角 - みる会図書館


検索対象: 呉漢(上)
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1. 呉漢(上)

と、呉漢は教えた。すると角斗は、 「むさくるしいところですが、どうぞ」 と、ふたりをなかにいれ、土間にひたいをすりつけた。奥にいた母親は、くわしい話を角斗か らルさかされていたらしノ、い そいで角斗にならんで坐り、 「よくぞ、この子を助けてくれました。ご恩は、忘れません」 と、涙をこほしつつ頭をさげた。 あぜん このようすをながめた祗登は、唖然として、 どうなっているんだ、これは。 と、心中でつぶやいた。 おなじように土間に坐った呉漢は、角斗の手を執り、銭をにぎらせた。両手におさまらない銭 がこばれ落ちた。おどろいた角斗は顔をあげた。 「これはーー・」 「はは、これは伯通さまのご恵沢だ。ありがたくうけとっておけばよ、 呉漢がそう語げると、角斗は手と肩をふるわせて泣いた。 角斗とは、こ、つい、つ男であったのか 祇登はなんとなくこの家の事情がわかったような気がしたが、むろん詳細はさつばりわからな

2. 呉漢(上)

家と田 晩春に、新築の家は完成した。 「広い、広い と、叫びながら、魏祥は家のなかを走りまわった。この家には、小さいが付属する菜園がある。 その土をいじりながら、呉漢は、 まめ 「ここで菽を作れる」 と、にこやかにつぶやいた。さいわいなことに角斗も住み込みになった。長いあいだ家をでて いた長兄が帰ってきたという 「一番上の兄は、はるばる幽州まで行ったそうです」 と、角斗は語げた。幽州は北端の州といってよい。角斗の一一番目の兄は、売られ売られて幽州 までながれていったのであろうか。話をきいた呉漢は、まさか将来、幽州にかかわることになる とは想像することができなかった。ちなみに角斗の長兄は、角北といい、次兄は角南という。 りじん 「幽州の吏人が宛にきて、ここで休息することはめったにないが、角南のゆくえを、いろいろな 人にきいてみよう」 と、呉漢は角斗をなぐさめた。 初夏に菜園の整備を終えた呉漢は、 「これなら祇登先生を迎えられそうだが、ほんとうにきてくれるかどうか、なんじらは棘陽の夏 家へ往き、ご意向をうかがってこい」 ゅう かくなん さいえん 117

3. 呉漢(上)

「今年の冬も、安心して彭氏の農場へゆきなよ」 と、呉漢が角斗に声をかけて、家の外にでると、袖をつかんだ祇登が、 「いったい、なにがあったんだ。説明しろ」 と、強く迫った。 呉漢の晴れやかな表情も、たしかめようがないほど暗くなった。が、気がつけば、天空に月が ある。 ふくしゅ 「わたしは若者を監督する副手になりました」 「へえ、そいつは知らなかった」 おも 「それで、あなたのことばを憶いだして、まっさきに角斗から話をききだしました。かれは不良 おど がかっていますが、家族おもいの青年で、しかも人攫いの集団に飼されていることがわかりまし 「よくあいつが、そんなことをなんじにうちあけたな」 祗登は感心した。人攫いの集団が横行していることは知っていたが、角斗を脅迫していたこと は、はじめてきいた。 「あの家は貧しく、子を売らなければ、生きてゆけないときがあったのです。それをかぎつけた 人攫いどもが、角斗の弟を攫い、悪事をもちかけたのです」 「角斗の弟を人質にして、横ながしを強要したのか」 ひとさら そで

4. 呉漢(上)

