紛争に介入してはならない ここでの教訓は何か。「紛争に介人してはならない」ということだ。 介人しても良いのは、和平合意と難民移住などに関する責任をすべて引き受ける覚悟が ある場合だけである。みすからの外交力によって和平合意を実現できないようなら、紛争 に介人してはならよい。 「介人主義」とは、現代の大いなる病だ。とりあえず介人するだけの力を持つ国の首脳が、 第「人道主義」の美名のもとに、遠隔地のほとんど知識もない地域の紛争に安易に介人すれ え 与ば、たとえ善意にもとづく介人でも、結局は、甚大な被害をもたらしてしまう。すべての 責任は、彼らの無知にある。 これは、私の言う「パラドキシカル・ロジック ( 逆説的論理 ) 」に聞こえるかもしれな チ いが、それほど複雑ではなく、もっと単純な現象だ 同じような例は他にもある。たとえは、イラク戦争の際、ワシントンの人間は、イラク 題 解に民主制を導人しさえすればうまくいく、という考えにもとづいて、サダム・フセインを 自排除したが、ヒラリ ー・クリントンも、カダフィ大佐さえ排除すれば、リビアの人々に幸 せが訪れる、という考えを最も熱心に信奉していた やまい
工カテリーナニ世が獲得した領土 さて、ここでクリミア半島に関して私が経験したエピソードを述べさせていただきたい。 ロンドンにいる時のことだ。ディナー ーティーで、あるロシア人の紳士が、「ノヴォ ロシア (Novorossiya) 」という古い概念について教えてくれた これは、一八世紀のロシアに生まれた概念で、「エカテリーナ二世によって獲得された 領土」のことだ。これには、ウクライナやクリミア半島が含まれる。 ジ ア この紳士によると、クレムリン周辺の人々は、「ノヴォロシア」という概念を現代に復 活させようとしている、ということだった。この概念に従って、新しい共和国を創設し、 方 そのための新しい旗もデザイン中だ、と。 つまり、ウクライナの一部を切り取って、「ノヴォロシア」という共和国として独立さ っ 網せ、ロシア連邦に組み込む、という考えだ。これこそ、今回のウクライナ問題の背後にあ 包る動きだ、というのである。 対 「ノヴォロシア」
管理」を狙うべきだ。安倍首相とモデイ首相の特別な関係も、大いに活用できるだろう。 そうすれば、日本は常任理事国人りできるはすだ。 他方、プラジル、アフリカの二カ国、ドイツは、常任理事国人りを諦めるべきだろう。 この四カ国の常任理事国人りは、そもそも誰も支持しないからだ。 私の提案は、これまでの外務省のアプローチよりも、はるかに現実的で効果的なはすだ。 これこそ本物の戦略だからだ。日本は、長年にわたって、そもそも実現不可能なプランを 追求してきたのだが、これでようやく問題を解決できるだろう。 イタリアやスペインは、ドイツに投票するくらいならザンジバルに投票する。アルゼン チンやチリは、プラジルに投票するくらいならザンビアに投票する。そして、安全保障問 題をナイジェリアと南アフリカに委ねる、という考えには、アフリカ中の諸国が恐怖に慄 くだろう。 完全に無責任な国の代表たちは、モンテカルロの夜の女性たちよりも、はるかに安い値 段で買収できる。 私は、昨年の春、モンテカルロのあるパーティーに呼ばれたが、そこにいた女性たちは 本当に豪華であった。キム・カーダシアンとは比べものにならないほど美しい女性はかり 2 10
