よしのぶ 戊辰戦争が勃発する前から、大阪城に陣を構えていた徳川最後の将軍・慶喜 ( 1837 ~ 1913 年 ) は、鳥羽伏見の緒戦で負けたと知るやいなや、真夜中の大阪港で米国東 アジア艦隊の新品軍艦「 lroquois 号」 ( イロクオイ号・ 1032 トン ) に飛び乗り、沖に 停泊していた幕府の軍艦「開陽丸」 ( 2590 トン ) で江戸へ戻る。自ら上野の寛永寺に こもり謹慎。 英国公使パークス ( 第二次アヘン戦争の仕掛人 ) は、薩長土佐とすでに「倒幕」の いんぎんていねい 密約を交わしていたが、大阪城で慶喜と会見する。パークス、慇懃丁寧に将軍を脅し たのか。 パークスの通訳はアーネスト・サトウ ( 1843 ~ 1929 年 ) 。天才通訳のサトウは、 英国の卓越したスパイだ。薩長土佐の男たちはサトウの大親友。サトウの日本名は、 自分でつけた「薩道愛之助」。明治政府の極秘はサトウを通じて英国政府へ筒抜けだ。 1906 ( 明治 39 ) 年、サトウは日本帝国の最高の勲章「勲一等旭日章」を授けられた。 大阪城で決戦の準備をしていた幕府軍 ( 全国に 100 万人 ) は、総指揮官の遁走を見 て戦意を失い、城に火を点け拡散。火は火薬庫に飛び火。美しい大きな城は爆音と炎 で崩れてゆく。 その直後、西郷隆盛と勝海舟が「江戸城の無血開城」で合意し、幕府を終焉させた と伝えられる。西郷と勝の話、鵜呑みにはできない。 フランスと英国は、幕府と薩長土佐を将棋の駒のように操り、内乱を煽動して両者 を消耗させた後、薩長土佐を勝たせ「日本を取る」と話がついていたのだ。 英国とフランスは、いがみ合ったという風評が流れているが、事実は違う。 英国とフランスは、「クリミア戦争」 ( 1853 ~ 1856 年 ) と清国で「第二次アヘン戦 争」 ( 1856 ~ 1860 年 ) を共に戦い莫大な賠償金 ( 合計 41 兆円 ) を手に入れた後、瀕 死の清国を延命するために「太平天国の乱」を 1860 年から 1864 年まで南京 ( 天京 ) こうしゅうぜん に本陣を構えた乱の指導者洪秀全 50 歳を籠城へ追い込み、餓死させ、北京を 15 年間 も脅かした乱を鎮圧した。 英国とフランスは、丸 10 年間、激烈な戦場で共に戦った戦友だ。日本でいがみ合っ ていたのではなく、明治維新の前夜まで、強欲で固く結ばれていた。 「尊王攘夷」とか「倒幕」で混沌としてきた 1850 ~ 60 年代の日本で、英仏は幕府を 孤立させ、薩長土佐をテロ軍団として装備し下剋上戦争をやらせた。島国の内戦は、 清国の大規模な内戦よりたやすく制御できる。 英国が最新兵器を持たない造れない地方の血気盛んな若者集団を勝たせた方が扱い とんそう しゅうえん あやっ 5
イントロダクション 迫り来る欧米列強の脅威ーーー江戸時代末期、島国・日本では長らく続いた太平 の世を享受していた。しかし、ひとたび海の外の世界に目を転じると、植民地化、 戦争、荒廃 : : : 列強による搾取の嵐が吹き荒れ、儒教の国と崇めていた隣国・中 国も、大英帝国によってアヘン戦争でズタズタにされていた。 日オに残された道は「国を強くする」大改革。しかし、この改革ーーー明治維新 には都合のよい「謎 . が多すぎる。 たとえば坂本龍馬。彼は薩長同盟を仕立て上げ、日本初の株式会社・亀山社中 をつくり、 海援隊という私設海軍を持ち、その後の国家体制の基本ともなる「船 中八策、を起草し、明治維新の原動力を生み出した日本人のヒーローだ。 しかし、あなたは龍馬の「正体」を知っているだろうか ? 彼には「謎」が多 すぎる : その謎を追いやって、われわれ日本人は「明治維新のヒーロー」に憧れている。 しかし、本当の明治維新とはどんなものだったのか ? なぜ、、歳ほどの若造の集まりが、強大な権力を持った幕府を倒すことが できたのか。 なぜ、若いサムライたちを中心に、欧米列強と渡り合って独立を守ることがで
