っこ」の世界が終ったとき ある。しかしもし米国が日本の提案に同意し、経済面における日本の譲歩と、軍事 面における米国の譲歩によって、新しい同盟関係が成立するとすれば、はじめて戦 後の日米関係は、政治・軍事・経済の三つの分野にわたって均衡のとれたものとな り、かっての日英同盟に似た atarm ・ s length の関係に更新されるかも知れない もしそういうことがおこれば、そのときはじめて「戦後」はほとんど終るであろ う。少なくとも日本人の眼から見れば、日米関係は戦争と占領・被占領という忌む べき過去から解放されて、新しい均衡と安定を獲得したように見えるであろう。そ れとともにあの現実から一目盛ずらされているようなうわの空の時代も終り、「ご っこ」の世界もほとんど消滅するであろう。黙契と共犯の関係が崩壊し、禁忌がよ みがえり、仮構と現実が二重映しになった世界から、はじめてあれほど渇望してい た現実というものが、徐々に姿をあらわしはじめるであろう。 こういう新しい時代は、なかなか来ないかも知れないし、案外早くやって来るか
160 も知れない。七〇年代の国際情勢を展望して確実にいえることは、米ソによる核保 有の二極構造といわれるものが崩壊して多極化し、世界はおそらくあちこちで地殻 変動をおこすだろうということである。そして米国の社会は、結局は復元するとし ても、今後十年ほどは確実に分裂しつづけるであろう。そうであれば私が今日夢想 しているような新しい日米関係は、比較的早い機会に成立するかも知れず、それも 思ったより容易でさえあるかも知れない。真の自主独立は、案外早期に達成される かも知れない アイデンティフイケーション それはいうまでもなく現実の回復であり、われわれの自己同一化の達成であ る。そのときわれわれは、自分たちの運命をわが手に握りしめ、滅びるのも栄える のも、これからはすべて自分の意志で引き受けるのだとつぶやいてみせる。それは 生き甲斐のある世界であり、公的な仮構を僭称していたわたくしごとの数々が崩れ 落ちて、真に共同体に由来する価値が復権し、それに対する反逆もまた可能である ような世界である。われわれはそのときはじめてわれにかえる。そして回復された 自分と現実とを見つめる。今やはじめて真の経験が可能になったのである。 しかし、そのときわれわれは、現在よりももっと豊かに整備され、組織され、公
それならおそらく、彼らは次に自問しなければならない。その不信感を、彼らは 今でも持ちつづけているのだろうかと。相対的により強力で、より少く米国に依存 するようになった日本が出現したとき、彼らはそれに耐えられるだろうかと。 もし米国人に、日本に対する不信感を払拭し、より強力で、より少く米国に依存 するようになった日本に耐え、それを受け容れ、そのような日本と同盟し、共存す る決意が生れれば、疑いもなく日米関係の将来は明るいにちがいない。それは、あ 1 ) かし、、もし るいは米国人にとって、若干の苦味を伴う決意であるかも知れない その苦味に耐えられないとすれば、米国はおそらく自国にとっての最大の利益の一 つを、いっかは手放さなければならなくなるかも知れないのである。 最初に述べた通り、私が提起しようとした問題は、ごく単純な間題である。私は、 歴史的経緯からして憲法第九条二項が、〃主権制限条項″であることを指摘したに すぎない この問題について、各方面からの忌憚のない議論が起ることを、あらた 年 めて切望する次第である。 九 昭和五十五年六月十六日ワシントンに於て
