大飢饉 まさゆめ 「汝は、自宅が水火に襲われた夢をみたことがあります。それが正夢になりそうな気がしてきま かんかい した。あなたの勧戒に従いましよう」 か第てつ 翌日には十数人の家僮を従えて転居先を捜しはじめた。 この転居先捜しは、翌年の春までつづけられた。柤父にかわって家の運営をおこなった田汝は、 しばしば呉漢のもとにきて意見を求めた。 「ここ洛陽をでて、常安にむかう人が続出しています。が、関西が安全でしようか」 「いや、安全ではないでしよう。常安を中心とする関西に避難民が充満すれば、かならず食料不 かんそう から 足となり、争いが生じます。すぐに官倉は空になり、中央政府は手のほどこしようがなくなる。 ひょうろう す 兵糧を軍のために確保すべきでしようから、飢えた民を棄てざるをえない」 「やはり、そうなりますか。東方と南方は叛乱の巣で、西方もだめとなれば、北方しか安全な地 はないとい、つことになります」 「そ、つですね : : : 」 常識的には河北が平穏である。 はたして、帰宅した田殷は、 ギ」よ・つ 「鄲県によい地をみつけてきました」 き かすい と、ほっとしたようにいった。鄲県は、河水より北にある。より正確にいえば、冀州の最南端 の郡である魏郡の中心地が鄲県である。 かんせい 185
大飢饉 ちょうさてい 「長沙定王の子が、家祖だ」 「そうか : : : 。長沙定王は、景帝の子だったな」 ひょく あえていえば長沙という地は肥沃さの対極にあり、最初にその地を与えられたということは、 軽視されていたことにほかならない。漢の皇室の系図は、庶民にはかかわりがないものの、狄師 そうそん こ - っそ にとっては関心がある。かんたんにいえば、景帝は高祖劉邦の孫であり、長沙定王は曾孫である。 しかしながら劉邦の子孫で、王侯になった者はかなり多く、そのなかで春陵侯は格が上なわけで も、目立っ存在でもなかった。 そんな家から次代の天子がでるはずはない そういう心中でのつぶやきがきこえたかのように、祗登は、 「われも半信半疑だが、いちおう、心に留めておいてくれ」 いったあと、 狄師は私貭の人か : きけん と、軽い落胆をおばえた。狄師は実家にわざわいをもたらした王莽を忌嫌することが思想と行 ふっしよく 動の中心になっている。もしもそういう感情が払拭されたら、そのあとに、なにを考えてどの ように行動するのかがみえない ひとごとではない しえん 祗登も、仇討ちがすべてであった。私怨の人であった。が、それをはたしたあと、もしも呉漢 しふん 179
れている者もいれば、劣っている者もいる。両者がせいいつばい働いたとしても、仕事の量と質 お・つしゅう に差が生ずる。それでも賃金はおなじだ。それが不満で、手をぬいた者には、それなりの応酬 がある。鞭で打たれるわけではなく、賃金もおなじなのだから、なまけるにかぎる、と意ってい たら、人の世を甘くみすぎている。このさきの人生で、かならず損をさせられる。われはみなに 損をさせたくないので、厳しく指導する。たぶん農場長より厳しい。彭氏の農場で働いたといえ きた ば、他家で一も二もなく雇ってもらえるほど鍛えあげる。わかったら、作業にかかれ」 と、厳然といった。 ひごろ寡黙で、静思しているような呉漢が、激しく語ったので、この変容におどろいた農場長 しわ 「おい、おい、彭氏は寛容で知られた人だ。ここに働きにくる者は、他の農場の嗇さや非情さを 嫌っている。それなのに、なんじがびしびしと扱けば、彭氏の評判が落ちてしまう。かれらには あまりきつくあたるな」 と、注意を与えた。 だが、呉漢は諾々と頭をさげす、抗弁した。 「なにごとも、最初が肝心なのです。農具のあっかいかたがまずく、けがをする者をみましたし、 収穫のしかたがいいかげんで、収穫量が落ちたことも知っています。われは他の農場にもゆくの で、わかったのですが、彭氏の農場で働いてきたやつはつかいものにならぬ、といわれています。 むち
