日下は、死体を、引っくり返した。中年の男の顔 死んでいる男のことは、よくわからない。が、 が、現われた。死人の顔だ。 「ロビンス」というサラ金には、覚えがあるのだ。 「どうです ? 知らない顔ですか ? 金に困って、三回ほど、借りに行き、まだ、十二 と、日下刑事がきく。 万円ほど、残がある。 「知りませんね」 借りに行った時、席の奥に、死体の男がいたよう 「あなたは、東京の方ですか ? 」 な気もする。 せたがや 「ええ。東京の世田谷区に住んでいます。名前は、 ( まずいな ) あきら 中村明。カメラマンですよ」 と、思うと、それが、顔に出たのか、日下は、 「東京のカメラマンですか ? 」 「知っているんじゃないですか ? と、肯きながら、日下は、死体の背広のポケット と、追及して来た。 を、探っていたが、名刺入れを見つけて、その中の 「知りませんよ」 名刺を、取り出した。 「この「ロビンス」というところから、お金を借り たけしたこうじ 「サラリ ー・ローン『ロビンス』常務、竹下幸次。 たことは、ありませんかフ 会社は、東京の世田谷ですね。本当に知りません 当然の質問が、きた。 か ? この男を」 「僕は、誰も、殺してませんよ。僕が寝ている間 日下刑事は、同じ何枚かの名刺の一枚を、中村に、誰かが、僕のカメラで、その男を、殴って殺し に、手渡した。 たんですよ」 中村の手が、かすかに、ふるえた。 「ずっと、寝ていたんですか ? それを、証明でき なぐ 126
同じ神社の裏へ行って、ひとりで悩んだものさ。今 はそれが、皇居のお濠端に変わっただけなんだ」 いってから、 と、十津川は、 「何か、急用かね ? 」 「徳島での二つの殺人事件で目撃された男の件です が、今、ファックスで似顔絵が送られて来ました。 目撃者の証言で作られたもので、よく似ているそう です」 ポケットからその似顔絵を取り と、亀井はいし 出して、十津川に見せた。 十津川は、二つに折られている似顔絵を、広げて 見た。 いいんだがーーー ) ( 似ていないと、 島と、思いながらである。 徳 一瞬、似ていない、こんな怖い顔ではないと感じ の 讐 て、ほっとした。 復 だが、よく見れば、似顔絵の顔が怖く見えるの 恋 は、黒いサングラスのせいなのだ。 サングラスを手で隠してしまうと、顔の輪郭やロ かっこう 元、それに頭の恰好は、藤岡によく似ている。 ( 藤岡にも、濃いサングラスをかけさせると、こん な怖い顔になるのだろうか ? ) と、十津川は、思った。 そんな十津川を、亀井がじっと見つめている。 「わざわざ、これを持って来てくれたのは、なぜな んだ ? と、十津川は、亀井にきいた。 「別に深い意味は、ありませんー 「そうかね。何か二人だけで話したくて、わざわざ 持って来てくれたんだと思うんだが」 「強いていえば、久しぶりに警部とお濠端を散歩し たくなったんですよ」 と、亀井は、十津Ⅱこ、 十津川は、笑って、 「じゃあ、歩こうか」 さくらだもん と、いい、二人は肩を並べて、桜田門方向に歩き
うつむ じで、中年の男が、俯向けに、横たわっているのが 見えた。 「あッ と、中村が、声をあげたのは、その男の後頭部 が、ざくろのように割れて、血で、赤く染っていた からである。 「どうしたの ? 「死んでるの ? 」 と、乗客の中の若い女が、青い顔で、叫ぶよう 「皆さん、静かにして下さい」 と、車掌が、顔をこわばらせて、集まった乗客に 向かって、いった。 「死んでるのか ? 」 と、男の声が、きいた。 「わかりません。皆さんの中に、お医者さんはいま せんかー 車掌が、大声で、怒鳴った。 返事はなかった。・ : カ代わりに、二十七、八の男 かが が、倒れている男の横に屈み込み、冷静な態度で、 手首の脈をみた。 