が気にいったのか、韓鴻は満足げにうなずき、 とな きんのう 「この家の主人には、勤皇の意志があるときき、立ち寄った。われは、河北を徇えよ、という天 せき 子のご命令を奉じて、幽川まで巡るつもりであるが、二千石 ( 郡の太守 ) 以下の官を任命できる い・ゅ・つ 権能をさずけられているこの権能をないがしろにする者は、北上しつつある大司馬の劉将軍 ちゅうばっ かことごとく誅罰をくだすであろ、つ」 と、おのれの威を誇示するように、声を張っていった。 そんなに韓鴻は偉くなったのか。 えっしゃ また、呉漢はおどろいた。韓鴻は更始帝の王朝では、渉外担当の謁者となり、冀州と幽州の りゅうしゅう 平定のために、軍を率いている劉秀に先行するかたちで薊県に到着したとのことである。 「ところでーー」 急に相好をくずした韓鴻は、昔なじみの貌にもどり、手招きをして呉漢を近づけた。 「なんじがいま彭伯通どのの下にいることは、ここできいた。彭伯通どのは、要陽におられるの か」 お・つじ 往時、豊かであったとはいえない韓鴻も彭氏の農場で働いたことがあり、しかも先代の彭氏は 王莽に誅殺されたため、彭氏への敬意と同情を失っていない 「蓋延という故吏にかくまわれていますー 「ふむ、なんといっても、漁陽は彭氏の郡だ。すぐに漁陽にゆけるわけではないが、郡守の交替 そうごう かお しようが、
の反応は魯かった。はっきりいって、王莽のどこが悪いのか、わからなかった。世間では王莽が 悪政をおこなっているとたれひとりも非難していないではないか。呉漢がうなずかす、ロをとざ しているので、 「なんじには正義がわからぬ。あきれたものだ」 と、韓鴻はロをゆがめ、離れていった。 正義か : 夫役が終わったあとも、呉漢は考えた。わからないことを胸中にかかえたままでいると、胸苦 しくなる。、、こか、 オ、正義とはなんであるかを、たれに問えばよいのか。そのことばを口にした韓鴻 は、ほんとうに正義がわかっているのか これは、うかつに他人に訊けない めいも・つ まちがった答えを教えられると、かえって迷妄が深くなる。韓鴻は人をあざむいたりしないが、 はなしはんぶん せち それでも話半分にきくというのが正しいであろう。そういう世知を教えてくれた祗登は、あれ 以来、宛県のなかではみかけなくなった。 秋の収穫時期には兄を手伝ったあとに、彭氏の農場にも行った。呉漢に好意をもってくれてい しる農場長は、たれからきかされたのか、 「紅陽へ行ったらしいな」 と、微笑しながらいった。
安楽県令 と、いった。昔なじみであるという理由だけでなんじを県令にするわけではない、と韓鴻は、 一一一一口外に語げているようである。 「そ、つですか : : : 」 呉漢は韓鴻にむかって拝礼をおこなった。授与された県令の官を拝受したのである。このあと、 安楽県に乗り込んだ呉漢は、晴れて県令の席に就いた。要陽県から駆けつけた祗登は、 「ひとつの扉をあけたな」 と、祝辞を献じた。 247
「ふむ。ここに住みたい気持ちがわからぬでもないが : 薊県の令にするわけにはいかぬ」 「はあ : : : 」 こよわからなかった。 一瞬、韓鴻がなにをいいはじめたのか、呉漢し ( 「なんじがここに到着するまえに、なんじに一県をさずけようと考えていた。薊県は河北の最大 よ - っしょっ の要衝なので、その治安に関する人事は劉将軍にまかせるしかない。そこでー・ーー」 いいながら、韓鴻は地図を引き寄せた。 あんらく 「漁陽に彭伯通どのがはいるのであるから、郡府から遠くない安楽県に、なんじがはいれ。