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検索対象: 利休にたずねよ
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1. 利休にたずねよ

「謝るなら許してやるというてやれ。わしとて、殺すのは本意ではない」 「意を尽くして、申し伝えまする」 秀吉は、外をながめたまま、指先でしきりと扇子を開け閉めした。乾いた音がひびいている。 「あの男 : ・ 「はつ」 一 ) - つご - っ りよくゆう 「緑釉の香合を持っておる。そのほうは、見たことがないか」 「香合でございますか : : : 」 蒔田が首をかしげた。 「そうだ。翡翠より美しい緑色でな、平たい壺の形をしておる。だれにたずねても、見たことがな しとい、つ」 「はて。それがしも、存じませぬ」 「そうか。わしは一度だけ見た。譲れと命じたが断られた。あの男、あんなによい香合を持ってお りながら、茶の席には飾ったことがないなぜだ」 、判じかねます」 「さて : 近しい弟子でも知らぬなら、よほど曰く因縁のある香合にちがいない 「気取られるなよ。死の前じゃ。わしが欲しがっているなどと切り出せば、あの男、香合を砕いて めしま、つであろう」 しゅうちゃく わ 数寄道具に強い執着をもっ利休である。まちがいなくそうするはすだ。 を 「腹を切らせたあとに、持ってくるがよい。あの男、明日はあの香合を飾るだろう。そんな気がし お てならぬ」

2. 利休にたずねよ

ころ はさみ もみがら 鉄の鋏でつかんで取り出し、籾殻に転がして冷やした。 熱が冷めると、軽くしっとりと潤いのある茶碗ができていた。 やってきた宗易に見せると、とたんに顔をほころばせた。 「これはい、 両手で抱いて茶碗を持ち、茶を飲むしぐさをした。宗易の大きな手に、すつほり心地よさげにお さまっている。 「媚びていないのかいい」 「ありがとうごさいます」 うれ 褒められて、長次郎は素直に嬉しかった。 茶碗は、素直な筒型で、底がなだらかにすばまっている。ほんのわすかに胴が張り、ロが内側に そっている 赤い釉薬をかけてあるが、肌はざらりとした土の感触をのこした。それが、かえって柔らかみを ひき立てている。 「とても軽く焼けましたね」 手に持っと、ふっと、魂でも抜けてしまったように軽い。 「茶が楽に飲めるように、苦しい重さは、あの世に送りました」 ンごさ 冗談だが、それくらい寝食を忘れ、魂を捧げるほど茶碗にうち込んだ。じつは、瓦の粉をまぜ て軽くしたのだが、 そこまで宗易に明かす必要はあるまい 「肌に、えもいわれぬ潤いがある」 298

3. 利休にたずねよ

守 家康は、ロ中でつぶやいた。白とはなにか、よく分からない。 ゅおと 目を落とすと、炉に釜がかかっている。蓋は切ってあるが、湯音はしない。釜は、手で撫でさす りたいほどふつくらした丸みをもっている。 ためいき 床を背負ってすわると、大きな溜息がもれた。張りつめていたものが、いっきにほぐれ、溶け出 そんなことま いったいどんな違いがあるのか した気がする。生きていることと死ぬことに、 で思わせるほど、清浄で落ち着いた茶の席である。 さど・つぐち ふすま 茶道ロの白い襖が開いた 利休が平伏している。 「関東からの長旅、お疲れでございました。ようやく春めいてまいりまして、なによりの好日。関 くつろ 白様より、存分におもてなしせよと言いつけられております。ごゆっくり、お寛ぎいただけました ら、幸いでございます」 家康は、一昨日、京に到着したばかりである。まだ秀吉には拝謁していない 「関白様は、なにか仰せであったかな」 「はい。長旅でお疲れゆえ、ゆっくり寛いでいただくように、と、おそばの者から言づかっており ますー おそばの者とは、石田三成でもあろうか。あやつは利ロな男だ。わしを殺したら、坂東の情勢が しゅうしゅう どれほど混乱するか、重々承知しておろう 「それだけか」 「そればかりでございますー ことづて 家康はあごを撫でた。秀吉からなにか言伝でもあるかと期待していた。肩すかしをくらった気分 ふた 、はんど・つ

