時間の習俗 二人の葬儀係と話した人物を、刑事の一人が見ていた。 「いまの人は、なんという人ですか ? 」 刑事はきいた。 受付に立っていた者も業界紙の社員だったので、すぐにそれに答えた。 きよっこう 「あの人は極光交通専務の峰岡周一さんといいます」 刑事はその名前を名簿から見いだした。 「極光交通というと、大きなタクシー会社ですね ? 「そうです。現在、都内では大手筋五社といって、五つの大きな自動車会社がありますが、 極光交通さんはその五番目です」 係りは答えた。 「台数はどのくらい持っているのですか ? 「バスが五十台、タクシーが八百台、ハイヤ 1 が百二十台です。もとは中くらいのところだ ったのですが、最近になって大きくなってきました」 「なるほど。極光交通というのは、よく街を走っているタクシーの看板についていますね」 かいづりようさく しいま見えた峰岡さ 「社長は海津良策さんといいますが、なかなかのやり手ですよ。それこ、 んがまた仕事のできる人で、両人のコンビでぐんぐんのしあがってきました」 「専務さんが、わざわざ土肥さんの葬式に来るというのは、故人とはよほど親しい間柄だっ 的たのでしようね ? 」 ふたり
時間の習俗 194 ( そうだ、ひとつ、水城の被害者の顔写真を東京中のカメラ材料店に回してみよう。福岡の 鳥飼刑事はすでにそれをやっている。そのことは、被害者が福岡の人間でないということの 立証の一つにもなっている。今度は東京だ ) あいにく鳥飼刑事は仕事で外出しているということだった。 福岡署に電話をかけたが、 そう聞いただけでも三原には、老刑事がこっこっとくたびれた靴をひきずって歩きまわっ ている様子が浮かぶ。三原は勇気を出した。これまで、くじけそうな気持を鳥飼刑事から何 度激励されて立ちなおったかしれない。 三原は水城の被害者の写真のうち、修整したほうの顔写真を鑑識に複写するよう頼んでお いて、警視庁を出た。彼のポケットには、もう一枚、死体をそのまま撮影した写真がある。 ふいと思いついたのだが、 まず、この写真で峰岡周一の反応を見てやろうと計画したのだ。 問題は、峰岡が水城の被害者を協力者として雇っていたとすれば、写真を見せたとき彼が どんな反応を示すかだ。もちろん、彼がこの男を知っているとは絶対に答えないだろうが、 隠せないのはその瞬間の表情だ。顔を知っていれば、当然、何かの反応がその眼や顔の筋肉 の動きにあらわれると思う。これは不意に相手に突きつけてみることだ。 峰岡周一はタクシー会社の事務所にいた。例によって事務所のいちばん奥まったところに、 広い机を前にしてすわっている。三原がはいっていっても、彼は顔色ひとっ変えず顧客のよ 、つに愛想よく迎えた。 「ひさしぶりですね。しばらくお見えにならなかったようですが」
時間の習俗 238 鳥飼はそういう変化を遂げた顔をにこにこ笑わせて、三原の立っているところに歩いてき 「しばらくでした。わざわざお出迎えで恐縮ですな」 「お待ちしていました。いよいよ鳥飼さんとごいっしょに仕事ができますね」 「ど、つも、ど、つも」 鳥飼は自分の後ろにいる若い刑事を紹介した。三十前後の背の高い男で、倉田という名前 ヾ ' 」っこ 0 「汽車の中はよく眠れましたか ? 」 いっしょに連れだってホームの階段を降りながらきくと、 「ハコ乗りは慣れてますばってん、朝早く眼がさめて名古屋を過ぎたあたりからずっと起き とりました」 「疲れませんか ? いえ。なんとも : : : それよりも、三原さん、これからすぐに、われわれは捜査会議に出 られるのですか ? 「会議は夕方からやることになっています。まあそれまでは、ゆっくりとお休みください」 ひとご 東京は初めてだという若い倉田刑事は、鳥飼の荷物も提げて人混みの中を遅れて歩いてい 警視庁に着いて、三原はお客二人を別室に休ませた。
