時間の習俗 いの紳士が話しこんでいたそうです」 福岡署の係りは電話で答えた。 「それは同人ではないですね ? 」 三原はききかえした。 「同人ではありません。しかし、吟行にはよく知らない顔ぶれも参加するので、一行はべっ にふしぎには思わなかったそうです」 「その人は、現場にタクシーで駆けつけたのですか ? 」 「タクシーは見えなかったそうです。だが、赤間駅に集合したときは、その人の顔はなかっ たので、途中で吟行に加わったのは、はっきりとしています」 「その男は、最後まで一行と行動を共にしたでしようか ? 」 「いや、やはり途中で帰っています」 「歩いて帰ったのでしようか ? 」 「見た人たちの話によると、歩いていったそうですがね。ただし、この鐘崎の地形は、海に みさき 向かって海岸線がジグザグに出ているので、ちょっとした岬を回ると、もう街道が見えなく なります。だから、あるいは乗ってきたタクシーを岬の向こうに置いてくれば、自動車は一 同の眼にふれないということも可能になりますね」 「そうすると、一行が集まっていた所といちばん近い岬の距離とは、どのくらいでしょ う ? 」
時間の習俗 二人の葬儀係と話した人物を、刑事の一人が見ていた。 「いまの人は、なんという人ですか ? 」 刑事はきいた。 受付に立っていた者も業界紙の社員だったので、すぐにそれに答えた。 きよっこう 「あの人は極光交通専務の峰岡周一さんといいます」 刑事はその名前を名簿から見いだした。 「極光交通というと、大きなタクシー会社ですね ? 「そうです。現在、都内では大手筋五社といって、五つの大きな自動車会社がありますが、 極光交通さんはその五番目です」 係りは答えた。 「台数はどのくらい持っているのですか ? 「バスが五十台、タクシーが八百台、ハイヤ 1 が百二十台です。もとは中くらいのところだ ったのですが、最近になって大きくなってきました」 「なるほど。極光交通というのは、よく街を走っているタクシーの看板についていますね」 かいづりようさく しいま見えた峰岡さ 「社長は海津良策さんといいますが、なかなかのやり手ですよ。それこ、 んがまた仕事のできる人で、両人のコンビでぐんぐんのしあがってきました」 「専務さんが、わざわざ土肥さんの葬式に来るというのは、故人とはよほど親しい間柄だっ 的たのでしようね ? 」 ふたり
時間の習俗 しいか、なんだか自分ひとりで会ってみたかった。 らせても、 三原警部補は警視庁を出て、タクシーを拾った。 「どちらへ ? 」 「神田司町一一三四一番地だがね。極光交通という会社があるだろう ? 」 「ああ、極光さんですか。それだったら、のすぐ近くですよ」 やはり同業者だ。運転手の方がよく知っていた。 極光交通の事務所は広い自動車置場と、長いガレージの端に建っていた。堂々とした三階 建の事務所である。 三原紀一が名刺を出すと、係りの者は丁寧に応接間に通した。警視庁捜査一課という肩書 がてん から合点がいかぬふうだったが、交通業者には、警視庁はとかく苦手である。 応接間はかなり広く、壁には商売がら、観光バスや、タクシーや、ハイヤーなどの写真が 並べて掛けてあった。 待つほどもなく、三十七八の小太りの紳士が現われた。 彼はその手に三原紀一の名刺を握っていた。 「よくいらっしゃいました。私が峰岡でございます」 彼は丁寧にお辞儀をした。
時間の習俗 270 大島刑事は、三原から言われてきたことを心の中で順序立てて質問をつづけている。 「梶原君は東京の方に知りあいがあったかどうか、あなたは知りませんか ? 」 「さあ、そげえなことは聞いておりません」 「それなら、峰岡という人の名前を梶原君の口から聞いたことはありませんか ? 」 「どうも聞いたことがなかようです」 工員は考えたあげく言った。 「その峰岡という人は、東京でタクシー会社の重役をやってる人ですがね。タクシーや自動 車の話が梶原君から出たことはありませんか ? 」 「いや、そげなことは聞いとりませんばい 「それではききますが、今年の一一月七日に梶原君は西鉄の定期券を買っているんですがね。 あなたはそんなことを聞いたことがありませんか ? 「聞いてなかです」と、はっきりした返事だった。 「それは普通定期券ですがね。この会社では工員の人には定期券は出していないんです 、刀ワ・ 「それは通勤者はもろうとりますばってん、私たちはこの寄宿舎にいるから、社用の定期券 はもらってなかです。必要なら自分の金ば出して普通定期券を買います」 「では、梶原君もそうしていたわけですね。しかし、梶原君は寄宿舎から会社へ毎日出てい るのに、どうして定期券など必要だったんでしようか ? 」
