「戦略」に不可欠な「規律」 何度でも繰り返すが、「戦略の世界」では、「規律」が物を言う。 ディシプリン ここで言う「規律」とは、「戦略のロジックを出し抜くことはできない」という認識 能力のことだ。 ディシプリン 「規律」の重要性を自覚していれは、たとえば「当てにならない同盟国しかいないが、 自国軍の能力は高いので、多くの戦闘で勝てる。したがって戦争に勝利できる」とは考え 何 と クアドルフ・ヒトラーは、第二次世界大戦の開始時に、「同盟国は頼りにならないゞ、 ジ ィッ国防軍が強いので何とかなるだろう」と考えていた。ところが、大英帝国、フランス ロ ーレ 帝国、ロシア帝国を相手に、イタリアやプルガリアと同盟を組んで戦うのは、そもそも無 カ シ理がある。 もつばら軍事的に戦争に勝利するパターンもあり得るが、それは、弱小国を相手にした ラ パ場合だけだ。しかも、この場合、圧倒的な軍事的勝利を収める必要がある。それに対し、 自分に勝る国家に勝ちたい場合は、敵よりも大きな同盟が必要になるのだ。 ディシプリン ディシプリン 14 )
「制裁」は効果なし ハラドキシカル・ロジックとは何かーー・戦略論 パラドキシカル・ロジックとは ? ・ 一般常識が通用しない「戦略の世界」 「戦略のロジック」と主著について 勝利が敗北につながり、敗北が勝利につながる イスラエルが勝利できた理由 ドイツの間違い ディシプリン イギリスの「忍耐力」 名目だけの同盟と実質を伴う友好関係 大戦略と外交カ 「戦略」に不可欠な「規律 イギリスの同盟工作 イギリスの強み 7 「同盟がすべてを制すーー戦国武将論 ディシプリン ー 23
もう一人は、イスラエルのアリエル・シャロンだ。シャロンは、一九七三年の第四次中 東戦争で、スエズ運河の渡河作戦を立案、実行した。エジプトが両岸を支配していたにも かかわらす、渡河した上に、敵の背後に回り込み、相手の拠点を完全に破壊したのである。 ちなみにこの私も、この第四次中東戦争で戦った経験を持つ一人である。 ディシプリン 戦略に必要なのは「規律」 しかし、繰り返しになるが、「作戦」よりも「同盟」の方が、戦略としては上位に位置 する。 ここでも参考となるのは、徳川家康のケースだ。彼のような人物でさえ、城を明け渡し たり、戦闘で負けたり、裏切者が出たり、と非英雄的なことをも堪え忍ぶ必要があった。 ディシプリン ところが、その「規律」こそ、戦略に必要なのだ。 彼は、自らの領地を守り抜くために、織田信長との「同盟ーを選んだ。一五 , ハ一一年の清 洲同盟である。しかし、これは苦難に満ちた選択でもあった。強大な武田軍に対して、常 に最前線で戦わされ、三方ヶ原の戦いでは、壊滅的な敗北も経験している。信長の命令で、 自分の妻や長男をも殺害せざるを得なかった。しかし、この「規律」が、「同盟」とい ディシプリン 160
敵に回してしまうからだ。 ディシプリン イギリスの「忍耐力」 ドイツの艦隊建造に対して、当時のイギリスのエリートたちは、どう対処したか。ます 冷酷な頭脳を働かせて、「帝国的なドイツを破壊すべきだ」と決断したのである。 ドイツ皇帝のヴィルヘルム二世が英国ビクトリア女王の孫であることを考えれば、非常 、カ に非礼なことだったが、それでも、イギリスのエリートたちは、ドイツの封じ込めが不可 何 欠だと判断したのである。 と ク では具体的に何をしたか。歴史を振り返れは、アメリカは、イギリスにとって野蛮で厄 ジ 介な「独立主義者」であった。それでも彼らが最初に決心したのは、「絶対にアメリカを ル離さない」ということだった。何があっても、英米の同盟関係は解消しないと決心したの カ シである。 キ 実際にイギリス人は、アメリカ人のひどい仕打ちを繰り返し受けた。しかしイギリスは、 ディシプリン それに黙ってじっと耐えたのである。これが「忍耐力」だ。 次は、フランスとの関係改善である。フランスは、一〇〇年以上争った相手だ。そして ち 7
