江戸 - みる会図書館


検索対象: 新説・明治維新 : 西鋭夫講演録
17件見つかりました。

1. 新説・明治維新 : 西鋭夫講演録

その後、勝海舟と西郷隆盛が話し合って、有名な「江戸無血開城」 * 四をやり ました。彼ら 2 人が東京・高輪にあった薩摩藩邸の畳の大広間で面と向かって話 し合って、江戸城無血開城を決めたと。 これで江戸が焼かれなくなって、「さすが勝海舟」「さすが西郷隆盛」という美 しい話ができあがっている。 しかし、そんなことをあの 2 人で決められるのか ? 誰かの許可が要るでしよう。それとも、誰かがシナリオを書いたのか ? もちろん、シナリオです。あれは儀式です。江戸を焼いてほしくないのは誰 カワ・ そう、イギリスです。 「砂上の歴史」はもういらない , みなさん、なぜ江戸幕府があれほど弱かったか。 理由は簡単です。江戸時代 250 年、一度も戦争していないからです。武器な んていらなかった。 ところが、明治維新になってから 19 4 5 年まで、日本は間年間、戦争をやり まくった。 第三章明治維新に隠された「謎」 * 四江戸無血開城 鳥羽・伏見の戦いに勝利し、 東進する新政府軍は江戸総 攻撃を決定。しかし、江戸 高輪の薩摩藩邸で、旧知の 仲であった勝海舟と西郷隆 盛の会談がおこなわれ、平 和裡に江戸城を新政府軍に 明け渡すことが合意され 四九

2. 新説・明治維新 : 西鋭夫講演録

・戊辰戦争の進路 函 五稜郭の戦い 岡 X X 会津会津の戦い 岡城み社い X 宇都宮 甲州勝沼 x 江戸江戸無血開城 上野での彰義隊の戦い 鳥羽す伏見 長州 * 西郷降盛 薩摩藩の下級武士の家に生 まれるが、第Ⅱ代藩主・島 津斉彬に見出され側近とな る。薩長同盟の成立や王政 復古、江戸無血開城の中心 人物。明治新政府では陸軍 大将を務めたが、大久保利 通らと対立、西南の役 ( 西 南戦争 ) で自刃した。 ( 1828 ・、・ 1877 ) 国立国会図書館蔵

3. 新説・明治維新 : 西鋭夫講演録

忍び寄るアメリカと黒船来航 話は江戸時代末期の日本に遡ります。 18 5 3 ( 嘉永 6 ) 年、アメリカから海賊がやって来ました。。 ヘリー提督です。 「何しに来た ? 」 「太平洋を渡って何しに来たんだ、ここまで、 「俺たちが一度でもお前にちょっかいを出したんか ? 」 日本は色めき立ちますが、そもそもペリー提督は「太平洋艦隊」ではありませ ん。アメリカの東インド会社の艦隊です。アメリカの「東インド艦隊、です。 アメリカは太平洋でクジラを捕りまくって、クジラが残っているのは日本近海 だけという状況でした。航海をするためには石炭と水と食料も必要です。そこで 「オー。フンにしなきや大砲で撃っそ。江戸城にぶち込んでやるそ , 「届くわけないだろ : : : 」 日本にはそんな大砲はありませんから、甘く見ていた。 すると、ペリーという海賊の大将は、実際にお見せしたわけです。海に向かっ てバーンと大砲を打った。 「あの島をオープンにしてやろう , と考えた。 三四

4. 新説・明治維新 : 西鋭夫講演録

船に乗って江戸へ戻ってしまう。そして上野に行って寛永寺で 「ボク、何もしないんです、 と謹慎する。 おかしいではないか ? あの「戊辰戦争、は何だったのか ? 薩・長・土佐の官軍は完全に勝利を手にしていたのに、なぜわざわざ日本を縦 断して、会津若松まで行って皆殺し、上野公園でも皆殺し、函館にまで行って皆 殺しにしたのか。 日本の侍は、降参したらそこまで殺しません。「親分を出せ、切腹だ」で終わり。 それが日本の侍の伝統だった。 「江戸無血開城」は誰のシナリオ ? ところで、アヘンは日本には人ってこなかったのか。 南シナ海、インド、東南アジアを超えて香港までアヘンは来ている。小さな日 本海を渡れなかったということはあり得ない。 明治維新とアヘン、このつながりは表に出てきません。あまりの出てこなさに、 私は不自然だと思っています。あまりにも不自然です。 第三章明治維新に隠された「謎」 きんしん 四七

