グラマン - みる会図書館


検索対象: 戦争と平和
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1. 戦争と平和

実はゼロ戦には大きな欠点がいくつかありました。その一つが防御力です。特に初期 のものは、防御力が殆ど皆無といってもいいレベルでした。一発撃たれてしまえば、直 ちに火を噴いてしまう 。パイロットの座る操縦席を守るべき、背中の板もスカスカでし た。軽量化のためです。そのため後ろからどんな小さな弾でも撃たれて当たれば、パ ロットの体を貫通してしまう。もちろん一発で絶命します。 一方でグラマン 4 は、 セロ戦には速度も旋回能力も上昇力も劣りますが、とにか く頑丈さだけは負けないものがありました。機体が頑丈な鉄でガッチリと覆われている ことから、「グラマン鉄工所」というあだ名がつけられていたほどです。さすがにゼロ 戦の二〇ミリ機関砲を受ければ、グラマンといえどひとたまりもありませんが、 ン マ七・七ミリ機銃なら、かなり撃たれても耐えることができました ( 初期のゼロ戦は二〇 セロ戦の二〇ミリ機 グミリ機関砲と七・七ミリ機銃の二つを装備していました ) 。ただ、。 戦関砲は六〇発しかなく、しかも射程が短いので、ゼロ戦のパイロットたちは米軍の戦闘 機と戦うときは七・七ミリ機銃を使うことが多かったのです。頑丈なグラマンの 一中でも、特にパイロットを守る背中の鉄板の頑丈さは相当なものでした。ゼロ戦の七・ 七ミリ機銃を何十発撃ち込まれても貫通せす、パイロットの命を守ったそうです。

2. 戦争と平和

ゼロ戦と戦って、穴だらけにされてガダルカナル飛行場に戻ってきたグラマン 4 の写真が残っています。まさに蜂の巣状態です。これを「グラマンがこてんばん にやられた証」と見るべきでしようか。いやむしろ、ここまで穴だらけにされても戻っ てきている点に注目すべきでしよう どれほど機銃弾を撃ち込まれても、飛行能力を維持し、パイロットを守り抜く、グラ マンの頑丈さには目を瞠るものがあります。グラマンに限らず、米軍機は 総じて防御力を重視した作りになっていました。この点については、後でまた触れます。 ゼロ戦と日本刀 そもそも日本海軍の方は、あれだけ速度や旋回能力には厳しい要求をしていたのに、 防御力、防弾能力については特に何も設計者には言っていなかったようです。それゆえ に防御力は非常に低かったのですが、前述したように、ゼロ戦の攻撃力は凄まじいもの がありました。二〇ミリ機関砲は一発当たれば、そこで破裂するのでどんな大きなアメ リカの爆撃機でも撃墜できるほどの攻撃力がありました。当時の大型爆撃機片ですら 撃墜することが可能だったのです。

3. 戦争と平和

第一章ゼロ戦とグラマン

4. 戦争と平和

本軍のほうが、熟練搭乗員の命に対して無神経だったのはご説明した通りです。 救命ポートに釣竿も完備 日本軍の場合、遠方に出撃する搭乗員は落下傘すら持たずに出撃していました。自軍 近くでの迎撃戦では落下傘を搭載していましたが、それ以外の時は、戻ってこられない ならば死を選べということだったのです。だから攻撃を受けて、自軍の基地に戻れない となると簡単に自爆していました。捕虜になるくらいなら死んだ方がマシだ、と考えた わけです。 アメリカ軍は、普通のレベルのパイロットですらとことん大事にしました。。 セロ戦よ りもグラマンの方が防御能力が高かったことはすでに説明しましたが、アメリカ軍では 飛行機が撃墜された時の対策もきちんと考えられていました。 ハラシュ 1 トを積むのは当然でしたし、グラマン 4 には水上に不時着したことも 考えて救命用のゴムボートや救急セット、海水を真水に変える装置まで積んでいました。 さらに笑い話のようですが、釣竿まで用意してありました。いざとなったら魚を釣って 生き延びろ、ということです。救命ポートの中には無線も積んでいるので、救助を求め

5. 戦争と平和

ちんとうびよう した。その結果、沈頭鋲を使うという結論に至ります。つまり頭の分だけ鉄板の穴を深 くして、鋲が飛び出ないようにした。こうすれば、鉄板の表面はツルツルになります。 作業は膨大に増えますが、それでも機能の向上を優先したのです。 さらにゼロ戦は機体の軽量化も徹底しました。飛行機の中には骨組みとなる鉄があり ます。ゼロ戦はそれらの鉄骨のほとんどに穴が開けられているのです。鉄骨に穴が開い ていると、その分だけ重さが減るからです。この穴も一〇や二〇ではありません。一機 に何百個と開いているのです。その作業もまた膨大です。 こうした工夫を各所に施していましたから、製作にかかる工程時間においてゼロ戦は グラマンよりもはるかに多くの時間を取られたはすです。細かいデータは残っていませ んが、工程数から見ると、おそらくゼロ戦一機を作る手間と時間で、グラマンなら二機 以上は作れたのではないかと思われます。 そして、繰り返しになりますが、腕のいい職人が揃っていることか前提になります。 このことは重要なことなので、覚えておいてください 高すぎる要求水準