固め、馬にまたがって、二時間ほど突進を繰り返す。ダイナミックで派手な戦法ではある が、実行するのは難しくはない。 オたここで不可欠となる ところが、信長は、高価な武器である火縄銃を、農民に持こせ ディシプリン のは、強い「規律ーなのである。 そもそも、足軽たちに火縄銃の操作法を教え、一斉に攻撃が行えるように訓練しなけれ ばならない。しかも、襲い来る騎馬軍団の恐怖に耐え、脱走しないように、しつかりと隊 論 将列を組ませるのである。そこには、忍耐と不屈の精神が必要となる。信長の真の卓越性は、 戦このハイレベルの「規律」を必要とする作戦を計画し、実行したことなのだ。 このような革新的な作戦を計画できた人物は、私がいま思い当たるかぎりでは、他に二 制人しかいオし て 一人は、第二次世界大戦のフランス戦線で、いわゆる「大鎌作戦」を計画したドイツの べ ーリッヒ・フォン・マンシュタインだ。彼は、ベルギー、フランドルの英仏連合軍 参謀工 をフランス本土から切り離すために、不可能と思われていたアルデンヌの森を戦車部隊で 同 突破し、フランス領内に侵攻する作戦を立案した。その結果、一カ月あまりでフランスを 降伏に追い込んだのである。 ディシプリン 1.59
日本は、一九四一年一二月に戦争を始めた時点で、同盟国を持っていなかった。日独伊 三国同盟は存在していたが、これは、名ばかりの同盟関係だ。たとえば、ドイツは、軍を 太平洋にまで派遣できなかったし、日本がドイツから獲得できたのは、せいせいの 試作品のエンジン、わずかな金塊、それに天然ゴムくらいだ。 ディシプリン イギリスは、強力な「規律」を持ち、「戦略」にそれが不可欠であることを知ってい た。「大戦略」のためには、時に極めて不快なことも受け容れる必要があることを知って いたのである。ワーテルローの戦いが、その一例だ イギリスの同盟工作 一八一五年、流刑地エルバ島から帰還したナポレオンは、再び皇帝の座に就き、一二万 の兵を率いてベルギーに進攻した。イギリスは、オランダ、プロイセンなどと連合軍を結 成してこれを迎え撃ったのだが、注目すべきは、この決戦の前に、イギリスが行った同盟 工作である。 このときイギリスは、同盟の仲間を集めるために、フランスの支配地を通り抜けて使者 を送って交渉し、ときには金を払うなどして、苦労を重ねている。それでも、実際に戦場 146
のは何もない。ところが、反政府勢力は、アレッポの防御を国際社会に期待して、「まあ 大丈夫だろう」を実行したのである。 ディシプリン 戦略の規律が教えるのは、「『まあ大丈夫だろう』という選択肢には頼るな」というこ とだ。なせなら、それに頼ってしまうことで、平和が戦争を生み出してしまうからである。 日本政府は自ら動くべしーーー「降伏」と「先制攻撃」 論したがって、私は、日本政府が自ら動くべきである、と考える。 国際的なミサイルの制約である「五〇〇キロ」という射程は、たまたま神の与えた偶然 なのか分からないが、朝鮮半島の非武装地帯から下関までの距離と同じである。したがっ る て、北朝鮓の望みを叶えつつ、「五〇〇キロ以上の射程のミサイル」の破棄を求めるのは、 つ日本の選択肢として十分あり得る。 このような「降伏」、もしくは「宥和ーも、立派な政策なのである。これは、無責任 「まあ大丈夫だろう」という無責任な態度の代わりに、一つの選択をし がな態度ではない。 平ているからだ。 別の選択肢としては、「先制攻撃」がある。日本の自衛隊の特殊部隊に攻撃を命じて、 アピーズメント 1 ー 7
