時間の習俗 291 大島は、手帳に書きとったものをそこでひろげた。それは自動車関係の二つの会社だった。 「君、これをすぐ大阪府警察本部に連絡して、峰岡が何時にそれらの会社に現われて、何時 ごろまでいたかを問いあわせてくれ」 「わかりました」 大島は、その連絡に部屋を出ていった。 ひじ 三原は、机に肘を載せて考える。 大阪からは、福岡まで飛行機で行ったのかもしれない。午前中に二つの会社に顔を出 して、飛行機で行けるなら、板付までは一時間半だ。午後二時半の赤間駅集合にはちょっと 童奇の見地にはタクシーで行けば間に合う。だんだんわかっ 間に合わないかもしれないが山王 てきたぞ。 そこにドアをあけてはいってきたのが鳥飼重太郎だった。 あやめ祭り みどうすじガス 「峰岡周一は、四月二十五日の午前十一時三十分に、大阪市東区御堂筋の瓦斯ビル内にあ
時間の習俗 286 三原は、そこで考えこんだ。江藤白葉も、いつまでも閑人の訪問客のつきあいはできない もど と思ってか、奥の職場に戻って、しきりと糊づけをやっている。 三原は、急に顔をあげた。 「ご主人、すみませんが、今年の今までの『筑紫俳壇』を全部見せていただけませんか」 すると、白葉は奥から「おい、おい」とまた妻女を呼んだ。今度は少々面倒くさそうな声 だった。 妻女は、今年の分の『筑紫俳壇』を五 , ハ冊運んで、ついでに冷えた茶を取りかえた。 今年の分は、四月号は手もとにあるから、結局、一、 、三、五、の四冊である。 最近出たのが五月号だが、三原はいきなり三月号を取りあげた。この分の巻頭写真は吟行 ではなく、中央の有名な俳人が死去したので、その肖像となっている。 三原がページを繰って捜したのは、四月の吟行の " 予告…が載っていないかということだ それは、あった , やはり表波線で囲ったもので、 かわざき ″予土ロ・鐘崎一何 / と出ている。 のり ひまじん
時間の習俗 243 情を変えるような男ではありませんよ」 二時間ばかりして鳥飼重太郎が若い刑事といっしょに警視庁に戻ってきた。 「どうでした ? ぶしようひげ 三原警部補は、鳥飼の白髪のまじった無精髭の顔を見上げた。 「お話のように、峰岡周一という人はたいへんな男ですな」 鳥飼は微笑して三原の前にすわった。若い倉田刑事は鳥飼の横に黙って並んでいる。 「須貝の名前を出してみましたよ。もちろん、はじめから否認されることは覚語していまし たが、こちらの狙いは、峰岡がどんな顔つきをするか見てやるのが目的でしたからね」 「結果は ? 」 まゆ 「いや、えらいもんです。須貝の名前を出しても眉一つ動かしませんでしたからね。まるで 須貝のことを警察がききにくるのを待っていたような具合です。とばけきって須貝というゲ イ・ポーイなど見たこともないちゅうんですよ」 「特別な反応は見えなかったわけですね ? 」 「全然」 鳥飼は首を振った。 「あれじゃ、役者も顔まけですな。ビクともしません」 ねら しらが
時間の習俗 三原警部補は峰岡のフィルムに写っていた和布刈神事が、第三者の手、つまり、峰岡に協 力している別の人間によって撮影されたとは思えなかった。これが当初からの考えである。 ) や、証拠の方からいえば、そのことの不可能 べつに証拠があってそう思うのではない。し が立証されるばかりである。たとえば、時間的な問題にしても、どうしても峰岡の単独撮影 ではありえないことばかりか出てくる。 みずき だからこそ、水城の殺人事件が起こって、被害者の若い男がどうやら相模湖畔の事件に関 連があるように思われると、その男が例の写真の撮影者ではなかったかと考え興奮したもの だった。つまり、その男が峰岡のカメラで和布刈神事を撮影し、そのあとで峰岡にカメラを 渡したとすれば、困難な問題もすらすらと解けるのである。三原はそのときは、それなりに 喜んだ。 だが、しだいにその考えがうすれてゆく。しかし、それは証明する証拠が出たわけでもな しわば、最初に考えたことに三原がまだ執着を 网く理由づける要因が発見されたのでもない。 ) び さがみこはん