ふんがい 祇登は腹を立てたらしく、語気がするどくなった。この貭既ぶりをみても、祗登が奸猾な人で はないことがわかる。 「しかたなく角斗が穀物を盗んでかれらに渡すと、弟はかえされたのですが、味をしめたかれら は、おなじ時期にやってきては、角斗と弟を恫して、盗みをおこなわせた。夜間、かれらは農場 と の外に車を駐め、角斗の手びきでなかにしのびこむという手口です」 角斗が悪事をおこなっていることは、うすうす気づいたさ」 「そいつは知らなかった。が、 彭氏の農場では、夜間に警備をおこなう者がきわめてすくない。外からなかにしのびこむのは 容易であろう。そこまではよくわかったという顔の祗登は、 「だが、なんじは角斗を彭氏へ突きださず、事をおさめたようだが、どういう手を打ったのか」 ゅこっかー、 「郵解さんをつかわせてもらいました」 祗登は足をとめて、呉漢の肩をたたいた。 かんけん 、あいつは官憲の狗だ。まちがいない。あちこちの豪族の不正をさぐるために賃作 「郵解か : をおこなっている」 体 めずらしく呉漢が笑った。 正 登「わたしもひと月ほどまえに、友人と釣りに行ったときに知りました。ふたりで舟のなかに休ん でいると、近くの草むらから声がながれてきました。それが郵解さんと吏人の話し声でした。郵 かんかっ

5. 呉漢(上)

連座 なった。 やがて、 「あの人は、ちがいますか」 と、田氏の家人が発見したのが、郵解であった。この日より、五日あとに、角斗と魏祥をみつ うれ 「 ~ しい 角斗と魏祥は空腹のせいもあって地に坐りこみ、泣かんばかりに叫んだ。 167

6. 呉漢(上)

ししょ一つ そもそも自分に素志などというものがあったのか、と呉漢は反省しはじめた。角斗に嗤笑さ おど ひとさら れるのは、狄師ではなく自分かもしれない。それにしても、人攫いの集団に飼されてすこし悪に 手を染めていた角斗のちかごろの成長ぶりはどうであろう。顔つきまで変わったようで、まなざ 亠つよ・つ」・つ けいはっ しや口調にも澄高さがある。呉漢自身は、祗登にどれほど啓発されたかわからぬ、とおもって いるが、角斗にもおなじおもいがあるのかもしれない。 ぎよう かんたん この三人が北上している冀州は、東西より南北が長い。鄲県の北には、大県というべき邯鄲 えん がある。邯鄲はどちらかといえば工業都市であるが、宛にひけをとらない盛栄ぶりである。 「南の宛 夕、北の邯鄲といわれるだけのことはあります」 県内にはいってすぐに角斗は人の多さに辟易したようである。呉漢はまっすぐに市場へ行った が、馬商人はみあたらなかった。かれは驢馬をあっかっている商人に近づいて、 「馬は、いつはいるのだろうか」 と、問うた。その商人は答えるまえに首を横にふった。 「わからない、とい、つことか」 」うと - っ 「あんた、馬の価を知らないのかい。三軒の家を買うことができるほど高騰しているんだ。馬を 買いたい者は、こんなところで待っておらず、幽州まで買いに行っているのさ」 「あっ、なるほど」 いま、馬商人は引く手あまたで、冀州まで馬を売りにこなくても、大金を得ることができる。 あたい へきえき 212

7. 呉漢(上)

河北の人々 ごかん 河北はわれにとって新天地となるのだろうか。車中でそんなことを考えていた呉漢に、角斗が 声をかけた。 「狄師先生は、田氏のもとにとどまってしまいましたね」 でんいん 「はは、田殷どのがあの剣士を大いに気にいってしまい、はなさなかったのだ。狄師どのも、わ あ れらと幽州にはいってもあれほどの厚遇には遭わぬ、とわかっているのさ。人には相性がある。 あのふたりには相性の良さがあるのだろう」 気にいらぬ、といわんばかりに横をむいた角斗は、 こころざし 「狄師先生は、志の大きくない人ですね」 と、いった。すこしおどろいた呉漢は、 「なんじが、志、というとは : : : 」 きと、つ / 、んリをつ と、あえて感心してみせた。おそらく角斗は祗登に訓導されたのであろう。ふりかえってみれ ば、呉漢も祗登に心の目をひらいてもらった。それから他人と世の中がみえるようになったとい ってもよい われは志を忘れているのかな。 てきし ゅう でん あいしょ・つ 211

