カネ勘定の『一国士 柿沼陽平 文春新書 備 9 7 8 41 6 6 61 1 71 5 1 9 2 0 2 9 5 0 0 8 8 0 4 カ 定 の 国 診以、 旧 BN978-4-16-661 1 71 -3 C0295 \ 880E 定価 ( 本体 880 円 + 税 ) 劉備と諸葛亮カネ勘定の「三国志 一一一国志に登場する劉備といえば民お もいの名君で、諸蔦亮は天才軍師 : と , ) ろが最新の研究では、こうした 常識に疑間が生じているロ一じは 単なる物語ではなく、史実にもとづ き、さらには彼らのカネの動きを追う ことで、英雄たちの実像にせまるあ なたの知らない一一国志がここにある 1 171 柿沼陽平 ( かきぬまよハい ) 帝京大学文学部准教授。 1980 年 生まれ。 2009 年、早稲田大学大 学院文学研究科博士後期課程修 了。博士 ( 文学 ) 。おもに中国古 代史 ( とくに経済史、貨幣史 ) を 研究している。日本秦漢史学会理 事、中国出土資料学会理事、中国 中古史青年学者聯誼会理事、三国 志学会評議員などを歴任。著書は 「中国古代貨幣経済史研究』「中国 古代貨幣経済の持続と転換』 ( 汲 古書院 ) 、「中国古代の貨幣 : お金 をめぐる人びとと暮らし』 ( 吉川 弘文館 ) など。監修書に「キッズ ペディア世界の国ぐに』 ( 小学 館 ) 。これまでに小野梓記念学術 賞、櫻井徳太郎賞大賞、冲永荘一 学術文化奨励賞を受賞。 3 診以、 文春新書Ⅷ 文藝春秋 0
されはしめた時期であった。筆者もその内容に心躍らせた。 のちに社会学的興味が嵩して貨幣現象に注目するようになり、大学院では中国古代の貨 幣経済史研究を志した。在学中にも、シ。フサワ・コウ監修『三国志 * 武将 F 一 LE 』 ( 株式会 社光栄、二〇〇四年 ) を執筆し、著名な三国志研究者である渡邉義浩先生の授業に出るな ど、三国志にたいする興味は失わすにいたが、みすから三国志研究に従事するには至らな かった。理由は三点ある。第一に、中国古代貨幣経済史の研究が想像以上におもしろく、 三国志研究に食指を動かす余裕がなかった。第二に、当時は戦国秦漢時代の出土文字資料 が次々に発見され、貨幣経済史に関する資料も増加傾向にあった時期で、その一方、三国 時代の関連史料は多くなかった。また陳寿『三国志』の日本語訳も刊行済で、だれでも読 むことができた。それゆえ、既存の文献をよほどうまく扱うか、新史料を発見しないかぎ り、独自の視点は提起しにくく、筆者にその自信はなかった。第三に、三国志研究の王道 といえば、制度・軍事・政治にかんする基礎研究や、貴族制や当時の人間関係にかんする 侖争があり、日本でも多くの研究蓄積がある。ゆえに新規のテーマを扱うのでないかぎり、 多ご一三ロ と 浅学菲才の者が口を差し挟める余地はないと感した。自分なりの視座を固めるにはなお時 あ 間が必要であった。
たように、蜀漢では名目貨幣の銭が鋳造され、それにより国庫は物資でみたされた。劉備 や諸葛亮はこのような貨幣経済を潤滑油とし、経済と軍事を一手に掌握することをつうし て、軍事最優先型経済を実現した。税金を民の生活に役立てようとするのではなく、もっ ばら軍隊の維持に用いた。これが、人口の七分の一以上の官吏・兵卒をかかえる超軍事国 家の姿であった。 また諸葛亮は、これらの官吏や兵卒を平時から活用すべく、計画的軍事都市の漢中を拠 点とし、屯田を行ない、農閑期にはさかんにインフラ ( 橋や道路など ) を整備させた。兵 士にはとうぜん絹や穀物による給与がでる。これはいわば有効需要を拡大する政策ともい えるもので、その背後には南蛮西南夷より入手した豊富な資源の存在があった。また対外 的には遠征と、敵地の民の拉致をくりかえした。これによって諸葛亮は、国内経済を保ち、 兵力増強・周辺鎮撫・国威発揚を実現しつづけた。 ちなみに諸葛亮の死後も、蜀漢では軍事最優先型経済体制は維持された。諸葛亮の後継 しようえんひ 者である蒋碗や費禪もまた、軍事・経済・政治を一手に掌握しうる官職に就いた。もっと も、蒋坑や費韓は諸葛亮と異なり、もつばら国内の安定に尽力した。「創業は易く守成は 難し」との格言どおり、これはたいへんな仕事であったろう。蒋坑や費韓の脳裏に北伐計 244
