青い気柱 安にふりかかれば、またたくまに夏家はとり潰されてしまう。 ほどなく祇登が旅装であらわれた。 しんや 「亭長、あなたを推挙した新野県の宰は、なんという氏名であったか」 はんりん 「潘臨ですが : : : 」 「わかった。事態が深刻になれば、新野県までゆき、あなたの名をだして、潘臨どのに助けを求 めることになるかもしれぬ」 「待ってください。角斗を付けましよう。馬車もっかってください」 呉漢はあわただしく祗登と角斗を送りだした。 ひろうこんばい ふたりが帰ってきたのは、年末である。そのまま地に淪んでゆきそうなほどの疲労困憊であっ 「夏安さまは、連座で、獄につながれてしまいました。家は出入りが禁止され、家計が立たなく なりました」 と、角斗は肩で息をしながら、報告した。 、つつろなまなざしで無一言を保っている祇登の横に坐った呉漢は、 「新野県の宰では、どうにもならなかったということですね。こうなったら、郡吏を動かすしか ほ - つは / 、つう ありませんが、彭伯通さましかすがる人はいません」 と一 すぐに彭家へ趨った。 ぐんり 133
しことをい、つ この先生は、い、 ごかん 呉漢は昔から心の目で人を視ようとしてきた。それでも人をみそこなったことがあったかもし おも れないが、大きなみまちかいをしたことはないと意っている。 きょ ~ 、よ一つ すす 秋になり、ときどき涼やかな風が吹く日に、祗登のつかいで棘陽まで往っていた郵解がもど ってきた。その表情が冴えないので、 「どうした」 と、呉漢が問うた。 ていちょう 「へえ、先生よりさきに亭長のお耳にいれることになりますが、夏家にかぎらず、どの豪族も、 重税に苦しんでおります」 豪族の使用人のなかに奴隷がいれば、ひとりにつき三千 , ハ百銭を官へ納めなければならない。 と すこしまえまでは、百銭あれば、一斛 ( 十斗 ) の米を買うことができた。三千六百銭の課税がど れほどむごいかわかるであろう。 たいのう 「それで、夏家の親戚が、税を滞納し、なおかっ奴婢の人数をごまかしたということで、逮捕さ かあん うれ れたそうで、夏安さまに連座がおよぶのではないか、と愁えておられました」 「それは、あぶない。すぐに祗登先生に語げよ」 呉漢の声もうわずった。 みっそ おそらく夏安の親戚は、怨みをふくむ者に密訴されたのであろう。その罪が火の粉のように夏 どれい み 0 っ ぬひ ゅ、つか 132
青い気柱 天鳳という元号は六年までつづく。 その四年に、皇帝である王莽は、 りくかんれい 「六莞の令」 ふえ を、再度発布した。莞は、もともと笛のことであるが、管理の管に通じるところから、つかさ よ どる、とも訓む。六莞は、 , ハ種の管理をいし 、塩、酒、鉄などを国家が独占し、それらを管理し しけんこく て、専売をおこなう法令である。この法令はすでに始建国一一年にだされたが、徹底されないので、 七年後に、罰則か強化されて再度だされた。 「これはよくない法令だ。民間に利益がまわらないどころか、いたすらに犯罪者を増やす。たと となり ひそ えばある家が密かに酒を造って売っていたら、隣近所に住む者もことごとく逮捕されて処罰さ れる。一人の罪に、五、六十人が連座する。海内は犯罪者ばかりになる。処刑されたくない者は、 逃亡し、盗賊となる。この法令は、皇室と王朝を富ませるために設けたにちがいないが、逆効果 になるだろう。頭のよいやつにかぎって、おのれの都合でしか、ほかをみない。政治は頭でする ものではない、心でするものだ」 *J と - っ っ・つば 祇登ははじめて王莽の政治を痛罵した。 てんぼう お・つも・つ 131
「やむをえぬ」 かせん 始建国六年になるはずの年を天鳳一兀年に改めた王莽は、この年に、貨布と貨泉という一一種類の 貨幣を発行した。貨布一は貨泉二十五にあたる。 てのひら 新しい銅銭を掌においた祇登は、長いあいだそれをみつめて、つぶやきはじめた。 「先生、その銅銭がめずらしいのですか」 と、呉漢は首をかしげながら声をかけた。すると祇登は掌をあげて、 「これが国家の基となる銭だ。そこには、なんと書かれているか」 と、問、った。 「貨泉、でしよ、つ」 「ふむ、泉という文字は、ふたつに分けることができよう」 そう祗登にいわれた呉漢は、自分の掌に、 「白 すい 「水」 という文字を指で書いてみた。 「白水ですね」 「亭長は、賃作であちこちに行ったことがあろうが、この郡の南部の県と郷については知るま てんばう 126