連座 なった。 やがて、 「あの人は、ちがいますか」 と、田氏の家人が発見したのが、郵解であった。この日より、五日あとに、角斗と魏祥をみつ うれ 「 ~ しい 角斗と魏祥は空腹のせいもあって地に坐りこみ、泣かんばかりに叫んだ。 167
りゆ・つぶんしゆく 用して、国政さえまかせ、自身は天下の盟主となった。劉文叔という将軍が、復讎をあえて忘 れることができたら、かれが天下人になる。それは、まちがいない。邯鄲で立った劉子輿は、偽 者だ。そもそもいまごろになって立つのが、おかしい」 祗登は表情をあらためて断言した。 劉子輿についてくわしくない呉漢は、なぜ河北の太守と県令がそろってかれに畏服するのか、 よくわからなしし ) 。まんとうに劉子輿が漢皇室を復興し、天下の民を救う人であれば、王莽の軍と 戦ってみせるべきであった。ところがかれはそれをせず、王莽が殺された直後も静黙し、いまご あや ろになって正体をあらわしたのは、なるほど蚤しい。 劉子輿が偽者であるという証拠はないのか 安楽県に帰着した呉漢はそればかりを考えるようになった。 正月になった。ついに劉子輿の檄文が安楽県にもとどいた。それをうち棄てた呉漢は、薊県へ 遣った郵解のかえりを、多少の苛立ちをもって待ちつづけた。 「遅い しびれをきらした呉漢が、左頭を薊県へむかわせようとしたとき、郵解が帰着した。 春「薊県になにがあった、早く、申せ」 の 呉漢は舌をもつれさせながら、郵解に発言をせかせた。 一円 「劉将軍は、薊を脱出しました」 よう 261
連座 実現されるのかは不明である。 「とにかく、先生にきていただいてよかった」 そういった田殷は、許汎に謝礼を渡し、家人に馬車で送らせてから、田汝とふたりだけで語り あった。呉漢が偉材であるとわかったものの、いますぐ栄達するわけではないので、あっかいか たとっきあいかたがむずかしい。許汎の予言がはずれることもありうる。そう想えば、優遇しす こうかんたち ぎると後海することになるかもしれない。世情が不安定であるせいか、巷間に質の悪い予言が多 くながれはじめている。許汎の予言がそれらと同質であるとはおもわないが、にわかには信じが たかった。 「わたしはもう勤めにはでませんので、客のあっかいをまかせてもらえませんか。あの宛という 人物に近づいて、観察することにします」 と、田孜はいった。 かる 翌日、さっそく客室に顔をだした田汝は、あえて嫖い口調でことばをかけ、話し相手になり、 じっきん さりげなく呉漢と祗登に昵近した。話術に長じているのは、田浹の特技であるといえるが、それ ふじん あら この家は、先祖が東方の富人であっ は習得したものではなく、父祖の血が顕われたとみてよい かんせい たが、関西へ移住させられた。その後、分家が洛陽へ移って賈人として成功し、蓄財した。 じよさい 如才ない。 それが呉漢から観た田浹の印象であった。 こじん ちくざ、 165
古代では音や音楽に精進するために、わざわざ目を潰した。が、魏祥はそ、ついうことをしなく ても、物や現象がもっている陰陽、吉凶などを感じとる異能をもっているのであろう。 「よし、風が吉を告げてくれているなら、それを信じよう。明年が楽しみだ」 呉漢は明るくいった。が、吉は年内にきた。 新しい土地制度にそぐわず、処罰の対象にされそうになった豪族を、うまくかばったことで、 呉漢のもとに大きな謝礼がもたらされた。 手を拍って喜んだ角斗は、 「犯罪者をださないことは王朝のためであり、法にふれさせないようにしたのは豪族のためだけ ではなく、豪族に連座する者たちも、豪族に従っている者、使われている者も、救ったことにな ります。亭長のひとつの善事が、おそらく数百人を助けたのです。祇登先生をお招きすれば、も っと多くの人を助けられます。早く家を建てましよう」 と、さっそく空き家や空き地を捜しはじめた。年末に角斗がみつけた空き家は、亭から数十歩 のところにあり、呉漢もその位置が気にいったので、年があらたまるとすぐに空き家のとりこわ しをはじめた。 しけんこ / 、 この年、すなわち始建国一一年に、王莽は新貨幣を発行した。が、その種類が尋常ではない。な とんと二十八種類もの貨幣が発行されたのである。人民が困惑したのは、当然であろう。 家 呉漢に新しい貨幣をみせられた角斗は、 115
