りした文章である。 今、新聞が連日、陛下の病状をこと細かに報じている。実は二カ月ほど前に亡 くなった自分の母も陛下と同じ病気だったが、本人には本当の病名は告知せずに隠し ていた。母だけに隠していたことが自分には辛かった。 ところがこのところ、毎日、新聞が陛下の病状を報じている。同じ病気で治療中の 母が新聞を読んだら、自分が陛下と同じ病気だということを知ってしまう。 日本全国にはきっと同じ病気で治療中の人がたくさんいるであろう。陛下の病状を 新聞はここまで詳しく報道する必要があるのだろうか まだ、がん告知が今ほど、普通にはなっていない時代である。 一読、心打たれた。 報道というものについて考えさせる。 この手紙を『週刊文春』に掲載したい。多くの読者に考えてほしい。 しかし相手は高校生である。すぐに学校に連絡を取り、担任と相談したうえで、匿 名でこの投書を全文掲載した。タイトルは「なぜ陛下の病名を告知したのですか」。 反響は大きかった。報道を批判するものが大半であった。
うかっ 識から抜け落ちている自分の迂闊さに呆れた。 「問題は >< デイだけじゃない。デイもあるんだ」 ふいに、煙草で喉の荒れた声が甦った。西暦一九八七年の初秋、政治部デスクが、 昭和天皇報道の幕開けを告げた声であった。天皇、皇后両陛下の最期の日を指すこの ふちょう 符牒に、楠は馴染めなかった。 天皇報道が始まって一週間が過ぎ、天皇家の陵墓のひとつが自宅のすぐ背後にある ことを楠は知った。 夜回り取材から帰り、夜明けの青い空気のなかで自転車を漕いで見に行った。青み せいひっ がかった灰色の木の扉が、飾りもなくただ静謐に閉じられていた。塀は低く、正面か ら横手へ回ると、その塀もなく植え込みだけがあった。一周して門前で自転車を降り たとき、首が小さく左へずり落ちる感覚が起き、戻そうとするとずきりと痛んだ。動 かせなくなった。まだ始まったばかりの天皇報道で、すでに筋肉は背中から首にかけ て、ほぐれるあてなく収縮していた。 御陵の扉も塀も、自分たちのふだんの生活とそう変わらずにある佇まいが、楠には 意外に思えた。扉を指で触ると塗料がばらばらと剥げ落ちた。子供の頃、古い民家の
ホリディさんは、ふふと笑った。 「その通りです。辞めるまえに、こんな話ができれば良かったです 「しかし、辞めるまえに言った人がいたんだよ」 意味が分からない。 「天田原という珍しい名前のテレビ記者だよ。女の人だけどね。どういうわけか、あ る学者の考えた元号案だけは七つの全部を持ってた。俺から裏をとって、今すぐ報道 したいというわけだ。キャップの至上命令です、とか言ってたな」 楠は目を見開いた。「キャップの指示のはずはないですーとほとんど無意識に応え 「そうかい ? どうして」 「元号案を事前報道する勇気は、どこの社にもなかったと思います」 「ああ、そうだね。じゃ、あの女性記者の暴走かね。しかしそれは俺と関係がない。 成俺は、どうしても止めなきゃいけなかったから、元号はもう決まっているんじゃない かな、その七案とはまったく別じゃないかと勝手な、根拠のない、個人的な独り言を、 その一言だけは呟いたんだよ」
楠も黙した。雨あがりの匂いが強くなったのは、夏の一日が昼近くなってきたから だと考えた。ホリディさんが口を開くまで、あくまで待つつもりだ。 「俺は何も言えないけどね、どうしたんだ、今ごろ」 ホリディさんが表情は消したまま言った。 すべ 「あのときのことが凡ての始まりではないかと考えているのです」 「何のことだ」 「昭和から平成に移るとき、ばくらは追究すべきを追究せずに曖昧に、いい加減に昭 あや 和を見送ったのではないでしようか。親が子を殺め子が親を殺めるというようなこと も、ここから始まった気がします ホリディさんは間髪を容れず、「あのときのこととは何だ。陛下の崩御と元号選定 か、それとも天皇報道かーと聞いた。相変わらず、暢気なようで厳しい人であった。 「いずれもと答えたいですが、第一はやはり天皇報道でしよう」と楠は答えた。 「まあ、潔しとしておこう。きみは抵抗したらしいしね」 抵抗。意外な言葉に楠はばかんと間抜けた顔になった。 「自粛に抵抗したんだろう ? 自粛はわが政府とメディアの完璧な合作さ」
に昇格した。羽島は政治部出身であり、政局「勝利 , の論功行賞であることは明らか だ。天皇報道が終われば、政治部長の本郷峻も昇任するだろうと噂されている。 本郷部長は記者のクラブ配置を一新したが、官邸の吉野キャップと楠記者は動かさ がのぶお なかった。もう一人、衆院と参院の事務当局に食い込んでいるべテランの久我信夫記 者も留任させた。天皇陛下の崩御があったとき国会にも連絡が来る。元寇デスクは本 社九階に住み、久我記者は「オペラ座の怪人」のように国会議事堂のいずこかに住ん でいるという噂が政治部員の酒の肴になっていた。 いずれも「天皇シフト」であると羽島へンタンは公言した。羽島は、社長から「天 皇報道の総括責任者ーを命じられている。 西暦一九八八年、昭和六十三年の元旦を楠は赤錆の官舎で迎えた。 大晦日の夕刻六時すぎに玄関先に立ち「ことしは九月二十八日から、ほんとうに毎 日のようにお訪ねして、ご迷惑をおかけしました」と頭を深く下げた。そのまま辞去 するつもりだった。 赤錆はポロシャツの長袖をまくり、額に汗を浮かべていた。「ええ、ええ」と言っ た。楠は、それを合図のように思って後ろに下がった。もう一度頭を下げ、体を回し