家と田 と、呉漢は胸をなでおろした。 もとい 「しかし、これで皇帝が掲げた政策の基が崩れたことになる。要するに、皇帝が考えたことは、 どれい 成年となった国民のすべてに土地をもたせ、多数の奴隷をかかえて広大な田圃を耕作させてきた 豪族や有力者の力をおさえ、農業における平等を実現することであった。この理想は、儒教にお ける理想でもある。それを早急に実現しようとした皇帝をたたえるべきなのに、多くの人々は不 ) 」う 1 」う えんさ 便を訴え、新しい法を破った。囂々たる怨嗟の声が、皇帝が掲げた理想の旗をおろさせた。政治 とは、むずかしいものだな」 と、祗登は王莽に同情するようにいった。 これをきいた呉漢は、 理想がすぎると悪になる。 と、とっさにった。祗登にはいろいろ教えてもらっている。たぶん祇登は、若いころにはか なりの秀才で、儒教にも精通していたにちがいない。しかし実家の不幸によって、修学をやめ、 官途に就くこともあきらめた。呉漢の目からみれば、もったいない才能であるが、その才能が宛 の亭長にすぎない自分を佐けてくれているとなれば、ありがたい才能である。 はたん やがて王莽の通貨制度も破綻をきたした。 貨幣が流通しなくなったのである。貨幣の種類の多さには政府の財力を強大にさせるしくみが 5 がぺい 秘められていたのであるが、それも人民に嫌われて、王莽の経済的意図は画餅にすぎなくなった。 カカ
と、ききこんだことをすべて呉漢に語げこ。 *J ようし しよっか / 、 「恩を仇でかえした男は、況糸という食客なのか」 「養ってくれた主人を殺し、家に放火し、財貨をかっさらって、姿を消したそうです。独りでや ったとはおもわれません。おなじ食客を誘ってやったとすれば、その後、しめしあわせて似たよ うなことをやったはすなのに、郡内にそれに類した事件はありません。財貨を分けて、郡外で四 方に散ったとすれば、頭の悪くない男ですー 「況糸にとって、いちどだけの悪事であったとすれば、なおさら捜しにくい。、 しまは、善人づら をして、どこかで生きているのだろうな」 り一つ 呉漢はため息をついた。況糸が利ロな男なら、その後、けっして南陽郡にはいることはあるま なん 亠つよ - っ MJ ・れいり・よ・つ 十・いレ - っ い。荊州だけでも、南陽郡のほかに、南郡、江夏郡、武陵郡、長沙郡、零陵郡、桂陽郡とい う六郡がある。これらの郡を巡るだけでも一、一一年を要するであろう。 祇登先生は、それをやったのだ。 祗登の年齢は自分より二十歳ほど上だと呉漢はみており、かりにいま五十歳であるとすれば、 その年齢に充実感はあるまい。が、おのれの虚しさをみせずに、呉漢を佐けてくれる祗登に、い つの日にか、大きく酬いたい。 この年に、土地の売買の禁止が解除されたので、 「これで犯罪者がずいぶん減ります」 あだ ぶり・よ・つ たす ひと 124
じつは政治の質の高低をあらわすことになるのだが、王莽にかぎらず、王朝の運営にかかわる大 臣には、行政的な神経のこまやかさをもちあわせている者がすくなかった。 とにかく、呉漢は祗登ひとりを得たことで、事務能力が向上しただけではなく、はじめて生活 にゆとりをもっことができた。 「宛の亭長である呉子顔は、羽ぶりがよいらしい」 この近隣の評判が郡外にもひろがり、呉漢に認められて客として待遇されたい者がふえた。か れらの人物鑑定は呉漢自身もおこなったが、おもに祇登にまかせた。客室は五室あるが、それら のひとつは祇登がっかっている。 「ほかの四室のうち、一一室はつねに空けておき、侠客をきどる者や裏街道を歩く者を泊めてやれ ばよい。亭長であれば、法の外にいる者たちについても知っておく必要があり、かれらから情報 を採取できる」 と、祗登は助言した。 この年の末に、 「ひさしぶりですね」 ゅ・ - つかー あか いって、呉漢に会ったのは、旅の垢にまみれたような郵解である。以前とちがって、呉漢 にむかった郵解はずいぶん腰が低い。かって郵解について祗登は、 かんけん 「あいつは官憲の狗だ」 しがん 121