安楽 は薊県からも遠くなし と、つだ」 「それは、どういうことですか」 「どういうこと、と問うまでもなかろう。その県の令に任命するといっているのだ」 「はあ : さかた 呉漢のかっての感覚では、逆立ちをしても、県令にはなれない。それなのに、こんなにかんた んに県令になってよいのだろうか。その心情を察した韓鴻は、声を低くして、 . り・よ / 、。り・ん 」わ - っキ」よ・つお・つほ・つ 「昔、緑林の賊であった王匡や王鳳は、みな国をさずけられて王になるはずだ。そ、ついう時代 なのだ。なんじの亭長のころの仕事ぶりは、よく知っている。枉がったことをせず、人民のため に働いてくれれば、いまの王朝のためになる」 、亭長であったなんじを、一足飛びに、 246
と、訊かずにはいられなかった。雇った者に二倍の銭を与えるには、ほかの農地より二倍の生 産力がなければならない。そんな農地があるのだろうか。 力いこん でんぽ 「いや、ふつうの耕作ではない。開墾だ。しかも短期間で田圃にしなければならないらしい。そ れで多数が要る」 韓鴻が知っていることは、それですべてである。 「紅陽か : : : 」 ちょっと遠い。その位置は宛からみて東北にあたり、郡境の県である。いちど家に帰って、兄 「韓鴻は、人をだますことも、だまされることもない男だ。信用してよいだろう。半年もなんじ かいないのはきびしいが、まあ、うちには翕がいることだ。なんとかなるだろう」 呉尉がもっている田は小さいといっても、ひとりでは稼穡のすべてをやり通せない。末弟の 呉翕はまだ成人になっていないが、カ仕事ができる齢には達している。 「では、紅陽へ行ってきます」 か / 、もん 三日後に、呉漢は郭門のほとりの集合場所へ行った。すでに韓鴻の顔があった。かれは冠を着 けたふたりをゆびさして、 「あれが紅陽侯の家臣だ。氏名と里名を告げてくるとよい」 と、手続きを教えた。 きゅ・つ
と、ささやいた。顔をあげた呉漢は、 せつ せっせい 「摂皇帝は摂政だが、仮皇帝となると : さらに目をあげた。雲が低くながれている。 「皇帝の一歩手前だ」 「そういうことですか」 りゅう 劉という氏をもっていなくても、皇帝になることができる。これはおどろきではあるが、王莽 こころざし という人には高い志かあったということではないか 「王氏が皇帝になれようか と、みながおもい、王莽を嗤ったときがあったとすれば、王莽の志は本物である。だが、韓鴻 は王莽を嫌悪しているようで、 「簒奪ということばを知っているか」 と、いった。 「さんだっ、ですか : 呉漢には、簒、の意味がわからない 「ふむ、知らないか。要するに、横どりするということだ。王莽は帝位を簒奪しようとしてい 韓鴻は王莽への悪感情をこめていった。呉漢に王莽を憎めと教えたつもりであろう。が、呉漢 る」 さんだっ わら
横ながし ごかん 了 : つよ・つ 一銭もうけとらすに紅陽から帰ってきた呉漢を、兄の呉尉は叱らなかった。 「子顔らしい といって、笑っただけである。母も、 うれ 「家族おもいで、嬉しい」 きとうすす と、むしろ喜んでくれた。そういう兄と母の顔をみると、祗登の勧めに従ってよかったと感じ かんこ・つ るよ、つになった。さらに韓鴻に会、つと、 きたな 「汚い銭をつかまなくて、よかったじゃないか」 と、いわれた。 み、、つい、つ , もの、か 二倍の銭につられると、失う物も二倍となる。その銭をつかまなかったがゆえに、得た物があ る。呉漢はそうおもった。 えん しゅうぜん ぶやく このあと、呉漢は夫役にでた。宛の城壁の修繕である。呉漢に近づいてきた韓鴻は、 お - つも・つ あんしゅう 「安衆侯の叛乱があったせいで、群臣は王莽に同情し、王莽の威権を高めようと、仮皇帝とし し み、ん