時間の習俗 発行所は名刺にあるとおり、新宿区山伏町だったが、そこは小さなビルの二階で社員は若 い男か一一名いた。 被害者の妻女は、急を聞いてすぐに相模湖に来たが、遺体を見せられて泣きくずれた。 妻、よね子について事情をきくと、夫の土肥武夫は三十九歳で、現在夫婦の間に子供が一 人いる。土肥の経歴は、もと満州で、ある自動車製造会社に働いていたが、戦争中、軍に徴 用され、終戦となって内地に引きあげた。しばらく東京でタクシーの運転手をしていたとい 、つ。結婚は満州時代である。 しかし、満州でかなり贅沢な暮らしをしていた武夫は、タクシー運転手で満足せず、その うち、前記の業界紙を発行するようになった。これは、かなり当たっていたようで、はじめ 一人雇っていたのを、二名にしたのも去年からである。 「夫の収入は不規則でしたが、わたしには月々五万円渡してくれました。でも、ときどき、 思わぬ大金を持って帰ることもありました」 妻、よね子はそう言った。 当日の土肥の行動を彼女にきくと、朝、家を出かけるとき、今夜は少し遅くなるかもしれ もしかすると、家に帰れず、よそに泊まるかもしれないと言いのこして出たと話した。 土肥はその職業上、外泊することは珍しくなかった。女関係の点は、以前にはあったが、現 在では思いあたらないと彼女は言った。 「交通文化情報』は旬刊になっていて、発行部数は三千部である。
時間の習俗 みちのり 道程で、ハイヤーでも約一一時間近くかかる。 男客と運転手の交わした話題は、、 ノイヤーやタクシーの商売に関係したことが多かった。 男は業界にひどく詳しい。素人では知らないような術語などが飛びだしたりしたので、運転 手は、この客はどこかのハイヤー会社の重役ではないかと思ったくらいである。客の話し方 はひどく明央で、態度も明かるかった。 女は終始うつむきかげんだった。話も、男の方が細い声で話しかけると、小さく答える程 度だった。 しかし、その客の様子には、別に変わったことはない。碧潭亭ホテルに着くと、男はメー ターの料金を支払った以外に三百円のチップをくれた。 以上が両人を乗せた運転手の申立てだった。 警察では、男が新宿から乗り、女が高円寺一丁目から乗ったことで、その男女は、事前 打ちあわせておいて、わざと人目を避けるため別々に車に乗ったものと推測した。 碧潭亭の女中の証言と、この運転手の申立てを合わせると、この両人の仲がどのようなも のか想像される。 一方、被害者、土肥武夫の身もとについての調査が行なわれた。 土肥は彼の持っている名刺のとおり、『交通文化情報』という業界紙の発行人兼編集人だ。 ハイヤー この新聞は主として、タクシ 1 ハス、トラックなどの陸上運送業者を対象に配 布されている。 ふたり
時間の習俗 たのだ。 た 峰岡はタクシー会社の者に羽田から九州に発っと言って社を出ているが、誰も空港におけ る彼の姿を見たものはないのだ。彼は、あらかじめ須貝の衣類をトランク詰めにしてどこか に預け、羽田に行くまでの途中に受取ったのであろう。 こうして峰岡はトランクを提げて暗い現場に到着した。時刻は須貝と打ちあわせてあるの で、須貝はそれに従って土肥をホテルから外に誘い出す。その場所も前から峰岡との間に決 定していた。峰岡の到着が遅れる場合も予想して、須貝が土肥をその暗い昜所にひきとめて おくのは一時間くらいの余裕があったと思う。 峰岡は、畔の暗がりの中で須貝にじゃれついている土肥に襲いかかって、須貝と二人が こうさっ かりで土肥を絞殺する。 死体の始末をしたあと、須貝は峰岡が持ってきたトランクの中の男ものと着かえ、脱いだ 女ものと入れ替えて詰める。 では、現場からの帰路はどうしたか。これは須貝がトランクを持って、峰岡とはバラバラ に相模湖駅の改札口を通り、次の上り列車に乗る。新宿から羽田にタクシーで駆けつけたの も、ム 1 ンライト号に乗ったのも二人はいっしょだ。二月七日午前一時三十分発福岡行 33 3 便機には身元不詳 ( 偽名 ) の客が二人いたではないか。 五時十分に板付に到着した両人はどうしたか。 峰岡は大急ぎで小倉に行き、八時半までには大吉旅館にはいる予定にしている。土肥の死 ふたり
