時間の習俗 はた 捜査の話になったので、この辺から声が低くなった。おとなしい倉田という刑事も傍から 聞き耳を立てている。 「せつかくここまで来たのですけん、いちおう会ってみたかです。まあ、われわれには何の 確証もなく、きめ手もなかですが、峰岡という男を見ておく必要はありますやな」 「そうですね : : : ばくもあなたがたが上京されると聞いて、その点は考えたのですが、やは みずき り直接に会って、水城の被害者の須貝新太郎を知っているかどうかをたずねる必要はありま しようね。こうなったら彼も覚語をしているでしようから、なまじっか避けても同じことだ と思うんです」 三原も鳥飼の考えに賛成だった。 「では、捜査会議までばんやりしていても仕方がなかですけん、これからそのタクシー会社 に峰岡という人を訪ねてみまっしよ」 鳥飼は、茶を飲みこんで言った。 「三原さん、やつばり、なんでしような、われわれ二人だけで、峰岡氏に会った方がよかで しよ、つね ? ・ 「そうですね、今度はばくが出ない方かいいと思います。しかし、どこの線から須貝という 男に、峰岡の心当たりをつけてきたのか、その辺の筋道はどうします ? ーに線が伸びた 「それば考えとりましたが、被害者が割れたのは、別のことから名古屋のバ 川と一言えばよかと思いますが、どげんでしような ? そこの店に峰岡が客になって来ていたこ
2 姦もないのだ。 「主任さん」大島は考えこんでいる三原に言った。「これは、峰岡のつながりではなくて、 初めは須貝と梶原の線じゃないでしようか ? 」 「うん、それもおもしろい意見だな : : : 」 こうさっ みずき と言ったが、三原は気乗りうすな表情だった。水城で絞殺死体となって出てきた須貝新太 ・ノーにした。こいつは俳句のハイの字も知らない。九 郎は北海道の生まれで名古屋のゲイ 州から動いたことのない梶原武雄とは、どうみても結びつかない。大島の単純なその場の思 いっきだけであった。 時間の習俗 「主任さん」と大島は言った。「梶原武雄が定期券を買う必要性はありましたよ」 「ほう」 「梶原は食品工業の寄宿舎に泊まっているのですから、通勤用のパスは必要ないわけです。 ところが、彼は、週に二三回、博多の浜口町というところにある『筑紫俳壇』の発行所に顔 を出す必要があるので、普通定期券は買っていたそうです」 「なるほど : : : しかし、梶原本人は二月七日にそれを実際に申しこんでいるのかね ? 「その辺のところはわかりません。例の西鉄営業所に保管してある定期券の申込書で筆跡鑑 定を福岡署に依頼してきました。しかし、工員の山岡の話では、梶原は、その句誌の編集を
時間の習俗 「そうでしような」 くちびる 三原も峰岡周一の顔を思いだして唇に笑いが浮かんだ。 「ところで、あなたの見込みはどうです、峰岡は須貝を知っていると思いますか ? 「思いますな」即座に鳥飼重太郎は答えた。「とばけてまったく何も知らないような顔つき をしておりますが、峰岡は須貝をよく知っとると思いますやな。あのとほけ方には峰岡の作 為が見えます。これは私の先入観ではなく、二三分も須貝のことを話しているうちに、そう わかりました」 「須貝のことでは、どんな話が出たんですか ? 「私は、こうきいたんです。あなたは名古屋の方によく仕事で出張されるが、あそこのゲ ちょうちょう 2 、 イ・ ノ ーで " 蝶々 ~ というのを知っとりますかと言うと、そんなバーは知らないと一言うん ですな」 「なるほどね」 「知っとると言えば、むろん、そこの店に働いている芳子というゲイ・ポーイを口に出すん ですが、店の名前を知らないと言えば仕方がなかです。そのあと、出張した晩に名古屋の花 街を歩いたことがあるかとききましたが、それはたまにはありますよと笑っとりました。だ が、ゲイ・ポーイなんかには興味がないので、寄ったこともないと言っていました」 「それで、峰岡に須貝のことを質問するのに、どういうきっかけをつけたのですか ? こうさっ 「やつばり正攻法でゆきましたよ。福岡郊外の水城で青年の絞殺死体が出て、名古屋のゲ
