ら / 、ト 6 - っ でんぶん 正月になると、田汝は二十数人の従者とともに、洛陽を去った。 ごかんふすい 祖父は祖父、自分は自分なので、このまま呉漢に附随したいという田浹の、い情をうれしく感じ たものの、 逃げおくれると、洛陽は死地となる。 すす と、強く予感している呉漢は、なかなか腰をあげない田汝をくりかえし説得して脱出を勧め、 *,J よ・つ 「鄲県で会いましよう」 と、約束した。なごり借しげな田汝は、 「あなたのおかげで、いのちも財も失わずにすむ」 ぼくじん おも いい、感謝の意いをあらわしたのであろう、すくなからぬ銭と三人の僕人を残して発った。 しよっかく 三人の僕人は、食客のために使い走りをしていた者たちである。さっそくその三人を集めた呉 漢は、 ま田氏は鄲県へ去り、ここにいるわれらはな 風「なんじらは、心ならすも田氏に使われていた。い 秋んじらの主人ではない。洛陽は、年内には大混乱の地となろう。それゆえ、ここからでたい者は、 われらにことわることなく去るがよい。年末までとどまっても、われらはなんじらをかばってや 191
と、すこしさぐるよ、つにいった。 「そうです。父が亡くなったあとが心配です。わたしには三人の兄がいますが、そのなかのひと りは異腹です。しかし最年長なので、弟どもをみくだしています。ほかのふたりは、わたしとお なじ正妻の子ですが、仲が悪く、つねにいがみあっています。はっきりいって、その三人には、 威望がないのです。いま父を敬慕している人々は、その兄の代になれば、失望し、離散し、あの しゅ - つらノ、、 聚落は消えてしまうでしよう。隹久も家人と友人を率いてあそこをでるにちがいありません。 頼る先は、わたしか、あなたさまです」 「そ、つか : いまは 人が消えれば、馬も消える。こまったことだ。なんとかしてやりたいが、 ど、つにもならぬ」 戦いは、これから十年はつづくであろう。軍が保有する馬の多少は、軍の力にかかわる。劉秀 か冀州と幽州だけではなく、天下の制圧にとりかかったとき、数千頭の馬を供出できる牧場が消 滅していては、不都合きわまりない 隹久に、牧場をもたせたい いまの県令という身分では、できることの幅は央い。 それでも隹久を迎えたあとの処遇を、 まから考えておくべきであろ、つ。 呉漢に隠然たる力があることを察した上谷郡の隊長らは、態度をあらため、呉漢に親交するよ うになった。蓋延も呉漢をみなおしたようで、 ふく 304
おうせい 角斗の好奇心の旺盛さは、心の成長のあかしであろう。 たのもしくなった。 呉漢は心のなかで目を細めて角斗をみた。 じよ - っ一」 / 、 旧広陽国の北隣には二郡がある。西側が上谷郡、東側が漁陽郡である。それら二郡の北部は、 しんこ - っ - つがんきょ - っリ」 まち へききょ一つ いわば僻境で、まったく邑がないといってよく、鳥桓や匈奴などの北方異民族の侵寇をふせぐ おも ための長城があるだけである。それゆえ多くの人が住む県と郷は、中部以南にあると想ってよい ということは、漁陽郡の府がある漁陽県も、薊県から遠くなかった。 漁陽県の南に位置する狐奴県にはいったとき、 は - つは / 、つ・つ 「彭伯通さまは、どこに落ち着かれたのでしようか」 ほ一つ十つよ - っ と、魏祥は不安をかくさなかった。これから彭寵を捜す難儀を想ったのであろう。彭寵らが さきに県を発ったのであるから、さきに漁陽県に到着しているはずであるが、そうでない場合 も考えられる。 「伯通さまに祗登先生が従っている。あの先生がなんらかの手を打ってくれるだろう」 狐奴県をでた三人は北から吹く烈風にさらされて、ふるえあがった。南陽の温暖さをなっかし 人く感じたのは、三人ともおなじであろう。 の 暗い天空の下に、漁陽の城が黒々とみえた。 可 「陰気ですね」 219
