考え - みる会図書館


検索対象: 戦争にチャンスを与えよ
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1. 戦争にチャンスを与えよ

紛争に介入してはならない ここでの教訓は何か。「紛争に介人してはならない」ということだ。 介人しても良いのは、和平合意と難民移住などに関する責任をすべて引き受ける覚悟が ある場合だけである。みすからの外交力によって和平合意を実現できないようなら、紛争 に介人してはならよい。 「介人主義」とは、現代の大いなる病だ。とりあえず介人するだけの力を持つ国の首脳が、 第「人道主義」の美名のもとに、遠隔地のほとんど知識もない地域の紛争に安易に介人すれ え 与ば、たとえ善意にもとづく介人でも、結局は、甚大な被害をもたらしてしまう。すべての 責任は、彼らの無知にある。 これは、私の言う「パラドキシカル・ロジック ( 逆説的論理 ) 」に聞こえるかもしれな チ いが、それほど複雑ではなく、もっと単純な現象だ 同じような例は他にもある。たとえは、イラク戦争の際、ワシントンの人間は、イラク 題 解に民主制を導人しさえすればうまくいく、という考えにもとづいて、サダム・フセインを 自排除したが、ヒラリ ー・クリントンも、カダフィ大佐さえ排除すれば、リビアの人々に幸 せが訪れる、という考えを最も熱心に信奉していた やまい

2. 戦争にチャンスを与えよ

工カテリーナニ世が獲得した領土 さて、ここでクリミア半島に関して私が経験したエピソードを述べさせていただきたい。 ロンドンにいる時のことだ。ディナー ーティーで、あるロシア人の紳士が、「ノヴォ ロシア (Novorossiya) 」という古い概念について教えてくれた これは、一八世紀のロシアに生まれた概念で、「エカテリーナ二世によって獲得された 領土」のことだ。これには、ウクライナやクリミア半島が含まれる。 ジ ア この紳士によると、クレムリン周辺の人々は、「ノヴォロシア」という概念を現代に復 活させようとしている、ということだった。この概念に従って、新しい共和国を創設し、 方 そのための新しい旗もデザイン中だ、と。 つまり、ウクライナの一部を切り取って、「ノヴォロシア」という共和国として独立さ っ 網せ、ロシア連邦に組み込む、という考えだ。これこそ、今回のウクライナ問題の背後にあ 包る動きだ、というのである。 対 「ノヴォロシア」

3. 戦争にチャンスを与えよ

管理」を狙うべきだ。安倍首相とモデイ首相の特別な関係も、大いに活用できるだろう。 そうすれば、日本は常任理事国人りできるはすだ。 他方、プラジル、アフリカの二カ国、ドイツは、常任理事国人りを諦めるべきだろう。 この四カ国の常任理事国人りは、そもそも誰も支持しないからだ。 私の提案は、これまでの外務省のアプローチよりも、はるかに現実的で効果的なはすだ。 これこそ本物の戦略だからだ。日本は、長年にわたって、そもそも実現不可能なプランを 追求してきたのだが、これでようやく問題を解決できるだろう。 イタリアやスペインは、ドイツに投票するくらいならザンジバルに投票する。アルゼン チンやチリは、プラジルに投票するくらいならザンビアに投票する。そして、安全保障問 題をナイジェリアと南アフリカに委ねる、という考えには、アフリカ中の諸国が恐怖に慄 くだろう。 完全に無責任な国の代表たちは、モンテカルロの夜の女性たちよりも、はるかに安い値 段で買収できる。 私は、昨年の春、モンテカルロのあるパーティーに呼ばれたが、そこにいた女性たちは 本当に豪華であった。キム・カーダシアンとは比べものにならないほど美しい女性はかり 2 10