時間の習俗 163 あまり騒がせては峰岡の今後の調査に悪影響を与える。これは、やはり鳥飼刑事に依頼し た方が正確だし、早いのだ。 「名古屋によく行っているね。三月二十七日から二日間というと、ついこの間じゃない か ? 」 それは今から五日前になる。 「なんですか、タクシ 1 会社は、始終、車を替えなければいけないとかで、自動車の注文に 名古屋出張は多いそうです」 さが 三原はそこまでの報告をきいて、刑事を退らせた。 彼はまだ発送していない鳥飼刑事あての封筒を手もとに置き、つづいて追加の照会文を書 きそえた。 三原はもどかしい気持で回答の来るのを待った。 返事は鳥飼刑事の分が一番早いだろうと思った。カメラ団体では会員間に連絡したり、話 を集めたりして手間がかかる。警視庁の照会というから必要以上に緊張して慎重になってい ることも想像された。 三原のこの予想は的中した。 三日後に鳥飼刑事からの最初の回答が来たのである。 「ご照会の件についてはさっそく調査しました。たいへんお急ぎのようなので電話でお話 ししようと思いましたが、間違ってはいけないので手紙にしたためました。
272 時間の習俗 「おりました」 大島刑事は跳びあがるような気持を自分でおさえつけた。山本刑事は手帳に要点をしきり にメモしている。 「すると、それは何時から何時まででしたか ? 」 「私はその中にはいってなかですけん、はっきりとはわかりませんが、ほくが梶原君から聞 いたのでは、二月七日の午前零時から四時半ごろまで、和布刈神社の境内にがんばっていた ということでした。これは彼の口から聞いとるので、よく覚えとります」 「ほう。それには何か証拠のようなものがありますか ? 「証拠 ? 山岡は、自分が刑事から疑われたような心持になったとみえ、にわかに強い語気になった。 「そりや、あんた、写真ば見せてもらいましたやな」 「写真 ? 「梶原君はカメラが趣味でしたけんな。今年の旧正月の晩の和布刈神事の模様ば自分で撮影 した写真ばばくに見せてくれました」 大島刑事の耳に何千匹という虫の声が一時にわいてきた。 「その写真は、どういう構図でしたか ? 」 「四五枚見せられましたが、和布刈神事を写したほかに、同人の記念撮影などありました」 「記念撮影 ?
時間の習俗 になっている。去年の五月、博多のどんたく祭には鳥飼に誘われて福岡に遊びにいったくら 三原警部補は、鳥飼刑事の人柄に惹かれていた。 近ごろ、捜査が近代化するにつれ、だんだん昔ふうな刑事が少なくなってきた。これはい いことだが、 一面寂しくもある。 鳥飼重太郎の博多の住まいは、八畳と六畳の二間だけの狭い家である。趣味といえば、濡 まちうえ れ縁の上に五つか六つの植を並べている程度だ。五十二歳の老刑事は、一人娘を嫁入らせ たあと、この家に妻と二人きりで暮らしていた。 鳥飼とはその後も文通をつづけていたが、今度の事件を福岡署に依頼して、その回答者が 彼だったのは偶然の因縁だった。 鳥飼重太郎の調査なら間違いなかった。 容疑者 三原警部補は、極光交通株式会社専務、峰岡周一という人物が、どうも気にかかった。
時間の習俗 215 「名古屋に行ってくれないか。少し日数はかかってもかまわないからね、丁寧にあたってほ 「わかりました」 「まだ写真はあるだろう ? 「二十枚ばかり残しておきました」 「それで十分だろう。大阪の方は、あとの連絡は頼んでおいたね ? 「あとから何か出たら、直接に大阪府警察本部から東京へ連絡するはずです」 「それでいいだろう」 「では、これから名古屋にまいります」 「ご苦労さん」 刑事二人は三原の指令どおり名古屋に発った。 稲村刑事はもう一一十年も警視庁に奉職している古手だった。大島は二十七だった。 うえほんまち 二人は上本町から名古屋行の急行に乗った。二日ばかり大阪の盛り場を歩きまわったので、 旧村は車中にはいると居眠りをはじめた。 「ここはどこだね ? 稲村は寝息がやむと、ふいと首を起こして窓の外を見た。電車は山岳地帯から平野の中を 走っていた。 「さあ」大島刑事が見当をつけかねていると、