ははあ、侯国の開墾をおこなうのか。 雇い主は豪族や豪商ではなく、侯とよばれる領主であるとわかって、呉漢はすこし気が楽にな たち った。豪族や豪商には質が悪い者もいる。領主がことごとく質がよいわけではないにせよ、その 国で働くほうが安心感はある。 集合した者たちの数を目で算えてみると、およそ百である。ひそかにおどろいた呉漢が、 「宛だけで百であれば、諸県から紅陽へゆく人数は、どれほどだろうか」 と、韓鴻に問うたとき、笠をかぶった三人がこの集団に近づいてきた。ひとりが主人でふたり が従者のようにみえた。主人らしき人が、 さぎ 「みなは詐欺の銭をもらいにゆくことになる。やめておけ、やめておけ。手が汚れるぞ」 と、集団にむかっていった。 呉漢と韓鴻はおもわず目をあわせた。 「なんだとーーー」 かくど 紅陽侯のふたりの家臣は、その声をきいて嚇怒し、剣に手をかけて声の主に迫ろうとした。す かさず笠のふたりが主人をかばうようにまえにでて、剣把をなでつつ、 「路上で剣をぬいて争えば、われらだけではなく、なんじら三族までも処刑され、ひいては紅陽 衆侯まで罪がおよぶ。それを承知で剣をぬくなら、相手になろう」 安 と、かるく祠喝した。 どうかっ かぞ
ししょ一つ そもそも自分に素志などというものがあったのか、と呉漢は反省しはじめた。角斗に嗤笑さ おど ひとさら れるのは、狄師ではなく自分かもしれない。それにしても、人攫いの集団に飼されてすこし悪に 手を染めていた角斗のちかごろの成長ぶりはどうであろう。顔つきまで変わったようで、まなざ 亠つよ・つ」・つ けいはっ しや口調にも澄高さがある。呉漢自身は、祗登にどれほど啓発されたかわからぬ、とおもって いるが、角斗にもおなじおもいがあるのかもしれない。 ぎよう かんたん この三人が北上している冀州は、東西より南北が長い。鄲県の北には、大県というべき邯鄲 えん がある。邯鄲はどちらかといえば工業都市であるが、宛にひけをとらない盛栄ぶりである。 「南の宛 夕、北の邯鄲といわれるだけのことはあります」 県内にはいってすぐに角斗は人の多さに辟易したようである。呉漢はまっすぐに市場へ行った が、馬商人はみあたらなかった。かれは驢馬をあっかっている商人に近づいて、 「馬は、いつはいるのだろうか」 と、問うた。その商人は答えるまえに首を横にふった。 「わからない、とい、つことか」 」うと - っ 「あんた、馬の価を知らないのかい。三軒の家を買うことができるほど高騰しているんだ。馬を 買いたい者は、こんなところで待っておらず、幽州まで買いに行っているのさ」 「あっ、なるほど」 いま、馬商人は引く手あまたで、冀州まで馬を売りにこなくても、大金を得ることができる。 あたい へきえき 212
「母家で最初に会ったときの田浹さんは、ずいぶん暗い顔をしていたのに、変われば変わるもの です」 と、いった呉漢は、祗登の意見を求めるような目つきをした。 「あのときは、市の胥吏を罷めてきたばかりであったときいた。くさくさしていたのであろう 「そうですか : それでは田浹さんのとなりに坐っていた許汎とは何者ですか、と問おうとした呉漢は、 せんさく よけいな詮索か。 と、おもいなおして口をつぐんだ。田浹の人あたりのよさには、善意がある。用心しなければ ならない人物ではない、と直感が教えている。 田氏の邸内に住むようになって十日ほど経っと、 そろそろ角斗らがくるころだ。 と、おもった呉漢は、市場を歩くようになった。呉漢の外出がしげくなったことを知った田浹 は、わけをきかせてもらえますか、といし言 - 占をきき終、んると、 「お独りで捜すのは、難儀でしよう。家人を付けましよう」 と、使用人をふたり添わせた。 ようぼう このふたりに、三人の容貌を教えた呉漢は、市場に通った。そのうち市場の商人と顔なじみに ひと 166
