永世中立国スイス 現在、日本国憲法の第九条には、「戦争を放棄する」と書かれています。護憲派と呼 ばれる人たちは、この九条によって、日本の平和は守られていると考えています。この 思考回路は意味不明です。 ある国が「戦争をしない」と宣一言すれば、他の諸国はその国に対して、戦争を仕掛け ないのでしようか。もし、そんなことで戦争が防げるなら、これほど楽なことはありま せん。論理的にも帰納法的にも、完全に破綻した考え方です。 ところが歴史的に見ると、非武装中立を宣言した国がありました。それはルクセンプ ルクです。フランス、ドイツ、ベルギーの三国に挟まれたところに位置するルクセンプ ルクは一八 , ハ七年にスイスに続いて「永世中立国」を宣言しました。ただスイスと異な るのは、軍隊を持たなかったことです。 しかしルクセンプルクは第一次世界大戦でドイツに国土を蹂躙されました。中立宣一一一一口 は何の役にも立たなかったのです。戦争後、祖国を取り返しましたが、「永世中立国」 の看板は外しませんでした。ところが第二次世界大戦で、またもやドイツに国土を蹂躙 764
あり、軍需大臣として強大な権限を持っことになります。彼は徴兵に関する権限も持っ ていました。たとえば、国内で必要な人材は徴兵しない、という合理的な判断を行なっ たために、結果としてドイツの生産力は維持できたのです。 日本では妙な平等主義や公平主義が貫かれたために、熟練の職人や工場労働者にも召 集令状が出され、徴兵されていきました。たとえば、ゼロ戦を作る工場から一流の職工 が徴兵されれば、その痛手は計り知れません。彼の代わりになる者はいないのです。 職人を兵隊に取られた軍需工場などは、女学生や中学生などを徴用し、工場で働かせ ました。しかし彼らに職人の代わりはできません。そのため昭和一八年頃からゼロ戦の 生産性が落ちました。また、出来上がった機体にも不具合が生じることが増えました。 ひどいときは部品を逆につけてしまうというミスもあったほどです。 ここにはドイツと日本との戦争観の違いも見てとれます。つまり、ドイツにはアメリ カ同様に、戦争とは国の総合力を戦わせるものであるという考えがあったということで す。単に戦場で戦うのではなく、ものづくりもまた戦争の一部だとわかっていたのです。 この視点が日本には希薄でした。 なぜこのように短絡的な考え方に陥ってしまったのでしようか。日露戦争の悪影響に
戦争とは長引くものである ただ国内の生産性が上がらなかった理由は、それだけではありません。日本には、ゼ ロ戦を牛で運ぶという非合理的なシステムを取り続けることを代表とする様々な構造が ありました。その一つが「召集令状」が平等に出されたことです。 召集令状とは別名「赤紙」と言われるもので、民間人を兵隊に徴兵する命令書です。 日本の場合は、お役所仕事で、すべての男子に対して基本的にランダムかっ平等に配ら れました。昭和一八 ( 一九四三 ) 年までは、当時はエリ 1 トであった大学生を除いて、 金持ちも貧乏人も、サラリ ーマンも商売人も平等に扱われました。一見、素晴らしく公 平なシステムに見えますが、実は大きな目で戦争を見た場合は大いに疑問です。という ン マのは、戦争は戦場だけのものではないからです。 グ この点をよく理解していたのが、同じ敗戦国のドイツです。昭和一八年頃には、すで と 戦にドイツは敗色濃厚になっていたのですが、凄いのは、その頃からむしろ軍需生産力が ゼ 上がっていることです。これは軍需大臣をつとめたアルベルト・シュペーアの手腕が大 一きかったと言われています。 シュペーアは、もともとは民間の建築家でしたが、ヒトラーの信望が厚かったことも