時間の習俗 めてだから、西も東もわかりませんでな」 「お安い御用です」 稲村と大島の両刑事を呼んで、ざっと簡単に話をすると、 「鳥飼さんに詳しく話してあげてくれ」 と言いつけた。 「やあ、お世話になります」 若い刑事にも鳥飼は頭が低かった。 鳥飼と、彼の連れの若い刑事と四人は席を移して打合わせにはいった。稲村は出張のとき 買ってきた名古屋市内の地図をひろげたりしている。鳥飼なら名古屋の方をまかせて大丈夫 だった。峰岡と須貝の関係を立証する有力な手がかりをつかんで帰るかもしれなかった。い や、その期待は十分にもてそうである。 しかし、と三原は考える。 たとえそれがわかったとしても、もう一つの壁があった。峰岡が相模湖の殺人事件の現場 には絶対にいなかったという例のフィルムの証明だった。 めかり 和布刈神事の写真は誰が写したのか。もとより須貝ではない。またほかに共犯者があろう とも思えない。峰岡が独りで操作するにしてもこれは時間的に間に合わない 峰岡が撮影したのではないとすると、あの神事は誰かが撮影したことになる。共犯者がな ければ峰岡の撮影となるが、これは時間的には絶対不可能だ。それなら複写が考えられるが、
時間の習俗 141 三原はがっかりした。 「そいじゃ、なんにもならない」 「ええ、なんにもならないが、擦れアトがないよりもましですよ。フィルムの巻き戻し操作 が行なわれていたとすると、やはり有力なデ 1 タにはなりますからね」 「しかし、君」 三原は言った。 「それがわかっていても、問題の八コマが実写だとすると意味がなくなるからね。実写と決 まれば、この擦れアトも問題でなくなる」 「まあ、ばくは実景から撮ったというよりほか言いようがありませんな」 技師はフィルムを警部補に返した。 三原は考えこんだ。今の男は写真にかけては専門家だ。少なくとも自分よりはその方面の 知識が深いとせねばならぬ。 あきら しかし、三原はそれで諦めきれなかった。たとえ専門家がそう断定しても、真実を見きわ めるまで疑問を解消してはならない。やはり事実調べはとことんまでやって納得すべきだ。 三原は、すぐ、警察電話で福岡署を呼びだした。 「鳥飼刑事はいませんか ? こちらは警視庁の三原警部補だと伝えてください」 約二分間待たされた。電話を受けた者が刑事部屋に鳥飼を捜しにいってるに違いない。三 原はかって訪れたことのある福岡署の内部を想像して、電話口に鳥飼刑事が歩いてくるのを
時間の習俗 249 これは今までみてきたように峰岡に撮影した写真を貸したという者が出てこない。作品展か 開かれているわけでもない。 ニュース映画も、テレビの撮影も、いずれもその線は崩れた。 この点だけは、前から考えつづけたことが少しも進展していないのだ。 三原は、その晩、名古屋に発っ鳥飼重太郎を東京駅に見送った。鳥飼は張りきって出発し あぶら た。顔も汗ばんでいたせいか、脂が浮いたようにぎらぎら光っていた。それがいかにも精力 的にみえた。 もど 三原は、まだ残している仕事があるので警視庁へ戻ることにした。東京駅から警視庁まで あかれんが タクシーに乗るのはもったいないのでバスを利用した。バスは丸の内の暗い赤煉瓦街を通っ にぎ かいわい て有楽町に出た。有楽町界隈は色のついた光で賑わっていた。それが日比谷の交差点を渡る と、また暗い通りにはいる。皇居の石垣の上にも暗い灯が一つほっんと点いていた。 三原は警視庁前の停留所が来たので席を立ったが、彼の前に四五人の客が降りた。一人は 学生らしく、定期券を車掌にちらりと見せて降りてゆく。 定期券。 三原はそれを見て、また、峰岡周一が岩田屋デパートの下にある西鉄の定期券売場の窓口 たたず 付近に佇んでいたことを思いだす。 とふろうし あれは須貝の来るのを待っていたのか、それとも都府楼址に本当に行くためにだったのか。 三原は、うつむき加減に庁内にはいり、部屋に戻った。 刑事が一人の被疑者を調べている。たった今引っぱってきたものらしく、その男は二十四 いしカき ひ