通りに面 構成一式を最小ユニットとして、通常、数ユニットを連接させます。アイヴァー 施設を設け、それらの共用動線を介し各住戸にアクセスする形式です。この 置し、 2 住戸間の中央にリフト、その乗降ロビー、階段、シャフトなどの共用 ル (Victorian style) の 2 戸 1 型フラツツです。この形式は、各階に 2 住戸を配 トと同じく 19 世紀後半のヴィクトリア朝時代に流行ったヴィクトリアン・スタイ て 4 ~ 5 分のところにあります。アイヴァーナ・ガーデンズもアイヴァーナ・コー イ・ストリートの裏通りに面し、ハイ・ストリート・ケンジントン駅から歩い イヴァーナ・ガーデンズ (1vernaGardens) を紹介します。ケンジントン・ハ 本章では、前章で紹介したアイヴァーナ・コート (lverna court) の隣のア 真っ白なスタッコ塗りのポーチ よリ高密度・高層化が可能なフラツツ形式の集合住宅が求められたのです。 18 世紀、ロンドンの人口が 100 万人から 800 万人に急増しました。

7. ロンドンのタウンハウス巡り

赤煉瓦のヴィクトリアン・スタイル 前頁の写真の右端から中央に写る L 字に折れ曲がった形状のフラツツが、 本章の主役アイヴァーナ・コート (lvernacourt) です。ハイ・ストリート・ケ ンジントン駅から歩いて 2 ~ 3 分。ロンドン名物の赤い 2 階建バスがひっきり なしに行き交うケンジントン・ハイ・ストリートの裏通りに面し、表通りの喧 騒が途切れる住宅街の一角にあります。近くにチャールズ皇太子の居城ケン ジントン・パレスがあることでも分かるように、この地区はロンドンの中心市 街地でも有数の高級住宅街になっています。 このフラツツは、見ての通り、 19 世紀後半のヴィクトリア朝時代に流行っ たヴィクトリアン・スタイル (Victorian style) です。この時代は、産業革命が もたらした商工業の発展と大英帝国の版図の極大化でイギリスが最も隆盛 を極めた時代です。市民が裕福になり、自信をもち、それぞれのアイデンティ ティを大切にするようになった時代です。ヴィクトリアン・スタイルのタウンハ ウスの特徴は、なんといっても赤煉瓦 (Red brick) の使用ですが、この煉瓦 の色がまさにこの時代のロンドン市民の心象を象徴しています。 黄煉瓦のジョージアン・スタイル その前のジョージ王朝時代以前、ロンドンのタウンハウスは、ロンドンで 採れる土で焼いた黄煉瓦 (Yellow brick) でつくられていました。赤煉瓦は、 ロンドン以外の土地で採れる上で焼くことから、鉄道がない時代には運送費 が掛かり過ぎ、たいへんな贅沢品でした。そのため、せいぜい窓の化粧額 赤煉瓦 (Red brick) 20 黄煉瓦 (Yellow brick)o 煉瓦メーカーのカタログより。

8. ロンドンのタウンハウス巡り

材料や仕上げの方法、棟飾りや窓の額縁などの建築表現を見ることで、 ウンハウスがいっ頃建ち、何様式のものかが推測できます。 タウンハウスの建築様式の呼び方 タ ロンドンのタウンハウスの「建築様式」には、外観意匠の類型的表現ごと 88 合です ( 詳細は章末の年表参照 ) 。 時代がエドワーディアン (Edwardian style : 工ドワード王朝様式 ) といった具 (Victorian sty 厄 : ヴィクトリア王朝様式 ) 、エドワードⅦ世 ( 1901 年 ~ 1910 年 ) ジ王朝様式 ) 、ヴィクトリア女王時代 ( 1837 年 ~ 1901 年 ) がヴィクトリアン 年 ~ 1820 年 ) の時代がレイト・ジョージアン (Late Georgian style : 後期ジョー ジアン (EarIy Georgian style : 前期ジョージ王朝様式 ) 、ジョージⅢ世 ( 1760 年 ~ 1727 年 ) とジョージⅡ世 ( 1727 年 ~ 1760 年 ) の時代がアーリー・ジョー 様式 ) 。「ロンドンの大火」以降の煉瓦造の建築様式は、ジョージ I 世 ( 1714 年 ~ 1603 年 ) の時代の王朝名でチューダー (Tudor style : チューダー王朝 ヘンリーⅧ世 ( 1509 年 ~ 1547 年 : 在位、以下同じ ) とエリザベス I 世 ( 1558 例えば、 1666 年の「ロンドンの大火」以前に流行った木造の建築様式は、 建築様式が流行った時代の王朝名を冠した名称です。 ゴシック、ルネサンス、バロック、ロココといったものではなく、もつばらその う。その呼び方は、私たちが西洋建築史で習う建築様式の名称、ロマネスク、 に名前が付けられています、というより呼ばれていると言ったほうが適切でしょ