4. 戦争にチャンスを与えよ

「戦略」に不可欠な「規律」 何度でも繰り返すが、「戦略の世界」では、「規律」が物を言う。 ディシプリン ここで言う「規律」とは、「戦略のロジックを出し抜くことはできない」という認識 能力のことだ。 ディシプリン 「規律」の重要性を自覚していれは、たとえば「当てにならない同盟国しかいないが、 自国軍の能力は高いので、多くの戦闘で勝てる。したがって戦争に勝利できる」とは考え 何 と クアドルフ・ヒトラーは、第二次世界大戦の開始時に、「同盟国は頼りにならないゞ、 ジ ィッ国防軍が強いので何とかなるだろう」と考えていた。ところが、大英帝国、フランス ロ ーレ 帝国、ロシア帝国を相手に、イタリアやプルガリアと同盟を組んで戦うのは、そもそも無 カ シ理がある。 もつばら軍事的に戦争に勝利するパターンもあり得るが、それは、弱小国を相手にした ラ パ場合だけだ。しかも、この場合、圧倒的な軍事的勝利を収める必要がある。それに対し、 自分に勝る国家に勝ちたい場合は、敵よりも大きな同盟が必要になるのだ。 ディシプリン ディシプリン 14 )

5. 戦争にチャンスを与えよ

ながるのだ。 ところが、逆に「平和が戦争につながる」ことも忘れてはならない。 人々は、平時には、脅威を深刻なものとして考えられないものだ。平時に平和に暮らし ていれば、誰かの脅威に晒されていても、空は青いし、何かが起こっているようには思え 友人との飲み会に遅れないことの方が重要で、脅威に対して何の備えもしない。 つまり、脅威に対して降伏するわけでも、「先制攻撃を仕掛ける」と相手を脅すわけで 論もない。そのように何もしないことで、戦争は始まってしまうのである。 平時には、脅威が眼前にあっても、われわれは、「まあ大丈夫だろう」と考えてしまう。 脅威が存在するのに、降伏しようとは思わす、相手と真剣に交渉して敵が何を欲している る のかを知ろうともせず、攻撃を防ぐための方策を練ろうとも思わない。だからこそ、平和 から戦争が生まれてしまうのである。 平時には、誰も備えの必要を感じない。むしろ戦争に備えること自体が問題になる。そ がうして行動のための準備は無視され、リラックスして紅茶でも飲んでいた方がよい、とい 平 うことになり、そこから戦争が始まるのだ。 平和は戦争につながる。なぜなら平和は、脅威に対して不注意で緩んだ態度を人々にも 109

6. 戦争にチャンスを与えよ

になかったために、イスラム教は急速に広まったのである。 「アクシデント的に生まれた宗教」を受け人れる。これこそが、現在のヨーロッパが抱え 始めた難題である。 しかも、ヨーロッパ自体が、思想的には、「自殺的なアイディア」に支配されている。 「自殺的とは、イスラム系移民に対して、寛容で、平和主義的な態度のことだが、これ によって、ヨーロッパは、人口的にも破壊される。 もちろん、ヨーロッパの人口減少も、均一ではない。たとえば、スペインなどは、減少 キ午がとくに革名しい 実際、今日のスペイン人は、平和主義的で、ゲイやトランスジェンダーに対して寛容で あることをみすから誇りに思っている。それは、彼らのテレビドラマや映画を見ても分か る。子供が三人いるような家庭は、まったく描かれていないのだ。 ヨーロッパと戦争 ヨーロツ。、、ミ / カ成功していたのは、ヨーロッパが戦場であった時代だ。「戦争のないヨー しすれにせ ロッパ」は、「ガソリンの人っていない車」のようなものなのかもしれない。 ) 172

7. 戦争にチャンスを与えよ

れない状態にある、ということが言える。 そして、国内政治の混乱ゆえにこそ、アメリカの対外政策も麻痺するのである。実際、 オバマ政権の対外政策は、「政策」と呼ぶことさえできない代物だった。 オバマ政権が対外的に行ったのは、「プーチンに対する侮辱」をひたすら繰り返すこと だけだった。相手に対する「侮辱」は、「政策」ではない。そうではなく、プーチンと交 渉して彼の望むことを部分的に受け人れたり、逆にトルコの空軍基地を使って、ロシアに 対し、「シリア上空に飛行機を飛ばしたら撃墜する」「飛ばしたらパイロットが死ぬぞ」と 宣言したりすることの方が余程まともな「政策」なのである。 ビザンティン帝国と徳川日本ーー長期持続の秘訣 ここで、ビザンティン帝国の教訓を引き合いに出してみたい。 ビザンティン帝国 ( 東ローマ帝国 ) は、「人類史上で最も長く続いた帝国」である。な んと一〇〇〇年間も続いたのであり、ローマ帝国よりも遥かに長く存続した。 ビザンティン帝国は、最も成功した「戦略」の実践者であった。だからこそ長く存続で きたのである。 188

