本軍のほうが、熟練搭乗員の命に対して無神経だったのはご説明した通りです。 救命ポートに釣竿も完備 日本軍の場合、遠方に出撃する搭乗員は落下傘すら持たずに出撃していました。自軍 近くでの迎撃戦では落下傘を搭載していましたが、それ以外の時は、戻ってこられない ならば死を選べということだったのです。だから攻撃を受けて、自軍の基地に戻れない となると簡単に自爆していました。捕虜になるくらいなら死んだ方がマシだ、と考えた わけです。 アメリカ軍は、普通のレベルのパイロットですらとことん大事にしました。。 セロ戦よ りもグラマンの方が防御能力が高かったことはすでに説明しましたが、アメリカ軍では 飛行機が撃墜された時の対策もきちんと考えられていました。 ハラシュ 1 トを積むのは当然でしたし、グラマン 4 には水上に不時着したことも 考えて救命用のゴムボートや救急セット、海水を真水に変える装置まで積んでいました。 さらに笑い話のようですが、釣竿まで用意してありました。いざとなったら魚を釣って 生き延びろ、ということです。救命ポートの中には無線も積んでいるので、救助を求め
よう。日本のメ 1 カ 1 同士で、ビデオの方式の主導権争いが繰り広げられました。もち ろん、それぞれに一長一短あるのでしようし、開発競争をすることは悪いことではあり ません。健全な市場競争も必要でしよう。 しかし、これもある段階で当時の通産省などが関与して、統一してしまえば良かった のです。そのうえで、また同じ土俵で開発競争をしたほうが、企業にとっても、消費者 にとってもメリットがあったのではないでしようか 戦場で銃は使い分けられない 話を戦時中に戻しましよう。 ン マ戦闘機の機銃でも同様の話があります。日本海軍の機銃はおおよそ三種類ありました。 グ七・七ミリ機銃、一三 ・一一ミリ機銃、二〇ミリ機関砲です。それぞれの機銃は射程距離 戦 や威力が異なります。そして、大概の戦闘機が複数の種類の機銃を備えていました。 ロ この機銃を使いこなすには、搭乗員はその性能を熟知したうえで、瞬時に判断する能 一カが求められます。ゼロ戦五二型乙の場合は、三種類搭載していましたから、搭乗員は それらを瞬時に使い分けることが必要になるのです。つまり、あの敵は七・七ミリ機銃
使い捨てられた熟練パイロット 日本海軍の人員軽視は搭乗員 ( パイロット ) に対しても同じでした。 敢えて厳しく言えば、日本海軍は搭乗員を使い捨てたと言っても過言ではありません。 神風特攻隊がその最たるものですが、実はその二年も前、ガダルカナルでの攻防戦でも、 熟練搭乗員を使い捨てていたのです。 日本海軍の場合、搭乗員をとにかく少数精鋭主義で育成してきました。当時、搭乗員 になる道はいくつかありました。まず海軍兵学校で志願して搭乗員になるというもの。 次は最初から志願者を集めて練習する海軍飛行予科練習生 ( 予科練 ) からなるというも の。また、操縦練習生 ( 操練 ) から搭乗員になるというものです ( 細かく言えば、もっ といろいろありますが、割愛します ) 。 海軍兵学校出身の搭乗員は、今で言、つキャリアで、航空隊の指揮官です。数で言えば、 圧倒的少数です。 実際に主力を担ったのは予科練出身と操練出身の搭乗員です。予科練の競争率は終戦 間際は別にして、概して一〇〇倍以上の狭き門でした。知力体力選りすぐりの少年たち を鍛え抜いたというわけです。