「これは、医者を呼ぶ必要はないねー と、車掌に、しオ 「死んでるんですか ? と、車掌が、きく。他の乗客も、じっと、その男 を見つめた。 「死んでいる。間違いないですね」 と、男は、 いってから、警察手帳を見せた。 くさか 「東京警視庁の日下刑事ですー 「刑事さんなら助かります。どうしたらいいです カ ? 」 車掌は、青い顔で、きいた。 「とにかく、何か、かぶせてあげたいな。このまま では、可哀そうだから」 「毛布を持って来ます」 と、車掌は、しし 、乗務員室から、毛布を持って 124
「じゃあ、ついでに、彼にあいさっするかな」 亀井は、冗談口調で、いった。 山下が、「浜田さんー 呼んだ。 キャビンから、背の高い男が、顔を出した。 ひや まゆ 陽焼けした顔である。眉が太く、男らしい顔とい うのだろう。 「ちょっと、船を見せてくれませんかー と、亀井が、声をかけた。 「どうそ」 っこ 0 . し / 浜田は、面倒くさそうに、 亀井と、山下は、船に乗り込んだ。 いったところだろ 艇長は、十二、三メートルと、 うか。列車の窓から見た時は、、 さく見えたのだ が、眼の前にすると、かなり大きなクルーザーであ る。 デッキも広い。 簡単な手すりがついているのだが、高さが低いか いますか ? 」と、大声で、 ら、しつかり掴まっていないと、海に落ちることも あるだろう。 亀井は、キャビンの中も、見せて貰った。 小さな台所もついているし、トイレもある。べッ ドは、四人分あった。折たたみ式のべッドも備えて あって、最大、六人まで、寝泊まり出来ると、浜田 し / は、自慢げに、 「何か飲みますか ? と、浜田が、亀井たちに、きいた。 「コーヒーが欲しいですね」 亀井がいうと、浜田は、ニャッと笑った。多分、 亀井が、そういうだろうと、思っていたのだろう。 浜田は、本格的に、アルコールを使って、コーヒ ーをいれた。 ただよ キャビン内に、コーヒーの香りが、漂ってきた。 「いつも、そんな風にして、コーヒーをいれるんで すか ? と、亀井が、きいた。 つか 238
ると、 ーシーズンにはまだ間があるので、車内はすいてい 「何でもないのなら、私の勝手な気持ちだったかも 乗客の中には地元の人もいたが、いかにも都会育知れませんわ」 ちといった若い男女もいた。男の眼は、自然に、若 「ああ、ちょっと待って下さい」 い女にいってしまう。 男は、自分の席に戻ろうとする女を、あわてて呼 どうしても亡くなった娘と同じ年頃の女性を見つ び止めた。 めてしまうのである。見られた女の方は、たいてい 「何でしようか ? にら 気味悪そうに席を替えたり、睨み返したりする。 「まあ、座りませんか」 その中で一人だけ、じっと男を見返してから、つ と男はいし 、続けて、 かっかと通路を歩いて来ると、 「実は、一人娘を亡くしましてね。それで、同じ年 「何か、ご用でしようか ? 」 頃の娘さんを見ると、つい眼が行ってしまうのです とが と声をかけてきた。別に咎めている感じの調子で よ。気を悪くされたと思うが、許して下さい」 はなかったが、男は一瞬言葉に詰まって、 「いえ。私の方を見ていらっしやったので、何か困 「何かというと ったことがおありになるのかと思ったんです。心細 と意味のないことを、もごもごと呟いた。 そうな顔もなさっていましたしーーー」 「私を見ていらっしやったので、何かご用かと思っ 「そんな顔をしていましたかー 男は、苦笑した。男は一人娘を亡くしたが、その と、女ははっきりした口調でいい、 男が黙ってい 前に妻も病気で亡くしている。その孤独感が顔に表 てー つぶや