明治の最初から第二次世界大戦終結までの間年間、日本は誰のために戦争をし たのか。私たちは何を教えられてきたのか。 「文明開化も「脱亜入欧」も「富国強兵」も、ぜんぶ欧米列強のマネをしなさ いということです。 文明開化の「文明 . とは、ヨーロッパの文明、アングロサクソンの文明のこと。 脱亜人欧というのは、グロ ーヾル化・国際化をしなければならないということ。 幕府は封建主義で劣っていたと考えられ、明治では中央集権になって、意見を 全部言わせず、士農工商はよくないとサムライをやめさせた。 その代わり何をしたか ? イギリスのマネをして、貴族制度を作りました。 なぜ京都の御所にいた天皇陛下が、敵のお城である江戸城に行かなければなら ない ? 「天皇を政治的に使ってはいけない」という意見がありますが、最初に 天皇陛下を政治利用したのはあのときでしよう。 私たちが真実を追求しようとすると、都合の悪い事柄にいつばい出会います。 しかし、真実を知らないと、その上に作った建物はガラガラと崩れてしまう。 * 日本の貴族制度 明治政府は、元皇族、公家、 大名、維新の功臣 ( 新華族 ) で構成される華族制度を創 始、イギリスの貴族制度を 模倣して、公爵、侯爵、伯 爵、子爵、男爵からなる 5 つの爵位を設けた。 五〇
1858 ( 安政 5 ) 吉田松陰の投獄により松下村塾が中断 6 月、日米修好通商条約調印 安政の大獄 1859 ( 安政 6 ) 6 月 2 日、横浜港開港 横浜にジャーディン・マセソン商会横浜支店設立 9 月、トーマス・グラバー来日 川月、安政の大獄に連座し、吉田松陰が斬首刑 1860 ( 安政 7 ) 成臨丸が初の太平洋横断 3 月、「桜田門外の変」で井伊直弼暗殺 1861 ( 文久元 ) グラバー商会設立 1862 ( 文久 2 ) 高杉晋作、上海へ留学 2 月、和宮、第代将軍・徳川家茂に降嫁 8 月、生麦事件。江戸から京都へ向かう薩摩藩一行の通行を妨害したとしてイギ リス人 4 人が殺傷される 1863 ( 文久 3 ) 3 月、後の新撰組となる壬生浪士組が結成 5 月川日、下関事件 5 月日、長州ファイブの密航とイギリス留学。ジャーディン・マセソン商会の船 ( チェルスウィック号 ) で横浜を出港 『新説・明治維新』関係年表 英・仏連合軍が北京を占領、 北京条約 アメリカで南北戦争勃発 (— 18 6 5 ) ビスマルクがプロシアの 宰相となる インド・ムガール帝国減亡 イギリスのダーウインが 『種の起源』を著す アメリカでエイブラハム・ リンカーンが奴隷解放宣言 七七
美 はかな国の教育政策により引き起こされたのだ。 國 品性の黄金時代 を 壊 日本の黄金時代は、貴族が遊んでいた平安時代ではない。金持ちの商人たちが道楽 し 三昧を尽くした江戸の元禄時代でもない。 た 明 日本人が数千年かけて創り上げた精神文化の遺伝子、すなわち「国民性」というべ 治 き品性と道徳が融合した美学が我々に真実を直視する知力と発言する勇気を与えてく れる。その勇気が新しい日本を構築してゆく行動力を育む。 日本黄金時代の大黒柱となるのは、我々の文化遺伝子の核、成熟した美学と道徳心 だ。世界に二つとない我々の品性だ。 美学と道徳の鼓動は、日本で生まれ、日本の水を飲み、日本語の美しい音色を聞き ながら育つ人の魂の中で永遠に響いている。 阪神淡路の大地震、福島の大地震と大津波と放射線被害。悲惨な状況にもかかわら ず、日本人は誇りと秩序を大切にし、他人を思いやり、全力でお互いを救済する。 飢えている被者たちが , ー , 、一を打ち壊し物品を強奪するような気配もな 0 、。貴重 な水を貰う長い列を乱さない。被災者が集まる会場の玄関には数百足の靴が整然と揃 えてある。世界中のマスコミがこの日本を見て大感動。世界が日本人の脈打っ美学と 道徳心を目の前で見た。日本人の品性に圧倒されたのだ。 150 年前から欧米列強が殺そうとした武士道は生きていた。 武士道は美学。その美学の芯は道徳と品性だ。 明治維新から昭和 20 年まで 77 年。 昭和 20 年から平成 28 年まで 71 年。 悲劇の繰り返しにもめげす、日本国民は愚直なまでに美学と道徳を大切にする。そ の日本人を世界中が崇める。日本の黄金時代は目の前だ。夜明け前だ。 10