8. 戦争にチャンスを与えよ

強いアメリカを望む日本の特殊な立場 日本の立場は、極めて特殊である。 それにはいくつか理由があるが、その一つは、「世界的な大国」以外で最も重要な国だ からだ。世界には二〇〇近くの国が存在するが、そのなかで、日本は、大国以外でトップ の位置を占めている。 それゆえに、日本は、他の大国同士のバランスを常に気にせざるを得ない立場に置かれ 法 方 ている。 る 冷戦時代には、この構造は、とてもシンプルだった。日本は、アメリカに強くなっても 国 ソ連に対抗してもらうことだけを考えればよかったからだ。 理 任しかし、ベトナム戦争をきっかけにアメリカが弱体化し、それまでの構造が変化し始め 連 ると、アメリカは、中国に対し、外交的なデタント ( 緊張緩和 ) を行った。中ソという共 国 糧産圏の連携の切り崩しを図ったのである。これによってアメリカは、余力をもってソ連に 対抗できるようになり、このことは、結果的に、強いアメリカを望む日本を再び安心させ ることによっこ。 20 )

9. 戦争にチャンスを与えよ

言い換えれば、パラドキシカル・ロジックは、この地球上で、重力の次に強い力を持っ ている。だからこそ、現在のような世界の政治状況が生まれているのである。 世界は、一つの大きな国家のようにまとまっているわけではない。たとえば、西ヨーロ ハの地図を見れは分かるように、それほど広くない地域内に大国同士がひしめき合って いる。そういうなかで、ナポレオンやヒトラーが登場して覇権を争ってきたのだ。 ところが、そうした大国同士のパワーのぶつかり合いのなかで、ベルギー、オランダ、 ルクセンプルク、デンマークといった小国も生き残っている。これらの国々は、ヨーロッ ハ大陸の中央に位置しながら、自分たちよりもはるかに大きな国の狭間で生き残ってきた のだが、なぜそれが可能だったのだろうか。 これこそ、戦略のパラドキシカル・ロジックの結果だ。「大国は小国を破壊できない」 のである。 大国は、中規模国は、打倒できるが、小国は打倒できない。小国は、常に同盟国を持っ ているからだ。小国は、規模が小さいゆえに誰にも脅威を与えない。だからこそ、別の大 国が手を差し伸べるのである。 小国のベトナムは、大国のアメリカを打ち負かし、小国だからこそ、ソ連と中国の支援 126

10. 戦争にチャンスを与えよ

しかし、戦略家の目で見るならは、家康の凄さは、こうした小国相手でも、一族の分断 を図り、信繁の兄の信幸と「同盟」を組んでいることである。これによって、戦闘が終わ った後の展開、すなわち戦略レベルの備えをも整えておくのだ。 家康は、人類史上でも稀に見る最高レベルの戦略家だった、と私は評価している。政治 的に安定した幕藩体制を築き上けたからだ。これこそ、まさに同盟関係によって、「敵」 を消失させる最高度の大戦略であり、その有効性は、三〇〇年近くにまで及んだ。これを 成し遂げた人物は、世界史上でも極めて稀である。 「戦術」と「戦略」を併せ持っ・・・ーー織田信長 完璧な戦術家であった武田信玄と、最高レベルの戦略家であった徳川家康の間に位置す るのが、織田信長だ 信長は、革新的な作戦家である。たとえば、長篠の戦いは、火縄銃の採用や野戦築城な どの戦法を駆使したとされるが、それより重要なのは、用兵上の革新である。農民である 足軽に火縄銃を使わせたことが、その革新だ この戦いでは、一方の武田軍は、騎兵隊による攻撃を行った。侍が鮮やかな鎧兜に身を 1 ) 8