く動き、ほかの若者たちの作業に弛みをもたせなかった。 農場内に郵解はいなかったが、祗登の顔はあった。かれはさりげなく呉漢に近づいてきて、 「不良少年どもを、うまく手なずけたじゃないかー と、からか、つよ、つにいった。 呉漢は苦笑した。この笑いのなかに哀しみをひそませた。 「一家の次男や三男は、生業に就くすべがありません。生きてゆく張りが失われた者たちのなか で、ここにきて働いている者は、不良ではありませんよ」 「ふん、まあ、そうか」 その目は笑っていた。じつは内心、 祗登はあえて冷淡にいったが、 こやつはずいぶん成長したな。 と、驚嘆していた。数年まえの呉漢は、寡黙で陰気な青年にすぎなかった。かれは人に近づか す、人もかれに近づかなかった。ところがいまのかれの人気ぶりはどうであろう。年齢は二十四、 きょ・つか / 、 あ・こ ぶらい 五であろうが、無頼の少年どもを頤でつかう、ちょっとした侠客になれそうである。呉漢の性 せいへき 格には、人助けを好む性癖がありそうなので、義侠の道へすすみそうだが、闇の世界に足を踏 旧みいれてもらってはこまる。 の 登 彭伯通に見込まれているかぎり、そうはなるまいか : と、考えている祗登は、おのれの関心が呉漢ばかりにむけられていることに気づき、われとし たる ギ」善」よ・つ
うなずいた劉秀は、もはや諸将を集めて意見をきくまでもないと決断し、ただちに包囲を解い 「南へむかう」 と、北日 ) 守に化頂一小した。 まんきっ すでに初夏である。が、行軍をつづける将士はこのうるわしい季節を満喫しているわけには、 かない。鉅鹿から邯鄲までの間には、三、四の県があり、それらから兵が出撃した。しかし南 はちく において大勝した劉秀軍には破竹の勢いがあり、むかってくる敵軍をことごとく撃破した。つい に仲夏にさしかかるまえに邯鄲に到った劉秀軍は、迎撃の陣を布いていた邯鄲軍を大破し、敗兵 を城に追い込むと、包囲陣を完成した。 急に気温が上昇した。まさに仲夏における攻防戦となった。 ここまで呉漢にはめだった功はない。 だが遊軍あっかいであった漁陽の騎兵も、先陣に活用されるようになった。 あせ 「焦るにはおよばなしイ 、。固人の武勇などは、劉公の重視するところにあらず」 呉漢の近くにいる祇登は、どっしりと肚をすえている感じで、くりかえしそういった。そのよ 、つに落ち着きはらっている祇登をながめながら、呉漢は、 突然、鄧仲華どのが、わが陣をたずねてきたのは、この人のしかけであろう。 おも と、想った。先日、ふいに鄧禹に訪問された呉漢は、なぜか馬が合って、長時間語りあった。 て、 324
と、絶叫した况巴は、ふところの匕首をとりだして、呉漢に斬りつけようとした。ほとんど同 かくと 時に、角斗と左頭がとびかかって、况巴をとりおさえたので、その匕首の先は呉漢にとどかなか った。 呉漢は、組み敷かれたまま荒い息をつづけている況巴に顔を近づけ、 キ」よ・つし 「われは妄を好まないので、事実だけをいう。あなたが況糸という零陵郡の吏人の子ではないか、 その日、われは母の親戚 とすこしまえに気づいた。たしかにその吏人はわが亭で休息した。が、 ろよう の集会に出席するために、魯陽にいた。つまり、あなたの父がわが亭にきたことを知ったのは、 あなたの父が殺されたあとであり、われはあなたの父の容姿も知らない。ゆえに、われがあなた の父を殺せるはずがないし、殺さなければならぬ理由ももたない AJ 、次火々を ) 五口丿こ。 まだ憎悪に満ちた目つきをやめない況巴は、 とんじ ひきょ・つ 「遁辞をかまえるのか。卑怯だぞ。わたしは宛の亭長がわが父を殺して逃げたときいたぞ。げ んに、なんじは幽州まで逃げてきたのではないか と、顔をゆがめながらいった。 「殺したのは、われではない。われが養っていた客のひとりだ。それがわかれば、連座を恐れる 討のは当然であろう」 「妄だ。それも遁辞だ」 うそ っ ひしゅ 275