う戦略を実行する上では必要なことだったのだ。 アメリカとの同盟 たとえは、今日の文脈で言えば、アメリカとの同盟関係をどう考えるべきか。これには、 論理的に、二つの選択肢がある。現実のアメリカと付き合うか、それとも都合のよいアメ リカを「発明」するかだ。 論 将イギリスのケースを考えてみよう。彼らは、アメリカからかなりひどい仕打ちを受けて 戦いる。アメリカは、香港や上海などの「条約港」を持っていたという点で、イギリスを常 に非難し、何度も馬鹿にして屈辱を与えている。世界中のイギリス領で、「俺たちアメリ 制力人は、イギリスとは違って反植民地だ、俺たちが彼らを叩きだしたんだ。あいつらは本 て当にひどいやつらだ」と言いふらしたのである。 す そのアメリカも、中東に石油を求めて、サウジアラビアの権益を押さえると、イギリス 盟の参加を許さなかった。要するに、彼らも似たようなことをやったのである。 同 しかしここで一一一一口えるのは、現状以上のアメリカを望めないなら、現実のアメリカと付き ディシプリン 合うしかない、ということだ。この「規律」こそ、大戦略で必要となるのである。 161
くつも発明したのだが、それでも、ドイツは勝てなかった。 それは、ドイツが、三つの世界的な帝国を敵に回したからである。すべての戦闘、すべ ての戦域で勝利しても、グアノや石油といった物資や食糧の輸人が海上封鎖で不可能とな れは、戦争には勝てない。 仮にアメリカが途中で参戦せすとも、仮にドイツがすべての戦 論場で勝利しても、結果は、ドイツの敗北で終わっただろう。ドイツには食糧がなかったか らである。 何 名目だけの同盟と実質を伴う友好関係 と ではなせイギリスは、最終的に勝利できたのだろうか。それは、彼らが「戦略」を冷酷 ジ ロな視点で捉えることができたからである。 要するに、同盟関係は、自国の軍事力より重要なのだ。もちろん、自国軍のカで戦闘に カ シ勝利することは、同盟関係を獲得する範囲や可能性を広げるものである。 ディシプリン 私の言う「大戦略のレベル」とは、資源の豊富さ、社会の結東カ、忍耐力、人口規模な ラ どに左右される領域である。 なかでも、とりわけ重要なのが、同盟を獲得する「外交力」だ。大戦略レベルの外交カ 5 9
は「紛争の冷酷なロジック」なのである。そして「紛争の冷酷なロジック」が最も重要に なってくるのは、主に外交のレベルにおいてだ。 たとえば、ヒトラーの率いるドイツ国防軍は、極めて優秀だった。 空軍は大したことは なく、海軍も使い物にならなかったが、陸軍だけは主要な戦闘で勝ち続けた。 論 ロンメル、グーデリアン、マンシュタインなど、当時の著名な将軍が何人も思い浮かぶ 略 戦 ところが、彼らの戦争全体に対する貢献度は、実は「ゼロ」だった。まったく役に立たな かかったのである。 何 なぜなら、ヒトラーは、ロシアとアメリカを敵に回し、イタリアとプルガリアが同盟国 と クだったからだ。一九四一年の日本の真珠湾攻撃と同じように、個々の戦闘に勝利しても何 ジ の意味もなかったのである。 ロ ディシプリン ここで必要になってくるのが、「規律」。 カ シご存知の通り、一九世紀から一一〇世紀へと変わる頃に、ドイツは、圧倒的な成功を収め た。一八九〇年代のドイツの大学は、どの国よりも進んでおり、イギリスのオックスフォ ラ ード大学の学生は、あらゆる学科を学 3 前 ( 。、リこ、ドイツ語を学ばなければならなかった。し かも古典を学ぶには、ギリシャ語やラテン語の前に、ドイツ語を学ぶ必要があった。ギリ