聞い - みる会図書館


検索対象: 利休にたずねよ
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1. 利休にたずねよ

紹の顔を見るなり、両手をついて額を畳にすりつけた。 ちくでん 「まことに申しわけないことです。せがれの与四郎が、あの女を連れて逐電いたしました。いまし どぞう がた土蔵をあらためましたところ、もぬけの殻でして : : : 」 紹は舌をひとっ打ち鳴らした。 「ますいな : : : 」 あす 与兵衛に預けておいた女は、高麗の貴人の姫である。 こきやくみよしながよし 紹のいちばん大切な顧客三好長慶からの注文で仕入れた大事な商品であった。 あわ せつつこしみすじよう 三好一族は、四国の阿波を地盤としているが、長慶はいま摂津越水城にいる。西国街道を押さ でしろ える重要な拠点で、三好一族にとっては、畿内をうかがう出城でもある。 長慶は、まだ十九の若さながら、いま畿内でいちばん力のある男だ。 かんれい はるもとひかん だいかん げんふく 元服してすぐ、室町幕府の管領をつとめる細川晴元の被官となったが、さきごろ将軍家領地代官 ひともんちゃく 職のことで、細川家と一悶着あった。 長慶は二千五百の軍勢を率いて、堂々と京に上った。 ちりやく 驚いた細川晴元は、長慶の言いなりになった。度胸も知略もある男だ。紹鵐としては、できる だけ関係を深めておきたい。 堺にあらわれた三好長慶から、異国の高貴な女を買いたいとの注文があったのは、去年の秋だった。 承知いたしました。 と、紹鵰は、四の五のいわずに注文を受けた。 てんじく かりようびんが 飛ぶ鳥を落とす勢いの長慶の注文なら、天竺に舞い飛ぶ迦陵頻伽でも、地獄の鬼の鉄棒でも探 してくる。 しよく ひたい きない かなぼ・つ 356

2. 利休にたずねよ

与四郎は、土間の砂地に松明を立てた。 女は、火を見つめている。与四郎は、なにも一言えない。しばらくのあいだ、二人でじっと火を見 つめていた。 大勢の足音がした。十人か、あるいは、何十人かいるかもしれない。武者たちが苫屋を囲んでい る。な四郎は、脇差を手に身がまえた。 いきなり、板戸が開いた 武者が入ってきた。 のど 与四郎は、女の喉に脇差をつきつけた。 「来るな。出て行け」 武者がロもとをゆがめた。 「やめておけ。もはや逃げられぬ」 ここで死ぬ。出ていかねば、女を刺す」 「逃げるつもりはない。 与四郎は、本気である。こんな優美な女を、三好の妾にさせるものか 武者は後すさり、戸口から出た。 与四郎は、脇差を女から離し、頭をさげた。 「もうしわけない 日本のことばで謝った。 女はかたい顔のままうなすいた。 ことづて 「よく聞け。わしは頭だ。武野殿からの言伝がある」 さっきの武者が、開いたままの戸口の前でしやがんでいる。 404

3. 利休にたずねよ

しばらくの沈黙をおいて、利休はつぶやいた。 「たしかに、おさんがかわいそうだ。葬儀はこちらでやらせていただこう」 それを聞いて、万代屋の番頭はほっとした顔でひきあげた。 しよしたい 念のため所司代にも知らせておいたので、人がやってきた。それ以外のところには知らせなかっ とむら たが、それでも、少なくない弔い客がおとずれた。 夕暮れになって、人がとぎれた。 うすぐらい部屋で、動かぬまま横になっているおさんが、あわれでならなかった。 障子が開いて、少巌が顔をのぞかせた。 かんおけ ゆかん 「棺桶がとどきました。湯灌はいかがいたしましようか」 「湯は沸いているか」 「はい。 用意はととのっております」 「はこんでいこう」 利休は立ち上がると、両腕に娘を抱きかかえた。重さと冷たさが、そのまま命の悲しさだった。 たたみおもて むくろ 土間の盥に湯が満たしてあった。横に敷いてある畳表に、おさんの骸を置いた。からだはすっ かり硬直している。 冷たい腕をとって、利休は盥の湯で洗ってやった。おさんの手に触れたのは、幼子のとき以来 「女たちで洗ってやるがよい」 わが娘の肌は、とても見られない 利休は、広間にひきかえした。藍色に暮れ残る室内に、丸い棺桶が置いてあった。 おさなこ 152

