162 その日、原稿を書いている楠の背後から吉野キャップが「この人が、こっちに加わ ることになったよ」と言った。 振り返ると佐久木綿子が立っていた。佐久はあっさりと「こんにちは」と言った。 事情が飲み込めない。 吉野は「元寇さんがこう考えているんだよね」と言って、元寇が右肩上がりの字で 書いたメモを渡した。「あなたと赤錆との人間関係はもう充分に築かれている。それ は吐血報道で証明された。ディの瞬間も赤錆はきっと協力してくれるだろう。赤錆 のウォッチは、この女性記者にある程度まで任せてほしい。あなたはもっと元号に注 力してほしい 楠の通信社は、もうひとつの通信社から佐久を引き抜いたのだ。両社の規模の違い から、こうした引き抜きは時折ある。しかし、ふつうは佐久の通信社の記者が地方に いる時期を狙う。東京本社から引き抜くのは異例だった。 この佐久の頑張りには思った以上に助けられた。楠は鼻血が止まらないでいたが 佐久が早朝に赤錆の顔色や出勤時刻をチェックし、昼間も官邸で赤錆と部下の動きを じっと見ているから、かなり動きやすくなった。
79 平成紀 を夜回りし、深夜に、赤錆の官舎を訪れていた。 新しい総理はいったい誰なのか、報道は分裂し始めた。 楠の通信社は「中曽根総理の意中は、竹下候補か」という記事を新聞社と放送局に 配信した。推測にとどめた記事であったが、総理が自由裁量を握っているなかでは冒 険だ。他社の記者は「会談時間が倍だからといって、そんな記事を出していいの」と 皮肉った。 十月十九日の朝、他社から一斉に安倍元外相を最有力と見なす記事が、奔流のよう に流れ始めた。中曽根総理と親しい東北の実業家が「白紙一任してくれればあんたを 指名すると中曽根総理は言っている」と安倍さんに伝えた。安堵した安倍さんが記者 団に「白紙一任するよ」と漏らした。それだけが、この洪水の水源である。常石の通 信社は狂い水の先頭を突っ走って「新総理は安倍」とほば決め打ちする記事を流し、 それを信じて号外を発行する新聞社まで現れた。 楠の通信社には「なぜ安倍晋太郎で打たないか」と怒気を発する問い合わせが新聞 社、放送局から殺到した。政局担当デスクは頑として記事を変えなかった。 「竹下に決まる」という原稿もついに出せなかったが、「竹下元蔵相が依然、有力ー
一九八七年、昭和六十二年、皇紀一一六四七年の八月二十九日土曜日である。 「夏の軽井沢でネクタイ締めて、黒い短靴だ、俺たち」 つねいしいさお 別の通信社の政治部に属する常石功記者に、小声でそう言った。 常石は、左手のポ 1 ルペンの尻をぐるぐる回して「そうっすよ」と囁いた。大学受 験の夏期講習を聴く高校生のようだ。「これってつまり、霞が関を水着で歩くような もんだよな」と楠が言葉を重ねると、へへへっと笑った。今度は、江戸時代の瓦版記 者のようだ。 楠は「番 , に入っていた。新米の政治記者は交代で総理番となり、内閣総理大臣に 日がな一日張り付く。別荘で静養する総理について軽井沢に来ると言えば聞こえはい いか、別荘の小さな石造りの門のまえに立ち尽くすのだ。雨のときは、水はけの良く 総理が急に動くときに備えてタクシーを ない土に靴が深く沈み、靴下が湿っていく。 , 。 チャ 1 ターし、白樺の木の陰に待たせてある。たまにそれに乗って腰を休めるのだが、 別荘からわずかに漏れてくる音楽や声らしきものも聞こえなくなるのが不安で、すぐ に降りてしまう。 総理の私的な時間は、通信社二社の記者だけが追う。総理とマスメディアの利害が
150 「陛下は吐血。大きな洗面器まるまる一杯」 楠は間髪を容れずに聞いた。「赤十字は、輸血 ? 」 「そう、いま治療の最中」 そして赤錆はさっと、応接間に去った。 勝手口から裸足で外に転がり出た。台所の電話を借りるのでは声を聞かれる心配が ある。朝刊締め切り時刻を過ぎようとしている。九階でじりじりと待つだけの元寇デ スクと、抑えても、怒鳴り合いの声になるのは目に見えていた。ハイヤーに飛び込む と自動車電話で別室にかけた。運転手の背中と首が真っ直ぐに強張っている。 酸素に飢えて苦しむ魚のような元寇に「時間がこれですからこのままカンジンチョ ウで原稿を送ります」とぶつけた。勧進帳とはマスメディアの符牒だ。弁慶が義経を 救うために、存在しない勧進帳を読みあげる歌舞伎の名場面になぞらえて、書いた原 稿のないまま電話で完成品の記事を吹き込むことを言う。 通信社は午前一一時九分、全国の新聞社と放送局、世界の報道機関へ向けて「天皇陛 下が初めて大量吐血、緊急輸血中ーというニュース速報を打った。 通信社の加盟紙のうち福岡の西日本新聞と名古屋の中日新聞、このプロック紙二紙