5. 新説・明治維新 : 西鋭夫講演録

美 の 國 を 壊 し 治 新 やすいと判断したのは、想像するまでもない。英国とフランスは「アヘン戦争」と「太 平天国の乱」で軍艦や将兵を「浪費」したが、日本ではもっと賢く立ち回る。植民地 の獲得方法を熟知している英国とフランスの学習能力は高い。 美学崩壊 徳川幕府 250 年の征夷大将軍慶喜、なぜ戦わぬ。なぜ「江戸城無血開城」が現在ま で美化され続け、西郷と勝の「美談」として語り継がれるのか。 斬首の刑にされて当然の大物幕臣勝海舟は、維新政府の重鎮となる。歴史のページ に残らない取引があったのか。 戊辰戦争が戦われていた 1868 年 3 月 14 日、幕府の重鎮勝海舟 45 歳 ( 1823 ~ 1899 年 ) たかなわ と薩摩藩士西郷隆盛 40 歳 ( 1827 ~ 1877 年 ) が二人だけで江戸の高輪にあった薩摩藩 屋敷の大広間で対座し「江戸城無血開城」を決めたと伝え聞かされ、我々日本人は感 動する。我々が大切にする情緒的な美学旋律に響くからだ。 それが英国の思う壷。 江戸は新政府が使いたいので温存。英国も美しい江戸に本陣を設立したい。 畳の大広間は、西郷と勝が武士として振る舞った最後の花道だ。 「武士道は永遠」と信じていた西郷は、あの日から武士の時代が終焉に向けて釣瓶落 としのように落ちてゆくとは想像もしていなかったろう。 「武士の悲劇」は、欧米列強の大量殺戮兵器が大きなうねりとなって「一騎打ち」で っちか 培われた「武士道の美学」を潰した時から始まった。 潰された後、日本精神文化の深層に残っていたものは、かすかに脈打っ鼓動である。 がれき 失ったモノの大切さに気づき、瓦礫に佇む日本人は、武士道が不死鳥のように復活し 雄々しくきらめいてくれるのではないかと切ない夢を見続ける。 だが、非情な大英帝国から指導を受けた薩長土佐は、圧勝した後も、同胞日本人を 津々浦々まで追いかけ殺した。 敵前逃亡という醜態をさらけ出した徳川に忠誠を尽くしつつ上野で抗戦した「彰義 隊」は、米国製の連発ライフルや英国製アームストロング砲に槍と刀で切り込んで行 く古風な男たちの生き様を歴史に刻んだ。欧米かぶれの官軍は、死体を葬ることを許 さず、上野の丘に放置させた。 彰義隊は「賊軍」なので「靖国神社」には奉られない。 京都の細い暗い路地で薩長上佐と斬り合った会津若松は、鶴ヶ城を攻められ籠城に 追い込まれ、食べ物がなくなっても孤軍奮戦を続ける。援軍は日本中にいない。勇猛 つるべお ほうむ 6

6. 新説・明治維新 : 西鋭夫講演録

1866 ( 慶応 2 ) 1 月幻日、薩長同盟締結 1 月日、寺田屋事件。坂本龍馬暗殺未遂 6 月、第二次長州征伐。薩摩藩は出兵を拒む 香港上海銀行・横浜支店が設立。その後、神戸・大阪・長崎にも支店を開設 1867 ( 慶応 3 ) 1 月、明治天皇即位 4 月、高杉晋作、死去 4 月、坂本龍馬の脱藩が許され、亀山社中を土佐藩に付属する外郭機関として 「海援隊」と改称。岩崎弥太郎が藩命により経理を担当 6 月、坂本龍馬、土佐藩参政・後藤象二郎に大政奉還を含む「船中八策」を提示 7 月、中岡慎太郎が陸援隊を組織 川月日、討幕の密勅 川月日、大政奉還 Ⅱ月、坂本龍馬、「新政府綱領八策」を起草 Ⅱ月、近江屋事件。坂本龍馬暗殺 月、王政復古の大号令 1868 ( 慶応 4 ) 1 月、「鳥羽・伏見の戦い」を契機に戊辰戦争が始まる ( S1869 ) 4 月、江戸無血開城 江戸を東京と改称し、年号を明治とする 『新説・明治維新』関係年表 普墺戦争 9 ロイセン王国と オーストリア帝国の戦い ) スウェーデンのノーベルが ダイナマイトを発明 七九