でしようが、一番大きな理由はただ一つ た」とい、つことです。 日本国憲法を作ったのは 01 a 読者の皆さんには周知の事実でしようが、「憲法九条」はが作ったものです。 日本を占領統治したマッカーサーは、日本政府に新憲法を作れと命令します。政府は 新憲法の草案を作成しますが、それはマッカーサ 1 の気に入るものではありませんでし た。そこで彼はの民政局のメンバ。 ーこ、「日本国憲法の草案」の作成を命じます。 驚いたことに、彼らに与えられた時間は一週間でした。一国の憲法の草案を、わずか二 五人に一週間で作れと命じたのです。 告 この二五人の中には、弁護士が四人いましたが、残りのメンノ ヾーは法律のことなど何 蹶も知りません。中には一三歳の女性タイピストもいました。また弁護士も憲法の専門家 護 ではありません。 = 一彼らは都内の図書館を回って、ドイツのワイマール憲法やアメリカの独立宣一言文やソ 連のスターリン憲法などから適当に条文を抜き出して、草案を作りました。言うなれば 「彼らは自国を守る力を持っていなかっ ノ 89
ることもできます。実際にアメリカ軍の場合は、たった一人のパイロットを救うために 潜水艦が出動することも珍しくなかったのです。 さきほどゼロ戦の無茶苦茶なプラック職場ぶりをご紹介しましたが、もちろんそのよ うなこともアメリカでは考えられません。戦闘機や爆撃機の搭乗員は、一回出撃すれば 何日間かは休みが与えられますし、何ヶ月か最前線の勤務を続けると、後方勤務に回さ れることになっていました。これならば、ヾ ノイロットの疲労も少ないので、集中力も能 力も十分に発揮できますし、「あと〇日で後方勤務だ」とわかっていれば、何としても 生き延びようと気合も入るというものでしよう。 ここは日本との大きな違いです。日本軍の場合、毎日のように使われ、しかもそれが ン マ こんな状態では いっ終わるともわからない。極限の緊張が連日続き、先が見えない グ集中力も落ちますし、心の底に一種の厭世観を抱いてしまうのではないでしようか。っ 戦 まり「どうせ、いっか死ぬーという気持ちになり、やがては死を前提にして戦うという ロ ゼ ことになります。日本軍に限らず、ドイツ軍も似たようなところがあったそ、つです。 章 第
私がメディアからどれほど攻撃され、非難されてきたか、あるいは発言を捻じ曲げら れて報道されてきたかは、拙著『大放言』の第四章に詳しく書いてありますから、ご興 味がある方はそれを読んでください かってドイツ文学者の竹山道雄氏は『ビルマの竪琴』という素晴らしい反戦小説の名 作を書き、左翼陣営からも高く評価され、持ち上げられました。ところが昭和四三 ( 一 九六八 ) 年、竹山氏は、米原子力空母エンタープライズの佐世保入港を容認するような 発言をし、これが朝日新聞の逆鱗に触れました。当時、日本の言論界を支配していた朝 日は大バッシングし、他のメディアも同調し、以後、竹山氏は表舞台からほば抹殺され ました。 インターネットなどもない当時、大新聞からの攻撃を受けた個人はほとんど反撃する すべがありませんでした。反論や主張を述べる場がほとんどなかったからです。一部の 雑誌などで反論できたとしても、それに賛同する声は封じ込められました。数百万部を 超える大新聞の波状攻撃に敵うはずがありません。また一部の言葉を切り取られて報道 されても、それを訂正する場と機会も与えられないことが多々ありました。メディアが 「第四の権力ーとして絶大な猛威を振るった時代です。
ドルなんてそんなにバラエティに富んでいる必要があるのでしようか。そもそもハンド ルのようなものは、人間工学的に適正な形や大きさは限られているはずで、車種で細か く変える必要はないように思えます。せいぜい大、中、小とか三種類くらいあれば十分 ではないでしよ、つか ドイツの自動車メーカ 1 は日本のように多くの種類を生産していません。もちろん、 用途や予算に合わせて様々なタイプのものを揃えてはいますが、それでも日本に比べた らシンプルなラインナップになっています。フォルクスワーゲンといえば、誰もがあの カプトムシの形の車体を思い出す、というのはつまり、それだけ代表的な車種に絞って 販売してきたということです。スウェーデンのポルボでも同様です。 こうした事例はいくらでも挙げられます。パソコンにしても、日本では各メ 1 カーが とにかくいろいろなモデルを開発して販売しています。プリンターや各種の付属品もそ うです。細やかといえば細やかですが、その分コストはかさみます。それに本当にユー サーかそういうことを求めていたかどうかは疑問でしよう。パ ソコンで一番大事なもの は Oco ですが、これはアメリカが常に独占し続けています。 ある程度以上の年齢の方ならば、ビデオデッキの co とべータの争いもご記憶でし