時間の習俗 「君、それはどこで聞いてきた ? 」 「筑紫俳壇の主宰者が大野残星といって、これは福岡のお寺の住職ですがね。足のついでで すから、その寺に行って大野住職に会い、話を聞いてきました」 「それはよく気がついたな」 「大野残星という坊さんは、もう六十近い人ですが、俳句の方はホトトギスの系統で、自分で は、虚子の門下だと言っていました。梶原武雄のことはなかなか有望な青年だと言っていま したが、あれでカメラに凝らないと俳句もずっとうまくなるのだがと残念がっていました」 「なるほどね。それで連中の吟行などには、梶原が撮影係というわけだね」 「そうなんです。坊さんに、梶原君が写した今年の和布刈神事の写真を持っていないかとき くと、それはなくて、一同で記念撮影したものは手もとにあると言ってました。そんなもの を借りて帰っても仕方がないので置いてきましたがね」 「その住職は、峰岡周一を知っていないのか ? 」 「それも確かめてみましたが、全然知らないと言っていました。俳句をやる人だが、と言っ ても、名前も聞いたことがないと一言うんです」 「そうか」 いま梶原の行方不明に峰岡周一の手が動いているとしたら、峰岡はどうして梶原を知って いたのだろうか。どのような方法で彼に接近したのか。これが筑紫俳壇の主宰者の坊さんが 峰岡の名前を知っているのだったら、俳句同好者として知りあいということもあるが、その
時間の習俗 ッターを切るわけですね。この神事の場面の予定コマをとしましよう」 「うむ、なるほど」 「それから本人は小倉の旅館にはいり、そこの女中さんを何コマか撮影するんです。何コマ 目といっても、ちゃんと当人は計算しているわけです。この女中像を O としましよう。つま りですね、こうすれば、 < と O のネガの間に未撮影のコマ CQ がはさまっているわけですね。 そこで今度は、最後の 0 の撮影を終わると、巻き戻しをやるんです。そして、の最後のコ マ、これは当人が覚えていますから、キャップをはめたままそのコマ数だけシャッターを切 る。こうすると、二重写しにはならないで、例の空白のの最初のコマを迎えます」 「わかった」 三原はそこまで聞いて礼を言った。 「それから先はばくなんかにもわかるよ。つまり、当人は未撮影の八コマ分だけを、改めて 撮影すればいいわけだな」 「そうです、そうです : : : しかし、うまく考えたもんですな」 支師は感、いしていた。が、 すぐそのあとでちょっと妙な顔をした。 「三原さん、それはそれでいいんですが、ばくには疑問がありますよ」 「ほう。どういうことかな」 「あなたは、当人がテレビのニュースからそれを撮ったと言われていますが、それは一種の 複写ですからな。動いている写真を撮るだけのことです」
時間の習俗 屋に頼んだ場合に、屋さんが一まとめにして取りにくることはあります。しかし、 撮影者が一本ずっ取りにくることは例にないです 「しかし、もう一度見てください」と三原は言った。「その梶原さんの場合、果たして九州 に送ったかどうかです」 主任は妙な顔をしたが、 警部補にそう言われてまた応接間を出ていった。 今度は一一十分ばかり待たされた。 もど 主任は、頭を掻き掻き戻ってきた。 「まったくおっしやるとおりです。いま、帳簿を調べたら、梶原さんご本人がこちらに取り にみえているんですね」 三原は、鳥飼と眼を見合わせた。それは勝利の表情だった。 「事情はこうです。ちょうど、その係りがいたので、よくわかりましたがね、その梶原さん という人は直接こちらに見えられましてね、なんでも東京に出張したので、この前福岡から 送ったフィルムの現像ができているはずだから、もしできていたら一日でも早く見たいから それを渡してもらえないだろうかと言うのです。私の方としてはご本人かどうかわからない ので、その身分証明を求めたんです。すると、梶原さんは福岡の方の電車の定期券を出され ましてね。たしかに、そこに書かれている梶原さんの名前も、撮影者の送ってきた封筒のも のと間違いなかったのです : : : まあ、フィルムは誰でも早く見たいのが人情ですから、私の 方としては、ご本人にそれをお渡ししたわけですよ