なんよう えん いんしん 南陽郡の宛県は、殷賑の県である。 ちょうあんらくよう 長安、洛陽などとならんで、当時の六大都市のひとつである。 ふか めいか 県内には富家、名家が多い。それを裏がえせば、貧者も多い、ということである。 ごかん かんか 呉漢の家も寒家である。小さな田をもってはいるが、その田ひとつで自給自足できるはすはな ちんさく く、次男である呉漢は母と兄弟を扶助するため、成年になっても賃作をおこなっていた。 ある日、郷里の知人である韓鴻が、 しがん 「子顔よ」 と、声をかけてきた。子顔は呉漢のあざなである。 こ - つよ・つ 「紅陽へゆかないか」 そこへゆけば銭を二倍くれる、といって呉漢を誘った。 魅力的な話である。 韓鴻はいかがわしい誘いをする男ではないので、銭を二倍くれる、というのはほんとうであろ 衆、つが、こればかり・は、 安 「どうして、そうなる」 かんこ - っ ふじよ
「寒い、寒い」 いいながら、韓鴻がはいってきた。かれは呉漢の顔をみるや、 「とうとう漢王朝が滅んだ。王莽が皇帝になった。県庁に黄色の旗が樹った」 と、いい、つばを吐いた。かれの強い不央感がまっすぐったわってきたわけではない呉漢は、 ためしに、 さんだっ 「簒奪、というわけですか」 と、いってみた。このことばに鋭く反応して、 「おう、それ、それ、簒奪よ。帝位を盗んだのよ。盗みには、大小があるが、帝位を盗むほどの 悪はない。王莽はもとより、この大悪事に加担した者どもも、ろくな死にかたはすまい」 と、韓鴻は呪、つよ、つにいった。 「はは、悪事はいけない」 呉漢はこの友人の激情をかわすために、あえて笑ってみせたが、腑に落ちぬことが多い 呉漢の兄の呉尉は、どういうわけか、昔あった楚の国の話が好きで、 なんよう しん 「ここ南陽郡は、秦に滅ばされた楚の国の北部だった」 おも などとい、つ。呉漢は十代のころにそ、つい、つ話を、またか、とい、つ顔できいたが、 いま思、んば、 よくぞ話してくれた、と感謝したい。呉漢の歴史観はほとんど兄からの受け売りで、その視界も ずいぶん狭いものではあるが、現代を別の角度から映す鏡にはなった。 せま のろ かんこ - っ お・つよも・つ うつ
韓鴻は王莽が皇帝になったことに貭慨しているが、滅亡した漢王室がもとから南陽郡を所有し ていたのか、と問えば、どう答えるのか。もとは楚王室の所有であった土地を秦が奪い、秦から まち 漢が奪ったのではないか。武力をつかった強奪である。おびただしい人を殺し、多くの邑と家を 破壊した戦争が正義の行為で、多くの人を殺したともおもわれぬ王莽の簒奪がなぜ不正の行為な のであろうか われは理屈家か。 ・こきゅ、つ 韓鴻が去ったあと、自嘲した呉漢は、弟の呉翕をつれて、県庁まえの広場へ行った。なるほ ど庁舎には黄色の旗が樹っていた。昨日まで、その旗の色は赤であった。広場には多くの人々が 集まり、新しい政府を祝っていた。王朝名は、 しん 「新」 であるときかされた。またこの十二月一日が、 しけんこく 「始建国元年正月朔日」 となったことも、年配の人から教えられた。あらたな王朝がこの日からはじまったのである。 「ところで、廃された幼帝は、どうなったのですか」 と、呉漢はものわかりのよさそうな人物を択んで訊いた。 任 それは知らないが、たぶん、どこかに国を与えられるはずだが : 第「さあてね : 亭 庶民が王朝における人事を知るよしもないが、この人の推量ははずれていなかった。帝位に即 じちょ・つ ふんがい えら