「戦略」に不可欠な「規律」 何度でも繰り返すが、「戦略の世界」では、「規律」が物を言う。 ディシプリン ここで言う「規律」とは、「戦略のロジックを出し抜くことはできない」という認識 能力のことだ。 ディシプリン 「規律」の重要性を自覚していれは、たとえば「当てにならない同盟国しかいないが、 自国軍の能力は高いので、多くの戦闘で勝てる。したがって戦争に勝利できる」とは考え 何 と クアドルフ・ヒトラーは、第二次世界大戦の開始時に、「同盟国は頼りにならないゞ、 ジ ィッ国防軍が強いので何とかなるだろう」と考えていた。ところが、大英帝国、フランス ロ ーレ 帝国、ロシア帝国を相手に、イタリアやプルガリアと同盟を組んで戦うのは、そもそも無 カ シ理がある。 もつばら軍事的に戦争に勝利するパターンもあり得るが、それは、弱小国を相手にした ラ パ場合だけだ。しかも、この場合、圧倒的な軍事的勝利を収める必要がある。それに対し、 自分に勝る国家に勝ちたい場合は、敵よりも大きな同盟が必要になるのだ。 ディシプリン ディシプリン 14 )
ながるのだ。 ところが、逆に「平和が戦争につながる」ことも忘れてはならない。 人々は、平時には、脅威を深刻なものとして考えられないものだ。平時に平和に暮らし ていれば、誰かの脅威に晒されていても、空は青いし、何かが起こっているようには思え 友人との飲み会に遅れないことの方が重要で、脅威に対して何の備えもしない。 つまり、脅威に対して降伏するわけでも、「先制攻撃を仕掛ける」と相手を脅すわけで 論もない。そのように何もしないことで、戦争は始まってしまうのである。 平時には、脅威が眼前にあっても、われわれは、「まあ大丈夫だろう」と考えてしまう。 脅威が存在するのに、降伏しようとは思わす、相手と真剣に交渉して敵が何を欲している る のかを知ろうともせず、攻撃を防ぐための方策を練ろうとも思わない。だからこそ、平和 から戦争が生まれてしまうのである。 平時には、誰も備えの必要を感じない。むしろ戦争に備えること自体が問題になる。そ がうして行動のための準備は無視され、リラックスして紅茶でも飲んでいた方がよい、とい 平 うことになり、そこから戦争が始まるのだ。 平和は戦争につながる。なぜなら平和は、脅威に対して不注意で緩んだ態度を人々にも 109
になかったために、イスラム教は急速に広まったのである。 「アクシデント的に生まれた宗教」を受け人れる。これこそが、現在のヨーロッパが抱え 始めた難題である。 しかも、ヨーロッパ自体が、思想的には、「自殺的なアイディア」に支配されている。 「自殺的とは、イスラム系移民に対して、寛容で、平和主義的な態度のことだが、これ によって、ヨーロッパは、人口的にも破壊される。 もちろん、ヨーロッパの人口減少も、均一ではない。たとえば、スペインなどは、減少 キ午がとくに革名しい 実際、今日のスペイン人は、平和主義的で、ゲイやトランスジェンダーに対して寛容で あることをみすから誇りに思っている。それは、彼らのテレビドラマや映画を見ても分か る。子供が三人いるような家庭は、まったく描かれていないのだ。 ヨーロッパと戦争 ヨーロツ。、、ミ / カ成功していたのは、ヨーロッパが戦場であった時代だ。「戦争のないヨー しすれにせ ロッパ」は、「ガソリンの人っていない車」のようなものなのかもしれない。 ) 172
れない状態にある、ということが言える。 そして、国内政治の混乱ゆえにこそ、アメリカの対外政策も麻痺するのである。実際、 オバマ政権の対外政策は、「政策」と呼ぶことさえできない代物だった。 オバマ政権が対外的に行ったのは、「プーチンに対する侮辱」をひたすら繰り返すこと だけだった。相手に対する「侮辱」は、「政策」ではない。そうではなく、プーチンと交 渉して彼の望むことを部分的に受け人れたり、逆にトルコの空軍基地を使って、ロシアに 対し、「シリア上空に飛行機を飛ばしたら撃墜する」「飛ばしたらパイロットが死ぬぞ」と 宣言したりすることの方が余程まともな「政策」なのである。 ビザンティン帝国と徳川日本ーー長期持続の秘訣 ここで、ビザンティン帝国の教訓を引き合いに出してみたい。 ビザンティン帝国 ( 東ローマ帝国 ) は、「人類史上で最も長く続いた帝国」である。な んと一〇〇〇年間も続いたのであり、ローマ帝国よりも遥かに長く存続した。 ビザンティン帝国は、最も成功した「戦略」の実践者であった。だからこそ長く存続で きたのである。 188