4. 利休にたずねよ

かんば そう看破した。 、着物を着ている だからこそ天下人にもなれたに違いないが、では、人として、こころの位がどれほどかといえ くらいしんしん ば、けっして高いとはいえまい。欲深くむさばりの過ぎる男は、たとえ位人臣をきわめ、天下を げせん しようちゅう 掌中にしていようとも、やはり下賤である。 みつなり 供についてきた家臣たちのいちばん上座にすわっているのは、石田三成だ。聡明そうな顔をして おか いるが、やはり毒に冒されている。 三成は、 三成とは、四年ばかり前に、ちょっとした行きちがいがあった。 ばってき きよさってんしようし そのころ、宗陳は、秀吉が新たに建立する巨刹天正寺と方広寺の開山に抜擢されたが、造営奉 ぎよ・つ 行の石田三成とそりが合わなかった。けつきよく、天正寺は建設が中止され、方広寺は天台宗の 寺となった。 としん AJ い、つ 三成が、宗陳に妬心を抱いて嫉妬の瞋恚の焔を燃やし、秀吉からひきはなそうとした のが、どうやら客観的な観測である。 そのときは、三成に腹が立った。 しかし、つらつら考えてみれば、それは、三成のなかに満ちた毒のせいである。三成ではなく、 毒がなしたことだ。 そう思えば、腹も立たない 人が必要以上に欲をもたす、つねに穏やかな平常心と、聡きこころをもっていれば、世の中はど れほど住みやすいか 大書院に顔をならべた侍たちを眺めながら、宗陳はそんなことを思っていた。三つの毒を消し去 ほのお 222

5. 利休にたずねよ

てんによ 「天女かと思いました。それは白くて美しい手をしていました。この茶碗を持たせたら、とてもよ く映えるでしよ、つ」 しわ 宗易のⅡ尻に、皺が寄った。茶碗を持っ女の白い手をどこか遠い彼方に見ているかのようだ。ひ ためいき とつ大きな溜息をついた。 それだけ考えて、茶の湯に精進してきました」 「あの女に茶を飲ませたい 「しあわせな女人や」 宗易が首をふった。 「あんな気の毒な女はいません。高貴な生まれなのに、故郷を追われ、海賊に捕らわれ、売りとば され、流れ流れて、日本までつれてこられた」 思わぬ話の展開に、長次郎は息をのんだ。宗易は、それきり、ロを閉ざした。 ゅおと 湯音かたち、釜から湯気がのばっている。 ひしやく 宗易が柄杓をとって、赤い茶碗に湯をそそいだ 茶を点て、長次郎の前にさしだした。 茶碗は、じぶんでも驚くほど軽かった。 その軽みが、野ざらしの骨を思わせ、みようにせつなくなった。 げんみよう 玄妙な気持ちで、茶を口にふくんだ。 さわ 味がしたのか、しなかったのか。飲みほすと、不思議な爽やかさだけが残った。冬空が、悲しい ほい」亠冂い やがて、ロ中に苦みがひろがった。 人が生きることのとてつもない重さを、むりに飲まされた気がした。 ひと かいぞく と 300

6. 利休にたずねよ

うたかた びわいろゅうやく こうたい 大高麗は利休がもっている井戸茶碗の銘である。枇杷色の釉薬がしっとり落ち着き、高台のまわ かいらぎつふ りにできた梅花皮の粒が、えもいわれぬふくよかさをかもしている。 「あの大高麗なら、いま、いかほどな値がっきますか」 宗安が、たずねた。 「さよう。捨て値でも、銀一千両はくだるまい」 てんしよう 天正年間は、銀も銭も相場は安定しないが、まずはざっくり二千貫文であろう。 「同じ井戸手の茶碗なのに、なぜさほどの値の開きがありますか。これだって悪くない ひざ 宗安は、自分のもってきた茶碗を、膝の上でまわし、しげしげ見つめてから顔を上げた。 「悪くないか、よくもない 。高麗の茶碗なら、なんでもよいというわけではないでな」 「どこがどのようにちがうのですか」 宗安の目がつり上がっていた。 「さて、その茶碗は枯れすぎて華がない。見ていて浮きたってくるものがない」 「わたしは浮きたちますー 「ならば、あなたは三百両の値を付ければよい。わたしの付け値は五十両だ」 宗安は、なにか言いたげだったが、結局、黙りこんで茶碗をしまった。 そんな話をしていたので、おさんのことはふれずじまいだった 「あなたは、いつだってうわの空で、べつのことを考えていらっしやるのですもの」 それが利休の罪だとでも言いたげに、妻の宗恩が責める目を向けている 利休は膝をくって、おさんの枕元にあたらしい線香を立てた。 「からだはここにいるのに、こころが、どこかべつのところに行っているみたい : 149

7. 利休にたずねよ

さすがに察しのよい軍師である。 「そうだ。なにゆえ、あの男は、あれほどまで大勢の者どもに慕われるのか」 官兵衛は、ひと呼吸するほどのあいだ、窓外の空をながめてから秀吉に向きなおった。空の光 は、さらに淡くなっている。 「利休居士には、ほかの茶人にない理がありまするな」 「理 : とは、ど、つい、つことだ」 茶の湯嫌いの官兵衛とて、なんどかは、利休の席に招かれている。この軍師なら、そのときつぶ さに利休という人物を観察していたはすだ。 とどこお てまえ 「あのご老人の点前を見ておりますと、まことに油断なく、動きに滞りがありません。ふつう は、静かにしようと思えば油断がうまれ、滞らぬようにと田 5 えばせわしくなりましよう。人体の動 きの理をこころえていればこそ、道具の持ち方、あしらい方に、まことに無駄がなく自然なのだと 存じます」 ちやきんみすさしふた なるほど、利休が持てば、柄杓にせよ、茶筅にせよ、茶巾や水指の蓋にいたるまで、道具の一つ ひとつが、みな活き活きと、命を得ているように見える。人とものごとの理を心得ているからこそ わざ の技かもしれない 「釜の湯を一杓くんだなら、水を一杓さしてもどし、使い捨て、飲み捨てをせぬのも、理のあるこ と。そこが、 ほかの茶人との大きな違いでごさいましよう」 利休がはじめたそのやり方は、無駄嫌いの官兵衛の好みにもかなっている。 つや かんふく 「さらに、大勢の者が感服するのは、利休の侘び数寄に秘められた清らかな艶ゆえでございましょ ことわり ちやせん 194