8. 呉漢(上)

青い気柱 安にふりかかれば、またたくまに夏家はとり潰されてしまう。 ほどなく祇登が旅装であらわれた。 しんや 「亭長、あなたを推挙した新野県の宰は、なんという氏名であったか」 はんりん 「潘臨ですが : : : 」 「わかった。事態が深刻になれば、新野県までゆき、あなたの名をだして、潘臨どのに助けを求 めることになるかもしれぬ」 「待ってください。角斗を付けましよう。馬車もっかってください」 呉漢はあわただしく祗登と角斗を送りだした。 ひろうこんばい ふたりが帰ってきたのは、年末である。そのまま地に淪んでゆきそうなほどの疲労困憊であっ 「夏安さまは、連座で、獄につながれてしまいました。家は出入りが禁止され、家計が立たなく なりました」 と、角斗は肩で息をしながら、報告した。 、つつろなまなざしで無一言を保っている祇登の横に坐った呉漢は、 「新野県の宰では、どうにもならなかったということですね。こうなったら、郡吏を動かすしか ほ - つは / 、つう ありませんが、彭伯通さましかすがる人はいません」 と一 すぐに彭家へ趨った。 ぐんり 133

9. 呉漢(上)

じゅしえい ていあん いた王莽は、幼帝である孺子嬰を公に貶とし、定安公に封じて、一万戸を与えた。ちなみにその 公国の位置は、河水が海にながれでる地点に近い平原郡の西北部である。 「雲の上から、おろされる人もいる : : : 」 皇帝の子孫として生まれても、幸福であるとはかぎらない 「翕よ」 家に帰る途中、小さな川のほとりにしやがんだ呉漢は、成人となった弟にしみじみといった。 「角斗を知っているな」 「兄さんを、ほんとうの兄のように慕っている人でしよう」 「角斗にはふたりの兄がいた。が、ふたりともあの家にはいない。弟がいるだけだ。次兄は売ら れた。長兄は売られたわけではないが、なぜか、家にいない。遠方に働きにでたようでもあるが、 これは、われ 七年も、帰ってこない。死んだとも考えられるが、角斗はそういっていない だけの当て推量だが、長兄は売られた次兄をつれもどすために、諸郡をめぐって、捜しているの ではないか」 「えつ、そうなのですか」 まゆ 呉翕はいたましげに眉をひそめた。 「子を売らなければ生きてゆけなかった親のつらさをわかっていながら、長兄は親を誚め、家を 飛びだしたのではあるまいか。われも、なんじが売られたら、そうするかもしれない せ

10. 呉漢(上)

「おかげで、横ながしをふせげました」 わる 「おい、おい、角斗はちょっとした悪だぞ。彭氏に訴えれば、ただじゃあ済まねえ。そんなやっ に、なんの用だ」 は′、つ・つ 「銭をとどけてやるのです。伯通さまのおばしめしです」 「冗談をいうな」 祗登はあきれてみせたが、呉漢は目で笑っただけでわけをいわす、明るさを失った道を歩いた。 祗登は黙って蹤いてきた。 わいおく やがて呉漢は里門のわきにある矮屋のまえに立った。 「穢ねえ家だ」 祇登は呉漢にきこえる程度の小声でいった。屋根にも壁にも、ひびや破れがある。 「角斗さん、いるかい」 こた この呉漢の声に応えるように目つきのするどい青年が戸を開いて顔をだした。 しがん 「あっ、子顔さん」 まゆ とたんに眉をさげた角斗は、別人のような顔になった。呉漢のうしろに立っている祗登をいぶ 正かるよ、つにまなざしを揺らしたので、 登 「この人は祇登といって、彭氏の農場で働くうちに、あなたの困窮に最初に気づいた人だ。あな たを助けたのは、この人といってよい」 きた