隊は、個人の正当防衛を規定した刑法第三十六条を法的根拠として戦うほかない、 との見解を明らかにしたのである。 換言すれば、これは、個々の自衛官には人間として、敵の襲撃から身を守る権利 があるが、日本という国家には主権の正当な行使として、「交戦権」を発動するこ とが許されていない ということにほかならないさらにいえば、それは、現在日 本の主権は、個別的または集団的「自衛権」を承認される程度までには回復してい るが、完全に「交戦権」を認められる程度までには回復し切っていない、 という趣 旨にほかならない これはもとより丸山次官の個人的見解ではなく、内閣法制局の 憲法解釈に準拠したものであり、この公式見解は、私の知るかぎり今日にいたるま でいささかも変更されていないはずである。 このように「交戦権」を否認または剥奪された国が、有事の際にどれほど深刻な 事態に陥らなければならないかは、誰にでも容易に想像できる。例えば、戦時にお いて、陸上自衛隊は敵国から戦時国際法の適用を受ける正規軍とは看做されないか も知れず、不正規のパルチザンとしての扱いしか受けられないかも知れない。″専 守防衛 ~ の拘束が強いために、どれほど事態が切迫し、戦略・戦術上それがどれほ
100 ら、第二次大戦末期の日本陸海軍将兵以上の絶望的な状態に追い詰められている。 もし現状のままで、自衛隊三軍の士官たちにその心情を質せば、彼らはおそらく、 「自分たちは現行法規に従って戦い、黙って死んで行きます。自分たちが死ねば、 きっとわかってもらえるでしようから」と、微笑を浮べながら、もの静かに語るに ちかいない不 ムは現実に、そういう士官たちを何人かは知っている。 しかし、三十五年前の夏にも、同じような日本の若者たちが、同じ微笑を唇に浮 べ、同じもの静かな声で語りながら、何人となく死んで行ったのである。彼らは死 に、われわれは生き永らえたが、あるいは今までの三十五年間、なにひとつ「わ か」らずに過して来たのかも知れない。そしてその結果、同じ悲劇を二度繰返しか けているのかも知れない。歴史はひとめぐりもふためぐりもし、国際情勢は一変し たが、銃をとる若者たちの心情が三十五年前と変らずにいるのは、痛烈な皮肉とい 一つほ , か、ない もともと米国の対日占領政策は、〃万邦無比〃の大日本帝国を抹殺し、あり来り の日本国を誕生させることを目的としていたはずである。だが、ここでも皮肉なこ とに、米国の日本占領は、全く別な意味で " 万邦無比 ~ な日本を生み落してしまっ
166 最近、久しぶりに綜合雑誌をすみずみまで読んだ。読み終って感じたのは奇妙な 空々しさである。なるほど「思想」的言辞はいくらもある。たくさんの学者や評論 家が、何々でなければならない、今こそ何々すべきだ、というようなことをいって いる。しかしほとんどひとっとして生きた文章がない。そう感じるのは、あの五月 から六月にかけての異常事の連続から来た疲れが、書くほうにも読むほうにものこ っているせいかも知れない。実際、東京のインテリはあの事件で大分疲れています ね、と最近訪ねて来たテレビのプロデューサーがいったが、疲れているのは肉体だ けではない。思考が底をついている。ドラムカンに一滴も油がはいっていないとい うような不毛が「論壇」という場所に端的にあらわれているのである。時がたって 肉体の疲労がいやされれば、豊饒な「思想」が回復されるのであろうか ? おそら くそ一つではあるまい この空白、あるいは不毛は、もっと本質的なもののように見
162 き受けるところに生じる価値である。われわれがあれほど渇望し、模索していた自 分の正体とは、このようなもの以外ではなかった。 あるいはわれわれも、薄々はこのことに気がついていたのかも知れない。そのく せこの自明なことが見えなかったのは、これまで生存を維持するのに精一杯で、そ のために仮構された「ごっこ」の世界をうわの空で通りすぎていたからである。敗 けるが勝ちであったり、敗北によって獲得したり、自分だけは敗けなかったりとい うことは、現代の全面戦争にはあり得ない。だからこそ戦争は凄惨なのであり、 ヴェトナムも米国も死力をつくして戦うのである。この自明な事実から限りなく逃 走をつづけながら、それでいてわれわれはそれに直面することをひそかに求めてい た。なぜなら戦後の日本人は、例外なく「この指」にとまって「ごっこ」の世界で 暮しながら、同時に「ごっこ」がいっかは終るものであることを、「鬼」はやはり 太郎ちゃんであり、「電車」がやはり口ープであることを忘れてしまっていたわけ ではなかったからである。 したがってわれわれは、死者たちのこともまったく忘れていたというのではなか った。ただ生存の維持のみを目的とする「ごっこ」の世界が、皮膚から露出した白
