与四郎 - みる会図書館


検索対象: 利休にたずねよ
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1. 利休にたずねよ

枯れたからで、じぶんの境涯についてではないらしい ど、つするか 与四郎は、それを決めなければならなかった。 はっきりしているのは、すぐさま、堺から出たほ、つかよいとい、つことだ。 しかし、ど、つやって しゆっぱん 家では、すでに二人の出奔に気がついているだろう。 父のことだ。ますは紹に報せるはずだ。すぐに追っ手かかかる。もう、四方に走っているとか んかえたほうがよい もはや、町中には帰れない 堺の町は、柵と濠で囲われていて、いくつかある門からしか出入りができない。 ざむらい 門には、雇い侍がいる。このままの姿では、女が目立ってしかたない。女に日本の小袖を着せ なければならなし 、。ト袖は、どこで手に入れるか 懸命に考えるが、知恵がさつばりまわらない。 なにをなせばよいのか、判断がっかなかった。 女は平然としている。 うりざわがた 瓜実形の顔はあくまで白く、目に澄んだ光がある。どんな境遇にいても怯えす優美にふるまって いられるのは、やはり、高貴な家の生まれだからであろう 立ったままだった与四郎は、炉をはさんで、女の正面にすわった。 やたて 矢立の筆を舐めて、懐紙に書いた おび 389

2. 利休にたずねよ

もうひとりの女 おおしようじ 大小路は、堺の町を東西につらぬく賑やかな大通りである。 あきなせんのよしろう いまいちちょう 干し魚を商う千与四郎の家は、そのすこし南の今市町にあった。大きな問丸で、十間間ロの広 い店に、大勢の奉公人が住み込んで働いている。 しとね 朝、奥座敷でたえが目を覚ますと、となりの夫の褥には一筋の皺もなく、ゆうべ敷いたときのま まだった。 また帰って来なかったんだわ。 冷えきった褥を見つめて、たえはすこし腹が立った。 そ・つえき ほうせんさい 夫の与四郎は、宗易、あるいは抛筌斎などと号して、茶の湯にうつつをぬかしている なげう 抛筌というのは、竹でつくった漁具を抛っという意味だそうで、家業の干し魚屋をほうりなげて たんでき きど 茶の湯に耽溺しているという気取った号だ にぎ しわ 宗易三十四歳 天文ニ十四年 ( 一五五五 ) 六月某日 泉州堺浜の納屋 といまる けんまぐち 0 たえ 336

3. 利休にたずねよ

「ふん。短い間だ。大事あるまい」 たんば はたの 女を預かるのは、ほんのわすかのあいだだと、父がいった。三好家では、長慶と、丹波の波多野 こんぎ のむすめと婚儀が進んでいる最中なので、いきなり異国の女を連れて行けないのだという。むこう にも算段があるのだろう。 「しかし、朝飯を食べておりませぬな」 「もうそんなことを見てきたのか」 父があきれた。 「それは、気になります」 、んびしょ - っ そととびら 上蔵は、風を通すために、厚い外扉が開けてあるかわりに、内側の木戸を閉めて海老錠がかけ てある。 なかでは女子衆がひとり、縫い物をしながら、そばについている かなあみ 与四郎が木戸の金網からのぞくと、真っ直ぐな視線でこちらを見つめていた。目と目があって、 また心の臓が高鳴った。黒い瞳に、新鮮な驚きがあった。 「どんなぐあいだ」 女子衆にたすねた。 「すっと外を見ておいでです」 金網越しに空を見ているところに、与四郎が顔を突き出したらしい なわと すでに縄は解いてあるが、あばれて騒いだり、逃げたりする気配はないようだ。蔵の奥に敷いた ひもうせん 緋毛氈に、片膝を立ててすわっていた。 と 優雅なたたすまいだ。捕らわれていることをなんとも思っていないふうでさえある。 0 378