しかし地政学的に重要な国土を持ち、また資源や産業を持つ国家はそういうわけには いきません。ルクセンプルクのような小国がなぜ二度もドイツに蹂躙されたのかという のは、そこがまさしくフランスへ進撃する通り道に使うのに都合がよかったからです ( 地政学的に重要なエリア ) 。 私はさきほど、ヨーロッパ約五〇ヶ国は六ヶ国を除いてすべて軍隊を持っていると書 きました。そう、すべての国が持っているのです。「ヴィ 1 ンやザルップルクがある音 楽の国」オーストリア、「牧畜の国」デンマーク、「チュ ーリップと風車の国ーオランダ、 「闘牛の国ースペイン、「世界一の福祉国家」と言われるスウェ 1 デン、「ノ 1 ベル平和 賞」を授与するノルウェーなども、すべて軍隊を持って自国を守っています。 ヨーロッパは二〇世紀に起こった二度の大戦争によって、スイスを除くすべての国が 皮らはその反省から、「軍隊を保持しない ーとか「戦争を放棄 戦火に見舞われました。彳 己六ヶ国を除いてすべての国が、自国を しよう」という考えには至りませんでした。前言 / 守るしつかりとした軍隊を持っています。 それどころか、スイスと同様、徴兵を行なっている国さえ珍しくないのです。二〇一
加えて、それ以前の歴史に原因があるようにも思えます。日本の歴史には長い年月、戦 い続けるという戦争はありませんでした。前述したように、過去の大きな戦争も、ター ニングボイントとなる「決戦」が行なわれて、そこで勝ったものが戦争に勝ち、天下を 取るーーこういう歴史観は日本古来のものなのかもしれません。我々にとって「百年戦 争」といった戦争はあまり馴染みのないものです。嫌になるくらい長い年月、ずっと戦 い続けるタフな戦争といったものに日本人は慣れていなかったのです。 潜水艦との戦いにも、そうした違いは現れています。日本の場合、アメリカの潜水艦 を察知するとそれを追いかけて、潜水艦がいそうな海中に爆雷をドンドン投下するの ですが、その攻撃を半日くらいやると終えてしまう。ところが、イギリス軍は、ドイツ ン マのポート ( 潜水艦 ) を見つけたら、完璧に相手を沈めたという証拠が挙がるまでは何 グ日かけても追いかける。記録に ( 、駆逐艦数隻がかりでポート一隻を数日間も追いか 戦けまわして、ようやく沈めた、といったものもあります。広い海を執拗に追いかけ続け ゼ るというタフな戦いをするわけです。 章 こうした「戦争観はいまでも日本人には馴染みがないように思えます。フィクショ 第 ンの世界で見ても、たとえば漫画の不良同士の戦いは、大体、番長同士の一騎打ち ( タ
いを挑みます。これが世に言われる「義和団の乱ー ( 中国では「庚子事変」と呼ばれて います ) というものです。義和団はまたたくまに清全土に勢力を広げ、一時は北京だけ でも二〇万人もいたと言われています。西太后は義和団の力を過信して、西洋列強に宣 戦布告をしました。 しかし近代的な武器を装備した西洋列強に徒手空拳の拳法が敵うはすがなく、また鉄 砲の弾を跳ね返せるわけもなく、義和団はあっというまに鎮圧されました。ちなみに義 和団の鎮圧のために軍を派遣したのは、イギリス、アメリカ、ロシア、ドイツ、オース トリアⅡハンガリー、イタリア、フランス、日本でした。清はこの敗北によって、これ ら八ヶ国に莫大な賠償金を背負わされ、これが清朝滅亡の大きな原因となりました。 少し話が逸れましたが、 「義和拳を信すれば、鉄砲の弾も跳ね返すーという信仰は、 告「九条を信ずれば、戦争は起こらない」に、極めて似ていると言えないでしようか 派 一方は「戦いに勝てる」に対して、もう一方は「戦いにならない」と、一見、正反対 憲 護 のように見えますが、思考回路は同じです。両者に共通するのは、「信すれば、こうな 三るに違いない」という盲信です。そこに論理はありません。 私はこれまで「九条ーを信奉する年配の人に対して、「九条」の持っ矛盾と弱点を何 205