は「大東亜戦争」の代わりに「太平洋戦争」という言葉を使えと命じたのです。こ れに違反した出版社や新聞社は厳しく罰せられました。 の検閲は昭和二七 ( 一九五一 l) 年に日本が独立して主権を取り戻した時点で終 わりました。これ以降は、どんな言葉を使うことも自由になったのです。しかし日本人 の心の中に、の禁止用語の恐怖が深く刻まれ、それから六〇年以上経った今も、 それが消えないというわけです。 宮部久蔵とは何者か 話を小説に戻しましよう。 『永遠の o 』は、日本帝国海軍の戦闘機搭乗員として大東亜戦争を戦った宮部久蔵とい う軍人が主人公の小説です。 宮部久蔵は私が生み出した架空の男です。ところが不思議なことに、この小説を読ま れた元零戦搭乗員の何人かに、「宮部久蔵のような搭乗員はいました」と言われました。 しかし考えてみれば、これは不思議でもなんでもないことなのです。私は『永遠の 0 』 を書くにあたって、かっての零戦の搭乗員たちが書かれた本、あるいは搭乗員たちにイ 月 8
たからです。高額な飛行機を簡単に落とされては困る。若い未熟な搭乗員に任せるとそ のリスクが高くなる、とい、つ計算があったのです。 その結果、熟練搭乗員は酷使されます。当時の戦闘記録を見ると、一週間に五回とか 六回出撃したという例まで見られます。常識的に考えて、いくらなんでも無理です。 普通七時間近くも飛行したら、次の日は体なんか動きません。それなのに、「明日も 行け」と命令が出る。さらに翌日も。こんなことが続けば、熟練搭乗員の能力も低下す ることは避けられません。また彼らはガダルカナル上空での空戦にも大きなハンデを背 負っていました。前述した数分という空戦時間もその一つですが、帰路の燃料をたつぶ りと積んでいるだけに、重い機体での戦いとなるからです。 マ一方、迎え撃っ側のグラマン 4 は身軽です。ホームタウンでの戦いですから、燃 いざとなったら落下傘 グ料は少なくていいのです。その分、目いつばい戦える。しかも、 戦 ( パラシュート ) で基地近くに降下できます。 ロ ゼ これほどのハンデを背負ってもゼロ戦はグラマン 4 と互角以上に戦いました。い 一かに熟練搭乗員が操るゼロ戦が強かったかがわかります。 第 しかし、どれだけ世界最高峰の飛行機と搭乗員を持っていても、これだけ不利な状況
はありません。狭い操縦席で大変な ( 重力 ) に耐えながら、極限の緊張状態で操縦す るのです。これがどれだけ大変なことか、自動車を運転する方ならばよくおわかりでし よう。現在の快適な自動車であっても、六時間休憩なしで運転し続けるのは大変です。 ましてやいっ敵に攻撃されるかという緊張感を保ち続けなくてはならないのです。 いかに世界最高峰のパイロットといえども人間ですから、こんなことを連日やらされ たら、体がもつはずがありません。しかもゼロ戦の場合は、ガダルカナル上空において 敵戦闘機との空中戦があります。しかし空中戦ができる時間はわすか数分です。空中戦 は大量に燃料を消費するので、一〇分以上続けると、帰りの燃料がなくなるのです。 ラバウルが「搭乗員の墓場」と呼ばれた時代、そこで生き残った本田稔さんというゼ ン マロ戦パイロットの方に、ある時、お話を伺ったことがあります。撃墜王でもあった本田 グさんはこんなことを仰っていました。 戦 「おそらく撃墜された搭乗員よりも、燃料切れで墜落した搭乗員や、途中の洋上飛行で ロ 疲労困憊のあまり海に墜落した搭乗員のほうが圧倒的に多いでしよう」 一実際に、本田さんは目の前で海に墜落していく仲間を何人も見ておられます。 第 疲れ切った搭乗員が 横に並んで飛んでいた飛行機がゆっくりと高度を下げていく