126 「地獄。天皇報道は地獄って言った 「いや違う、いやそうだよ 「どうして地獄なの」 「これから地獄になるんだよ、きっと。まだ天皇陛下は一般参賀に出られたりしてい るけど、それができなくなった時はばくらの地獄かもね。 「日本のメディアの人はみんな、ふだんは天ちゃんって言ったり、とにかく敬語は使 わなし : けれど、原稿では敬語ね。楠さんはふだんから敬語を使う」 「ふだんも原稿も天皇陛下ご自身が望まれる範囲ぐらいで最小限、同じように使いた いんだ、ばくは」 天田原は黙っている。 「奈良出張、キャップに話してみるか」 「うん、そうする」 「奈良は一回では当然、済まないけど、一回目でとにかく先生の協力を取りつけて、 東京でも元号取材に時間を割いてもいいようにはしてくるんだよ。そしたらフランス 料理の圧力も、きみがそう無理なく断れる程度に弱くなると思う、きっと」
ったですね。陛下の崩御の前日だったんですよ」 言葉が出ない。赤犬の右目の目尻に、泣きばくろがあったことを思い出した。 「もうすこしだけ生きたら、また、好きなお見送りがやれたのにね。いずれにしても、 母の二の舞ですー そう言って、赤錆はいくらか背中を向けるように手酌で盃を満たした。 この鮨屋の名前と日付だけを一行に記して、楠陽の「天皇報道メモーの最後の一冊 は終わっていた。 メモをすべて読み終えた夜明けに、二十六階の部屋の窓際に立っと、夜半から激し く降っていた夏の雨が小降りになっている。東京湾に光の気配が見えた。 思い立って始発の地下鉄に乗り、永田町駅で降りた。地上に出ると雨はあがってい る。新しい総理官邸の工事を見たい。 官邸裏の高い斜面を潰して、新しい官邸は骨格を現していた。長方形の巨大な倉の
「佐久記者がね、社を辞めたいと言ってるんだよ、 天皇報道が終わったあとに辞表を提出したいと政治部長に申し出たという。 「あんた、ちょっと何とか時間を見て、本人に聞いてみてよ。わが社に移ってきて、 すぐ辞めたくなったっていうんじゃあなあ」 承諾して官邸に戻った。佐久が張り番をしている官邸本館の廊下へ歩いていくと、 ちょうど本人が歩いてくる。そして楠が一言うまえに「楠さん、ちょっと聞いてほしい ことがあるんです」と言った。 天田原を思い出して封じ込めている記憶が動いた。それは抑えて「じゃ喫煙室へ行 こうか」と言った。話を静かに聞ける場所は、そこしかない。 喫煙室は幸いに一ⅱもいなかった。佐久は楠の顔をあまり見ずに、社を辞めると言っ 佐久がその理由を話すまでにそう時間はかからなかった。「羽島さんに、食事に誘 われたんですー 「食事って、二人きりじゃないだろ」 「他に人はいました。でも同じことでした」
で天田原に話していなかった。 奈良の学者は、電話で接触を図ると激越な口調で拒絶した。ほば委嘱は間違いない と確信した。だが壁は厚い。 天田原が名を名乗って交渉すれば、学者は会うのではな いかと思った。優衣のほかに天田原という名の人を見たことがない。学者は、天田原 優衣の家系の話を聞きたいに違いなかった。 「それをキャップに話して、私は元号案を取れるかも知れないと言ってみたら、彼は 多分フランス料理どころじゃなくなると思うよ」 「でも、 しいの ? 」 「いいよ。その代わり奈良の先生がどんな話をしたか、きみのモラルが許す範囲で教 えてほしい 「あ、そうか」。天田原は、楽しそうに笑った。「なんだ。ギブアンドティクじゃな 成赤犬の頭を撫でていた天田原の微笑を思い浮力へオし ゝ、こ。ゝま、あの笑顔がもっと晴れ やかなんだろうなと思った。 「そうだよ。地獄の沙汰もカネ次第じゃなくて情報次第だよ、天皇報道は」
そのためにわざわざ伝説の大記者は、こんな時間に出社したのかと楠は思った。社 にとって、天皇陛下の発病を抜かれたことがどんな事態であるか理解できた。 われわれは政治権力の監視人でしよう。天皇は政治権力じゃない。社会部の仕事で はありませんか ? この言葉は頭に一応、よぎらせただけであった。分かりました、そう言うほかはな いと思った。 「元寇さん、一つだけ聞いていいですか」 「ああ、もうどうぞ、どうぞ。一つと言わず、いくつでも」 「天皇陛下も、われわれと同じくいっかは来るべき時を迎えられます。その自然なこ とが、それほどまでに大ニュースなんですか」 やがて来る「 >< ディ」と称するものが、日本のすべての報道機関にとって長いあい だ、どれほど大きな隠れた課題になっているかは知っている。それだから余計に、 の素人じみた質問だけは聞いておきたい。 元寇は「ああ、分かるよ」と表情を変えずに、答えた。「しかし、あの天皇だから ね。第二次世界大戦、戦後日本の復興いずれを考えても、この国だけじゃなく世界に