408 宮城谷済西の戦いの後、楽毅は斉の国に攻め込んで、占領しますが、ここで統 治を誤らなかったのではないか。彼が後世誉められた理由のひとつは、ここではな いかと思うんです。史料的にほば間違いないのは、楽毅が斉の国を平定している作 業の最中に外国の軍勢が斉に攻め入った形跡がほとんどない。不可解といえば、非 常に不可解な話で、現実には斉の君主は国を捨てて亡命し、斉は国家の体をなして いなかったから、これほど攻めやすい状態はなかった。しかし、楽毅が見事に斉の 国を治めていたがゆえに逆に付け入る隙がなかった、とも考えられます。 秋山なるほど、その見方は面白い。ただ、その前に楽毅って武将がわかるのは、 済西の戦いに到る過程だね。戦争は外交の延長線上にある、といわれる通り、戦争 は外交の一形態であり、外交は政治そのものであって、国際政治だけでなく、国内 政治も大きく係わってくる。楽毅が背負っているのは、いつも小国でね、中山が滅 しょ・つ んで、移った燕も小さくて、燕の昭王は斉という大国に対して父の仇を討ちたい、 と大望を抱いていた。そこで楽毅は考える、小国の在り方、外交、どうすれば小国 が大国を伐てるのかと。そういうものの上に立って、大きな戦争へ小国を導いて行 くところ。名将はこ、つい、つものだと田 5 ったね。 宮城谷祖国の中山が滅んだとき、たぶん楽毅は大臣のような立場でした。自分
宮城谷たぶん、そうだと思います。ただ『楽毅』は女性の登場回数が非常に少 ない小説ですからね。「女性を出さないと女性に読んでもらえませんよ」と編集者 にいわれたりもするんですが ( 笑 ) 、そういう声は無視して書き進めました。 秋山いや、少ないからこそ、女性の精髄がかえってよく出てたよ。たとえば、 子供の先生を誰にするかで、楽毅夫妻の意見が対立するところ。最終的には楽毅の 考えが通って、あそこは、あなたの教育論なんだろうけど、楽毅の奥さんの子供に ようまい 対する見方に女性らしさを感じたな。また楽毅が「杳昧にさまようとき、おなじ杳 さに染まっていては」といったあたり、女性であり、妻である、ということはどう いうことかをわからせてくれて、実に良かったよ。そうか、宮城谷さんは女性をこ んな風に見るようになったのか、齢をとったなとも思ったけれど ( 笑 ) 。 宮城谷その通りです ( 笑 ) 。 秋山『楽毅』を読んでいて、最後に思ったのは、やはり日本人が好きな、君臣 らの忠と誠実の問題だね。どうなんだろう、日本と中国で忠誠心を比べると : 宮城谷中国の方が薄いでしようね。君主と臣下の関係は、契約に近いものがあ 春って、契約が切れれば、君主とその臣下はさっと別れてしまう。反対に日本の場合、 君臣は契約とは違う、感情の部分で結びついているところが見られるでしよう。
したことは史料には全く記述がなくて、これもずっと長い間、それこそ第四巻を書 き始めるまでの四年間は考えていました。私の結論は『楽毅』で書いた通りですが。 秋山いや、良かったよ。そうかと納得したし、感心したな。二年前に宮城谷さ しよかっこ - つめい んと話したとき、私は楽毅って人のこと、三国志の諸葛孔明が憧れたらしいぐらい の認識しかなくて、よく知らなかった。でも第四巻まで読んで、なるほど、こうい う男なら産れる、とよくわかったな。 独創的な戦術 秋山楽毅は戦場で傑出していたけれど、戦が上手いだけの名将ではないね。 かんちゅう へ 宮城谷違いますね。諸葛孔明があこがれたのは、春秋時代の管仲と戦国時代の 時 楽毅のふたりだけで、管仲を見ますと、たしかに戦上手でしたが、行政能力も抜群 国 らでした。それに法の整備をかなり行った人で、司法にも通じていた。そこから考え 報ると、楽毅も管仲に見合うだけのものがなければ、あの諸葛孔明があこがれるはず 春かない。 7 秋山そのへんが実によくわかったし、説得力があったな。