励している。教育面では善政をおこなっているが、制度を複雑にしすぎている。漢の時代にも悪 法があったはずなので、ますそれらを除くことに着手して、万民の苦痛を軽減してやり、それか らおもむろに改革をすすめてゆくのがよいのに、改革をいそぎすぎだ」 かんり ちょうあん 祗登は漢の時代に長安にのばって学問をしたが、官吏に登用されたわけではないので、漢へ の愛着はない。むしろ王莽の善政に期待したひとりであろうが、その期待通りの政策が実施され ているわけではない現状に、失望しはじめているといってよいであろう。なお王莽は地名をもい っせいに変更したので、長安を、 じようあん 「常安」 なんよう と、して、また南陽郡をほかの五郡とあわせて、 りくすい 「六隊郡」 きんき と、した。王莽は近畿の諸郡を、六尉郡、として最重要視し、ついで六隊郡を重く視たという ことであろう。とにかくそうなったかぎり、六隊郡のなかに南陽地区がある、というのが正しい ことになるが、郡と県の民がその呼称にすぐに順応したとはおもわれず、旧と新の呼称をつかい わけたり、旧称しかっかわない人も多くいたであろう。ここでも、南陽をそのまま郡名としてお 庶民から遠い官職名はさておき、もっとも近い地名に関しては、 「かんたんに変えられて、たまるか」 こ・つかん きび という感情が巷間にあったにちがいない。そのあたりの機微に触れるか、触れないかの差は、 120
家と田 いって笑った。 「それが、先生ですか」 「さあ、どうかな。なんじは一家を建てて、ほんとうにわれを迎えた。その気概に酬いてやりた くなるのが、われの気概だ」 ききょ ひんかく そういって賓客となって客室に起居するようになった祗登は、おもに呉漢の事務の手助けをし、 翌年には、城外にあった田を借用するというかたちで入手し、実質的には呉漢の所有とした。 「めんどうな法のもとでは、こういうめんどうな手続きをしなけりゃならない。儒教に凝り固ま 」・つ ) てい・ゅ - つほ・つ ったやつが考える法はこうなるから、漢の高祖 ( 劉邦 ) は儒教を嫌ったのさ」 と、祇登は漢王朝の成り立ちを呉漢に教えた。 漢の最初の法は、三章のみであったのか。 あや いろとり 章は、訓みかたが多様な文字で、綾とか彩の同義語であり、さらに、あきらかにする、あら わす、などと訓み、しるし、という意味もある。ここでいう一二章とは、三条といいかえてよく、 人を殺すな、人を傷つけるな、人の物を盗むな、この法を犯した者を処罰する、というのが漢の 高祖が最初に定めた法である。 「わかりやすいですね」 呉漢は感、いした。 しゅ - つが / 、しょ - っ 「いつの世も、人民はわかりやすさを喜ぶ。いまの皇帝は、学問好きで、多くの者に就学を奨 119
と、角斗と魏祥を発たせた。 五日後に、なんとふたりは祇登をともなってもどってきた。 「ああ、先生 きやく 呉漢は喜躍した。馬車にすくなからぬ荷が積まれているということは、こちらに居を移してく れるということであろう。馬車をおりた祗登はにこやかな顔を呉漢にむけて、 「ひと月に、いちど、夏家に顔をだすという条件で、解放してもらったよ。なんじと夏安はさほ ど齢がちがわぬが、夏安には男児がいる。まだ幼児だが、 学問をみてくれと頼まれた。ことわる わけ・にはいノ亠まい」 いった。頭をさげた呉漢は、 「どうぞ、先生のご随意になさってください。夏家にくらべたら狭い家でしようが、ごかんべん ノださい ぎよしゃ いい、さっそく新居に案内した。角斗と魏祥のほかに御者が荷物を運び込んだ。家のなか のほかに菜園もみた祗登は、 「われもなんじも賃作をやって、いろいろな田圃をみてきた。ここでは主食となる禾穀をとれな さて、 城外に田が欲しいところだな。だがいまの法では、たやすく土地の売買ができない どうするか。はは、みなそれで困っているのさ。そこで、売買でなければよい、 とおもいついた 旧かいるとい、つわけよ でんぽ 118