袁行霈・厳文明・張伝璽・楼宇烈主編 ( 稲畑耕一郎監修監訳、柿沼陽平訳 ) 『北京大学版中国の文明 3 』 ( 潮出版社、二〇一五年 ) 大淵忍爾『初期の道教』 ( 創文社、一九九一年 ) 尾形勇『中国古代の「家」と国家』 ( 岩波書店、一九七九年 ) 加賀栄治『中国古典解釈史魏晋篇』 ( 勁草書房、一九六四年 ) 柿沼陽平『中国古代貨幣経済史研究』 ( 汲古書院、一一〇一一年 ) 柿沼陽平『中国古代の貨幣』 ( 吉川弘文館、二〇一五年 < ) 柿沼陽平「中国古代の人びととその「つながり」」 ( 『つながりの歴史学』北樹出版、二〇一五年 ) 柿沼陽平『中国古代貨幣経済の持続と転換』 ( 汲古書院、二〇一八年 < ) 柿沼陽平「木鹿大王攷」 ( 『中国古籍文化研究稲畑耕一郎教授退休記念論集』東方書店、二〇一八年 ) 加藤繁『支那経済史考証』上 ( 東洋文庫、一九五二年 ) 狩野直禎「西晋時代の諸葛孔明観ー ( 『史林』第五九巻第一号、一九七六年 ) 狩野直禎『「三国志」の世界孔明と仲達 ( 新訂版 ) 』 ( 清水書院、二〇一七年 ) 金文京『三国志演義の世界 ( 増補版 ) 』 ( 東方書店、二〇一〇年 ) 窪添慶文『魏晋南北朝官僚制研究』 ( 汲古書院、一一〇〇三年 ) 久保田宏次「青海省大通県上孫家寨一一五号漢墓出土木簡の考察」 ( 『駿台史学』第七四号、一九八八年 ) 佐藤武敏『中国古代絹織物史研究』 ( 風間書房、一九七七年 ) 2
柿沼陽平 ( かきぬまようへい ) 帝京大学文学部准教授。 1980 年生まれ。 2009 年、 早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博 士 ( 文学 ) 。おもに中国古代史 ( とくに経済史、貨 幣史 ) を研究している。日本秦漢史学会理事、中国 出土資料学会理事、中国中古史青年学者聯誼会理事、 三国志学会評議員などを歴任。著書は『中国古代貨 幣経済史研究』『中国古代貨幣経済の持続と転換』 ( 汲古書院 ) 、『中国古代の貨幣 : お金をめぐる人び とと暮らし』 ( 吉川弘文館 ) など。監修書に『キッ ズベディア世界の国ぐに』 ( 小学館 ) 。これまでに 小野梓記念学術賞、櫻井徳太郎賞大賞、冲永荘一学 術文化奨励賞を受賞。 文春新書 りゆうび 劉備と諸葛亮 さんごくし カネ勘定の『三国志』 かんじよう 2018 年 ( 平成 30 年 ) 5 月 20 日 著者 発行者 柿沼陽 鈴木洋 第 1 刷発行 平 嗣 発行所文藝春 また、私的使用以外のいかなる電子的複製行為も一切認められておりません。 本書の無断複写は著作権法上での例外を除き禁じられています。 ISBN978-4-16-661171-3 Printed in Japan OYouhei Kakinuma 2018 送料小社負担でお取替え致します。 万一、落丁・乱丁の場合は小社製作部宛お送り下さい。 定価はカバーに表示してあります。 製本所大口製本 印刷所大日本印刷 電話 ( 03 ) 3265 ー 1211 ( 代表 ) 〒 102 ー 8008 東京都千代田区紀尾井町 3 ー 23
だが、劉巴の貨幣政策は、そもそも官設市場での商取引と銭自体の信用が政権によって 担保されていることを前提とする。そのため、もし強力な国家的統制を欠けば、通貨膨張 と物価高騰を招来する。とくに官設市場以外の場所で直百五銖銭が流通したばあい、撰銭 による混乱が予想される。現に、前漢・新・後漢でも、劉巴の案と似た政策が実施された ことがあるが、みな失敗に終わっている。つまり劉巴の提案は、あくまでも軍需物資の回 収を第一の目的としたものであって、民間経済の安定を優先したものではないのである。 従順なる臣下たち では、このように中央政府のみがもうかる経済政策をおこなったことにたいして、劉備 の臣下たちはケチをつけなかったのであろうか。結論からいえば、このとき臣下の多くは、 表立った反抗をしなかったようである。 ます劉備古参の臣下たちは、この経済政策に反対するはすもなかった。というのも、彼 らこそは、さぎの入蜀戦争などで軍功をあげ、成都の倉庫から銭をもちだした者たちであ ったからである。このように軍功をあげることで経済的利益を享受した者たちを、軍功受 益階層とよぶ。軍功受益階層は劉備軍の一員で、宿敵曹操との決戦が近く、内輪もめをし