144 わせて、一種異様にわいせつなものであった。なぜならわいせっとは、超えがたい アイデンティフイケーション 距離が存在するという意識と、それにもかかわらずそれをこえて自己同一化を おこないたいという欲望との組合わせから生じる状態だからである。性交そのもの はわいせつではないが、性交をのぞきながら自分が性交している幻想にひたるのは わいせつである。 アイデンティティ かくしてここでも自己同一性が混乱しているという事情は同様といわざるを得な べ平連の指導者は私権の原理を主張するが、この世界には実は私権などという ものは存在しない。なぜならこの世界には公的なものが存在し得ないからである。 「ごっこ」の世界とは、したがって公的なものが存在しない世界、あるいは公的な ものを誰かの手にあずけてしまったところに現出される世界、と定義することがで きるかも知れない。それなら公的なものとはなにか。それは自分たちの運命である。 故に公的な価値の自覚とは、自分たちの、つまり共同体の運命の主人公として、滅 びるのも栄えるのもすべてそれを自分の意志に由来するものとして引き受けるとい う覚悟である。それが生き甲斐というものであり、この覚悟がないところに生き甲 斐は存在しない。よってわれわれには生き甲斐は存在しないのである。
102 私がここで提起しようとしている問題は、本来ごく単純な間題である。それは、 わかりやすくいえば、日本が憲法第九条一一項の規定している「交戦権」を放棄した ままで、果して平和を維持できるか、という問題にすぎない 日本は、少くとも今後二十年のあいだ、世界のどの地域で勃発するどんな戦争に も巻き込まれないで、平和に発展を続けなければならない。そのために、どれほど の叡智と、どれほどの賢さが必要であるかは、ほとんど測り知れないほどである。 完全な主権を有する国にとってさえ至難なこの難事業を、主権を制限されている日 本が、どうして遂行することができるだろうか ? 主権制限は、当然外交上の選択 肢を制約する。持駒をすべて使いこなし、ありとあらゆる手段を用いても成功でき 民の公正と信義に信頼」するわけにもいかないこの現実の世界のなかで、自らの 「安全と存続」を維持する道を求めなければならない。だが、しかし、「本来その主 権に固有の諸権利を放棄」したままで、それが果して可能だろうか ?
178 的な力の衝突を解明しようとするより、天皇と軍国主義の弾劾に情熱的になり、諸 悪の根源をもつばら同胞のなかに見ることに急だったのだろうか。要するに、外国 権力による分割統治を許容してまであえて守らねばならなかったものはなにか。知 識人というものはもともと観念的なものだとしても、何故これほど観念的になった かということを考えると、私は結局傷つけられた「誇り」というものに思い及ばね ばならない 理想主義が虚脱の産物だったということはすでに指摘したとおりである。だが、 この虚脱の底にかくされていたのは、おそらく傷つけられた「誇り」である。戦時 中の実際家は敗戦によって理想主義者にかわりはしまい。しかし、あらゆることが らに価値の問題をからませねば満足できぬという理想家にとっては、醜悪な敗戦の 現実をそのままに容認するのは苦痛である。私は戦時中の知識人がみな国粋派だっ たといっているのではない。敗戦を予見した人は少なくなかったかも知れず、年代 のちがいによっても戦争の見通しはちがったであろう。が、いずれにせよ、自分の 国がはじめて敗戦を体験したということの意味が小さいはずはない。予見すること と体験することとは別である。私は、敗けることはわかっていたから別段何を思い