が失敗したわけではなくても、上が誤りを犯せば、下も失敗者とみなされる。どう すれば良かったか、何が欠けていたかを楽毅は身をもって経験しており、燕に移っ てからは祖国の失敗を生かすことを考えていたと思うんです。また楽毅は歴史に学 び、故事のなかから知恵を選び取る眼をもっていたような気がしますね。 秋山たしかに楽毅ほどの武将であれば、燕一国だけで斉の国を攻めても、局地 戦で勝利をおさめられたんだろうが、それはやらない。で、いざ斉を攻めたら、心 臓部の首都に入っている。つまらない話だけど、第二次世界大戦のとき日本はなに を考えていたのかと思ったね ( 笑 ) 。 宮城谷秋山先生は『信長』のなかで、信長の独創的な戦術をなぜほかの武将が 模倣しなかったのかという問いを繰り返し、以前お話ししたときには、結局真似で へきなかったからではないかという結論になりましたよね。『楽毅』を書いていて、 時 さらに考えたのは、戦の上手い人は、とても独創的に見えるけれど、自分の考えを 国 独創的な高みに昇華させる前に学習し、どこかで試しているんじゃないかというこ とです。 時 春秋山それ、やってるよ。小さなことでまず試して、また学習して、そして小さ なことを一国の興亡を分けるような戦争に直結させて、生かしている。楽毅が最後
引 6 秋山だから中国の戦国時代には、君主を代えて、ほうばうで大功をたてる孟嘗 君のような男が出て来るんだね。 宮城谷それゆえに楽毅みたいな、君主を尊ぶ武将が誉められたんだと思うんで す。たぶん珍しかったんでしよう。諸葛孔明が慕われたのも同じ理由だと思います。 秋山ああ、なるほどね。しかし、古代中国と日本といったことはさておき、何 が忠であるかっていうのは難しく、誠実であろうとすることは厄介なもんだな。 宮城谷本当にそうですね。ですから、燕の昭王が死んで、次の王に疎まれると しばせん 楽毅が大武勲にとらわれす亡命するところは、司馬遷の『史記』のなかでは一番感 動しましたね。燕の国から呼び戻され、そのまま燕に帰ったら、楽毅は殺される。 もし自分が殺されたら、自分を殺した息子の父として、前の王を傷つけることにな ってしまう、それゆえに亡命した。その楽毅の、忠と誠実の在り方は本当に見事な ものだと私は思うんです。 秋山それにしても、楽毅のような比類ない男を排除した王をはじめ、思慮の足 りない君主が多いね。このことは、古代中国に限ったことではなく、どこの世界、 いつの時代も変わらないようで、つくづく王様というのは奇妙な存在だと思った。 宮城谷王様というのは、自分が何者であるか一番わからない人で、最終的にわ
428 試験の勉強中に、『楽毅』を読んでいました」という弁護士にふたりも会ったこと があります。司法試験には『楽毅』が効くのかな。弁護士や棋士の方などが頭の整 理をするのにいいような、不思議な力があるのかもしれません ( 笑 ) 。 文明の差 マイケル戦国時代を生きた中山国の楽毅が亡国の憂き目に遭いながらも、将軍 として、治者として、立派に成長していくところが好きです。楽毅が持っ正義感の 強さと、正しい道を歩む姿勢は、弁護士にふさわしいですね。最初の方の、斉の孟 嘗君との出会いの描写から引きこまれてしまいます。 りんし 宮城谷ふたりが出会った斉の首都・臨涌は当時、世界最大の都市ではなかった でしようか。紀元前三世紀にして、私の推定では、八十万都市だった。朝、新しい 着物を着て出ると、夕方には着物がボロボロになったといわれるほど人がこみあい、 活気に溢れていたそうです。街では闘鶏や双六などを楽しんでいた。乱世にあって、 人々は案外伸びやかに、文化的な生活を営んでいたかもしれません。 そのころすでに、、 ノイウェイのような、広くてまっすぐな道路が整備されていま ちゅうざん