強いアメリカを望む日本の特殊な立場 日本の立場は、極めて特殊である。 それにはいくつか理由があるが、その一つは、「世界的な大国」以外で最も重要な国だ からだ。世界には二〇〇近くの国が存在するが、そのなかで、日本は、大国以外でトップ の位置を占めている。 それゆえに、日本は、他の大国同士のバランスを常に気にせざるを得ない立場に置かれ 法 方 ている。 る 冷戦時代には、この構造は、とてもシンプルだった。日本は、アメリカに強くなっても 国 ソ連に対抗してもらうことだけを考えればよかったからだ。 理 任しかし、ベトナム戦争をきっかけにアメリカが弱体化し、それまでの構造が変化し始め 連 ると、アメリカは、中国に対し、外交的なデタント ( 緊張緩和 ) を行った。中ソという共 国 糧産圏の連携の切り崩しを図ったのである。これによってアメリカは、余力をもってソ連に 対抗できるようになり、このことは、結果的に、強いアメリカを望む日本を再び安心させ ることによっこ。 20 )
言い換えれば、パラドキシカル・ロジックは、この地球上で、重力の次に強い力を持っ ている。だからこそ、現在のような世界の政治状況が生まれているのである。 世界は、一つの大きな国家のようにまとまっているわけではない。たとえば、西ヨーロ ハの地図を見れは分かるように、それほど広くない地域内に大国同士がひしめき合って いる。そういうなかで、ナポレオンやヒトラーが登場して覇権を争ってきたのだ。 ところが、そうした大国同士のパワーのぶつかり合いのなかで、ベルギー、オランダ、 ルクセンプルク、デンマークといった小国も生き残っている。これらの国々は、ヨーロッ ハ大陸の中央に位置しながら、自分たちよりもはるかに大きな国の狭間で生き残ってきた のだが、なぜそれが可能だったのだろうか。 これこそ、戦略のパラドキシカル・ロジックの結果だ。「大国は小国を破壊できない」 のである。 大国は、中規模国は、打倒できるが、小国は打倒できない。小国は、常に同盟国を持っ ているからだ。小国は、規模が小さいゆえに誰にも脅威を与えない。だからこそ、別の大 国が手を差し伸べるのである。 小国のベトナムは、大国のアメリカを打ち負かし、小国だからこそ、ソ連と中国の支援 126
しかし、戦略家の目で見るならは、家康の凄さは、こうした小国相手でも、一族の分断 を図り、信繁の兄の信幸と「同盟」を組んでいることである。これによって、戦闘が終わ った後の展開、すなわち戦略レベルの備えをも整えておくのだ。 家康は、人類史上でも稀に見る最高レベルの戦略家だった、と私は評価している。政治 的に安定した幕藩体制を築き上けたからだ。これこそ、まさに同盟関係によって、「敵」 を消失させる最高度の大戦略であり、その有効性は、三〇〇年近くにまで及んだ。これを 成し遂げた人物は、世界史上でも極めて稀である。 「戦術」と「戦略」を併せ持っ・・・ーー織田信長 完璧な戦術家であった武田信玄と、最高レベルの戦略家であった徳川家康の間に位置す るのが、織田信長だ 信長は、革新的な作戦家である。たとえば、長篠の戦いは、火縄銃の採用や野戦築城な どの戦法を駆使したとされるが、それより重要なのは、用兵上の革新である。農民である 足軽に火縄銃を使わせたことが、その革新だ この戦いでは、一方の武田軍は、騎兵隊による攻撃を行った。侍が鮮やかな鎧兜に身を 1 ) 8