4. 利休にたずねよ

女狐がいった。 「だったら : : : 」 入れ違いで、今市町の家に帰っているにちがいない。夫が昼間必要としているのは、なんといっ ても、妻である自分なのだ。そのことに大きな満足を感じた。 ひょっとしたら・ : 」 「あの : と、おちょ、つかちいさく口を開いた 「なに」 しったいなにを言い出すつもりなのか。夫のなにを知っているというのか この女は、、 「あそこかも : : : 」 「あそこって、どこ。きっと店に帰ってるわ」 たえは、おちょうにしゃべらせたくなかった。じぶんの知らないことなど、なにも聞きたくな 「いえ、 , ハ月でございますから : : : 」 たしかこ、 ( いまは六月である。だからなんだというのだ。 「六月のこんなよく晴れた朝は、浜の納屋に、ひとりでおいでかもしれません」 「納屋 : : : 、湊の ? 」 よへえ 千の家は、与四郎の父与兵衛の代から、湊のそばに、何棟もの納屋を所有している。 みんこうらい りゅうきゅうせん っときその納屋に 琉球船やら九州の船やらが運んできた明や高麗、あるいは南蛮の品々は、い ととや 収蔵される。納屋貸しは、千家にとって、魚屋とともに大切な収入源である。 ひあみば ししえ、曳き網場のむこうの浜の納屋です」 、 0 めぎつね 第 6

5. 利休にたずねよ

しん 忠興は、腰の刀から笄を抜いて、灯籠の芯を短く直した。 と・つ・は・つしゅ・つ 月の夜は、いつもより明るく灯せーーと、この別邸の同朋衆におしえたので、それを忠実に守 っているのだろうが、今宵のように赤い月なら、灯籠の火は暗いほうがふさわしい。十三夜の月は ちゅうてん ぶきみ 中天にかかってもなお、不気味に赤く朧なままである さ ひしやく 柄杓をつかい、手水鉢の水で、手を清めた。水が冴えて冷たい。ついさきほど、井戸から汲ん だばかりであろう。 てぬぐ 清めた手を手拭いでふくと、忠興はあらためて石灯籠をながめた。 きんこ・つ その石灯籠は、、 しつだったか、利休からもらったものであった。利休が石の均衡がすばらしいと りん 激賞していただけあって、凜としたすがたには、一点のゆるみもない。露地に置くには大きすぎる きぜん し、毅然としすぎているのだが、この灯籠だけは、つねに眺めていたい。丹後の城に下向するとき は、わざわざ人足に運ばせるほどの執着ぶりである。 かくま 「この灯籠、そちらで匿ってはくださるまいか」 利休にそういわれたとき、忠興はもちろん即座にうなすいた。 力さ 評判を聞いた秀吉が欲しがったので、利休は灯籠の笠をわざわざ打ち欠いたのだという 「割れておりますゆえに、献上いたしかねます」 ことわ こうしつ と、断りの口実にするためだったが、打ち欠いてみれば、さらに利休好みのすがたになってい よ・つしきび しょ・つさん むらたしゅ すうこ - っ かんべき た。完璧すぎる様式美より、不完全な美をいちだん崇高なものとして賞賛したがるのは、村田珠 わ ずき へき 光以来、もの数奇な侘び茶人の癖である。 くもま そうろう 月も雲間のなきは、嫌にて候。 め かんじゃく 曇りなき満月を愛でるより、雲のかかった閑寂な月をいつくしむのが侘び茶である。 にんそく 一 ) ・つ力い 0 たんご 0