時間の習俗 224 「前というと、いつごろかね ? 」 「そうね、もう半年ぐらいになるわね」 彼は同僚に確かめるように言った。 「そうね、そのくらいになるわね」 「それからこっちはどうなんだな ? 」 稲村は胸をわくわくさせていた。 「そういえば、ちっともこのごろは来ないわ。どうしたんでしようね」 「じゃ、半年前に来ただけで、そのあと芳子さんはここに現われていないわけだね。誰かこ の " 蝶々一の店に行 0 た者はいるのかね ? 「わたしあるわ」 後ろから新しい声か聞こえた。 「あら、ママさん、お早うございます」 としま おおまるまげ 四十ぐらいの年増女 ( ? ) が、派手な女の着物に赤い帯をつけている。髪は大丸髷だった。 ほかの男たちがママのために席をあけた。彼女はゆっくりと稲村にならんですわった。 「いま、このかたがね」と、マュミがその写真を彼女に見せた。ママは、厚化粧の顔を写真 おしろい にうつむけた。ちょっとした動作でも女が出ている。咽喉が太く、白粉を塗った手の指もご つごっしていた。 「あら、これ、芳子じゃないの」
228 時間の習俗 はうば、 「本人は二月六日以来休んでいるわけだが、その前に " 蝶々でそういう事実を朋輩に言っ たことがあるのかな ? 」 「ええと、黙って休んだまま連絡がなかったそうです。アパートに行ってみたら、そこには いなかったというのです。郷里にちょっと帰ってくるというロ実ですが、もちろん、北海道 うそ に行くには日数も少ないし、日ごろの通信もないのだから、嘘に決まっています」 「誰か客としめしあわせて出たというような事実はわからないのか ? 」 「それはわかりません」 三原はしばらく考えていたが新しい質問をした。 「その " 蝶々〃というハ ーに、峰岡周一は客として行ったことがあるのか ? 」 「峰岡周一の写真も、 " 蝶々 ~ のマダムや、ほかの連中に見せました。しかし、みんな覚え ていないのです。なかには、どうもうちにくる客のようだ、と一一一一口う者もいましたが、はっき りした記憶ではありません」 「では、相模湖畔で殺された土肥武夫はどうだろう ? 「はあ、その写真ももちろん出して見せましたが、これは全然心当たりがないと言っていま そんなバーなら客はいろいろ来ただろうから、回数の少ない客はわからないという 「だが、 こともあるな」 「ところが、そこは商売で、たいてい覚えているそうですよ。もっとも、フリの客で一二度 さがみこはん
時間の習俗 213 土肥武夫の妻は眼をじっと伏せ、懸命に記億をたどるようにしていたが、ふと、その眼を 「そうおっしゃれば、峰岡さんには大阪でお会いしていたような話もしていました」 「ほう、大阪で ? 」 ーしつか峰岡さんと大阪でお会いして、なんでも、 「よい、やっと思いだしました。主人よ、、 おもしろいところに連れていっていただいた、と言っていたことがありました。その後もそ んな話を聞いたことがあるような気がします」 「おもしろいところ ? もっと詳しいことはお聞きになりませんでしたか ? はい、ただ、おもしろいところ、とだけでございました」 「名古屋と九州の話は出ませんでしたか ? 」 「それはなかったようです 「なるほど、大阪ですか」 三原は腕を組んだ。 三原は本庁に帰ると、四階の鑑識課の部屋に駆けあがっていった。 「水城の殺人被害者の複写を頼んでおいたが、至急に五十枚ばかり、ふやしてくれません 「身もと割りだしの手配ですか」 「そうです。ひとつ大至急にお願いしたいんですが」 か」
時間の習俗 三原は考えあぐんで、長い脚を椅子の前に伸ばし、頭に後ろ手を組んだ。 ど、つもわからない。しかし、峰岡が巧妙な方法で何かを隠していることは疑いよ、つもなか っ , 」 0 が、それを見やぶる方法がわからない。峰岡が定期券を購入した目的も、どのような身分 証明のためであったのか見当さえっかないのである。 ところが、徐々に三原の頭に浮かんだものがあった。 それは、たった今、大東商会に電話を掛けて問いあわせたことに関連してだった。 先方の返事に間違いがあろうはすはないし、べテランの庶務課長が少しの先入観もなく返 こちらとしては、もう一つ念を入れる必要があるのではないか 答してくれたのだ。だが、 つまり、その確認の仕方が問題だった。 同じことが鳥飼の報告にもいえるのだ。 鳥飼は該当者に会って、《確かに二月七日に西鉄窓口から定期券を買ったという確認を本 人からとっていただろうか》 現に、三時ごろ、鳥飼は電話でこんなふうに言った。 《本人に当たったのもあれば、当人が留守で会えなかったのもあります。しかし、こちらと しては実在かどうかわかればいいので、たとえば、本人が留守の場合は家族についてきいた り、あるいは会社名のところに電話をかけて確かめたりしました。その結果、申込書の者は 架空名の者が一人もいないことを確かめましたよ》