6. 戦争と平和

ほほ同じ頃に、艦上戦闘機 ( 空母に搭載する戦闘機 ) として開発された両機は、しか し設計思想がまったく異なる飛行機でした。そこには戦争に対する考え方以外に、二つ の国の国民性の違いも如実に表れていると、私は見ています。以下、この二つを比べな がら考えてみましよ、つ。 根本から異なる設計思想 前述したようにゼロ戦とグラマンは、いずれも艦上戦闘機です。ゼロ戦の実戦 配備は昭和一五 ( 一九四〇 ) 年七月です。グラマン 4 の実戦配備は同年の一二月で す。ちなみに大東亜戦争が始まったのは昭和一六 ( 一九四一 ) 年一二月です。当然、両 者は真っ向からぶつカります。 ところが、同じ艦上戦闘機なのに、両機のフォルムはまったく似ていません。 ゼロ戦の見た目は非常に美しい。その美しさはどこから来ているのか。これはアール ( 曲線、カープ ) が多いからです。なぜそんなにカープが多いのかといえば、最大の理 由は空気抵抗を少なくできるからです。これは現在でも、スピ 1 ドを必要とする乗り物 に求められる特徴です。

7. 戦争と平和

たからです。高額な飛行機を簡単に落とされては困る。若い未熟な搭乗員に任せるとそ のリスクが高くなる、とい、つ計算があったのです。 その結果、熟練搭乗員は酷使されます。当時の戦闘記録を見ると、一週間に五回とか 六回出撃したという例まで見られます。常識的に考えて、いくらなんでも無理です。 普通七時間近くも飛行したら、次の日は体なんか動きません。それなのに、「明日も 行け」と命令が出る。さらに翌日も。こんなことが続けば、熟練搭乗員の能力も低下す ることは避けられません。また彼らはガダルカナル上空での空戦にも大きなハンデを背 負っていました。前述した数分という空戦時間もその一つですが、帰路の燃料をたつぶ りと積んでいるだけに、重い機体での戦いとなるからです。 マ一方、迎え撃っ側のグラマン 4 は身軽です。ホームタウンでの戦いですから、燃 いざとなったら落下傘 グ料は少なくていいのです。その分、目いつばい戦える。しかも、 戦 ( パラシュート ) で基地近くに降下できます。 ロ ゼ これほどのハンデを背負ってもゼロ戦はグラマン 4 と互角以上に戦いました。い 一かに熟練搭乗員が操るゼロ戦が強かったかがわかります。 第 しかし、どれだけ世界最高峰の飛行機と搭乗員を持っていても、これだけ不利な状況

8. 戦争と平和

かっては制海権を取った者が世界を支配しました。スペインしかり大英帝国しかりで す。その武器は強大な砲艦 ( 戦艦 ) でした。江戸幕府がたった四隻の黒船にうろたえた ことは象徴的な出来事です。しかし二〇世紀半ば、戦艦は飛行機に主役を譲りました。 いかに強大な戦艦と言えど、航空攻撃には耐えられなかったのです。つまり、「制空権 を得たものが制海権を得る」という時代になっていました。その制空権を握るための一 番の武器が戦闘機だったのです。 大東亜戦争が始まった時、日米の海軍の主力戦闘機がゼロ戦とグラマンでした。 ゼロ戦は戦闘機の歴史に残る傑作機です。戦争中の日本軍で最も多く作られた飛行機 です。その意味で大東亜戦争を象徴する兵器と言ってもいいでしよう。現在の航空史家 ン マの間でも評価の高い飛行機ですが、一方で日本的な長所と短所が全て詰まっている戦闘 グ機でした。リ 男の言い方をすれば、ゼロ戦は「実に日本人らしい戦闘機」であり、まさし く日本人でなければ作り得なかった戦闘機なのです。 ロ グラマンは初期のアメリカ海軍の主力戦闘機です。大東亜戦争開戦から一年以 一上にわたって、ゼロ戦と戦った、まさにゼロ戦のライバルと言える戦闘機です。非常に 頑丈な機体で、随所にアメリカの戦闘機ならではの特徴があります

9. 戦争と平和

たのでしよう。 製作現場で職人技を必要とする設計となれば、結果として製作時間が長くなってしま う。つまり、同じ時間あたりで比較した場合に、カープ中心のものと、直線中心のもの では、後者のほうが大量に製作できるというわけです。また熟練工がいなくても作るこ とができるーーー極端に言えば、近所のおじさんやおばさんを連れてきても工程を進めら れるのです。 アメリカ軍はグラマンの設計士たちに、「多少の性能は犠牲にしても、大量生産が可 能なもの」という条件を突き付けたような気がしてなりません。 職人技を求める日本 一方、日本軍 ( 海軍 ) はそんなところには、まったく考慮を払っていなかったように 思います。ゼロ戦を見ていると、とにかく、何よりも優れた戦闘機を作るーーただそれ だけを求めていたとしか思えないからです。 私はここに日本的なモノづくりの精神を見るような気がします。たとえ兵器であって も、作るからには最高のものを作りたい。そのためにはどんな手間もしまないという

10. 戦争と平和

極限状況下に短所は現れる 私は、常々、次のように考えてきました。 「戦争という極限状況下においては、その民族あるいは国家の持っ長所と短所が最も極 と。 端な形で現れるー どの民族あるいは国家にも、長所と短所があります。ある国はすべて優れていて、あ る国は何もかも駄目とか、そんなことはありません。日本も同じです。いいところもあ れば、悪いところもあります。そうした長所、短所は普段、平和な時、日常生活におい てはそれほど目立つものではありません。しかし、戦争のような極限状況においては、 それが露骨に顔を出すー、ー・私はそう考えています。本章では主に兵器や戦術の比較をし ながら、日本あるいは日本人の持っ特性を見ていきたいと思います。 まずは、ゼロ戦 ( 正式には零式艦上戦闘機 ) とグラマン「ワイルドキャット」 という日米を代表する戦闘機を比較するところから始めてみましよう。 この二つの戦闘機を俎上に載せたのは、大東亜戦争はつまるところ「制空権」 ( 今で 一一一一口う航空優勢 ) をめぐる戦いだったからです。 2