6. 利休にたずねよ

そのときの顔つきの高慢なことといったら、わしは、生まれてきたことを後したほどだ。まこ と、ぞっとするほど冷酷、冷徹な眼光で、このわしを見下しおる。 げせん 下賤な好み。 口にはせぬが、眼がそう語っている。 しゅしよう いんぎん ことさら責 ものごしは慇懃である。あの男、手をついて、頭だけは殊勝にさげておるゆえに、 きょ・つ めいめいはくはく ふ・ヘっ めたてることもできぬ。されど、内心わしを侮蔑しておるのは明々白々。こころの根に秘めた驕 まん 慢が許しがたい。 なぜ、あの男は、あんな嫌みな眼をする。 なぜ、あの男は、あそこまでおのれの審美眼に絶対の自負をもっているのか くや 悔しいことに、あの男の眼力は、はすれたことがない。 くちお ちやほうず だからこそ、歯噛みするほど口惜しい。ただの的はずれな茶坊主なら、叱りつけて追い出せばす むことだ。 そうではない。 ↑ししか、ただ者でないことは認めねばなるまい あやま あの男は、こと美しさに関することなら誤りを犯さない。それゆえによけい腹立たしい めき 道具の目利きもさることながら、あの男のしつらえは、みごとというほかない。あつばれ天下一 めの茶人である。 りん てまえ みすさしちゃいれ わ ルさ あの男が、水指や茶入の置き場所を、畳の目ひとっ動かしただけで、点前の座に凜とした気韻が を うまれる。席の空気が張りつめて、はなはだここちょい きゅうくっ お ト贈らしいことに、それでいて、けっして張り詰め過ぎることはないし、窮屈ということもない。 おか しか 一ッっカ

7. 利休にたずねよ

きび 「こころの機微のくすぐりどころじゃ 「それにつけても、わかりませぬのは、さきほど仰せの茶の湯の名物道具」 秀吉はうなすいて、あとを続けさせた。 かわらけ 「歴世の名刀ならいざ知らす、茶入などは、ただの土器ではございませぬか。ただの土くれに、な がてん がん たかね にゆえ銭三千貫もの高値がつくのか、さつばり合点がゆきませぬ」 しようばん みつなり 首をかしげる景勝に、次客の席で相伴していた石田三成が口をひらいた。 「それこそ利休めの罪状にございます」 年若だが、いたって聡明な男である。 「悪しき道具を佳しとし、いたすらに値をつり上げるとは、もってのほかの売僧。あまりにも不届 ごしょふん きゅえ、殿下はこたびの御処分を決定なさいました」 その答えに、景勝は納得していない。さらに首をかしげている。 「やはり、合点がゆきませぬ。売る者がいかに値をつり上げたところで、買う者がおらねば売れぬ のが道理。茶の湯の数寄者は、高値をいとわす、むしろ高いのを喜んで欲しがるのでござろう。無 骨者のそれがしには、それが分かりませぬ。聞けば、三千貫の茶入でも、欲しがる数寄者が大勢お るそうではござらぬか。それが不思議でなりませぬ」 ひざ 秀吉は、扇子でじぶんの膝を叩いた 「そのとおりだ。そこがまた茶の湯の魔性たるゆえんでな、名物道具を手にした者は、驕りたかぶ り、じぶんが偉くなったと勘違いしおる。それが名物の魔カよ」 話しながら、秀吉はロが酸つばくなった。 高値を惜しまず、天下の名物道具をいちばん狩り集めているのは、ほかのだれでもない秀吉自身 おご