しょはっ もえいず また、和布刈の意義について、「古伝』に、 「和布は陽気初発し万物萌出るの名なり。その もち 草たるや、淡緑柔軟にして、陽気発生の姿あり、培養を須いずして自然に繁茂す。昔、彦 ほほでみのみこと これ 火々出見命海神のに到り、宝珠を得て天下を有ち、之を子孫に伝えて万世絶えず。誠に 慶の至りなり。此を以て祝々除夜を以て海に入り延蔓絶えざる所の藻を採りて、元旦之 しんし しか を神祠に献じ、而して後、皇朝に奉り、また邦君に進むることも、更にまた慶の至りなり。 ただ とうと 此神事を以て、只その神秘なることを知って、而してその実に嘉福喜ぶべく、敬ぶべきこと なり を知らざる也」 とある。 うろくず 習 謡曲にも『和布の一曲がある。それは、早鞆の沖にすむ鱗の精というものが出てきて、 の 「今夜寅の一天に、広原海の都より、竜神波門を分け、なんとなく現れ出て海上を陸地の如 間びようびようまさご たいまっ く平々と真砂になし申すを、その時刻を相待ち、神職の人出合い、松明をとばし真砂地に下 時 り立って、海中の和布を刈取り神前に供えば、神はび納受ある : と、神徳をたたえて、 つかまっ 一曲仕るというのである。 さて、午前一一時が近づいた。 しかし、干潮になりきるまでには、まだ少しばかり時間があった。 社殿では、兄司ゞ、 守言力しっそう高らかに読みあげられる。このとき、見物人はいよいよ数がふ いしがきょ え、境内の石短に拠って海面に身体を乗りだしていた。 しぶき この からた め も よろこ お ひこ
時間の習俗 315 のだ。 峰岡の自宅にとんだ捜査員からも、家政婦は何も知らず、ただ峰岡が一一三日留守にすると 言いおいて出たことがわかったという報告があっただけだった。 一一時間は焦燥の間に過ぎた。 先ほど手続きをとった峰岡周一の逮捕令状が検察庁から回ってきた。 三原はそれを眺めた。この一枚の紙片を取るのに、どんなに長い間苦心したことか。やっ と峰岡の犯行の確証がっかめて、いま、これを手に入れることができたのだ。あとは本人に 突きつけるまでだが、肝心の当人の行方が知れない。 のぞ 横から鳥飼重太郎も逮捕令状を覗きこんでいた。 みすき 彼も水城の須貝殺しは管内に起こった殺人事件なので、峰岡の運命を決めたこの令状を感 慨ぶかそうに眺めた。 何度目かの電話のベルが鳴った。 「主任ですか ? 」 と、今度の捜査員の声は弾んでいた。 「梶原武雄の居所がようやくわかりました」 「なに、わかった ? 三原は、送受器を汗が出るほど握りしめた。 「どこにいた ? 」
時間の習俗 「それはこちらに保存してありますか ? 「創刊号からずっと取ってあります」 「すみませんが、この年の一年分がありましたら、ざっと拝見したいと思いますが」 「去年のですね。よろしゅうございます。いま出させましよう」 「それから、恐縮ですが、今年の和布刈神事の俳句が載っている号を見せていただきたいの ですが・ : のぞ 白葉は、三原の手に持っている雑誌を覗いて、 「それだったら四月号ですね。それも出させます」 彼はまた奥へ向かって、「おい、おい」と呼んだ。 やがて、妻女が一抱えの雑誌を持ってきた。 三原は、その『筑紫俳壇』の新年号からの巻頭の写真を見ていった。それはたいてい同人 かしいの たちの会合が写されているのだが、三月号には " 太宰府の観梅会 ~ 六月号には " 新緑の香椎 みや つやざき 宮 ~ 八月号には " 津屋崎海岸と大島吟行…十一月号には " 彦山の紅葉行 ~ となっていて、撮 影者は全部 " 同人・梶原武雄 ~ と印刷されているではないか。 三原は、これだと思った。『筑紫俳壇』の吟行には、毎回梶原武雄が必ず同行して撮影し ているのである。 今度は四月号の巻頭写真を見た。 果たして " 和布刈神事 ~ だった。ただし、神官が海にはいっている深夜の神事ではなく、 だざいふ ひこさん