8. 利休にたずねよ

お - つどいろ 懐から、好みの反り茶碗を出して見せた。すこし赤みがかった黄上色の井戸茶碗だが、たつぶ ふち かんにゆう は / 、、ゆ - っ りかかった白釉が溜まりとなり、貫入がこまかく入って美しい。縁がすこし外に反っているのが おおらかで、宗二は気にいっている にゆうわ 利休の目が、ふたたび細く柔和になった。厚いくちびるから、やさしい言葉がもれた。 「仕方がない。弟子がいたらぬのは、師匠の責任だ」 むいちふつ 宗二には、利休のひと言ひと言が痛い愚かさゆえに、文字通り無一物となった身に突き刺さっ いまの自分の てくる。たくさんの名物道具を持ち、優雅な遊びとして侘びを愉しんでいる師匠に、 気持ちはけっしてわかってもらえぬであろう。 うすちゃ 「薄茶など、飲むか」 「ちょうだいしとうございます」 いわれて初めて風炉の釜が座敷のすみで湯気を立てているのに気がついた。そういえば、もう立 夏をすぎたのだ。 てまえ この四畳半は、宗一一もまえにつかって点前をしたことがある。利休は、いま、新しいしつらえを とこ はないれ 考えていたらしく、軸と花入がいくつか床に置いてあった。 ふちたか それを片づけもせす、利休がみすから縁高と点前の道具を持ちだした。 しようずあん あこや 縁高のなかの菓子は、珠母であった。うるち米の粉をこねて平たく延ばして蒸し、小豆餡の丸 い団子をのせたものだ。見た目が真珠貝に似ているので、その名をつけた。 くろらく ちやせん 利休が、黒楽の茶碗に、釜の湯をくみ、茶筅を通した。 宗二は、珠母を懐紙にいただいて食べた。 こくらく 絶妙なやわらかさと甘さが、ロ中に極楽をもたらした。 ふところ 0 212

9. 利休にたずねよ

白い手 「そんなんで、魔物が追いはらえるかい。やり直せ」 じぶんでも、苛々しているのがよくわかった。 いくつも作っては、壊した。 つくっては壊し、焼いては壊した。 どうしても、満足できる姿にならなかった。 しばらくして、また宗易が窯場にやってきた。 長次郎はすなおに頭をさげた。 「安請け合いしてしもうたけど、あんたの注文はむずかしい。降参ゃ。わしには、とってもでけ ん」 いろあ 聞いていた宗易が、道服の懐から、色褪せたちいさな袋をとりだした。 りよくゆう こつぼ なかから、緑釉の小壺がでてきた。 ふつくらと胴のはったすがたのよい壺だった。 ようきひこうゆ 「ええ壺ゃな。楊貴妃が香汕でも入れてたような」 長次郎は、ト壺に見とれた。 「こんな気品がほしいのです」 「なるほど : : : 」 たしかに、その小壺は、品があって毅然とした存在感がある。 「持って、ええかな ? 」 「どうぞ」 ふところ 295

10. 利休にたずねよ

宗易の話しぶりは、けっして長次郎を責めているのではなかった。 ただただ、ほんとうに美しく気に入った茶碗が欲しいという一念だけが感じられた。 「わかった。やってみましょ 返事をしたときから、長次郎の地獄がはじまった。 作業台に粘土のかたまりを置く。 最初は、それを指ほどの太さの紐にして、輪をつくりながら巻くように積みかさねて、形をこし らえた。 紐の筋が、しつくり指になじむように工夫したのだが、たしかに全体のすがたが媚びているかも しれない 茶碗が立ってへんのや。 へんな言い方だが、茶碗が茶碗であるための大切ななにかが、欠落しているようだ。 宗易のことばが、なんどもよみがえる。 毅然とした気品のある茶碗。 それでいて、はっとするほど軽く柔らかく、掌になじみ、こころに溶け込んでくる茶碗 わがままな注文ばかりならべて宗易は帰った。 いくら粘土をひねり、捏ねても、毅然とした茶碗はできなかった。 「親方、これでよろしいでしようか 弟子が、ヘラでかたちをつくった虎を持ってきた。それなりの姿をしてはいるが、まるで命がこ もっていない ひも 294