8. 利休にたずねよ

っ むろどこ 潜り戸からは、正面に床が見える。四尺幅しかないが、室床なので、奥行きが感じられる。 床には、軸も花もない。 宗易も、拳をついて躙って入った。 二畳の席は、ひんやりしている 天井の低い空間だが、部分的に屋根と同じ勾配をつけ、ひろがりを出している。 あらわらすさ 壁は、粗い藁 ~ 切が見えている。内側は、上塗りをせずこのままにしておく。ほのかに青く見える すみ のは、墨を薄く塗ったからだ。狭くとも、こころを落ち着かせるしつらえである。 くろがき そうあん ろふち 炉縁は、黒柿にしようかと考えたか、 ここまで草庵めかした侘びた席では、それもあざとかろ さわな、り・ きめ う。迷ったすえ、沢栗にした。ふつうの栗より木目かこまかく柔らかい 次の間とのあいだには、鼠色の襖が二枚。縁のない太鼓張りである。 宗易は、炉の前にすわった。火はない。 宗恩が、床前にすわった。 きようは、雲があって、風がある。窓の障子がときおり、かたかたと鳴る。 ・つるお 北向きの障子窓からの光は、やわらかく穏やかで、しっとりと潤いがある。その光が、青畳に映 え、薄墨色の壁に吸い込まれていく。 目利きというわけではないが、宗恩は、女らしくものを感じるこころが強い。茶碗を見せても、 ちゃしやく 茶杓を見せても、宗易が感じるのとはちがうなにかを感じとる。 それを聞くのが、宗易には楽しみだ。 「落ち着きますね . 「そうか」 0 こ・つば、 引 1

9. 利休にたずねよ

熱くなられますもの 宗因 5 の話に、おちょうか大きくうなすいた。 とのがた 「そうですよ。わたしは、いろんな殿方を見てきましたけれど、宗易様ほどこころの熱い方は、御 武家にもいませんよ おちょうのことばに、宗恩がうなすいた。 たえも、夫のこころの熱さは、よく知っている。たしかに、宗易という男は、美しいものを愛で るとき、尋常ではない情熱を発揮する。 砂地を踏んで、浜の松林にやってきた。 むこうに夏の朝の明るい海が見える。 さきち 古びた納屋のそばに、荷箱を置いて男がすわっている。いつも宗易がつれて歩く老爺の佐吉だ。 立ち上がり、声をあげて挨拶しかけたので、たえは、指を口の前に立てて見せた。 佐吉が、うなすいて口を閉ざした。目がとまどっている 松林に、納屋が三棟建っている むかしは、干し魚でもしまっていたのだろうが、土の壁がくすれ、板の屋根もあちこち朽ちてい て、いまは使っていない 小部屋がついている。納屋を守って夜明かしする番人のた 端の一棟に、壁から突き出すように、 女めの部屋らしい。 の そばに、木槿の木があって、白い花が咲いている。 一 ) ・つしまど ひ 小部屋に格子窓がついている。 障子の破れからなかをのぞくと、夫の背中が見えた。 むね ろうや 351

10. 利休にたずねよ

狂言の袴 あが りに利休をありがたい本尊として崇めておるのか」 宗陳が首をふった。 「これは異なことをうけたまわる。この金毛閣は、千家一族をあげての大寄進。ただ銀をいただい たいくやと ぶぎよう たばかりではござらぬ。材木を集め、大工を雇い、作事を奉行し、絵師を差配し、すべて利休殿 けんしよう とうざん が、当山のために奔走してくださった。その功を顕彰する木像でござれば、なんの障りがありま しよう。関白様には、像の安置もあらかじめお届けしてあります」 「聞いておらぬ」 三成は大きく首をふった。 「秀長様に、お届けいたしました」 「亡くなった御仁のことを言われても、いまさら確かめようがない」 やまいたお 秀吉の弟秀長は、この正月、病に斃れた。秀長は、利休に全幅の信頼を寄せていたらしく、茶を 習うばかりでなく、なにかにつけ意見を求めていた。 そのため、秀長と利休がそろって秀吉の前で話をしていると、年若の三成などは入り込む隙がな まつりごと かった。表向きの政は秀長、内向きの仕切りは利休という流れがしぜんにできていた。 秀長の死で、風向きがかわった。 それ以前から、じつは、秀吉は、利休を重用しながらも、内心、こころよく感じていなかったよ 、つである。 ふつこう しカカなわけでございましよ、つか」 「寄進者の顕彰は、どこの寺でもやること。それが不都合とは、 : 、 ふてきつらがま 強い眼差しで宗陳が三成をにらんだ。老僧ながら不敵な面構えである。 ぞ、つり・ ふせい 「帝も関白殿下もお通りになる山門でござる。その上に茶頭風情が草履をはいて立ち、股の下をく みかど ひでなが わな としわか すき 109