第三章群雄割拠 群雄の財源呂布と赤兎馬の実像袁術は無策か 一一袁児の末路曹操の経済政策①ーー・・青州黄巾の降伏 曹操の経済政策②ーー・屯田制の整備 第四章諸葛亮の登場 諸葛亮誕生晴耕雨読の日々臥龍の系譜 三顧の礼と「隆中対」劉表の野望と挫折逃げる劉備 長阪の戦い赤壁の戦い 第五章蜀漢建国への道 借金の連帯保証人は諸葛亮益州混乱の背景信義なき入蜀 不安定な劉備政権大盤振る舞いの劉備劉巴の名目貨幣政策 従順なる臣下たち
あとがき 本書は、『中国古代貨幣経済史研究』 ( 汲古書院、二〇一一年、前著① ) 、『中国古代の貨 幣〕お金をめぐる人びとと暮らし』 ( 吉川弘文館、二〇一五年、前著② ) 、『中国古代貨幣経 済の持続と転換』 ( 汲古書院、二〇一八年、前著③ ) につづく、筆者にとって四冊目の単著 である。歴史の背景をなす社会構造について論した前三著とくらべると、本書は劉備と諸 葛亮という特定の人物に焦点を絞っている点に特徴がある。その内容は、とくに前著③の 一部を下敷にしており、新書のかたちをとっているが、学術的に多少とも新知見をふくめ たつもりである。ここでは最後に、本書の執筆経緯について少し説明しておきたい。 そもそも筆者は、中学校のときに横山光輝の漫画『三国志』を読んで以来、三国志の世 界に魅入られてきた。だいたいどこの学校のクラスにも一人か二人はいる、三国志好きで あった。だが大学進学後は、さまざまな学問領域に興味を引かれ、イギリスで社会学を学 ぶなど、目移りもした。恩師の工藤元男先生は中国出土文字資料研究の第一人者で、三国 志よりも戦国秦漢時代の出土文字資料 ( いわゆる木簡や竹簡 ) がいま面白いということを 力説された。おりしも中国の各地で考古発掘が行われ、出土文字資料が次々と発見・公開 2
価を安定させ、吏に命して官市を設置すればよいのです。 これによって数ヶ月のうちに府庫はいつばいになったという。ここでいう直百五銖銭と は、一種の名目貨幣 ( 金属の素材価値を離れ、法定の額面価値で通用する貨幣 ) である。劉 巴は、それと従来の五銖銭とを同時並行で流通させ、とくに直百五銖銭をもちいて民間か ら諸物資を買いあつめることを提言した。これは、蜀漢の市場における五銖銭の広範な流 通を前提とする。このとき成都の倉庫には、銅や錫の原料すらなく、劉備は銭を鋳造する ための青銅原料にさえ事欠いていたので、劉備は帳の留め具の銅をとって銭 ( おそらく直 百五銖銭 ) を鋳造し、国庫を充たした。 このように劉備は、劉巴の提案に従い、直百五銖銭を鋳造し、未曾有の経済危機を乗り 切った。だが直百五銖銭の流通には、とうぜん大きな危険がともなう。そもそも五銖銭と 直百五銖銭の大きさはあまり変わらす、原料費や鋳造費は大差ないが、両者の額面上の価 値は一対百である。ゆえに、五銖銭一枚を不法に熔かして直百五銖銭に鋳直せば大もうけ できる。まさに錬金術である。政府がこれを鋳造し、これによって市場の物資を買いあげ れば、市場の通貨総量は一気に増える。また政府の監視が届かない場所では、そうした不
俗物性によるのか、それとも好きな人に意地悪をしたくなる幼稚な心性によるかはわから くわえて近年、曹操の再評価が急速に進んでいるのに対して、劉備を歴史学的に論 じきった日本語の書物がない点にも不満があった。こうして本書の構想が組み立てられて っこ。 . し / また筆者はこれまで、前著①②③をつうじて、中国古代貨幣経済史の大まかな流れを検 討してきたが、前著①の出版時に、恩師のひとりである近藤一成先生から、つぎのような 柔らかな警句を頂戴したことがある。「社会構造にこだわることも重要であるが、個々の 歴史的人物に注目することも歴史学の醍醐味である」と。この宿題の存在も、本書 ( 人物 伝 ) の執筆を後押しするものとなった。 おりしも大学院の後輩の長谷川大和君が、当時、出版社に勤めていた関係もあって、筆 者のことを文藝春秋の西泰志氏に推薦してくれた。西氏は真摯に本企画を検討し、出版を 御慫慂くださった。二〇一三年のことである。その後、大学の講義ではたびたび本書の内 き容に相当する話をしたけれども、筆者の遅筆のせいで原稿提出自体は二〇一七年十一月ま とでズレ込み、西氏は途中でべつの部署へ異動してしまった。慚愧の念に堪えない。ただ、 あ 西氏は丁寧に引き継ぎをしてくださり、後任の稲田勇夫氏が本書原稿をきめ細かく読み、 7 2