県か : よ - っしょ一つ その県も交通の要衝である。ということは、 かならず軍事的に重視され、戦場になりやすい 呉漢はそう意ったものの、 「善は急げです。鄲県までの道は、まだ盗賊がはびこってはいないでしよう」 と、すみやかな転居をうながした。 半月後に、大半の家財を車に積み終えた田殷は、 「狄師先生をお借りします」 ) ゝ、百数十人の家人を従えて洛陽をでた。洛陽の家は孫の田浹にまかされた。 ぼくじん 邸内が、ずいぶんさびしくなった。田浹のもとに残っている僕人は、およそ三十人で、その人 数では満足な耕作をおこなえない。それでも呉漢は田にでた。 「田は、荒廃させると、手がつけられなくなる」 土地にも生死がある、と呉漢は働く者たちにおしえた。この地にいられるのは、あと一年か、 という予感がある。しかしそれまで田圃とっきあってゆきたい。 ところで、この年、すなわち地皇三年は、歴史のあらたな起点となった。 りゆ・つえんりゆ - っしゅ・つ せきび 赤眉の兵や緑林の兵のほかに、南陽郡の舂陵において、劉と劉秀という兄弟が挙兵して、 官軍と戦、つことになったからである。 秋の収穫を終えてひと月半ほど経ったころ、呉漢のもとに祗登が趨ってきた。 186
河北の春 = イスゞ 1 たかたちで、おとなしいが、いっ牙をむくか わからない。そうなれば、劉子輿の勢力が巨 大化するのは目にみえているので、年内に、 ちゅうげん 三大勢力がいり乱れて戦い、中原どころか 河北も荒廃することになろう。天下が鎮静す るどころか、ますます烈しく擾乱する。 しんば - っ 「なぜ人々は、劉子輿を信奉するのですか 幼児のときに、王莽によって帝位からおろさ = れた皇帝がいたではありませんか。その人 は、死んではいないのでしよう。その人を奉 戴するほうが、すじが通るとおもうのですが と、呉漢は祗登に問うた。 はいたい 「ふむ、廃替された皇帝は、孺子嬰といし ていあん 王莽に誅されたとはきいていない。定安公と あるじ なり、公国の主になったようだが、封国にの がれないように宮城内に幽閉された、という じようらん 263
耳を澄ましていれば、人はいろいろなことを教えてくれる。 けんぶん ゝ 0 、、 とうやら紅陽侯とは王 呉漢はそうさとった。学問をおこなわなくても、見聞を広めればよし 氏一門であるらしい。あの三人が、紅陽侯を詐欺侯と呼んだが、その意味はわからない。二倍も の銭を与えるといっておきながら、雇った者たちに一銭も与えず、ただ働きをさせるのが紅陽侯 なのであろうか。それについて、あの物識りに訊きたかったが、呉漢は家の外ではほとんど他人 にものごとを問、ったことがないわからないことをすぐに他人に問わないところが美研貝である、 はんりん と潘臨という人は称めてくれたが、ここでも黙っていることが美質であるとはとうていおもわれ そう感じた呉漢が、物識りの男に近づこうとしたとき、なんとむこうから近寄ってきて、 「若いの。彭氏の農場でみかけた顔だな」 と、声をかけてくれた。ここはあえて素直に、 「呉子顔といいます。あなたはーー」 と、軽く頭をさげていった。 ゅ - つか : 「われは郵解という。よろしくたのむぜ」 この口調から、自分への好意を感じた呉漢は、 衆「こちらこそ、よろしくたのみます。ひとつおたずねしてよろしいですか」 安 とっとっ と、一々といった。
家と田 いって笑った。 「それが、先生ですか」 「さあ、どうかな。なんじは一家を建てて、ほんとうにわれを迎えた。その気概に酬いてやりた くなるのが、われの気概だ」 ききょ ひんかく そういって賓客となって客室に起居するようになった祗登は、おもに呉漢の事務の手助けをし、 翌年には、城外にあった田を借用するというかたちで入手し、実質的には呉漢の所有とした。 「めんどうな法のもとでは、こういうめんどうな手続きをしなけりゃならない。儒教に凝り固ま 」・つ ) てい・ゅ - つほ・つ ったやつが考える法はこうなるから、漢の高祖 ( 劉邦 ) は儒教を嫌ったのさ」 と、祇登は漢王朝の成り立ちを呉漢に教えた。 漢の最初の法は、三章のみであったのか。 あや いろとり 章は、訓みかたが多様な文字で、綾とか彩の同義語であり、さらに、あきらかにする、あら わす、などと訓み、しるし、という意味もある。ここでいう一二章とは、三条といいかえてよく、 人を殺すな、人を傷つけるな、人の物を盗むな、この法を犯した者を処罰する、というのが漢の 高祖が最初に定めた法である。 「わかりやすいですね」 呉漢は感、いした。 しゅ - つが / 、しょ - っ 「いつの世も、人民はわかりやすさを喜ぶ。いまの皇帝は、学問好きで、多くの者に就学を奨 119