4. 利休にたずねよ

返しては目を潤ませた。 午になる前に、納屋の番小屋を出ることにした。 つぼ 荷造りしなおすとき、上間のすみに置いた壺が目についた。 まだすこし残っていたな。 壺のなかに、真っ赤な紙の袋が入っている。 や′、ほ - っ 袋のなかに、小さく折りたたんだ薬包がひとつ。 いわみ 鼠退治につかった毒の残りである。石見の銀山でつくられた毒で、耳かきにすこし飲んだだけで 人が死ぬ。味もせす、匂いもない もしも途中で見つかって進退窮まったら これを飲んで死ねばいいのだ。 そう思えば、気が楽になった。どのみち、もはや、武野には顔向けできない。千の家も勘当され っそのこと、死ねば気楽だ。恥 るだろう。女だって知らぬ男の妾になんぞされたくないだろう。い 、と覚悟を決めた。 ではない。おれは、人ひとり助けようとしたのだ。失敗したら、死ぬのがいし 荷行李に、赤い袋をしのばせた。 女が脱いだ高麗の服もいっしょに、荷造りしようとすると、きちんと畳んだ上に、小さな壺が置 りよくゆ - っ いてある。緑釉のうつくしい小壺だ 毒か ぎよっとしたのは、与四郎が毒を用意していたからだろう。 女は、小壺を手に取り、小さな蓋を取って、与四郎の鼻にかざした。 ひる きわ かんど・つ 596

5. 利休にたずねよ

顔をしかめるかと思ったが、最後まで飲んで茶碗を置き、あわく微笑んだ。 じぶんにも、茶を点てた。 飲もうとして、茶碗を手に取ったとき、入り口の障子が音を立てて軋んだ。人が来たのだ。心張 り棒がかませてあるので、開かない ここまでか はちふささ 与四郎は、観念した。あわてす、天目茶碗を目八分に捧げ、正面をはずして口をつけた。 こんなうまい茶を飲んだことはなかった。 「与四郎さま、おいでなのでございましよう」 さきち まきわ 障子戸のむこうの声に聞き覚えがある。家でつかっている佐吉だ。商売のことではなく、薪割り みずく や水汲みなど、内向きの用を足している 立ち上がると、な四郎は心張り棒をはずした。 「煙が見えております。不用心でございますぞ」 すばやくなかに入ると、佐吉は外を見てから障子を閉めた。 「みなで探しておるのかー へいおん 「家のなかは大騒ぎでございます。できるだけ平穏をよそおっておりますが、若い者があちこちに 走っております。武野様のご指示で、雇い侍たちも、四方に散りました」 「きっとこちらにおいでと存じまして、ここを探すのはわたしが、と日一那様におねがいいたしまし 「そうかー 392

6. 利休にたずねよ

木槿の花が、やわらかい月の光を浴びて咲いている。 ・つしみどき そろそろ、丑三つ時か ころあ 裔は、夜明けに出る。ちょうどよい頃合いだ。 耳をすました。 ことりとも物音がしない。家の者は、みんな寝静まったようだ。 お わきざし たびじたく 旅支度を詰めた行李を背負い、腰に脇差をさした。足音をひそめて庭に降り立った。 はこまくらひきだし 蔵の内木戸の海老錠の鍵は、父がいつも持っている。寝るときは、箱枕の抽斗に入れている が、とっくに持ち出し、堅い黄楊を削って合い鍵を作っておいた しようまえ 錠前をそっと開けた。 闇のなかで横になっていた女子衆が気づいてからだを起こした。首をくくられては困るので、夜 も人がついているのだ。 与四郎は、低声でつぶやいた。 ふびん 「不憫ゆえ、その女を逃がしてやる。おれに刀で脅かされたというがよい」 腰の脇差をしめすと、女子衆がこくりとうなすいた。 寝ている高麗の女の肩に手をかけた。 「コリョエトマンハジャ」 0 そうつぶやいた。 高麗に逃げましよう 起きあがった女が、与四郎を見つめている。暗闇のなかでも優雅さはそのままだ しずかに、うなずいた。 しっせき 女子衆を縛りあげて、猿ぐっわをかませた。これで、後で叱責されすにすむ。 かたっげ おど 384