に到着した。 ラスに押しつけるようにして、炎上しているクルー ザーを見据えた。 二隻のモーターポートは、おそらく、小田原警察 ほかの二組のカップルも、一斉に、顔を海に向け署が、調達したものだろう。 ている。 ハトカーで到着した刑事たちは、イタリアンレス トランに入ってくると、まず、店のオーナーに向か 中年の店のオーナーも、カウンタ 1 の外に飛び出 してきて、青ざめた顔で、海を見つめた。 「最初から見ていましたか ? 」 そんなオーナーに向かって、西本が、 と、きいた。 「すぐ一一〇番して下さい。あの様子じゃ、死人 今は、海上に、散乱したクルーザーの破片が、バ が、出ているかも知れないから」 ラ、、ハラに、浮かんでいるだけで、二人の男女がどう と、大声で、いっこ。 なっこかは、ここからでは分からなかった。 恵が、おびえたような顔で、西本の腕を、ギュッ 「私は、注文の料理を作っていたので、爆発音がし とっかんでいた。 「死んだのかしら ? てから、初めて、海に目をやったんです」 ふる と、オーナーが、いう 恵が、震える声で、きく。 「皆さんは、どうですか ? 」 行「あの爆発じゃ、おそらく、助からないだろうね」 おだわら 死 と、刑事は、今度は、西本を含めた六人の客全員 三十分ほどすると、小田原警察署からパトカーが 情 に、目をやった。 南二台、到着した。そのあと、小田原港から、漁船が 西本と恵を除いた二組のカップルも、店のオーナ 一隻と、民間のモーターポート二隻が、海上の現場
まったんだよ」 と、直子は、肯いて、 十津川がいうと、直子は、わからないという顔 「だから私たちに、大好きな猫を預けて、いなくな 9 で、 ったのかも知れないわね」 「な・せ、あの人は、そんなことをしたのかしら ? 「そうだな」 あなたが疑い始めたのを知って、姿を消したという 「何だか、寂しそうねー ことフ・」 「あの店の前を通っても、藤岡さんに会えないと思 と、きいた。 うとね。しかし、 いいこともある。彼の顔を見なけ 「いや、もっと前から、私はそれらしいことを匂われば、感傷を交えずに、事件のことを調べられるか せていたよ」 らねー 「じゃあ、何なの ? 」 し / と、十津川は、 「これは私の勝手な、甘い推理かも知れないんだが ね。私が彼に好意を感じていたように、彼も私に、 好意を持っていたんじゃないか。だから、私とずつ と接していると、最後の二人を殺せなくなってしま 十津川は、翌日から、徳島県警と連絡をとり、最 うのではないか。それが怖くて、姿を消したんじや後の二人探しに全力を傾注することにした。 ないかと、私は思うんだよ」 県警からは、例のガソリンスタンドの人間の証一言 と、十津Ⅱよ、 として、四人が乗っていた車が、ブルーのニッサ ン・シーマらしいと、 「そうかも知れないわー 、ってきた。ガソリンスタン にお
と、 「インスタントコーヒーは、嫌いなんですよ」 いった。そんなことで、疑われては堪らない 「しかし、海が荒れている時は、コーヒーをいれる という顔だった。 のは、難しいんじゃありませんか ? 」 「いつも、このクルーザーに、乗っていらっしやる 亀井がきくと、浜田は、詰まらないことを聞くな んですか ? という顔で、 亀井が、きくと、浜田は、笑って、 かんじん 「コーヒーどころか、何も出来ない時もあります 「そんなことをしていたら、肝心の商売が出来なく こわ よ。海は、恐いんですー なりますよ。時間の余裕が出来たり、気持ちをリフ 「昨日は、大丈夫だったんですね ? 」 レッシュする必要がある時に、ふらっと、海に出る 「凪ぎでしたからね」 んです」 「浜田さんは、泳げるんですか ? 「優雅なものですね」 「まあまあ、泳げますよー 「日本人は、あまりにも、働き過ぎるんです。