があらゆる人にわかるようにと礼儀作法の礼に意味を引き下げた。孫子はやむをえ ぬ破壊を伴う戦争において、礼の原義を取り戻そうとしたんです。いま日本で礼と しっても、通じにくいのかもしれませんが。 秋山そこで話はえらく脱線するけど、今年の春、心臓を含む臓器移植が行われ るようになったじゃないか。これは、医学の進歩の勝利ですよ。でも、こっちは大 岡昇平の『野火』とかを読んでいるから、他人の体のものをもらって自分が生きる ってことに関して、考えることがあってね。臓器移植とこれまでタブーであったこ とは何が同じで、何が違うのかって、大学の文学部の学生に問題を出したり、ほう ばうで聞いてみた。だけど、満足できる答えが返って来なくて、ちょうど、そんな とき『楽毅』を読んで、そうだ、そうだと思った。 〈勿論、『楽毅』のなかには、この問題に触れた箇所はないけれど、『楽毅』を読ん 国でいて、仁義礼智信という、むかし聞いた言葉が甦って来たんだよ。要するに精神 の置きどころなんだな。人は何を基本点として、他者と係わり合い、自分の歩いて 代行く道を選ぶかってことで、宮城谷さんは『楽毅』のなかで考えているな、と思っ 秋 宮城谷仁義礼智信は『里見八大伝』で庶民に親しくなったことばで、私も中国
長』にどれくらいかかりましたか。 秋山三年だね。書き始めてから、三年がいいところじゃないか。それより長く なると、どうしても息切れした感じが出て来るけど、『楽毅』は全然、違ったな。 最後の第四巻まで息切れするどころか、読みごたえあって、正直いうと第四巻が一 番面白かったよ ( 笑 ) 。宮城谷さんの小説を読むと、いつも新しい発見があって、 新しい小説が良く見えてしまうんだけど、今度は格別だな。終わり方がとてもいい しね。 宮城谷ありがとうございます。『楽毅』を書きながら、秋山先生がお読みにな っていることがいつも頭のどこかにあって、プレッシャーになってました。第一巻 と第二巻が同時に刊行された二年前にも対談させていただき、同じような話が出た ~ と思うんですが、戦争を小説のなかに書きこんだ場合、どのように勝ったか、何も 時 書いていないじゃないか、と指摘されるのが怖い。 国 戦 秋山良かったですよ、出て来る戦争のどれもがね。第一巻から第三巻までは楽 ちょ・つ ちゅうざん 毅が祖国の中山という小国を背負って戦う。これは大国趙の侵略に対する守りの戦 えん 春い。第三巻で中山は滅んで、楽毅が小国の燕に移り、今度は五か国をまとめて大国 の斉に大規模な戦争を起こすね。
こと。もうひとつは、運だと、天命だと教えられました。 私が社長になって痛感したのは、社長というのは、実に「孤独」だということで す。「孤独」は非常に重要なことで、いろいろな判断をして、それを積み重ねてい くためのステップなのです。もう誰にも頼ることができない、自分しか頼れない そういったときに、自分はいったい何なのか、どうするのか。一所懸命いろいろな ことを勉強し始めるわけですよね。だから経営者はたくましくなってくると思うの です。自分てし力し彳 、、こ一丁していくカか、立派な経営者になれるかどうかの境目だと いう感じがするのですが、どうでしようか ようめいカく 宮城谷安岡氏は陽明学の先生だから、相当に積極性があるという感じがします ね。安岡氏についておられた方は、経営においてもそういうものがきっとおありな のだと思います。ただし、その最後の「運」というのは面白いなと思いますね。日 本の戦国の武将でも中国の武将でも、やはり運のいい人と悪い人というのはあるん ですね。これはどうしようもなくある。経営者も同じだというのは非常に面白い がっき 平岩宮城谷さんの『楽毅』を読んでいますと、楽毅とお父さんとの問答で、楽 毅が「わたしは頼りになりませんか」と言うと、お父さんが「そうではない。国の 興亡を決めるのは、人ではなく、天だ、ということを忘れてはならぬ」というとこ
0 楽毅が問いかけるもの 春秋時代から戦国時代へ 日本人の思考の源流を探る 対談・ こういう男なら憧れる がっき 秋山『楽毅』全四巻、とうとう完結したね。完結まで何年かかったの。 宮城谷月刊誌の連載でいうと、四年半。でも、連載が始まる半年前から書き始 めていますから、五年ですね。自分でも呆れるくらい、長かった。書き始めてから、 これほど長い期間、一人の主人公に付き合ったことは初めてです。秋山先生は『信 平成十一 ( 一九九九 ) 年「波」十月号 秋山駿 ( 文芸評論家 )