7. 新説・明治維新 : 西鋭夫講演録

を憧れで見て、「あのときはリーダーがいた」という話になる。 も現在のリーダーを探せないので、朝から晩まで江戸城やら明治時代や らを掘り起こして、何かあるんじゃないかと探しています。とうとう新島襄 * 4 の奥さんまで出てきてしまった。 私は川年ほど前、アメリカの東部でおこなわれたシンポジウムに参加しまし た。そのとき、キリスト教のリべラル・アーツ・カレッジである小さな私立の学 校、アマースト (Amherst) * 5 という学校を案内してもらいました。新島襄が留 学したところです。 学部長に案内してもらっているときに 「プロフェッサー・ニシ、教会を見ますか ? 」 と言われたので 「仏教か ? なんて冗談を言いながら見せてもらった。古い小さな教会でした。そこに小さ な舞台があり、左側には創立者の肖像画、右側に新島襄の肖像画がかけてある。 びつくりするでしよう。 それを私が指さすと、 「プロフェッサー ませんでした」 第四章美学の国・ニッポン ・ニシ、この新島襄の肖像画は第二次世界大戦のときも外され * 5 アマースト大学 マサチューセッツ州にある 私立大学。アイビーリーグ と同等レベルの名門校とさ五五 * 4 新島襄 江戸生まれ。幕府の築地軍 艦操練所で洋学を学ぶ。 8 6 4 年、密出国して渡 米。 1870 ( 明治 5 ) 年、 アマースト大学を卒業、日 本人初の学位取得となっ た。 18 7 2 年、アメリカ 訪問中の岩倉使節団に随行 し、欧米の教育制度を視 察。帰国後、京都に同志社 英学校 ( 後の同志社大学 ) を創立。キリスト教精神に 基づく教育に専念した。 ( 1843- 、・ 1890 ) 国立国会図書館蔵

8. 新説・明治維新 : 西鋭夫講演録

た。 2 回も。その前には、第一次アヘン戦争と第二次アヘン戦争のあいだに、イ さつりく ンド全土で「セポイの乱 * 6 1 という反乱が起き、すさまじい殺戮をしています。 ここでもたくさんの英国将兵が死んだ。 自国の人間を犠牲にするより賢いことは、他国の人間に戦わせることです。 香港から北を見ると、タッノオトシゴのような形をした、軍力もなく、何も知 らない島がドターツと横になっている。黄金の国・ジパングと言われた島です。 「よし、次はあの島だ。そこでは現地のテロリストを養成して、そいつらに闘わ イギリスは せろ。武器や作戦はこちらで供給するから、内戦を起こさせろ」 そう考えた。 みなさん、ちょっと考えてみてください。徳川幕府には一〇〇万の兵がいまし しよせん た。戊辰戦争の緒戦である「鳥羽・伏見の戦い」では、幕府軍 1 万 5000 人、「官 軍」と呼ばれている新政府軍は 5000 人です。つまり、幕府軍のほうが圧倒的 に兵力が上回っていた。 征夷大将軍・徳川慶喜 * Ⅳは、大阪城で、山陽道を駆け上がってくる反乱軍を 待ち受けている。正面衝突をしたら、西郷隆盛 * はあそこで終わりのはずでし ところが、フタを開けてみれば官軍のポロ勝ちです。 誰が吹き込んだのか、大阪城にいた将軍・慶喜はわずかな側近を連れ、夜中に 第三章明治維新に隠された「謎」 * 間セポイの乱 1857. 正・ ( ,. . 年・にインド で起きたイギリスの植民地 支配に対する民族的反抗運 動。「インド大反乱」「第一 次インド独立戦争」とも呼 ばれる。この反乱によって 東インド会社は解散し、イ ギリス本国によるインドの 直接統治が進められた。 * 貯徳川慶喜 江戸幕府第代征夷大将軍 であり、最後の将軍。在職 は 18 6 75 6 年。朝廷に 統治権を返上する大政奉還 をおこなったが、クーデ ターにより鳥羽・伏見の戦 いが勃発。慶喜は旧幕府軍 が形勢不利になったと見る や、まだ兵力が十分だった にもかかわらす、軍艦・開 陽丸で江戸へ退却した。 蔵 館 物 史 歴 立 市 畊四五 ( 18 3 7 ・、・ 1913 )