時間の習俗 182 では、七日以降はどうであろうか。これもまた鳥飼の推定ではありえないことになってい る。 なぜなら、いま三原警部補が追っている重要な容疑者、峰岡周一は、七日の夕方の列車に 乗って、八日の午前中に東京駅に着いたと言っているからだ。これはまだ確認していない。 しかし、峰岡が八日の午後から勤め先のタクシー会社に現われたことは事実なので、したが って、峰岡がその女といっしょに武蔵温泉にいたとすれば、七日の晩が最有力となってくる。 その日の晩に泊まっても、翌日の八日の朝の飛行機を利用すれば、峰岡は八日の午後にはち ゃんとタクシー会社に現われることができるからである。 殺された若い男は三原警部補かいま、いちばん苦しんでいる和布刈神事のフィルム・トリ かっ ソクの片棒を担いだ男だと思われる。この若者があの八コマ分の撮影をすませて、カメラを 峰岡に渡したという想像である。 こう考えてくると、峰岡は計画的に前からこの男を味方にしていて、その協力のもとに、 たくら 完全とみえるアリバイを企んだことになる。 しかし、鳥飼は所轄署の刑事たちの応援を得て、武蔵温泉の旅館を当たってみたが、どこ た の旅館でも有力な聞込みが得られなかった。二月七日の晩だと、すでに二カ月以上経ってい る。だが、 商売に置れている番頭や女中たちは、あんがいに客の顔は記憶しているものだ。 その番頭も女中も被害者の写真をのぞいて、はっきりと宿泊を否定したり、首をひねったり , もっと、も、 するのだ。念のため宿帳も見せてもらったが、むろん、ここにも手がかりはない。
時間の習俗 を少し洗ってみようと思いました。そこでまた、何度目かに大東商会を訪問したわけです。 ところが、同商会の事務員は峰岡氏を玄関の外までは見送ったが、それ以上行動を共に していません。同商会は市内渡辺通りにあるのですが、そこは市内電車通りになっていま す。停留所は商会から約一町歩いたところにあり、これは同商会側から駅に向かう進行方 前の交差点になります。 向であり、反対側は福岡市目抜き通りの岩田屋デパート 峰岡氏を見送った事務員の一人は、同氏は停留所の方に向かわず逆の方向を歩いて、お りから来かかったタクシーを呼びとめたというのです。 その事務員はそこで見ていると、タクシーは駅の方に向かわず、逆の岩田屋方面に方向 を変えて走り去ったそうです。事務員は多分峰岡氏が乗車するのに時間があり、市内を見 くるめ 物するのだろうと思っていたそうです。岩田屋デパ 1 トの下からは久留米までの西鉄電車 が出ています。 ところが、ここに、おもしろい聞込みがあります。同商会の社員の一人ですが、この人 が、偶然岩田屋デパ 1 トの中を歩いていると、ちょうど西鉄営業所のある窓口に峰岡氏が 立っていたそうです。社員は、よほど声をかけようかと思ったが、あまり面識がないので 遠慮したそうですが、その立っている窓口が少々奇妙でした。つまり、そこは普通の乗車 券を売る窓口ではなく、定期券を出す窓口に違いなかったというのです。 私はこのことを特別に考えて、あなたに知らせたくなりました。これが普通の乗車券を 出す窓口だと、峰岡氏が西鉄の電車に乗ってどこかに行ったと思うのですが、定期券を売
時間の習俗 267 三原は彼を呼んだ。 「君、明日の日航機ですぐに博多に行ってくれないか 「博多ですって ? 大島は眼をつりあげた。 さがみこ 「今度の相模湖事件で重要な人物が浮かんできたんだよ」 「新しい容疑者ですか ? 」 。とにかく、早く手当てをしないと、本人の生命にもかかわるかもしれ 「そんなのじゃない ないことだ」 三原は、自分の意図をざっと説明した。 しいが、それではまどろっこしくなる。また事件も切迫し 「福岡県警の捜査本部に頼んでも、 ている。すぐに航空会社に電話して、明日のシートを予約しておいてくれ。山本君を連れて 「わかりました」 三原は、遅くなって本庁を出た。地下鉄も、バスも、この時間になると酔った人間を見る よ、つになる。 峰岡周一は梶原武雄をどうして知っていたのだろうか。 三原は、その疑問ばかりを考えていた。むろん、タクシー会社と食品会社とは結びつかな 。これが大東商会だったら文句はないが、福岡食品工業では縁の遠い業種だった。