7. 利休にたずねよ

「コリョエトラカゴシッポョ ? 」 高麗へ帰りたいか、と、たすねた。 「トラカゴシッポョ」 と、つなずいた。 優雅に落ち着き払った顔で、女は帰りたい、 名は、なんというのか。どうして捕らわれてしまったのか 聞きたいことはいつばいある なかに入り、漢文で筆談したら、いろいろ通じるのではないかと思ったが、それはどうしても父 が許さない。蔵の戸口に立っているのさえ、すぐに追い払われる。 食事をはこぶとき以外、与四郎は、じぶんの座敷から、上蔵の壁をながめているしかなかった。 不思議なことに、美しい姫かなかにいると思うだけで、茶色い上の壁が、艶つほく見えてくる ば、かは、か 1 レい と、首を振ったが、 いや、と思い直した。 あらっち なかに美しい命が隠されていればこそ、荒土の壁が輝いて見える。こういう浮きたつような恋の こころか、茶の湯にもほしい。 侘び茶といえど、艶がなければどうしようもない ひな いまは、侘び、寂び、枯、そんなくすんだ美学ばかりが賞賛されているが、艶を消し去り、鄙め かした野暮ったい道具をそろえても、こころは浮きたたない だいじなのは、命の優美な輝きだ。 あの女を見ていて、そうおもった。 命がかがやけば、恋がうまれる 夜、かすかな月の光にうかんだ上蔵の壁を見つめて、与四郎は恋をしていた。 からび 382

8. 利休にたずねよ

、しに月舟かあれば、とにかく乗って漕ぎ出そう そ、つこころに決めている。 ひょうご 与四郎は、舟など囀 冫いだことはないか、なんとかならぬでもあるまい。できれば兵庫の湊まで すみよし 行きたいが、 それが無理なら、難波でも、すぐ近くの住吉の浜でもよい。ますは、堺の町を出るこ とだ。そうすれば、すこしは安、いだ。見つかりにくかろう どのみち堺の湊は、すぐに紹鵰の手がまわるだろう。もう大きな船には乗れまい ふところ しかも、筑紫の船頭に大枚をはらったので、懐の銀は、乏しい 一 ) ・つさく しょ・つりよ 頭のなかを、さまざまな思いが交錯する。焦慮を抱えながら、湊から町を走り抜けた。 浜の松林に入った。 あたりには、漁師の家が何軒かあるだけだ。 小舟はないか 見つからぬように遠くからさぐったが、 大きめの舟が浜に上げてあるだけだ。とても、ふたりで は海に押し出せそうにない 銀を払って、着物を買い、舟で難波まで送ってもらおうか そう考えて、すぐに首をふった。 あや わ もしも、屋しまれ、断られたらなんとするか との迷いが湧きあがってくる。 与四郎は、ひとまず、千家の浜の納屋に行くことにした。ここからもうすこしのところにある。 ねすみ 浜で干した魚を積み上げておいたのだが、このあいだ、鼠がたくさん出て魚を齧った。いまは使 っていない。あそこなら、隠れることもできる。 松林の砂地を踏みながら、納屋に急いだ 0 0 387

9. 利休にたずねよ

黄金の茶室利休的 白い手あめや長次郎 待っ千宗易弸 名物狩り織田信長 もうひとりの女たえ 紹鵐の招き武野紹鴎 恋千与四郎 夢のあとさき宗恩巧 じよ、フおう まね

10. 利休にたずねよ

なたも、与四郎の朋輩やら心当たりのところを探してもらいたい」 「承知いたしました」 与兵衛を帰し、紹鵰は、また新しい四畳半にひきこもった。 女と与四郎のことは、どのみちなるようにしかならない。考えても無駄なことは、考えないこと お・つよ・つ にしている。大分限者の紹は、なにごとにつけても鷹揚である。 ぼっと - っ 床に対座して、すぐにまた花入のしつらえに没頭した。 たけかご からど - っ さはりふながた いくつもの花入を床にか 高麗青磁、首の長い唐銅、南蛮砂張の舟形、さまざまな形の竹籠など、 ざり、あちらからこちらから、ためっすがめつ眺めた。 きょ・つ いがや どれも、それなりにしつくり馴染んで興があるのに、どういうわけか、侘びた伊賀焼きの花入だ けが上手く映えない 土の肌がざらりとしているせいか、座敷の侘びて枯れた空気が、かえってうるさく感じられてし ま、つのである。 ど、つ亠 9 ればよいカ うすいた , 刀に 頭をひねり、下に敷く薄板や花台をあれこれ替えてみた。塗りやら、白木やら、あるいは、 ちのちがうのを試しても、どうにも満足できなかった。そんなことをしていると、たちまち時間が たっていく。 ふと気がつくと、一日の大半をそんなことに使っていた。 かしら ゅうさ タ去りがたになって、雇い侍の頭がもどってきたので、書院の縁で対面した。 「申しわけありません。いまのところ、まだゆくえはつかめておりません」 ど・つまる かたひざ 片膝をついた頭の胴丸に、汗が白く塩になっている。 とこ しらき 364