を新元号発表の前に「抜く」こと。第四に、内閣が用意しつつあるマニュアルの全容 を入手することであった。 元寇デスクがマニュアルを欲しているのは、楠が赤錆に話した理由からではない。 元寇は九階別室で鉛筆を舐め舐め「 >< ディ予定稿ーを毎日、書いては積み上げ、積み 上げては破って捨てている。崩御をめぐる政府の動きを事前に予測して原稿をつくり 置きし、それを事前に通信社に加盟する新聞や放送局に送り、「ニュ 1 スの問屋ーと 自らを呼ぶ通信社として良い仕事をしていると言われたい。それが本音であった。 元寇は「ほんと、済まないね」、「お手間をかけるけどさ」を連発しながら一点の妥 協もなく、楠に四つの無理難題の完遂を毎日欠かさず求め続けた。楠は九階別室に入 るたび、ただただ呆れて元寇の腫れた歯茎を見ていた。「そんなもん、政府に聞いて くれ」という馬鹿な一言が頭に浮かぶこともあった。政府にこっそり聞かなければい けないのは、楠だった。 紀元寇は、楠に天皇班入りを命じた翌日、「あんたにばっかり負担をかけたくないん 平 だけどさ」と言いながら大きな三枚の紙を手渡した。右肩がひどく上がった文字で 「四つのこと」の細部が、びっしりと書き込まれていた。
間から政府はたった今、法律にない具体的な手続きを補うためにマニュアルを作ってい るはずです , つまり泥縄である。憲法の充実、改正から法律の整備までをなぜ怠ってきたのか。 政府がその問いかけを主権者に投げかけなかったのは保身と逃避ではないかと楠は考 えていた。それは言わなかった。赤錆の不興を買わずに、こちらの志を分かってもら いたいと必死であった。 「私は何も言えませんね」 「はい。しかし国民の意見を聴く耳はお持ちだと思います。取材でなくて結構です。 わたしがひとりの国民として考えていることを聞いてください 半分は嘘だと、冷やりとする思いで赤錆の反応を待った。 元寇デスクから要求された取材は、大きく分けて四つある。 第一に、天皇陛下のご容態を正確に掴み、発表では隠される部分を全て通信社が知 っているようにすること。第二に、天皇崩御の瞬間を発表の前に、しかもどの社より も早く世界へ打電、速報すること。第三に、昭和に代わる元号は何か、考案者は誰か
203 解説 ■「熱誠」の人 青山さんの講演を一度だけ聞いたことがある。場所は早稲田大学大隈記念講堂。テ ーマは「葉隠 . 。早稲田大学に思い入れがあり、『葉隠』を愛読しているばくにとって、 これ以上望めないシチュエ 1 ションであった。 時間前に行ったのに超満員。青山さんは舞台狭しと歩き回りながら話をしている。 そのうち舞台から降り、通路を歩き回って、聴衆にマイクを向け、意見を聞き、また 話を続ける。 感情が高まり涙ぐむ青山さん。涙声になる。 聞いている聴衆も思わずもらい泣きしてしまう。隣に座っていた若い女性がハンカ 「分かんないよ、そんなもん」〉 しかし官房長官室に入り際、秘書官は小声でこう言うのである。 「俺だってトイレに行くよ」 要は後でトイレに来いという暗示で、トイレで確認した楠陽は社に連絡、通信社は 「天皇陛下は重体ーのニュ 1 ス速報を打つのである。
るとき、家族の明るいざわめきが微かに聞こえた。四時間近くを歩き、足を引きずり 護国寺の自宅へ戻った。 通信社のプ 1 スの電話が鳴り、受話器を取ると「ああ、良かった。あなたが出て」 と天田原の声が聞こえた。 一月四日午後である。天皇陛下は新年を祝う一般参賀のために、皇居の長和殿の硝 子張りべランダに三度まで立たれた。しかし容態にいつ、どんな変化があってもおか しくはない。儀式だけの例年の仕事始めと違い、官邸記者クラブは人で溢れていた。 「どうした」 答えながら何気なく窓に目をやって、官邸前庭にある郵便ポストの脇の公衆電話に 成天田原が取りついていることに気づいた。薄い黄色のジャケットと茶のスカ 1 トの後 ろ姿が見える。 「ちょっと聞いてほしいことがあるの」 ちょうわでん
一致したおかげで通信社が得た、一種の特権だ。その代わり官邸記者クラブにいる全 社に総理の動静を連絡する。 ホテルでは政権党が党員向けに夏期セミナーを開いていた。壇上に「講師として 中曽根康弘総理がいる。 国民の高い支持を誇ったまま秋に五年の任期を全うするから、後継指名に繋がるこ とを匂わすかどうか、セミナー出席者にも、大量の記者団にもそれなりの緊張感があ 長身の総理は、喉仏を高く低く動かしながら会場の期待を明らかに承知して楽しみ、 国家の行方をゆっくりと説いていく。 内閣総理大臣も軽井沢ではノーネクタイのジャ ケット姿である。まさしくネクタイを首から剥ぎ取ったというだけで寛ぎはなく、違 和感だけがある。 「健全なる民族意識を育て、国家としてのまとまりを目指さねばならないのでありま 成 平 だから次の総理に誰がいいとは、決して言いそうにないな。 楠はそう感じてメモを取るのを中断し、ポ 1 ルペンを指の間でぶらぶらさせ、やが
27 平成紀 だで膨らんだ。 「昭和天皇ーと書いた段ボール箱を十一年ぶりに開いてみようかと考えながら歩く。 楠に、古いメモを読む習慣も趣味もない。あの箱を開くことがあるとは思ってもみな かった。読むのに何日かかるだろう。そう考えて、通信社から投資会社に転身してか ら二年あまり、週末も含めてほとんど休んでいないことに思い当たった。 御陵の門が見えてきた。ああ確かに、開かれている。風が汗に触り、白い半袖シャ ツの首もとから涼やかに走り抜ける。 あの頃、開かれていたものはなかった。何一つなかった。 もう一度、携帯電話を取り出し、本部長ではなく総務主任に二週間の休暇を申請し た。抵抗は承知の上だ。「昭和天皇ーの段ボール箱は、一日では開ける意味がないと 考え始めていた。 楠陽記者は、細長のメモ帳を開き、軽井沢のホテル宴会場で突っ立っていた。西暦