美学の國を壊した明治維新 美学の國を壊した明治維新 西鋭夫 モラロジー研究所教授 ード大学フーヴァー研究所教授・小川フェロー スタンフォ 日本が遣隋使や遣唐使を送り崇めていた偉大なる文明国は、大英帝国から天文学的 な量のアヘンを注ぎ込まれる。眠れる獅子清国はアヘンを拒むが、非情な戦争を仕掛 けられ惨敗。 アフリカ全土とアジア全土と南米大陸は、欧米に食い千切られた。日本とタイ王国 だけが血を流していない。 金銀を沢山持っているジパングは、マルコ・ポーロも夢にまで観た憧れの島国だ。 大判小判は溢れるが、大量殺戮用の武器を持っていない日本。 海から攻めてくる欧米海賊から人命も財産も護れない日本。 250 年間、徳川日本は平和の国で、戦争をするための武器改良は必要ではなかった。 1850 年代、強欲に染まりきった欧米白人たちが「鎖国とはなにごとか」と艦隊を 組み江戸湾に侵人して、日本が見たこともない大砲で恫喝する。 北からロシア、南から英国、東から米国。 西には、息絶え絶えの清国。死臭を漂わせる瀕死の獅子に群がる欧米列強は、ジパ ングが次の餌食だと舌鼓を打つ。 アヘン 欧米白人列強は、地球のいたるところで「カネになるもの」を見つけると、強奪の 限りを尽くした。先住民にたいして残酷な恐怖政治を布き、奴隷として世界中に売り 飛ばして大儲けをする。 清国は、 250 年以上も鎖国をしながら自給自足で豊かな国だった。 その清国を破壊したのが英国植民地のインド産アヘン。 北京の国庫にうす高く積まれていた純銀の山は、アヘンの支払いで山崩れを起こし 跡形も無く消えてゆく。さらに、アヘンに絡まる賄賂は、北京の紫禁殿に住む高官か ら異臭漂うアヘン窟の裏通りにたむろする中毒者たちまでも廃人にして、清国は熟れ た果実が腐ってゆくように内からドロドロの液状になり、中国最後の王朝となる。 したつづみ 2
美 の 國 を 壊 た 治 新 私たちが小中高で学んだ日本史には、明治維新の賞賛ばかり。 坂本龍馬は神格化され、彼の路銀 ( 交通費と生活費 ) は誰が出したのかと質問する ことさえ冒涜と見られる。 維新の男たちと英米アヘン富豪との危険な関係についても完璧に白紙。金貨銀貨の 話も白紙。豊富に有った日本の金銀は維新の地下道から輝く土石流の勢いで国外へ流 失した。「文明開化」の授業料を支払わされたのだろう。 「日本の近代化」という聞き慣れた台詞の裏には「徳川幕府が封建的で恥ずかしいほ ど時代遅れ」という負の烙印が押してあり、維新が起こったから「近代化できた」と 維新の正当化が行われている。 平和な日本列島の「鎖国の門」を武力で蹴り破った欧米列強の断罪はない。地球を 人種差別と殺戮で植民地にした欧米の残忍な帝国主義に感謝しているかのようだ。 「鎖国が悪い」と軽蔑したのは、欧米列強だ。「開国」という明るい漢字が使われたが、 美学の国、道徳の国が潰されてゆく地獄門の入り口だったのだ。 「維新」を「正義・善」と崇め、「鎖国」を「悪・劣」として見下し、徳川幕府を無 能者と決め付けただけだ。江戸時代の天下太平を非武装の徳川の弱点と捉えるのでは なく、争いを嫌い 250 年も平和を維持した偉業と認識するべきだ。 明治になって「脱亜人欧」を果たしたい日本帝国は「欧米化」の熱病に取り憑かれ、 息をつく間もなく海外戦争へ突人し、近隣諸国の利権を巡り、鎖国を止めさせた欧米 列強と熾烈な戦火を交え、維新からわずか 77 年後、昭和 20 年の真夏に鮮血が滴る戦 なきがら 場で「富国強兵」と「文明開化」の亡骸を見る。 日本が「脱亜人欧」と「文明開化」と「富国強兵」の鑑にした大英帝国は「模範」 とすべき国ではなかった。 グローバル化は廃国音頭 日本で 30 年ほど前から大流行している「国際化」とか「グローバル化」という熟 じゅもん 語は、日本を無道徳の廃坑へ突き落とすための呪文だ。 日本国民の洗練された美学や道徳を破棄させて「世界標準に合わせましよう」と仕掛 ける洗脳だ。維新前夜から拡散した悪性ウイルスのような自信喪失病が再発したのか。 欧米が決めた「標準」に、なぜ技術大国日本が国を挙げて、すり寄らねばならないの だ。日本の政界も経済界も学術界もマスコミも懸命にグローバル化念仏を唱えている。 グローバル化や国際化は、日本の国境を消しゴムで擦り消し、我々の精神文化まで も「ガラバコ」と卑下し、日本廃国を急かせるプロバガンダだ。日本の指導者たちは、 は 8