外国 「保険金のことですが、浜田さんは、いつも従業員人にいわせると、日本人は、働くために働いてると に、一億円もの保険をかけるんですか ? 」 いうことでね。やはり、楽しむために働くようにな 「彼女は、大事なうちのモデルですからね」 らないと、駄目だと、思いますね」 と、浜田よ、 をいってから、すぐ、続けて、 「いつもは、このクルーザーは、何処に置いてある 「一億円というと、ずいぶん高額だと思われるかも んですか ? みうら あぶらつぼ 知れないが、私の店で扱っている宝石の金額に比べ 「三浦半島の油壺に置いてあります」 れば、たいしたことはありませんよ」 「伊豆には、昨日、来られたんですか ? たま 240
列車には、制服姿の若いマスコットガールが乗っ 「いや。水しぶきは、見えましたがねー ている。乗客が、彼女に、何とかしろと、いっ 「女の人が、モーターポートのデッキに立ってい て、突然、海に落ちたんですよ。泳げない人だった いなとり 「じゃあ、次の伊豆稲取で、連絡してみますー ら、あのまま、溺れてしまうかも知れませんよ と、彼女は、緊張した顔で、答えた。 「まあ、ポートに、他にも誰か乗っているとは、思 どうやら、彼女自身は、乗客の世話をしていて、 いますがねー 「でも、デッキにいたのは、女一人だったんです事故は、見ていなかったらしい 二分ほどして、列車は、伊豆稲取駅に着いた。 よ。何とかしないとーー」 マスコットガールは、ホームに飛び降りて、駅員 「しかし、何が出来るんですか ? 」 に、連絡している。 「どうにかして、助けないとーー」 、んじゃありませんか」 「これで、いし 「他にも、目撃した人が、いるかも知れませんよ うしろ と、亀井は、さっきの男に、 亀井は、座席から立ち上がると、背後の方へ、歩 「でも、もう、間に合わないかも知れませんよー いて行った。男も、一緒に、ついて来る。 あお 男は、まだ、蒼い顔をしている。 体二両目でも、乗客が、騒いでいた。 死 「しかし、これ以上のことは、出来ませんよ」 二両目から五両目までは、海側の窓に向かって、 っ と、亀井は、しナ 座席が作られている。横向きの座席である。 染 そこに座っていた乗客の何人かが、落ちる女を見 青 ていて、騒いでいるのだった。 227
彼女なら、そのくらいのことは、やりかねないん 中村は、日下を睨んで、ふうッと、大ぎな溜息を だ。洗面所であらっていれば、睡眠薬は、検出でき吐いた。 なくなる」 日下は、冷静に、そんな中村の顔を見ていた。 中村は、くやしそうに、 し子ー 「彼女に聞けば、空缶を、洗面所で、洗ったりはし ていないと、 「それ、芝居じゃないんだろうね ? いうに決まっている」 日下は、用心深く、中村の顔を見つめた。 「そりゃあ、そうですよ。彼女が、僕に、睡眠薬入 「芝居って、何です ? りのビールを飲ませたんだから」 中村の顔色が、変わった。 「と、君は主張する。その主張が、正しいという根 「自分は、シロだということを、印象づけるための拠は、どこにもないんだよ。空缶から、睡眠薬が、 芝居さ。あの空缶を、金沢署で調べても、睡眠薬検出されなければねー は、検出されないとするーー」 「彼女の主張が正しいという証拠も、ないわけでし 「だから、その時は、彼女が、空缶を捨ててくる と、親切ごかしに持って行って、洗面所で、洗った 「どうも、君は、事態がよく呑み込めてないようだ 車からですよ ね」 」しー と、日一は、 「彼女が、そうしたから、睡眠薬は出ないんだと、 週 思わせるために、今、芝居を打ったんじゃないのか 「どういうことです ? 」 の へということだよ 「君と彼女が、二人とも殺人容疑者というわけじゃ 「刑事さん、そこまで、僕を疑うんですか ? ないんだ。それを忘れちゃ困るね。殺人容疑は、君 っこ 0 にら 151