9. 新説・明治維新 : 西鋭夫講演録

な十代の若者で編成された「白虎隊」は、戦いながら悲惨な運命に堕ちてゆく。婦女 は自決を選ぶ。勝利に酔い狂った官軍は、会津の山野に重なるように倒れていた死体 さら を葬ることを許さない。風雨に晒された遺体は朽ちてゆく。 もののふの決戦で勝者が敗者の屍体をいたぶる悪習なそなかった日本なのだが、 官軍は上野で戦死者を打ち捨て、会津でも戦死者を打ち捨てる。「武士の情け」も 「戦場での美学」も踏みにじる官軍は、欧米の遺伝子を注人されていたのか。 「脱亜人欧」は、日本人が育んできた「武の美学」を冒涜するほど価値のある願望だっ たのか。「勝てば官軍」とささやかれた陰ロは「武士道」を汚した者たちに向けられ たのだ。 風雪の時が流れても、日本人は「賊軍の時代が読めなかった忠誠心」を愚直と思わ す、日本文化に流れる美学と見る。彼らの行動に純粋な清らかさを見て、敗者の生き 様に胸を打たれるのだ。 官軍の勝利に大きく寄与した英国は、東京の一等地をもらった。英国大使館は皇居 を見下ろせる高台に建造されている。江戸城の最後の内堀の向かい側だ。英大使館か ら小石を投げたら、江戸城の半蔵門に当たる。 英国は何を手に人れたのか。明治維新政府と交易と金融を手に人れ、すべての指南 役となる。世界で最初に明治日本を認めたのは、英国。まるで、自画自賛だ。 1872 ( 明治 5 ) 年 10 月 14 日、鉄道が欧米列強の艦隊が出入りする横浜駅 ( 現・桜 木町 ) から新橋駅に設置された。人口の多い京橋や浅草や上野へ鉄道が引かれるべき ではなかったのか。その願望が甘すぎる。 日本国民が清国の「太平天国の乱」のように「外国人を追い出せ」と反乱を起すか もしれない非常時に備えて、横浜から丸の内へ兵士と武器弾薬を早く運搬し、日本の かなめ 要である皇居を抑えるための戦略的な鉄道設置なのだ。皇居の南に在る新橋駅は皇居 の下腹へ槍を突きつけているかのようだ。 明治維新の亡霊がまだ日本に住み着いている。 平成日本は、世界の波に乗り遅れないようにと焦り焦らされ「国際化」「グローバ ル化」と叫んでいるが、日本で最初の「国際化」は明治初期の「脱亜人欧」だ。日本 文化を卑下して、欧米文明を鵜呑みにしようとした「文明開化」だ。 維新日本は、欧米の後を追いかけるという劣等感に駆られたまま、好戦的な欧米の 帝国主義の模倣をしつつ 1945 年の真夏まで疾走する。 平成日本、歴史を繰り返すのか。 7

10. 新説・明治維新 : 西鋭夫講演録

忍び寄るアメリカと黒船来航 / " お金のあとを追いかけろ。 / グラバー邸の「隠し部屋 , 薩長同盟とお金の流れ / 脱藩藩士を支援する土佐藩の不思議 / 高杉晋作と中国の惨状 イギリスの魔の手 / 「江戸無血開城」は誰のシナリオ ? / 「砂上の歴史」はもういらないー 第四章 0 美学の国・ニッポン リーーターーカしオし 憲法解釈の迷走 / 「頭がいい」北「お金持ち」 学校教育の「異常」 / 教育に金を使わない国 / なぜ日本に英語が氾濫しているか 第五章 0 日本文明の「魂」 明治維新とは何だったのか ? / 言語植民地・インドの悲劇 / 日本文化の魂ーーー・言霊 0 0 Z 0 —にスカウトされた日 『新説・明治維新』関係年表 スタンフォード大学フーヴァー研究所講座設立に寄せて 巻末付録論文西鋭夫「美学の國を壊した明治維新」