110 時間の習俗 三原紀一は送受器をゆっくりと置いた。そのあとでもまだ峰岡と話しているような気持に なっていた。 峰岡周一の話で、彼が唐突に俳句の話を持ちだしたのでないことがわか・つた。つまり、 彳か門司の和布刈神社の神事を見にいった理由が俳句にあったのは、きわめて自然であった のだ。言いかえると、俳句は単なる彼の口実ではなかったのである。 しかし、これは峰岡周一が自分で言うだけのことで、実際にそうであったかは第三者にき いてみなければならぬ。 じゅん 三原は、電話帳を持ってこさせて、江藤白葉の番号を調べた。 " 駿河台 xx 番地江藤順 平表具師″と出ている。 三原は電話をかけた。出てきたのは中年の女の声だった。 「こちらは警視庁の者ですが、ご主人はいらっしゃいますか ? 相手の女の声は、すぐに男の嗄れたそれに代わった。 「私が江藤ですが」 「お呼びたてしてすみません。少し事情をおききしたいことがありますので、こちらからう カかいたいと思います。いまご都合はよろしいでしようか ? 」 「はあ。結構です。 : : : しかし、どういう筋あいのことでしようか ? 」 「いや、決してご心配になるようなことじゃありません。俳句のことで、少し教えていただ きたいのです」
の協力となったのである。 「単純な殺しとは思えない。女が大の男の頸を絞めたというのも不自然だ。かりに、男がそ の場で女に挑み、女が言うことを聞くような態勢になって、その不意の油断を見すまして男 あさひも の頸に麻紐を巻いたとしても、当然、男は暴れるだろうし、女のカでは押さえきれまい」 三原警部補は言った。 「すると、共犯者があるというわけですか ? 」 会議で質問が出た。 俗「ほくはあるように思います。それは女をめぐる痴情関係かもしれません。たとえば、被害 ろうらく 習 者の土肥武夫は、その女を籠絡しようとしていた。ところが、彼女に愛人がいて、二人の様 の 子を絶えずうかがい、その晩も相模湖畔に来ることがわかっていたとします。二人が散歩に 間 出たところをあとから尾け、現場で襲いかかったということも考えられます」 時 この説は、皆に合理的な判断としていちおう納得を与えた。 ただ、多少の疑問がある。 「もし、そういうことだったら、殺しにまで発展する必要はないように田 5 われる。なぜなら、 その女はまだ完全に土肥のものにはなりきっていないと推測されるからだ。自分の女を土肥 が横取りすることへの報復なら、ほかにそれを妨害する手段はいくつもあるはずだ。それだ けで殺すというには、少し動機が弱いように田 5 われる」 この説ももっともなところがあった。
時間の習俗 三原としては、峰岡がなぜ二月七日の午後一一時半ごろに、博 燗しばらく雑談がつづいたが、 多の西鉄切符売場に立っていたかの説明を聞けばそれでよかったのだ。 「どうも、長いことお邪魔しました」 ころあいを見はからって三原は立ちあがった。 「いえ、こちらこそ、駄句などをお見せして恐縮しました。また、どうぞお遊びにいらして ください。たいていはここにいますから」 峰岡周一は相変わらず如才がなかった。三原を出口まで見送り、なれたもの腰でお辞儀を した。三原が事務所から道路への出口に向かうと、五六人の運転手たちがタクシーを掃除し ていた。 し。いま聞いたは 警視庁に帰って、三原はいちおう峰岡から聞いた話をメモした。つ、でこ、 かりの彼の俳句を二つ書きとめておいた。うまいのかへたなのかやはり判断がっかない。し しようよう ふゅび かし、筑紫の史跡に冬陽を浴びながら逍遥している彼の姿が、ある程度にはこの二つの俳句 めかり から浮かびあがってくる。和布刈神事をわざわざ東京から見にいったという俳句好きの男だ けのことはあった。 ここで、三原は考えた。 これほど俳句に熱心な男なら、俳句の雑誌などに拠ってその作品が掲載されているかもし れない。たとえ雑誌の発表でなくとも、どこかの俳句同好会に所属しているかもしれない。 この点は、どうなのだろうか