ンタビュ 1 した本を何冊も読んできたからです。宮部久蔵という人物は、そうして拵え あげた零戦搭乗員だったのです。 私は『永遠の 0 』を書いてから、多くの元零戦搭乗員に出会いました。名前を挙げる と、真珠湾攻撃に参加された原田要氏、激戦のラバウルを生き抜いた本田稔氏、フィリ ピンで多くの特攻機を護衛した笠井智一氏ミッドウェー海戦から硫黄島の戦いまで参 加した宮崎勇氏、空母「瑞鶴」に乗ってマリアナ沖海戦に参加した藤本速雄氏、予備学 生から零戦搭乗員となり本土防空で戦った土方敏夫氏などです。他にも多くの元搭乗員 説 の方にお会いしましたが、悲しいことに現在はそのほとんどの方が鬼籍に入られました。 美 賛ですが、彼らが存命中にお会いすることができ、貴重なお話を直接に伺うことができて、 本当に良かったと思っています。何よりも嬉しかったことは、全員から「よく、『永遠 の 0 』を書いてくれた。ありがとう」というお言葉をもらったことです。中には、目に 遠涙を浮かべておっしやる方もいました。それを聞く私も思わす涙ぐみました。そして、 本当に『永遠の 0 』を書いて良かったと心から思いました。 章 第 宮部は一風変わった搭乗員です。それは「死ぬこと」が当たり前と考えられていた当 月 9
この国では、長らく大東亜戦争を「物語」として語ることは許されない空気がありま した。大勢の人が亡くなった戦争を娯楽小説で描くということは、不謹慎という見方で す。大東亜戦争をテーマにする場合、ます描かねばならないのは「悲惨さ」であり、訴 えなければならないのは「反戦ーと「反省」、そして軍部に対する「糾弾」と「怒り」 それ以外の側面を描くことは許されないという不文律があったように思います。 違ってもエンタメ作品として作るということはあってはなりませんでした。 かしかし戦後、六〇年以上経ち、あの戦争を体験した方たちの多くが亡くなった今、よ 小うやく、あの時代を「小説」として描けるようになったのではないでしようか。幕末と 賛明治維新の時代が、大正になってようやく物語として描かれるようになったごとく。 宮部久蔵は誰よりも命を惜しむ男でしたが、実は凄腕の搭乗員でした。そしてその腕 ので、米軍機を何機も撃墜します。それは敢えて言えば、剣豪のようなカッコよさです。 遠このカッコよさは当時の帝国陸海軍の搭乗員の多くが持っていたものです。大東亜戦争 における空の戦いは、結局、圧倒的な物量と技術力の前に米軍の勝利となりましたが、 二歴戦の搭乗員は最後まで米軍パイロットを恐れさせました。宮部もまたそうした搭乗員 の一人でした。 761
す。宮部久蔵は決して綺麗ごとを一言うヒュ 1 マニストではありません。彼は自分が生き 延びるためには、無慈悲に敵機を撃ち落とす搭乗員です。彼は自ら撃墜した米軍機から ハラシュート脱出した敵の搭乗員を撃ち殺す男でもあるのです。 次に引用する場面は、そんな宮部の側面が語られます。語り手はさきほどと同じく井 山、し冫良です 「小隊長、お尋ねしたいことがあります」 説 「何だ」 美 賛「数日前、なせ落下傘を撃ったのですか ? 戦 小隊長は私の目をまっすぐに見て言った。 「搭乗員を殺すためだ」 の 遠私は正直に言うと、小隊長に「後悔している。という言葉を聞きたかったのです。ところ が小隊長の口から出た言葉はまったく予期しないものでした。 一一「自分たちがしていることは戦争だ。戦争は敵を殺すことだ」 737
だ 「米国の工業力はすごい。戦闘機なんかすぐに作る。我々が殺さないといけないのは搭乗員 「はあ、しかしーー」 その時、小隊長は大声で怒鳴りました。 「俺は自分が人殺しだと思ってるー 私は思わす「はいっ , と答えていました。 「米軍の戦闘機乗りたちも人殺しだと思ってる。中攻が一機墜ちれば、七人の日本人が死ぬ。 しかし中攻が艦船を爆撃すれば、もっと多くの米軍人が死ぬ。米軍の搭乗員はそれを防ぐた めに中攻の搭乗員を殺すー これが宮部久蔵という男です。 私は宮部久蔵を美しいだけの男には作りませんでした。前述の場面で、生き延びるた めにやむなくとはいえ、何の恨みもないアメリカ人を殺さなければならない宮部の苦悩 を描くことで、戦争の残酷さを書こうと思いました。戦争さえなければ、生涯、人殺し などには手を染めなかった男たちが、殺し合、つのが戦争なのです。この場面が読者にど ノ 38